(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。歴史関係のスレ(ほぼなんj)をまとめています。良かったらご覧ください。

2018年03月

1: 的井 圭一 ★ 【特別重大報道】 2018/03/29(木) 16:04:05.83 ID:CAP_USER9 BE:511393199-PLT(15100)
sssp://img.5ch.net/premium/1051729.gif
2018年3月28日 13:29 発信

【3月28日 AFP】南米アマゾン(Amazon)のこれまで無人地帯と考えられていた地域に最大100万の人々が居住していた可能性があるとした最新の考古学的研究結果が発表された。人々がここで暮らしていたのは、イタリアの探検家クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)が米大陸に到達する数百年前だという。

 英国とブラジルの研究チームは、主要河川から離れた熱帯雨林内に数百に及ぶ要塞化された集落が存在していたことを示す証拠を発見した。この地域は15世紀末に欧州人が到達するまで人類未踏の地とこれまで考えられていた。

 英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ(Nature Communications)に発表された今回の研究は、ペルーとの国境に近いブラジルの別の地域で大規模な土構造物や要塞跡が発見されたことをきっかけに実施された。

 コロンブス到達以前のこの人の居住域は、約40万平方キロの範囲に広がっており、当時は50万~100万人が暮らしていた可能性もあると研究チームは考えている。

 人工衛星画像に部分的に基づく今回の調査では、年代が1250~1500年にさかのぼる81の考古学的遺跡と、遺跡内にある104の大規模な幾何学的土構造物が新たに発見された。

 そのうちの24遺跡の発掘調査では、焼き物の容器、刃部を磨いた石おの、肥料を施した土壌のサンプルや当時のごみだめの穴などが見つかっている。

 炭の残骸や発掘された容器などの分析から、アマゾン川南部の1800キロにわたる地域には、要塞化された集落に住む人々が1250年から1500年まで継続的に存在していたことが今回、明らかになった。

 アマゾンの広大な一帯はまだ考古学的調査が及んでいない状況にあるため、この研究は、古代の共同体が主要河川近くのはんらん原に必然的に依存して生活していたとする仮説に異を唱える結果となっている。

■儀礼的儀式の場か?

 以前、この地域には1000~1500の集落が存在していたが、その遺跡の3分の2ほどはまだ見つかっていないと研究チームは考えている。

 こうした遺跡は直径30メートルの人工的な溝で囲まれた囲い地(ジオグリフ、地上絵)から、くぼんだ道が周囲に放射状に広がる円形広場を取り囲む幅400メートルの構造物まで、大きさはさまざまだ。

 正方形や円形、六角形などの形状のものがあるこれらの謎めいた囲い地が何に使われていたかは依然として不明のままだ。

「儀礼的儀式の一部に使用されていた可能性がある」と、研究チームは論文に記している。

■歴史の再評価

 集落は調査対象の81の囲い地の近くまたは内部で発見されるケースが多かった。囲い地の土構造物はこの区域から樹木を除去することが可能な乾季の間に築かれた可能性が高いと、論文は推測している。

 また、一部の囲い地は網目状の渡り道を通じて相互に連結しており、長い年月をかけて精巧に構築されていた。

 過去の研究では、ブラジル西部アクレ(Acre)州で今回と同様の溝や地上絵が450か所発見されたが、遺物はほどんど見つかっていなかった。

 英エクセター大学(University of Exeter)のジョセ・イリアルテ(Jose Iriarte)教授は「アマゾンの歴史を再評価する必要がある」と指摘する。「間違いなく、これは大河の河岸近くにのみ存在する人の居住域ではなく、ここで暮らしていた人々は実際に地形を変えていた。今回調査した地域は少なくとも数万人規模の人口を有していた」 (c)AFP/Hazel WARD

AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3169052
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1522307045/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/03/29(木) 09:21:51.52 ID:CAP_USER
1900年前に亡くなった三国志の英雄「曹操」の遺体が確認された、世界中のメディアが報じた。
しかし、発表元とされた中国の考古学研究所が3月25日、「曹操の遺体は2009年の発掘で見つかりましたが、
これがなんで新発見なんですか?」と当惑した様子で声明を出していたことが分かった。

