(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。歴史関係のスレ(ほぼなんj)をまとめています。良かったらご覧ください。

2018年09月

1: ばーど ★ 2018/09/27(木) 12:13:10.77 ID:CAP_USER9
※たまたまスレで立てました

(CNN) 中国の文化遺産当局は、1894年の日清戦争で撃沈された海軍艦「経遠」が発見され、艦内から大量の遺留品が見つかったと発表した。

発表によると、考古学チームが数年がかりで捜索を行った結果、「経遠」の艦名を記したプレートを発見した。

同艦はドイツのブルカン造船所で建造され、1880年代に清の海軍艦体に編入。1894年9月、他の軍艦3隻とともに撃沈され、黄海に沈んだ。

考古学チームが海底を調査した結果、同艦が水深12メートルの海底に逆さまの状態で沈んでいることを確認。砂を除去して遺留品を発掘した。

艦内からは、陶磁器や革製品、ガラスなど500点以上の品目が見つかったほか、当時の兵器やリボルバーの銃弾なども発見された。

専門家はこれについて、世界の海軍史を研究する上で重要な発見と位置付けている。

2018.09.27 Thu posted at 11:01 JST
CNNニュース
https://www.cnn.co.jp/fringe/35126175.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1538017990/続きを読む
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1: ばーど ★ 2018/09/27(木) 05:57:45.73 ID:CAP_USER9
幕末の「四賢侯」と呼ばれた(左から)松平春嶽、島津斉彬、山内容堂、伊達宗城について語るパネリストたち=福井市のハピリンで
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 幕末期にそれぞれ藩主を務め、後に当代の「四賢侯(しけんこう)」と称された福井藩主の松平春嶽ら四人に焦点を当てた初めての「四賢侯シンポジウム」が二十三日、福井市のハピリンで開かれた。福井、鹿児島、高知、愛媛の四県から研究者が集い、四人の結び付きや歴史的な役割について掘り下げた。

 四賢侯は、春嶽のほか、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)、土佐藩主・山内容堂、宇和島藩主・伊達宗城(むねなり)の四人。県が幕末明治福井150年博の一環として企画した。

 「四賢侯は昭和になって一般化した」と話したのは、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の時代考証を担当する東京学芸大の大石学教授。講演の中で「四賢侯」の言葉は司馬遼太郎の小説に登場し広まった、と説明。四人は幕府に味方する佐幕、その逆の討幕のどちらでもない「中間的な公武合体派。うまくいかなかったが、(国内の)被害をできるだけ抑えて、近代にという思想だった」と述べた。

 四県の研究者によるパネル討論では人柄などに話が及んだ。福井市教委文化財保護課の田中伸卓さんは「春嶽は人の意見をよく聞いて考えを変えていけた。誠実で真面目でもあった」と評価した。

 その春嶽は容堂と仲が良かった。「容堂は酒好きで豪快。でも潔癖性で人が触れたものを触るのは嫌だった」と高知県立高知城歴史博物館の藤田雅子課長。酒の飲めない春嶽に「『下戸先生』とあだ名をつけたが、大好き。政事総裁職の春嶽を支えた」と話した。

 鹿児島大の佐藤宏之准教授は、斉彬を「海外に目を向け、先進的な知識をどんどん取り入れた」。愛媛大の胡(えべす)光教授は、宗城に関して「四賢侯で最もマイナーな存在。情報収集に長け調整役の人だった。容堂と交わした手紙に酒の話がたくさん出てくる」と解説した。

 コーディネーターを務めた大石教授は「四人は自由にものを言った人たち。今回が四賢侯をさらに研究する第一歩になれば」と話していた。 (尾嶋隆宏)

