(遅報)歴史まとめ

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2017年01月

1: 記憶たどり。 ★ 2017/01/30(月) 04:44:11.23 ID:CAP_USER9
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170129-00000019-san-l24

俳人・松尾芭蕉(1644~1694)の愛好家や忍者ファンならずとも広く知られた芭蕉忍者説を考える講演会「芭蕉忍者説の傾向と対策」が28日、伊賀市上野丸之内のハイトピア伊賀で開かれた。
三重大の吉丸雄哉准教授(日本近世文学)が、説の起源や信憑性を解説した。

芭蕉忍者説には、芭蕉が伊賀の無足人(準士分の上層農民)で伊賀者(=忍者)として藤堂藩に雇われていたとする説や、芭蕉が歩いた「奧の細道」の足跡は忍者と思えるような健脚ぶりを示し、東北諸藩の情勢を幕府が芭蕉に探らせる裏の目的があったといった説がある。

吉丸准教授はこうした説に対し、「芭蕉は無足人の流れをくむが、父の代ではすでに農民で伊賀者とは無関係」「歩く速度は当時の健脚な日本人と変わらない」と指摘。「芭蕉は早くから神格化され逸話の多い人物だが、忍術を使った話が残っていない」とも話し、忍者説を裏付ける痕跡は存在しないと強調した。ただ、「奧の細道」に同行した弟子の曾良(そら)の忍者説については「蓋然性がある」とした。

また、芭蕉忍者説の起源として、作家の松本清張氏と考古学者の樋口清之氏が共同執筆した『東京の旅』(昭和41年)で特定の秘密任務を帯びた忍者として推測されていることを挙げ、推理小説家、斎藤栄氏の『奧の細道殺人事件』(同45年)や連続テレビ時代劇「隠密・奥の細道」(同63年~平成元年)などによって広く定着していく過程を明らかにした。

吉丸准教授は「芭蕉忍者説は証明できない幽霊のような存在。芭蕉は偉大な俳人、世界に誇る詩人であり、忍者をセットにして評価を高めようとするのはおせっかい」と話した。

講演は、三重大人文学部と上野商工会議所が企画した「忍者・忍術学講座」の第4回で市民ら約90人が聴講。第5回は2月18日午前10時半に同じ会場で、中部大人文学部の岡本聡教授が「芭蕉のネットワークと藤堂家」をテーマに話す。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1485719051/ 続きを読む
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1: 鉄チーズ烏 ★@\(^o^)/ 2017/01/29(日) 18:02:51.79 ID:CAP_USER9
 NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、初回から4週連続で主人公の幼少期が描かれる。子役の登場回数がここまで多いのは、近年の大河では珍しい。子役の新井美羽ちゃん(10才)演じる「おとわ(井伊直虎)」の毅然とした振る舞いからは、領主の娘として生きる自負が伝わってくる。のちに井伊家を背負って「おんな城主」となる決断を予想させる熱演だ。

 ところで昨年12月、大河ドラマの筋書きに影響を与えるような発見があったのをご存じだろうか? 井伊家の史料を収集する井伊美術館(京都市東山区)が新たに確認した文献史料を公表し、「直虎を名乗ったのは女性ではなく、いとこにあたる別の男性だった可能性がある」と発表したのだ。「直虎」の時代考証を担当する静岡大名誉教授の小和田哲男氏に、見解をうかがってみた。

 はじめに通説をおさらいしておくと、「直虎=おんな城主」のベースとなっているのは、井伊谷城主・井伊直盛の娘が出家して次郎法師を名乗り、のちに後継者「直虎」となり、徳川家の重臣となる井伊直政の養母となったという説である。直虎本人の存在を示す史料は『井伊家伝記』や、のちに江戸幕府が出させた『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』など8点しか残されておらず、なぞの多い人物である。

 新説の根拠として確認された史料は、『守安公雑秘説写記(もりやすこうざつひせつしゃき)』(全12冊)。今川義元の子・氏真の配下にあった井伊家について、井伊谷の領地が直盛の義理の兄弟・新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の“おい”にあたる井伊次郎に与えられたとの記述があった。

 小和田氏は、新史料によって新たに浮上した「直虎=男性」説に反論している。理由は主に次の3点だ。

・史料は聞き書きなので、江戸時代の井伊家の家臣にこうした伝承があったといったことは分かっても、信憑性は薄い。

・仮に、新野左馬助親矩のおいが井伊次郎を名乗ったとしても、新史料で「井伊次郎=直虎」という記述はない。

・井伊氏の惣領の仮名(けみょう)は代々、「次郎」で、だからこそ、龍潭寺(りょうたんじ)の南渓和尚も、惣領直盛の一人娘の出家に際し、次郎法師という名を与えた。次郎法師がいるのに、別の人間が次郎を名乗るとは考えにくい。

 新たに見つかった史料が1735年(享保20年)に編集されたものである点から小和田氏は、「江戸時代の人にとっては“おんな城主”の存在を考えにくかったのでは? 大名の無嗣断絶の例が多く“家督は男が継ぐ”という先入観があり、このような伝承ができたとも考えられる」と指摘する。そのうえで、あらためて「次郎法師(直虎)が一時的にではあれ、井伊谷を支配していたことは次郎法師の印判状(『龍潭寺文書』)の存在によって明らか」と、「直虎=おんな城主」説を力説した。

「戦国時代、女性が家督を継いだ例は少なくない。赤松政則の妻・洞松院尼(とうしょういんに)、今川義元の母・寿桂尼(じゅけいに)、岩村城主・遠山景任の正室などがいる。合戦で多くの男性が亡くなった時代である。“おんな城主”は正式な跡取りというより、後継者が幼かったり、病弱だったりするなど、それぞれのお家事情があって背に腹は代えられず、女性のリーダーでしのがざるを得なかった結果。いわば“中継ぎ”であり、直虎もそうだったと思われる」(小和田氏)


>>2以降に続きます


更新 2017/1/29 11:30
https://dot.asahi.com/dot/2017012600151.html
2017012600151_1
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1485680571/ 続きを読む
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1f1c164b
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/01/23(月) 15:27:42.41 ID:i9kbfSRu0
諸葛亮「なんでこんな仕事もできないの?お前はクビや」
馬謖「えっ」
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1485152862/続きを読む
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proxy
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20170124205011
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/01/28(土) 10:46:50.87 ID:tQcHxS02d
教授「坂本龍馬は歴史学的に見ると何もしてない」

ソースは林修の今でしょ講座での本郷和人教授
伊達政宗が勝った大きな戦は摺上原の戦いくらいらしい
もっと大きな合戦に勝ってるイメージだったわ
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1485568010/続きを読む
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15112602
1: 名無しさん@おーぷん 2017/01/25(水)18:38:56 ID:VCV
物量に劣る武田がぼろ負けしただけでなんも珍しくない気がするんやけど
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mig (4)
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/01/14(土) 12:19:28.69 ID:NO0DBzN7d
かわいそう
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1484363968/続きを読む
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kurofune
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/01/14(土) 04:29:25.53 ID:4JAjBRIGa
桂小五郎
三条実美
由利公正
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1484335765/続きを読む
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