(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。歴史関係のスレ(ほぼなんj)をまとめています。良かったらご覧ください。

2016年12月

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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/12/27(火) 03:09:17.32 ID:y0m5crHj0
彡(^)(^)「せっかくやし笑顔で撮ったろ!」
eG5f8ga
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1482775757/
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noguchi_hideyo

1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします  2016/12/26(月) 17:28:30.750 ID:keOPCg0R0
今川義元は内政家だから元から桶狭間のイメージは関係ないし
田沼意次がワイロ受け取ってたのは事実だし
野口英世のデータ処理能力の高さは否定できないし
http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1482740910/続きを読む
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20101010165108

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/12/26(月) 14:00:46.53 ID:Og0xT6hr0
・関羽への援軍を拒否して殺す
・孟達に裏切られる
・上庸を失う

それに引き換え民の血が流れるのを嫌って全面降伏した実の息子の有能さwwwwww
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1482728446/続きを読む
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AhZjqIx

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/12/25(日) 02:56:25.19 ID:LRtE8uP20XMAS
基本的に正義が最終的には勝ってるよな
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1482602185/続きを読む
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106230

1: 名無しさん@おーぷん 2016/12/25(日)10:47:57 ID:cyd
元ネタは神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「朝鮮最近の面影 : 暴房分子の思想転向 : 朝鮮総督 宇垣一成」(1933)から

簡単に要約してみる
大分意訳が混じっているので、本文が知りたい人はソース元を参照してほしい


「私(宇垣)は軍人なので、国防上から朝鮮を20-30年は研究してきたけど、
朝鮮総督として赴任する前は朝鮮と言えば思想は不穏で、民心は荒んでいる上にそもそも退廃しており、
土地としても経済的に不毛で、本国からの補助金がないと成り立たず、その上併合して20年経っても進歩がない。
要するに精神的にも物質的にも本国にとって朝鮮半島は負担でしかないと思っていた。

しかし一昨年就任して以来、どうにか朝鮮を足手まといにならないように、実地で研究してみたけど、それまでの理解では不十分だとわかった。
つまり李氏朝鮮時代がクソだったから朝鮮の民衆が今みたいな現状になってしまったのだ。
産を興すは家を滅ぼすの基なり」という朝鮮のことわざの通り、下手に儲けたら腐敗した役人に搾取されるからやる気がなくなったわけだ。
日韓併合以来、失脚した旧支配者溜め込んでいた不満を第一次世界大戦後の民族主義の気運に煽られて独立運動とか始めており、それ自体は大したことないが厄介なのは共産主義だ。

しかし反日主義なのは民衆の一部に過ぎず、他の多数は日本が啓蒙して導くことによって少しずつ日本人が持っていた美徳を備えつつある。
女性の社会における貢献もその役割も増えつつあるし、村落の状況も改善している。

朝鮮の鉄道の車窓から見ると朝鮮はクソみたいな地域に見えるが、そこはもともと軍が作った鉄道で、通っているのは貧しい地域ばかりだが、そのせいで偏見が助長している。

朝鮮は使い方次第で役に立つ。
水田は改善の余地があり、畑作も含めて農業や水産業のポテンシャルは高い。
工業や商業は現在はクソだが、鴨緑江の水力発電を使った化学産業とか、鉱物資源とか、低賃金労働者とかの素地はある。
 
教育について日本式を導入し、本国の興隆している産業と連携すれば、いつかは大日本帝国の役に立つ」

三行でまとめると

事前知識だと朝鮮半島はクソみたいに見えるが、それはそれまでの体制が悪かったせい
日本が教育すれば改善するのは可能である
現状ではまだまだだが、農業・工業・商業について発展できるポテンシャルはある。
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1: 孤高の旅人 ★  2016/12/26(月) 12:10:29.63 ID:CAP_USER9
「真珠湾」通告遅れは意図的か 対米開戦に新説 九大教授が米記録発見
2016年12月26日10時23分 (更新 12月26日 10時42分)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/297940