2018年9月26日
中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20180926/CK2018092602000013.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1537995465/続きを読む
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1: 樽悶 ★ 2018/09/24(月) 03:19:09.19 ID:CAP_USER9
残骸を調べるダイバー/Camara Municipal de Cascais
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ポルトガル首都リスボン近海の海底で船の残がいが見つかった/Camara Municipal de Cascais
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スパイスや中国製の陶磁器が見つかった/Camara Municipal de Cascais
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(CNN) ポルトガルの首都リスボン近海の海底で、1575~1625年ごろに沈んだとみられる船の残がいが見つかった。プロジェクトの責任者は「十年に一度の大発見だ」と話している。

ダイバーのチームが調べたところ、船にはこしょうなどのスパイスや中国製の陶磁器、かつてアフリカの一部で奴隷貿易の通貨として使われた貝殻などが積み込まれていた。

陶磁器は明朝末期の皇帝、万暦帝の時代につくられたとみられる。

ポルトガルの紋章が刻まれた青銅の大砲や、同国の国旗に描かれている天球儀も見つかった。

プロジェクトの責任者によると、船はインドからリスボンへ向けて航行していたと考えられる。

残がいは、深さ約12メートルの海底に横たわっていた。リスボン近郊カスカイスの市当局がリスボン大学やポルトガル政府、海軍の協力を得て実施した海底調査の中で、今月3日に発見された。

一部の遺物は安全に保管するため、すでに回収された。今後さらにダイバーによる調査を続けるとともに当時の史料を研究し、船の特定を目指すという。

2018.09.23 Sun posted at 12:48 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35126007.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1537726749/続きを読む
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1: 樽悶 ★ 2018/09/20(木) 20:06:18.36 ID:CAP_USER9
「大倉幕府」の遺跡埋蔵が確実視されるマンション計画地。舗装は駐車場として使われた時のもので敷地は奥の草地も含む=鎌倉市雪ノ下
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 源頼朝が最初に鎌倉幕府を置いた「大倉幕府」の遺跡の埋蔵が確実視される神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目の民有地に、マンション建設計画があることが分かった。武家政権の物的証拠が不十分だと指摘され世界遺産登録を逸した鎌倉にとって、現場はその証拠が眠る文字通りの“本丸”。建設に伴う発掘調査が期待される一方、適切な保存がなされるか、懸念の声も上がる。

 現場は鶴岡八幡宮の200メートル余り東にある。数十年にわたり更地だったが、昨年8月に東急不動産(東京都港区)が取得。約2千平方メートルに地上4階、地下1階の共同住宅(33戸、高さ14メートル)を計画し、現時点で11月の着工を目指している。

 一帯は県埋蔵文化財包蔵地台帳に「官衙(かんが)跡」として記載され、今回のように地面を掘り起こす工事の前には文化財保護法に基づき、事業者による発掘調査が必要となる。2月に試掘が行われたが本調査は未定。

 日本考古学協会の馬淵和雄理事(中世考古学)によると、従来の研究でこの官衙跡が大倉幕府跡であると確実視されており「日本史上でも屈指の重要遺跡といえる」と説明する。

 特に注目されるのは、2千平方メートルという広さだ。4年前、同じ官衙跡の範囲内の土地(73平方メートル)から銅鏡などが出土し、特権階級の暮らしの一端を示した。「これほどの広さが更地で残っていたのは奇跡的で、大発見があるはずだ」と別の専門家は言う。

 世界遺産登録を目指した「武家の古都・鎌倉」を巡っては、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が、2013年に「不記載」を勧告。決定的な理由は「どこに頼朝が住み、執務したかが考古学的に証明されていないこと」(当時の近藤誠一文化庁長官)「武家の古都としての物的証拠が不十分と判断されたこと」(松尾崇市長)だった。

 開発を機に「証拠」への期待が高まる一方で、建設スケジュールが優先され、調査がおろそかになる懸念もある。日本女子大の古川元也教授(日本史)は「市の文化財当局は、時に開発部局と意見が対立してでも適切に保護、管理、活用できるよう努力すべきだ」と注文を付ける。

 市文化財課は「仮に教科書が書き換えられるような物が出土すれば、国や県とも相談し、保護や事業計画の変更も含め指導、監督したい」。東急不動産は「何か見つかれば予定通りには進まないだろう。市と相談したい」としている。

