2016年08月
藤原道長「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/08/27(土) 04:22:46.78 ID:xU7Ukun40
なお62年の人生で家系ラーメンを一度も口にすることなく死んだ模様
悲しい生涯やな
悲しい生涯やな
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1472239366/ 続きを読む
【偉大?】名君、大帝、名将、大王【本当に?】
1: 世界@名無史さん 2014/07/21(月) 01:20:36.24 0
本人自身の能力・功績と言うよりも、絶好調のときの組織やシステムのトップ
にいただけ。配下の功績ではないかという疑いがある人物について
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1405873236/
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にいただけ。配下の功績ではないかという疑いがある人物について
淡路島が徳島から兵庫へ編入の謎 庚午事変に光
1: のっぺらー ★ 2016/06/11(土) 23:05:09.22 ID:CAP_USER
「あの事件」さえなければ、淡路島は兵庫県ではなく、徳島県だったかもしれない。
「あの事件」とは、明治初期の洲本城下町で起きた「庚午(こうご)事変(稲田騒動)」。
江戸時代は徳島(阿波)藩領だった淡路島が兵庫県に編入される発端となった史実をもっと知ってもらおうと、
関係者の子孫らが、先人の足跡を紹介する取り組みを続けている。
庚午事変とは、1870(明治3)年、
徳島藩の一部藩士らが、同藩筆頭家老として淡路を任されていた稲田家と対立する形となり、稲田家臣の家などを襲った事件。
徳島藩側が処罰を受け、淡路島が兵庫県に編入される契機となった。
2013年、稲田家の子孫らが事変で焼失した学問所益習館(えきしゅうかん)にちなみ、市民グループ「益習の集い」を設立。
一般の参加者と洲本市内に残る石碑や墓を巡る歴史ウオークなどの活動を続ける。
ゆかりの地の一つ、江国寺(こうこくじ)には犠牲者を弔う招魂碑があり、側面に「三宅達太郎」の名が刻まれる。
稲田家の武道師範を務めていた達太郎は事変で自決。
グループ会長で、達太郎のやしゃごにあたる三宅玉峰(ぎょくほう)さん(63)=同市=は
「当主のために家臣は無抵抗を貫いたが、武道の達人だった高祖父は何もせず敵の手にかかるのが屈辱だったのでは」と話す。
グループが14年から続ける追悼式では稲田家だけでなく、徳島本藩側の死者も合わせて慰霊することにこだわった。
「両者とも時代に翻弄(ほんろう)された。恩讐(おんしゅう)を超えて、和解する機会としたかった」と三宅さん。
交流は重なり、徳島市のNPO法人と徳島藩主が愛したという「蜂須賀桜」を洲本市内の神社に植樹。
徳島県美馬市では、事変後に北海道の開拓に尽力した稲田家臣らの功績を伝えるパネル展が催された。
事変は、船山馨の小説「お登勢」が原作のNHK時代劇や、北海道で苦闘する家臣らを描いた映画「北の零年」で取り上げられてきたが、
地元淡路島でも事変や稲田家を知らない人は少なくない。
益習館は江戸後期に頼山陽(らいさんよう)ら高名な学者を招くなどして多くの人を育てた。
三宅さんは「その精神を継ぎ、地元に誇りを持てる人材の育成に少しでも貢献したい」と話している。
【庚午事変(稲田騒動)】
1870(明治3)年5月、徳島藩の筆頭家老で洲本城代を務めた稲田家の家臣宅を、徳島藩士が襲撃。
稲田家側の17人が死亡(自決2人を含む)、約20人が重軽傷を負った。
前年の「禄制(ろくせい)改革」で、陪臣(家臣の家臣)である稲田家臣は士族に加えられず、士族編入を嘆願し、分藩独立運動へ。
これを藩主・蜂須賀家への不忠とみた徳島本藩の家臣が暴発した。
明治新政府は首謀者らを切腹や流罪などとし、稲田家側には北海道への移住を命令。
翌71年には淡路島北部が、最終的に全島が兵庫県に編入されたのは、事変のしこりを後世に残さないためとされる。
写真:庚午事変で襲われた稲田家の学問所「益習館」跡に残る庭園。兵庫県の名勝に指定され、土日祝日に公開されている
以下ソース:神戸新聞 2016/6/11 15:15
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201606/0009176167.shtml
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/femnewsplus/1465653909/続きを読む
「あの事件」とは、明治初期の洲本城下町で起きた「庚午(こうご)事変(稲田騒動)」。