■中国メディアの「スクープ」が世界中に拡散

きっかけは中国・成都に拠点を置くメディアグループ「紅星新聞」の3月25日の報道だった。

河南省・安陽市で2009年に発見された「曹操の墓」とされる遺跡で見つかった男性の遺体について、
河南省文物考古研究院が「曹操であることを基本的に確認した」と報じた。

これを引用する形で、台湾や香港のメディアが「曹操の遺体確認」と積極的に報道した。
さらにマレーシアの大手紙「The Star」や、イギリスのタブロイド紙「EXPRESS」など世界各国のメディアが
「曹操の遺体確認」と報じて話題になり、世界中に拡散した。

ところが、いろいろ調べてみると、意外なことが分かった。
紅星新聞が発表元として報じていた河南省文物考古研究院の公式サイトをいくら調べても、
それらしい発表がないのだ。2月24日の調査報告書にも「曹操の遺体を確認した」とは書かれていない。

それどころか、同研究院は公式ウェイボー(中国版のTwitter)で25日、以下のように訴えていた。

◇「曹操の遺体確認というニュースが大手メディアにあふれて、検索されまくっていますが、私は戸惑っています。
曹操の遺体は2009年の発掘で見つかりましたが、これがなんで新発見なんですか?
視点が偏ったメディアの皆さんに、私は周知したいです」
 

■60歳の男性と見られる頭蓋骨は見つかったけど...

25日に「曹操の遺体確認」と速報を打った台湾メディア「自由時報」も、26日に事実上の訂正報道をした。

それによると「曹操の墓」とされる遺跡からは、約60歳の男性とみられる頭蓋骨などが見つかっている。
曹操は65歳で死んだと言われており、年齢は近いが、他の直接的な証拠はないという。

自由時報の報道を引こう。

◇「頭蓋骨の所有者は約60歳の男性であると判断される。しかし、曹操自身であることを証明する他の直接の証拠はない。
考古学者のチームが、曹操の墓であると判断したことが主な理由で、墓に残っている男性は曹操と考えられていました」

発掘チームが2009年に「曹操の墓」と判断した根拠は、矛や枕などの副葬品に「魏武王」の銘文があったことだった。
結局のところ、発掘当時と比べて決定的な証拠が見つかったわけではなかった。「乱世の奸雄」と呼ばれるも、
絶大な人気を誇る曹操のミステリーは、未だ謎のままだ。

ハフポスト
https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/28/cao-cao_a_23397290/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1522282911/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/03/27(火) 19:30:31.91 ID:CAP_USER
オーストラリア・シドニーの美術館で150年以上放置され、空だとみられていた古代エジプトの石棺からミイラの一部が発見された。

昨年、シドニー大学のニコルソン美術館に保管されていた棺を開けたところ、中からヒトの足と骨が発見された。
これらは盗掘者によって荒らされた後に残ったものだとみられている。

同美術館の考古学者ジェイミー・フレイザー博士は「その時私たちが見たものは信じられないものでした。思わず息を止めて立ち尽くすしかない瞬間でした」と語る。

「エジプトの墓で発掘したことはありませんが、それに近い体験でした」

■特定に向けた努力

石棺はおよそ2500年前のもの。1860年代に美術館の創設者がエジプトから運んだ4基のうちの一つで、中身は入っていないとされていた。

フレイザー博士によると、他の3基はより印象的で、なおかつ全身の残ったミイラが入っていたが、この棺は「地味な見た目や特徴のなさ」からエジプト学者の目を惹かなかったという。