 一方、周辺の住民からは「狭い通学路に建設車両が入るのは危ない」「鎌倉らしい景観が失われる」などの声も上がっている。

 この「大倉幕府」を巡るフォーラムが、24日午後1時半から、同市御成町の鎌倉商工会議所ホールで開かれる。参加費500円、定員は先着順150人。

 ◆大倉幕府 3回位置を変えた鎌倉幕府のうち最初のもので大倉御所、大蔵幕府ともいう。1180年から45年にわたり頼朝、頼家、実朝の3代の将軍が邸宅を構え政務を行った。

9/20(木) 6:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180920-00029589-kana-l14
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1537441578/続きを読む
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1: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:08:49.75 ID:3HbREZZQ0
元寇時の鎌倉武士打線(最新の研究)

1(遊)モンゴル襲来の6年前に大陸にヤベーのがいるのを察知して情報収集してた
2(三)壱岐・対馬は見殺しにしたのは敵情を研究したのではなく単に対馬守護少弐氏への嫌がらせ
3(一)最初の蒙古襲来で人質を盾にしてたモンゴル軍に人質無視して射殺してた
4(指)博多を略奪したのではなく物資と人員と銅銭を徴発してただけ(太宰府天満宮に「徴発やめてよー」という願文と請願が残ってる)
5(右)蒙古襲来4年前に非御家人の動員の権限を幕府が接収、北九州に西国の武士を集中させてた
6(左)使者をぶっ殺した時に書状を見ずに殺したために三度目の使者の書状が和睦(休戦)の使者なのを知らなかった
7(中)二度目の南路軍来るのを半年前に察知して海賊が襲いまくって南路軍が博多に来たときはボッロボロだった
8(二)鷹島掃討戦で高麗人、モンゴル人は皆殺しにしたけど女と宋人は助命してそのまんま戦利品として6千人ほど御家人で山分けしてた
9(捕)実は元寇の後にに来た高麗と元の和平の使者を話を聞かず6回ほど博多で殺してる
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1537524529/続きを読む
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1: 樽悶 ★ 2018/09/22(土) 01:45:09.64 ID:CAP_USER9
家系図のサンプルを見せる行政書士の丸山学さん=埼玉県所沢市小手指町で、飯田憲撮影
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家系図作りの費用と期間
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 自分はいったい何者で、どこから来たのか--。本人に代わって家系図を作成する業者への依頼がじわりと伸びている。顧客の中心は、核家族化を背景に家族のつながりが薄くなっているとされる中高年世代。専門家は「家に縛られない個人の時代だが、だからこそルーツをたどりたくなるのかもしれない」と言う。家系図作りの人気の理由を追った。【飯田憲】

 「年間80件の依頼を請け負っていますが、これ以上の予約は厳しい」。家系図作りを専門にする埼玉県所沢市の行政書士、丸山学さん(50)は苦笑する。依頼者から委任状をもらい、役所で本人の戸籍を取り寄せる。戸籍制度が確立している日本では、江戸末期の先祖までさかのぼることができるといい、凝った装丁で依頼者の家系図を作る。

 要望によっては、さらに古い先祖探しも請け負う。郷土史などを読み込み、縁者から丹念に話を聞く。家系を400年さかのぼる「上級コース」の場合、1年ほどの調査期間と約130万円の費用がかかる。それでも現在、40件が同時進行中だ。

 依頼者には中高年が目立つ。丸山さんは「家意識が薄れて個人の時代となり、2世代が過ぎた。人生の折り返しを迎え、どんな土台に自分が立っているか知りたい人が増えている」と分析する。

 家系図作りを専門に行う業者も増えてきた。2017年にサービスを始めた家樹(かじゅ)(東京都中央区)は家系図作成を手掛けるとともに、親族で共有できるように作成した電子データも提供する。これまでに計120件を受注した。同社が提案するのは、家系図を手にルーツの土地を巡る旅だ。