江戸時代は徳島(阿波)藩領だった淡路島が兵庫県に編入される発端となった史実をもっと知ってもらおうと、
関係者の子孫らが、先人の足跡を紹介する取り組みを続けている。
庚午事変とは、1870(明治3)年、
徳島藩の一部藩士らが、同藩筆頭家老として淡路を任されていた稲田家と対立する形となり、稲田家臣の家などを襲った事件。
徳島藩側が処罰を受け、淡路島が兵庫県に編入される契機となった。
2013年、稲田家の子孫らが事変で焼失した学問所益習館(えきしゅうかん)にちなみ、市民グループ「益習の集い」を設立。
一般の参加者と洲本市内に残る石碑や墓を巡る歴史ウオークなどの活動を続ける。
ゆかりの地の一つ、江国寺(こうこくじ)には犠牲者を弔う招魂碑があり、側面に「三宅達太郎」の名が刻まれる。
稲田家の武道師範を務めていた達太郎は事変で自決。
グループ会長で、達太郎のやしゃごにあたる三宅玉峰(ぎょくほう)さん(63)=同市=は
「当主のために家臣は無抵抗を貫いたが、武道の達人だった高祖父は何もせず敵の手にかかるのが屈辱だったのでは」と話す。
グループが14年から続ける追悼式では稲田家だけでなく、徳島本藩側の死者も合わせて慰霊することにこだわった。
「両者とも時代に翻弄(ほんろう)された。恩讐(おんしゅう)を超えて、和解する機会としたかった」と三宅さん。
交流は重なり、徳島市のNPO法人と徳島藩主が愛したという「蜂須賀桜」を洲本市内の神社に植樹。
徳島県美馬市では、事変後に北海道の開拓に尽力した稲田家臣らの功績を伝えるパネル展が催された。
事変は、船山馨の小説「お登勢」が原作のNHK時代劇や、北海道で苦闘する家臣らを描いた映画「北の零年」で取り上げられてきたが、
地元淡路島でも事変や稲田家を知らない人は少なくない。
益習館は江戸後期に頼山陽(らいさんよう)ら高名な学者を招くなどして多くの人を育てた。
三宅さんは「その精神を継ぎ、地元に誇りを持てる人材の育成に少しでも貢献したい」と話している。
【庚午事変(稲田騒動)】
1870(明治3)年5月、徳島藩の筆頭家老で洲本城代を務めた稲田家の家臣宅を、徳島藩士が襲撃。
稲田家側の17人が死亡(自決2人を含む)、約20人が重軽傷を負った。
前年の「禄制(ろくせい)改革」で、陪臣(家臣の家臣)である稲田家臣は士族に加えられず、士族編入を嘆願し、分藩独立運動へ。
これを藩主・蜂須賀家への不忠とみた徳島本藩の家臣が暴発した。
明治新政府は首謀者らを切腹や流罪などとし、稲田家側には北海道への移住を命令。
翌71年には淡路島北部が、最終的に全島が兵庫県に編入されたのは、事変のしこりを後世に残さないためとされる。
写真:庚午事変で襲われた稲田家の学問所「益習館」跡に残る庭園。兵庫県の名勝に指定され、土日祝日に公開されている
以下ソース:神戸新聞 2016/6/11 15:15
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201606/0009176167.shtml
猿人ルーシー、木から転落死か 新たな骨格分析で示唆
1: もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2016/08/30(火) 07:36:30.27 ID:CAP_USER
猿人ルーシー、木から転落死か 新たな骨格分析で示唆 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3099024?pid=18245439
【8月30日 AFP】アフリカ東部エチオピアで1974年に発掘された約320万年前の猿人「ルーシー(Lucy)」の化石を改めて分析した結果、高さ12メートル以上の木からの落下が死因だったことが示唆されたとの研究結果が29日、発表された。ルーシーの死因をめぐる数十年来の謎が、ついに解明された可能性がある。
ルーシーは、現代人とその全祖先が含まれるヒト亜族の一種であるアファール猿人(学名:Australopithecus afarensis)の女性個体。全身骨格の約40%が残り、史上最も完全に近い形で見つかったヒト亜族の骨格化石の一つで、ヒト進化の系統樹の大きな空白を埋める存在として有名となった。
米国とエチオピアの研究者らが英科学誌ネイチャー(Nature)に発表した論文によると、10日間かけてルーシーの化石にコンピュータ断層撮影(CT)スキャンを実施した結果、落下の衝撃により上腕の骨が粉砕していたことが確認された。こうした外傷は、現代なら交通事故の犠牲者にもよくみられるという。
論文の共同執筆者でテキサス大学オースティン校(University of Texas at Austin)のジョン・カップルマン(John Kappelman)氏はAFPに対し、ルーシーが受けた傷は「衝撃の瞬間に受け身を取るため両腕を伸ばした」ことを示唆していると説明した。