専門家は今後ミイラの特定に乗り出すが、ミイラは盗掘者の手によって「著しく損傷」し略奪されている。
棺の中に残っていたのは人体のわずか1割だった。

棺に刻まれたヒエログリフによると、この棺は紀元前600年ごろにメル・ネイス・イト・エスという女性のために作られた。神官か礼拝者だったと考えられる。

コンピュータ断層撮影(CT)を含む調査は先週終わったばかり。いくつかの人骨と樹脂のかけら、死装束に着けられていた7000個以上のビーズなどが見つかった。

フレイザー博士は、放射性炭素年代測定によってこの人物の死亡年代が特定できると期待している。
もしそれが紀元前600年ごろで、「かつミイラが女性だと証明できれば、彼女がメル・ネイス・イト・エスだと言えるでしょう」と話す。

■調査の機会

現代の科学者は、完全な状態のミイラに対する物理的な調査を行わない。
そのため、今回の発見は調査の機会を与えてくれるかもしれないと専門家は述べた。

「しかし今回の事例では、このミイラの残骸に対して、盗掘者が行っていないことを私たちがすることはできません」とフレイザー博士は語った。

「実際、調査を通してわれわれはこの残骸を安定化させ、きちんと保管できるのです」

石棺の調査を行った豪マッコーリー大学の放射線学者ジョン・マグヌッセン教授も、この発見は注目すべきものだと話す。

マグヌッセン教授は、今回の調査で「ちりと破片の山だったものが実質的な考古学的発見へと」変わったと述べている。

(英語記事 'Empty' coffin revealed to contain mummy)
http://www.bbc.com/news/world-australia-43550496

画像:棺の中からは人骨を含むさまざまなものが発見された
_100579219_dfeaf181-aabd-43e7-a7ae-9dd014e4cafa
_100579093_mer-neith-it-esct
棺の中身は今後、放射性炭素年代測定にかけられる
_100579093_mer-neith-it-esct

BBCニュース
http://www.bbc.com/japanese/43551123
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1522146631/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1522241221/続きを読む

1: ニライカナイφ ★ 2018/03/28(水) 05:24:18.24 ID:CAP_USER9
◆直虎効果248億円 浜松市発表、「真田丸」超える

遠州ゆかりの女性武将・井伊直虎が主人公となった2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」がもたらした静岡県内への経済波及効果が248億円に達したことが27日、分かった。
物語の舞台となった浜松市の鈴木康友市長が同日の定例記者会見で明らかにした。

このうち、同市内分が約8割に当たる207億円を占めた。
長野県上田市が同県内で200億9千万円と公表した16年の大河ドラマ「真田丸」の額を超えた。

経済波及効果は、浜松市が「県西部地域しんきん経済研究所」に委託して算出した。
市が取りまとめた観光客の増加数と県の統計資料、観光客へのアンケートに基づく1人当たりの消費支出額から推計した静岡県内への直接効果は155億円に上った。

土産物の製造販売や各種サービスなどで地元の雇用者所得が増え、消費が拡大したことによる間接効果は93億円と算定した。
市のまとめによると、17年の宿泊客は前年比4万4千人増、日帰り客は183万人増だった。

同市北区に開設した大河ドラマ館には約78万人が訪れた。
市内の直接効果は139億円、間接効果は68億円になった。
直虎関連の経済波及効果については、日銀静岡支店が16年4月に179億円前後との試算を公表していたが、大幅に上回る結果となった。

静岡新聞 2018/3/27 13:30
http://www.at-s.com/news/article/economy/shizuoka/472401.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1522182258/続きを読む

1: 風吹けば名無し 2018/03/28(水) 08:02:56.97 ID:qIA82PvXd
三国志の登場人物で、魏(ぎ)の基礎を作り上げた曹操(そうそう)の墓と遺骨が2009年に見つかった件について、河南省文物考古研究院は墓の建築構造などから遺骨はほぼ間違えなく曹操であると発表しました。

曹操の墓とされる遺跡は中国河南省安陽にあり、これまでにも大量の石碑が出土、その中には「魏武王常所用挌虎大戟」、「魏武王常所用挌虎大刀」など曹操を示す「魏武王」という言葉が刻まれた石などが発見されていたことから詳しい調査が進められていました。

