(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。日本史世界史などの歴史板からまとめています。他にもなんj、vipから歴史関係のスレをまとめています。 良かったらご覧ください。

2017年05月

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/05/24(水) 09:37:12.66 ID:ZROucTBR
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http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1495586232/続きを読む
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1: 紅あずま ★  2017/05/26(金) 22:56:00.85 ID:CAP_USER9
奈良 薬師寺 中世の戦火などで失われた「食堂」再建
日本放送協会:2017年5月26日 22時25分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170526/k10010996271000.html

世界文化遺産になっている奈良市の薬師寺で、中世の戦火などで失われていた「食堂」と呼ばれる建物が再建され、完成を祝う法要が営まれました。

奈良時代、薬師寺にあった「食堂」は僧侶の食事や仏教儀礼に使われていましたが、その後、中世の戦火などで失われました。
当時の伽藍(がらん)全体を復興させようと、去年3月から再建工事が進められ、このほど完成しました。

完成した「食堂」は幅およそ40メートル、高さおよそ15メートルあり、26日は再建を祝う落慶法要に関係者およそ1700人が参列しました。

法要では、薬師寺の村上太胤管主が「食堂」の本尊である「阿弥陀三尊浄土図」に特大の筆を向けて魂を入れる儀式を行いました。
参列した人たちは、僧侶たちによる読経の中、本尊に手を合わせていました。

「食堂」が再建されたことで、薬師寺が取り組んできた伽藍の復興はほぼ完了したことになります。
村上管主は「多くの人が集い、仏教への理解を深める場所にしたい」と話していました。

落慶法要は27日と28日も営まれ、「食堂」はことし7月1日から一般に公開されます。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1495806960/続きを読む
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1: ばーど ★ 2017/05/26(金) 18:52:14.60 ID:CAP_USER9
幕末の大阪に蘭学塾の「適塾」を開いた緒方洪庵おがたこうあん(1810~63年)の妻、八重やえ(1822~86年)が親族らにあてた書状約100点が、大阪大適塾記念センターの調査で見つかった。

塾生の福沢諭吉に「おっかさん」と慕われ、病弱な洪庵を献身的に支えた「良妻賢母」の八重が、息子の借金問題に怒りをあらわにするなど、人間味あふれる姿が浮かび上がる。

書状は2014年、現存する適塾の建物(大阪大が管理)で蔵を整理した際、屏風びょうぶの裏張りに使われた状態で見つかった。同センターがはがして調査しており、内容の検討を今後、進める。
書かれた年がはっきりしないが、幕末から明治初めとみられる。

四女の八千代に宛てた書状では、三男の惟孝これたかが「50円」の借金をつくり、困っていることを記す。
何のためにいつ借りたのかも分からないようで、〈実ニ大馬鹿者おおばかものニハ困り申候もうしそうろう。とふそ(どうぞ)早く死んテ(で)くれたらト朝夕ニ祈候いのりそうろう〉と猛烈に怒っている。

「緒方八重肖像」
 20170526-OYT1I50035-N
「緒方洪庵肖像」 
20170526-OYT1I50036-N
三男の借金を嘆く八重の書状。くせの強い崩し字がぎっしりと並ぶ(大阪大学適塾記念センター所蔵)
20170526-OYT1I50034-L
 
配信 2017年05月26日 17時36分
YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170526-OYT1T50116.html
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1495792334/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/05/05(金)23:59:57 ID:dqS
ドイツ「ちうごくに戦術士官と武器輸出するで! ほんでソ連と戦争や!」

日本「中国に戦争仕掛けるンゴ! ソ連とは不可侵条約結んで平和や!」

イタリア「アメリカやソ連に擦り寄るで!」

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20141021092923 (1)
1: あずささん ★ 2017/05/25(木) 17:31:33.14 ID:CAP_USER9
狭いワンルームマンションは掃除が楽だし便利なこともあるが、やはり広々とした家の方が落ち着けるし、閉じ込められたような感覚を味合わなくて済むだろう。

誰だって「出来れば豪華で立派な家に住みたい!」と思うものだが、歴史建造物が立ち並ぶイタリアで、政府が「古城をタダでプレゼント」するキャンペーンを開始! ただし、『あること』をすることが条件になっているというのだが、それは一体何なのだろうか!?

・イタリア政府が古城をタダでプレゼント!

米ニュースサイト『boredpanda』によると、イタリアの財務省が古城や古い邸宅、ホテルなど103の物件を無料で進呈すると発表。

しかし、「タダほど怖いものはない」ではないが、やはり美味しい話には裏があるものだ。なんでも、これらの物件を無料でゲットする代わりに建造物を修復して、スパやレストラン、ホテルなど観光客が利用出来る施設に生まれ変わらせることが条件になるというのだ。

・観光客を一点に集中させないことが目的

イタリアは観光で多大な収入を得ている国だが、ローマやヴェネチアなどの都市に観光客が集中しすぎて、ホテルやレストランが割高な傾向にある。

人気観光都市以外の街や郊外で、古城を修復したホテルなどが増えれば巡礼者やハイカー、サイクリストなどが施設を利用出来るようになる。観光客を一点に集中させずに、見どころを拡散させることが政府の狙いという訳だ。

・村&町おこし的な効果を期待出来るかも!?