 太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、日本外務省が意図的に電報発信を遅らせたことが原因とする説が浮上している。九州大学記録資料館の三輪宗弘教授が、通告の訂正電報を外務省が13~14時間遅らせて発信していた記録を、米国公文書館(メリーランド州)で発見した。開戦から75年。安倍晋三首相がハワイ・真珠湾を訪問するが、通告の遅れに関する真相究明が進んでいる。
 日本が日米交渉の打ち切りを米国に伝えた「対米覚書」が、開戦通告と位置付けられている。
 三輪教授が発見したのは、覚書の一部である二つの電報の発信記録。外務省が大使館に発信し、米海軍が傍受したもので、1941年12月7日の「午前0時20分」と「午前1時32分」(いずれも米東部時間)とある。この電報の存在と時刻が何を意味するのか。
 旧日本軍が真珠湾攻撃を開始したのは、同7日午後1時19分。覚書が当時のハル米国務長官に手渡されたのは1時間後の午後2時20分だった。この遅れが、米国から「だまし討ち」と批判される原因となった。
 覚書は、外務省が発信した暗号電報を大使館が解読し、英文に直してタイプライターで作成した。長文のため、電報は14部に分けて発信された。
 1~13部は同6日午前8時~11時25分に発信されており、内容はこれまでの日米交渉を確認するにとどまる。交渉を打ち切るという「結論」は14部で初めて分かるが、ぎりぎりまで機密を保持するため、13部から約15時間後の7日午前2時38分に発信された。
 現在の通説はこうだ。大使館は6日中に13部までをタイプライターで清書し、7日朝に14部を追加すれば開戦前に通告できたはず。しかし、大使館は7日朝から1~14部の清書を始めたため、間に合わなかった。6日夜に大使館内で送別会があっていたことなどから、大使館の「怠慢」が通告遅れを招いた-。
 だが、三輪教授は、元外務省ニュージーランド大使の井口武夫氏が2008年の著書で触れた訂正電報の存在に注目した。当時、大使館の1等書記官だった奥村勝蔵氏が、1945年に「夜半までに13通が出そろったが、後の訂正電信を待ちあぐんでいた」と陳述していた。
 三輪教授は、大使館が1~13部の「訂正電報」を待っていたため、清書ができなかったとする仮説を立てた。訂正が175字に上っていたことも外交資料で分かった。当時のタイプライターは途中で挿入や訂正ができない。大使館は「訂正電報」が届くまで清書ができなかったのではないか。
 発見した二つの電報は、他の電報の詳細と突き合わせた結果、「訂正電報の可能性が極めて高く、奥村証言を裏付ける証拠」と三輪教授は読む。13部が発信された6日午前11時半から、二つの訂正電報が出されるまで13~14時間の「空白」がある。この間、大使館は清書ができない。
 これが事実とすれば、では何のために、外務省は訂正電報を遅らせたのか。

関連記事
真珠湾攻撃に新説 「訂正」打電遅れ、陸軍が指示? 大使館は清書できず - 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/297937
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1482721829/続きを読む
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1: 猪苗代新幹線 ★ 2016/12/25(日) 09:13:09.58 ID:CAP_USER9
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北条早雲の城攻めで燃えたとみられる炭化米(藤沢市提供)

十五世紀中ごろから後半に築城され、現在は公園として整備されている大庭(おおば)城跡(藤沢市大庭)の発掘調査で見つかった炭化米が、北条早雲による城攻めの際に燃えたものとみられることが、市が民間業者に委託した分析結果で分かった。

大庭城は、関東の雄だった扇谷(おうぎがやつ)上杉氏が拠点としていたが、後北条氏の祖である北条早雲が一五一二年に攻め落としたとされる。
市郷土歴史課によると、江戸城を築城した太田道灌も城の築造に携わったとの伝承もあるが、記録が少なく「謎が多い城」とされている。

今回分析した炭化米は、一九六八~七一年にかけて行われた発掘調査で見つかったが、詳細な分析がされないまま保管されていた。
市が大庭城に関する冊子をまとめるため、あらためて、民間業者に調査を依頼した。

分析の結果、炭化米にもみ殻が付いていて調理前だったことや、炭化した時期が北条早雲が城攻めをしたのと同時期であることを確認。
「貯蔵されていた米が、城攻めの際に燃えてできた可能性が高い」と結論づけられた。

市郷土歴史課の宇都(うつ)洋平学芸員は

「今回の調査で、大庭城が使われていた時代が科学的に明らかになった。
当時の記録は少ないが、さらに調査をすれば、城の位置付けが詳細に分かるかもしれない」

と話している。

炭化米は、JR藤沢駅北口ルミネプラザ六階で開かれている市主催の企画展「大地に刻まれた藤沢の歴史V~古代~」で、展示されている。
入場無料。 

ソース元:東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201612/CK2016122402000109.html?ref=rank
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1482624789/ 続きを読む
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