 東京都渋谷区の会社役員、本間浩一さん(58)も家樹に家系図作りを頼んだ。大学入学とともに群馬県から上京後、父との連絡は途切れがちになり、30代で父が亡くなった。「もっと父と話しておけばよかった」。自分のルーツを聞ける人がいないことに、喪失感が強まった。

 作成された家系図をつぶさに見ると、はるか昔に近所の親戚の間で慶弔が集中した時期があったりして、先祖の当時のやり取りを思い浮かべることができた。家系図のデータを印刷し、法事で親族に配ると好評だったという。

 家系図作りは日本よりも欧米諸国が先行し、インターネット家系図サービスなどが一大市場になっているとされる。日本での先祖調査に詳しい関西学院大学文学部の山口覚教授(人文地理学)は「かつての『家柄』や家意識のための先祖調査ではなく、近親者を中心とした個人的な家族史への志向や、先祖の故郷を巡る先祖ツーリズムも珍しくない。現代では、趣味としての側面がより強まっており、ニーズが広がる可能性がある」と言う。

毎日新聞 2018年9月21日 13時21分(最終更新 9月21日 13時55分)
https://mainichi.jp/articles/20180921/k00/00e/040/297000c?inb=ra
毎日新聞 2018年9月21日 東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20180921/dde/001/040/048000c?inb=ra
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1537548309/続きを読む
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1: (?∀?(⊃*⊂) ★ 2018/09/22(土) 00:28:42.84 ID:CAP_USER9
「70歳前後より若い者は役に立たない」「学問が盛んになり、秘術が信用されない」。

滋賀県甲賀市がこのほど刊行した資料集から、甲賀忍者が江戸時代の平和な世の中で自身の立場の衰退を嘆いたり、将来を不安視する姿が浮き彫りになった。
編集した市教育委員会は「忍者が重んじられない状況への危惧など、ここまで切実な肉声を記した記録は珍しい。
甲賀に限らず、当時の忍者全体に通じる問題ではないか」としている。

尾張藩に仕官した甲賀忍者に関する古文書の訳文や解説を載せた資料集「甲賀者忍術伝書-尾張藩甲賀者関係史料Ⅱ-」で、昨年刊行した資料集の第2弾。
同藩に伝わる文書を紹介し、市内の民家で発見された文書の現代語訳も併載した。

尾張藩の史料は、甲賀の地で暮らしながら「忍び」として同藩に仕えた「甲賀五人」の頭(かしら)である初代木村奥之助(1600年代半ば~1723年)が
弟子に口述して書き取らせた「無窮会所蔵史料 甲賀忍之伝未来記」など7点。全て楷書体に直し、解説を載せた。

「未来記」には、昔は甲賀の忍術が一つの流派として世間に浸透していたが、現在70歳前後より若い者は役に立たない-などと、
忍者の技術や立場の衰退を不安視する内容が並ぶ。

問題点として、

▽平和な世で業績がなく重宝されない
▽技術を試みる機会がなく、研鑽(けんさん)する気持ちがない
▽学問が盛んになり道理が重んじられ、秘術が信用されない
▽秘密性が高いため間違って伝えられることが多い-など13箇条を挙げている。

 「内容は甲賀五人に限らず、江戸期の忍び全体に通じる問題だろう。
忍術の伝授に関する文書は多く残るが、心情にまで想像力が及ぶ史料は貴重」と市教委歴史文化財課は説明する。

 また、「甲賀五人」を先祖に持つ同市甲南町の渡辺俊経さん宅で見つかった古文書類のうち11点の現代語訳を併せて掲載した。
尾張藩に「御忍(おしのび)役人」として出仕した契約書である「盟文之事」▽藩役人との忍びの術に関する問答記録
▽徳川家に対する甲賀武士の軍功を記して奉公を求めた願書-など、「甲賀五人の藩での立場や具体的に何をしていたのかが分かる史料」(同課)という。

https://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180921000031

甲賀市が刊行した甲賀忍者資料集の第2弾(同市役所)
20180921085328ninja
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1537543722/続きを読む
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