(遅報)歴史まとめ

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2018年04月

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1: 名無しさん@おーぷん 2018/04/19(木)17:15:23 ID:Ko5
前に別のスレ立てた時に、端折り過ぎてて正確性に欠けると批判があったんやが、まぁ分かりやすさ最優先で解説しとるいうってことで勘弁してクレメンス
気になったニキは勝手に本読んでクレメンス

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1: アルカリ性寝屋川市民 ★ 2018/04/20(金) 22:24:30.87 ID:CAP_USER9
本願寺中興の祖とされる僧侶、蓮如(れんにょ)(1415~99年)が室町時代後期の明応7(1498)年に記した和歌の草稿が、「大さか」という地名を記す最古の文献とみられることが19日、所蔵する一般財団法人「本願寺文化興隆財団」(大谷暢順(ちょうじゅん)理事長、京都市山科区)の調査で分かった。

「難波」などと呼ばれたそれまでの地名から、現在につながる「大坂(大阪)」の地名が定着していく経緯を探る史料の一つとして、注目を集めそうだ。

草稿は平成23年に財団が古美術商から購入。和歌5首のうち、信心の大切さを詠んだ「みな人の弥陀(みだ)をたのめといふ浪のはやをとたてゝみゆる大さか」など、2首に「大さか」の文字がある。筆者名はないが、専門家の鑑定で、筆跡などから蓮如自筆と判定された。

草稿の日付は、明応7年11月8日。大阪という地名は文献上、蓮如が明応6年11月に信徒らに向けて発した、「御文(おふみ)」「御文章(ごぶんしょう)」などと呼ばれる手紙の文中にある「大坂」が初出とされるが、自筆の原本は未確認で、写本のみが残る。

財団によると、確認されている写本は、息子の実如(じつにょ)の時代に編纂(へんさん)されたとみられる本が最古。大阪という地名を記した文献の成立年代としては、草稿が写本よりも古いと判断した。

蓮如は明応8年3月に死去。和歌には推敲(すいこう)の跡があり、財団の藤田香奈子学芸員は「最晩年に書かれた草稿だが、創意工夫を怠らない、蓮如上人(しょうにん)の性格が表れている」と話す。

草稿は、同財団の吉崎御坊蓮如上人記念館(福井県あわら市)で今月21日~7月28日に行われる、特別展で展示される。



「大阪」の由来 古くは「難波」「浪速」といった表記で、「なにわ」「なみはや」などと呼ばれていた。いつから「おおさか」になったかははっきりしないが、14世紀の文献には「小坂(おさか)」の記述がある。蓮如が「大坂」に坊舎(石山本願寺)を建立した後に広がったともいわれ、江戸時代には浸透。「大阪」の表記は江戸時代には現れ、明治以降に定着した。



産経WEST 2018.4.20 11:45
http://www.sankei.com/west/news/180420/wst1804200032-n1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1524230670/続きを読む

1: スージハルワ ★ 2018/04/20(金) 08:26:21.65 ID:CAP_USER9
<ヒトラー南米逃亡説にこの潜水艦が使われた線はほぼなくなったが、生存説自体が消えたわけじゃない?>

第二次世界大戦末期におけるドイツ劣勢のなか、ナチス崩壊とともにベルリンの総統官邸の地下壕で妻と自殺したとされる独裁者アドルフ・ヒトラー。だが一方で、極秘に南米に逃げ延びたという説も長年囁かれ、戦後ミステリーの1つとして知られている。

戦後73年の今年、そのミステリーを解く重要なカギが発見された。

デンマークのTV2の報道によると、連合軍の手を逃れたヒトラーを含むナチス幹部が乗っていたと有力視されていたドイツ軍の潜水艦(Uボート)「U-3523」が、デンマーク最北端スカーゲンから北に約18.5キロメートルの沖合、深さ134メートルの海底で見つかった。撃沈された当時の報告から、西に約14.5キロメートル離れた地点だった。


「U-3523」発見に繋がったのはTV2が企画した、北海に眠る遺産を捜索するプロジェクト。デンマーク海戦博物館の研究者らが中心となって進めていた。

全乗組員が死亡。でも...