さらに、足首と膝、骨盤、さらに肋骨少なくとも1本が折れていたことも分かり、ルーシーは内臓にも重度の損傷を負い、転落直後に死に至ったとみられるという。
ルーシーについてはこれまで、骨が折れたのは死後だったと示唆する研究結果も出ており、死因をめぐる定説はなかった。
ルーシーを含むアファール猿人は現生人類と同じく直立二足歩行をしていたが、安全な隠れ場所が必要な夜間などに部分的な樹上生活を行っていたとする説もあり、今回の発見はこの説を裏付けるものとなった。(c)AFP/Pascale MOLLARD Mariëtte Le Roux
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1472510190/
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http://www.afpbb.com/articles/-/3099024?pid=18245439
【8月30日 AFP】アフリカ東部エチオピアで1974年に発掘された約320万年前の猿人「ルーシー(Lucy)」の化石を改めて分析した結果、高さ12メートル以上の木からの落下が死因だったことが示唆されたとの研究結果が29日、発表された。ルーシーの死因をめぐる数十年来の謎が、ついに解明された可能性がある。
ルーシーは、現代人とその全祖先が含まれるヒト亜族の一種であるアファール猿人(学名:Australopithecus afarensis)の女性個体。全身骨格の約40%が残り、史上最も完全に近い形で見つかったヒト亜族の骨格化石の一つで、ヒト進化の系統樹の大きな空白を埋める存在として有名となった。
米国とエチオピアの研究者らが英科学誌ネイチャー(Nature)に発表した論文によると、10日間かけてルーシーの化石にコンピュータ断層撮影(CT)スキャンを実施した結果、落下の衝撃により上腕の骨が粉砕していたことが確認された。こうした外傷は、現代なら交通事故の犠牲者にもよくみられるという。
論文の共同執筆者でテキサス大学オースティン校(University of Texas at Austin)のジョン・カップルマン(John Kappelman)氏はAFPに対し、ルーシーが受けた傷は「衝撃の瞬間に受け身を取るため両腕を伸ばした」ことを示唆していると説明した。
さらに、足首と膝、骨盤、さらに肋骨少なくとも1本が折れていたことも分かり、ルーシーは内臓にも重度の損傷を負い、転落直後に死に至ったとみられるという。
ルーシーについてはこれまで、骨が折れたのは死後だったと示唆する研究結果も出ており、死因をめぐる定説はなかった。
ルーシーを含むアファール猿人は現生人類と同じく直立二足歩行をしていたが、安全な隠れ場所が必要な夜間などに部分的な樹上生活を行っていたとする説もあり、今回の発見はこの説を裏付けるものとなった。(c)AFP/Pascale MOLLARD Mariëtte Le Roux
真田丸めっちゃ面白くね?
ナチスの「黄金列車」発掘がついに始まった!→見つからず作業断念
【8月26日 AFP】第2次世界大戦(World War II)の末期、ナチス・ドイツ(Nazi)によってポーランドに埋められたとされる「黄金列車」の財宝を求めて発掘を行っていた2人が25日、2週間掘り続けたものの何も見つけられなかったとして、作業を断念したことを明らかにした。ただ、当局の許可を得られ次第、来月にも近くの別の場所で新たな捜索を始める意向も示している。
ポーランド人とドイツ人のトレジャーハンター2人は今月、地中探査レーダーやブルドーザー、ドリルを用いてポーランド南西部の町バウブジフ(Walbrzych)近郊で発掘を始めていた。
しかし、チームの広報担当を務めるアンドレイ・ガイク(Andrzej Gaik)さんはAFPの取材に対して「何もなかった」と語った。「昨晩、私たちは作業を停止した。残念ながら、成果はなかったと認めざるを得ない」
とはいえガイクさんは、当局の許可を得られれば、チームは9月に「すぐ近く」の場所で捜索を再開する計画だとも付け加えた。
http://www.afpbb.com/articles/-/3098732
http://www.afpbb.com/articles/-/3098732
世界史に残る恩知らず
1: 世界@名無史さん 2015/04/02(木) 18:42:43.45 0
貧乏なロベスピエール君は上京するときに
フーシェ君から旅費を貸してもらったのに、
みたいな感じで
恩知らずな奴を叩きましょう
http://www.logsoku.com/r/2ch.sc/whis/1427967763/
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フーシェ君から旅費を貸してもらったのに、
みたいな感じで
恩知らずな奴を叩きましょう