ホテルやレストランを始めたいけれど資金に限りがあるという人は、物件をタダで貰えたら、ビジネスを始める大きな助けになるのではないだろうか。

筆者はイタリアに旅行した際、ホテル代が高かったため民泊サービスのAirbnbを使用したクチである。特にローマとヴェネチアは観光客でゴッタ返り、どの名所に行っても「人! 人! 人!」といった感じだったのは確かだ。この政府のキャンペーンは村&町起こし的な効果も期待でき、これからイタリアに新しい名所が続々と登場する可能性もありそうだ。

テーマを決めて風情がある古い建物を修復すれば、個性的な施設に生まれ変わらせることが出来そうである。

ソース/ロケットニュース24
http://rocketnews24.com/2017/05/24/904262/

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1: 紅あずま ★ 2017/05/25(木) 10:43:53.49 ID:CAP_USER9
出雲国風土記
引用した最古の棟札確認 写本の存在示す
毎日新聞:2017年5月25日 10時15分
http://mainichi.jp/articles/20170525/k00/00e/040/242000c

 島根県出雲市は24日、波迦(はか)神社(出雲市斐川町三絡)で、奈良時代の地誌「出雲国風土記(いずものくにふどき)」を引用した最古の棟札(むなふだ)を確認したと発表した。
棟札の裏に祭神のヤマトタケルが降臨して鎮座したことを漢字で記していた。
出雲国風土記に同様の表現があり、市は「中世の出雲国(県東部)に風土記の写本が存在したことを示す貴重な史料」としている。

 市文化財課によると、棟札は建物名や上棟年月日を書いて棟木に打ち付けた板。
発見されたのは縦56.2センチ、幅11.5センチで社殿を造営した1551(天文20)年の棟札という。

 市が市歴史文化基本構想をまとめるため、市内の神社を調査した際、波迦神社の棟札25点を調べて判明した。
1604(慶長9)年の棟札にも、ほぼ同様の記載があった。

 高橋周・市文化財課専門研究員は「風土記独特の表現を用いており、神主が風土記を閲覧したか所持していたことを示唆している。写本をどう入手したのか今後、研究する必要がある」と話す。

 出雲国風土記は733年に完成し、原本は失われた。
年代の明らかな最古の写本は1597年で、江戸時代に多くの写本が作られた。
鎌倉時代に京都で原本か写本を見た人がいることを示す史料はあったが、中世の出雲国に写本が存在したかは分かっていなかった。

 出雲国風土記を利用した最古の史料としては、1502年作成の巻物「灰火山社記(はいびやましゃき)」(松江歴史館蔵)がある。

 佐藤信・東京大大学院教授(日本古代史)は「棟札の文章は16~17世紀の出雲で、現地の人々が見られる風土記の写本が存在した可能性を示し、大きな意義がある」とみている。

 棟札は31日から6月5日まで、出雲弥生の森博物館(出雲市大津町)で一般公開する。入場無料。

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1: かばほ~るφ ★ 2017/05/25(木) 18:55:18.41 ID:CAP_USER9
旧日本軍の潜水艦24隻 音波探知機で捉える
5月25日 16時35分

長崎県の五島列島沖の水深200メートル付近で、海底に垂直に突き刺さった状態の潜水艦など、旧日本軍の潜水艦合わせて24隻の姿を、海底探査を専門とする民間の調査チームが音波探知機で捉えました。
調査にあたった専門家は「旧日本軍の潜水艦については詳しい図面がほとんど残されていないため、検証も進んでおらず、貴重な戦争遺産だ」と話しています。

調査を行ったのは、海底探査が専門の東京大学の浦環名誉教授などで作る民間のチームで、今月19日から21日にかけて、長崎県の五島列島沖の東シナ海で調査を行いました。
その結果、海底に垂直に突き刺さったり、海底に横たわったりしている24隻の潜水艦の姿を音波探知機で捉えたということです。

この海域では、太平洋戦争の終戦の翌年、1946年4月にGHQ=連合国軍総司令部によって、旧日本軍の潜水艦合わせて24隻を海に沈める処分が行われていて、調査チームは、今回確認された24隻の潜水艦は、GHQによって処分された潜水艦だとしています。

調査チームでは、このうち1隻について、「伊402」という名前の潜水艦だと特定し、残りの潜水艦については、これから順次名前の特定を進めたいとしています。

この海域では、2年前に海上保安庁が行った調査でも、潜水艦と見られる24の船の影が確認されていました。

調査チームの代表を務める、東京大学の浦名誉教授は記者会見で、
「旧日本軍の潜水艦をめぐっては、性能や機能がわかる図面がほとんど残っておらず、戦争の歴史を記録するという観点でも詳しい検証が行われていない。今回確認された24の潜水艦は、旧日本軍のありのままの姿を知ることができる貴重な戦争遺産だ」
と述べました。

調査チームでは、ことし8月にも探査機を沈めて、一部の潜水艦について、より詳しい調査を行いたいとしています。さらに調査チームでは、戦争の遺産として展示できるように、一部の潜水艦について引き上げが可能か検討したいとしています。

■2年前より近づけて調査

2年前に海上保安庁が調査した際には、船の底に取り付けた音波探知機で、水深200メートル付近を見下ろすような形で探査が行われました。
今回は、船から音波探知機を水深150メートル付近までつり下げ、より近くから、横から見るような形で探査が行われました。

■ほとんど残されていない潜水艦資料

調査チームによりますと、旧日本軍の潜水艦をめぐっては、建造当初の外観については設計図が残っているものの、内部の構造や機能に関する図面はほとんど残されていないということです。
また、旧日本軍の潜水艦では、戦時中、攻撃性能をより高める改造が行われたとされていますが、どのような改造が行われたのかを記録した図面はほとんど残されていないということです。

(後略、全文はソースで)
NHK NEWSWEB
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170525/k10010994701000.html

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1: 名無しさん@おーぷん 2017/05/22(月)21:25:01 ID:Ldu
そもそも何人いたかもわからん

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