「U-3523」がヒトラーらの逃走に使われたと考えられたのには、理由がある。第二次世界大戦末期の1945年5月6日(英メトロ紙)、コペンハーゲンに連合軍が入り、ナチスの占領を解いた。

まさにこの日、スカーゲン沖で爆撃されたUボートが「U-3523」。長時間の潜水航行(水中で630キロ)が可能な同艦は連合軍にとって格好の標的だった。イギリスのB-24爆撃機によって撃沈させられ、乗組員58人は全員死亡とされていた。

しかし「U-3523」の残骸の行方が分からなかったため、実は撃沈は嘘で、ヒトラーを逃走させる極秘任務に当たっていたという噂が独り歩きした。

史実上、ヒトラーの命日は1945年4月30日だが、その死は今日まで多くの謎を秘めたままだ。遺体に関する証拠も曖昧なものが多いと言われ、生存説が根強くある。なかでも、南米アルゼンチンに逃げ延び、偽名で長寿を全うしたという説が真実だと仮定すれば、行方のわからなくなっていた「U-3523」が逃亡に一役買った、というストーリーが有力だった。全長76.7メートルの「U-3523」が当時最先端の潜水艦だったことも噂に真実味を加えていた。


ヒトラーが乗っていた証拠はない

英メトロ紙によると、ナチス幹部が「U-3523」に乗っていたとされる証拠はない。

これについて、プロジェクトに参加したデンマーク海戦博物館のゲルト・ノーマン・アナスン館長は、「戦争が終わったにもかかわらず、『U-3523』がドイツから離れたので、ドイツから貴重な何かを持ち出したと噂が立った」と説明。さらに高性能で長距離を移動できる「U-3523」だったことが噂の信ぴょう性を高めたと考えている。

しかし今回の発見で、「U-3523」が南米に向かっていなかったことが明らかになった。ナチス高官が逃亡の際に持ち出したと考えられていた貴重品なども見つかっていない。

ヒトラーの南米逃亡説は立ち消え?

「U-3523」が注目される理由はもう1つ。それは、ナチスが「U-3523」と同レベル(XXI型)の潜水艦を他に1艇しか持っていなかったこと。その1艇である「U-2540(ヴィルヘルム・バウアー )」は現在、ドイツのブレーマーハーフェン・ドイツ海事博物館に展示されている。

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U-2540(ヴィルヘルム・バウアー ) manfredxy-iStock

アナスン館長によると、連合軍の銃撃に遭った際、「U-3523」が極秘の任務に就いていたことが、噂を助長したという。

今のところ、デンマーク海戦博物館では海底に沈む「U-3523」を引き上げる計画はない。だから結局はヒトラーの生死をめぐるミステリーが消滅した訳ではないという。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/04/post-10004_1.php
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1524180381/続きを読む

1: みつを ★ 2018/04/20(金) 17:38:55.30 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3171911?act=all

2018年4月20日 15:43 発信地:ウィーン/オーストリア
【4月20日 AFP】アスペルガー症候群の研究で知られるオーストリア人小児科医のハンス・アスペルガー(Hans Asperger)医師が、ナチス・ドイツ(Nazi)の安楽死プログラムに「積極的に協力」していたことが明らかになったとする研究論文が19日、発表された。

 オーストリア・ウィーン医科大学(Medical University of Vienna)の医史学者、ヘルビヒ・チェフ(Herwig Czech)氏は論文で「アスペルガーはナチス政権に取り入り、忠誠を誓う代わりに職の機会を得た」としている。

 チェフ氏によると、アスペルガー医師は、強制的な不妊手術を含む民族の浄化政策を公に正当化していたとされ、その時々でナチスの子どもの安楽死プログラムに「積極的に協力していた」という。

 専門誌「Molecular Autism」に掲載された論文では、アスペルガー医師がナチスそのものには入党しなかったものの複数の関連組織に参加していたことが指摘された。

 今回の研究でチェフ氏は、現代の文献やこれまで未調査だったアスペルガー医師の私的ファイルや患者の記録を含む膨大な資料を見直した。そのうちの一つである1940年のナチスの資料には、アスペルガー医師が「人種と浄化法という問題で国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の考えに一致していた」との記述があったという。

 また、同医師は各講演でナチス医療の理念に忠誠を誓い、1938年にオーストリアがドイツ第三帝国(Third Reich)に「併合」されてからは、診断書に「Heil Hitler(ヒトラー万歳)」とサインしていた。