さらに、墓室からは約60歳の男性、約50歳の女性、約20歳の女性の遺体が計3体発見されており、「60歳の男性は曹操」、「50歳女性は後に魏の初代皇帝となる曹丕(曹操の次男)の母親」、「20歳女性は曹昂(曹操の長男)を出産し若くして亡くなった母親」だと考えられています。

「三国志・魏書・武帝紀」の記載によると、建安23年(西暦218年)に曹操は「古之葬者,必居瘠薄之地。其規西門豹祠西原上為壽陵,因高為基,不封不樹(墳丘や石碑はいらない=簡潔にしなさい)」と言っていますが、発掘された墓の東側と南側の地面からは大量の柱の跡が発見されており、地上に建築物があったことが分かっています。

考古学者の間では「曹丕(次男)が父親の墓を簡素にするなどとてもできなかった」、「(地上の建築物は)曹操の墓を後世で暴かれないようにするためじゃないか」など様々な推測が飛び交っているそうです。

曹操は三国志の英雄として知られる一方、小説、マンガや映画などでは最大の悪役として描かれていることも多い非常に有名な武将。
今回の発表は三国志ファンにはたまらないものとなっているようです。
https://hongkong-bs.com/topics/20180327/
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1522191776/続きを読む

1: ガーディス ★ 2018/03/26(月) 19:16:18.81 ID:CAP_USER9
 かつての総面積は6万7300平方キロで、世界第4位の内陸湖だったアラル海は、1950年代のソビエト連邦の農業政策によって、大部分が干上がってしまった。アラル海に注ぎこんでいたアムダリヤ川とシルダリヤ川が、綿栽培のために人為的に流れを変えられたせいである。

 注ぎ込む水量が減少したため、湖の塩分濃度は上昇し、豊富にいた淡水魚の数が減少し始めた。かつてアラリスクに多くの雇用をもたらしていた漁業は、1980年代に壊滅的な打撃を受け、人々は仕事を求めて他の地域へ移住せざるを得なくなった。地元に残った人々も、干上がった湖底による砂嵐などの局地的な異常気象と、砂ぼこりに含まれる化学物質による健康被害に苦しめられた。

「湖を破壊した人間に、自然が報復したのです」。アラリスク地方博物館と漁業博物館の館長を務めるマディ・ザセケノフ氏は言う。

 カザフスタンとウズベキスタンにまたがるアラル海は、わずか30年もたたないうちに元の面積の10分の1にまで縮小し、環境科学者をして史上最悪の環境破壊のひとつとまで言わしめた。残された湖は、北(小)アラル海と南(大)アラル海の2つに分断されている。ウズベキスタンにある南アラル海は、東から干上がり、一筋のごく小さな水域が西の端に残るだけとなった。

 一方カザフスタンの北アラル海は、幸い世界銀行などからの支援を受けて、8600万ドルの環境回復プロジェクトに取り組んだ。周囲を取り巻く既存の堤防を修復して流出を防ぎ、全長13キロにも及ぶコクアラル・ダム(堤防)をシルダリヤ川の南に建設した。2005年夏に完成したダムは予想以上の効果を上げ、わずか7カ月で水位は3.4メートル上昇した。当初は、この数字にたどり着くまで3年はかかると考えられていた。

 その結果、湖に魚が戻り、湖の近くに暮らす人々が増え始めている。政府の政策がアラル海の崩壊を引き起こしたが、その後、慎重な計画と研究によって少なくとも一部を回復させることに成功したというわけだ。

全文は下記で
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/032200079/
かつて中央アジアの巨大な湖だったアラル海が、60年ほどの間に10分の1以下の面積に縮小してしまった。左が 2000年8月、右が2014年8月の衛星画像。外側の黒い線は、1960年当時の湖岸線を示す。 
2014092602_600x450_600x450
ph_thumb (2)
ph_07
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1522059378/続きを読む

↑このページのトップヘ