 チェフ氏によると、アスペルガー医師は2歳と5歳の少女をウィーンの精神病院内にある悪名高き「シュピーゲルグルント(Spiegelgrund)」の施設に移すよう勧めたという。そこでは「遺伝的価値」と「民族的純粋さ」に欠けるとされた800人近くの子どもたちが死亡しており、その多くは殺されていた。2人もここで命を落としているが、その原因は「肺炎」と公にはされている。

 またアスペルガー医師は別の病院の小児病棟の約200人の運命の決定する委員会にも所属していた。ここでは35人が「教育不可能」とされ、後に命を落としている。

 AFPの取材にEメールで応じたチェフ氏は、今回見つかった証拠は、同医師が「子どもたちの診断を飾リ立てることで、彼らを保護しようとしていたという認識が誤りだったこと」を示していると説明した。

■死後の承認

 アスペルガー医師の業績が認められ、その名にちなんでアスペルガー症候群との名称がつけられたのは、1980年の彼の死後だった。

 論文掲載誌の共同編集主幹で認知神経科学者であるサイモン・バロンコーエン(Simon Baron-Cohen)氏は、同論文が物議を醸すものであると認識しているとしたうえで、「われわれが掲載に値すると思ったのは、小児学および児童精神医学に長きにわたって価値ある貢献をしてきたとされる医師が、ナチスの嫌悪すべき優生学と安楽死政策を積極的に支援していた罪があるという真実を暴露しているからだ」と語った。

 英国自閉症協会(National Autistic Society)自閉症センターのキャロル・ポベイ(Carol Povey)氏も、同論文は全英の70万人の自閉症患者やその家族、特にアスペルガーの人の間に大きな議論を呼ぶものだとしている。

 他方で米カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)欧州研究所の上級研究員エディス・シェファー(Edith Sheffer)氏は、用語としての「アスペルガー」の使用を止めるよう呼びかけている。

「Asperger's Children: The Origins of Autism in Nazi Vienna(アスペルガーの子どもたち:ウィーンのナチスの自閉症の起源)」の著者である同氏は、「疾患や障害に人の名をつけるのは、その人の功績を認め称賛するためであって、アスペルガーはそのどちらにも値しない」と語った。(c)AFP/Simon STURDEE

演説するナチス・ドイツの最高指導者アドルフ・ヒトラー(1039年撮影)。(c) AFP PHOTO / FRANCE PRESSE VOIR
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1524213535/続きを読む

1: 名無しさん@涙目です。 2018/04/19(木) 17:38:27.37 ID:W8KvXtcK0 BE:155743237-PLT(12000)
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「バターン死の行進」から76年。アメリカでも危惧される「歴史の風化」
2018年04月19日

(中略)
日本のネット上では「よりよい環境に移送するため仕方なかった」
「日本軍は投降すること恥としていたので、捕虜の扱いに関する教育が足りていなかった」という意見や、「これぐらいの距離は飲まず食わずでも歩ける」というものまで、事件を疑問視するようなコメントが多く見られる。
一方で、義務教育などで詳しく教えられることもなく、知らないという人も多いだろう。

(中略)

しかし、76年という年月が経った今、アメリカでも「事件を認識している」人の数が次第に減りつつあるのが問題になっている。

「Santa Fe New Mexican」は「ニューメキシコの生還者、『バターン死の行進』が忘れられてしまうことを懸念」という記事を掲載。
バターンでの戦闘は日本軍のオーストラリア侵攻を食い止めたが、第二次世界大戦初期のもっとも悪名高く残虐な出来事「死の行進」に繋がってしまったと事件の重大性を伝えつつも、現在生き残っている元捕虜がいなくなれば、忘れ去られてしまうのではないかという懸念を示している。

同記事では98歳になる元捕虜の妻が、3月に行われた式典にやってきた孫たちのエピソードを挙げて、「(死の行進が)忘れられることになるだろう」と指摘している。
というのも、孫たちが周囲に式典と死の行進の話をすると「教師も同級生も何の話をしているのか、事件についてサッパリ知らなかった」そうだ。

https://hbol.jp/164018
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1524127107/続きを読む

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