2018年11月30日 正史三国志・蒋琬伝の全文(意)訳と解説をするで 99: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:35:35 ID:i1a◆蒋琬、字公琬、零陵湘郷人也。弱冠與外弟泉陵劉敏、?知名。蒋琬は、字を公琬といい、零陵郡湘郷県の人である。弱冠(20歳)にして外弟(いとこ)である泉陵の劉敏と、ともに名を知られた。 https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1542887890/続きを読む
2018年11月29日 戦後の鉄道業界に革命起こした出来事で打線組んだ 1: 名無しさん@おーぷん 2018/11/26(月)14:09:42 ID:Ox9 1遊 瀬戸大橋開業2二 青函トンネル開業3捕 国鉄民営化4指 新幹線開業5中 動力分散方式への転換6一 電化、無煙化の推進7三 101系、103系ら新性能電車を開発8左 ステンレス車導入9右 209系、E231系ら新系列電車を開発投 自動改札機の導入投 ICカードの導入投 通勤5方面作戦実行 https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1543208982/続きを読む
2018年11月28日 正史三国志・龐統伝の全文(意)訳と解説をするで 1: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)20:58:10 ID:i1a ワイが正史三国志の?統伝を解説するのでよかったら見ていってください21:00から開始します https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1542887890/続きを読む
2018年11月27日 【研究】世界初 ナチス・ドイツ時代の暗号機「エニグマ」の内部3Dモデル公開される(動画あり) 1: ニライカナイφ ★ 2018/11/26(月) 14:07:53.78 ID:CAP_USER9 第二次世界大戦中、ドイツ・ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が利用していたローター式暗号機「エニグマ」内部の3Dモデルが公開された。 英マンチェスター大学の研究チームが、1500枚以上ものX線写真を撮影して作り上げたもので、世界初の試みとなった。 第二次世界大戦中、敵軍に指令が漏れることを防ぐためにドイツの陸海空軍で利用されたエニグマは、どこか大型のタイプライターのような見た目だ。 その内部には複雑な作りのローターが内臓されており、これによって入力された伝言の文字を別の文字に変換し暗号化する。 しかも1文字変換するとローターが回転するので、同じ文字を入力しても、その前とは違う暗号が出来上がる。 いわゆる”エニグマ・コード”の解読がきわめて困難であるのはこのためだ。 その解読に成功したのが、コンピューター科学や人工知能の父と呼ばれる英国の数学者アラン・チューリングを筆頭とする解読チームである。 彼らの成功によって、戦争が2年は短くなったと言われている。 そのエニグマをX線CTスキャンで解析しようと試みたのが、英マンチェスター大学の研究チームだ。 彼らは1500枚以上ものX線写真を撮影し、そこから世界初となるエニグマ内部の3Dモデルを作り上げた (動画) https://youtu.be/bESFcMXB2Rw https://youtu.be/JtIpk7jEMqg 解析されたエニグマは、1941年にベルリンで製造された後期モデルで、大戦で消失しなかった274台のうちの貴重な1台である。 オーストリア連邦内務省に配備されていたものだと考えられており、現在の所有者は暗号愛好家のデビッド・クリップス氏である。 エニグマのほとんどは、対戦末期に連合軍がナチスを圧倒するようになってから、ナチスによって破壊された。 さらに大戦終結後、大戦中に暗号解読学校が置かれたブレッチリー・パークの解読技術の流出を防ぐために、ウィンストン・チャーチルがすべてのエニグマを廃棄するよう指示を出した。 このため現存する実機は非常に少ない。 初期のエニグマは暗号化を行うローターが3基内蔵されていたが、さらに高度かつ複雑な暗号を作成できるよう、のちに4基に改良。このモデルはローターの数にちなんで「M4」と呼ばれている。 これは大戦初期に連合軍に連敗し、どうにか戦況を打開したいと考えたドイツ海軍のカール・デーニッツ海軍総司令官の指示によって開発された。 デーニッツ海軍総司令官はその出来にかなり満足していたようで、ニュルンベルク裁判では、連合軍が暗号を解読できたはずがなく、敗戦はレーダーと方向探知機のせいだと証言している。 http://karapaia.com/archives/52267886.html http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1543208873/続きを読む
2018年11月26日 【大阪】仁徳天皇陵で円筒埴輪列を確認 築造に数十年のずれか 宮内庁と堺市が初の共同調査 1: 樽悶 ★ 2018/11/22(木) 17:36:55.61 ID:CAP_USER9 仁徳天皇陵として宮内庁が管理する日本最大の前方後円墳・大山古墳=堺市(共同通信社ヘリから) 国内最大の前方後円墳で百舌鳥(もず)・古市古墳群の一つ、仁徳天皇陵(大山(だいせん)古墳、堺市堺区)を調査している宮内庁と堺市は22日、墳丘を囲む堤(つつみ)で1列に並んだ円筒埴輪(はにわ)や石敷きが見つかったと発表した。同古墳で円筒埴輪列が確認されたのは初めて。日本書紀などから仁徳天皇は4世紀末に死去したともいわれるが、埴輪は5世紀前半~中頃の特徴を持ち、数十年のずれがあるとの指摘もある。仁徳天皇陵では以前も同時代の埴輪が見つかっており、築造された時期や被葬者をめぐる議論が熱を帯びそうだ。 古代の天皇や皇族の墓とされる「陵墓」を同庁が外部機関と共同発掘するのは初めて。 墳丘を囲む2つの堤のうち、内側の第1堤の南側に調査区(幅2メートル、長さ30メートル)を3カ所設置。地表から20~40センチ掘り下げると、各調査区で直径約35センチの円筒埴輪4~5本が接するように並んでいた。いずれも基底部だけで、上部は割れて失われていた。 今回の調査地の約100メートル西では昭和48年に同時代とみられる円筒埴輪1本が出土していた。このことを合わせて考えると、埴輪列が堤を1周するように約2.6キロにわたって7千本以上が立てられたと推定できるという。 ただし、埴輪列があったのは堤の外縁部だけで、墳丘寄りの内縁部では確認されなかった。大型古墳では堤の両側に埴輪を並べるのが一般的。仁徳天皇陵では当初から内縁部に埴輪列がなかったか、墳丘を囲む周濠(しゅうごう)の水による浸食で埴輪列や堤の一部が崩落した可能性もあるという。 一方、堤にはこぶし大の石が敷き詰められていた。堤で石敷きが確認されたのは、仁徳天皇陵がある百舌鳥古墳群では初めて。堤を荘厳に見せるためだったともみられる。 同庁の徳田誠志(まさし)・陵墓調査官は「数年かけて堤全体を調査したい」としている。 産経新聞 2018.11.22 17:21 https://www.sankei.com/west/news/181122/wst1811220028-n1.html http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1542875815/続きを読む
2018年11月24日 【軍事史】空軍、潜水艦、戦車、化学兵器…近代戦の礎となった第1次世界大戦 終結100年 1: 樽悶 ★ 2018/11/12(月) 18:30:24.26 ID:CAP_USER9 第1次世界大戦終結から100年目に当たる2018年11月11日、海外メディアでも大戦に関するさまざまな特集が組まれた。軍事面では、良くも悪くも近代戦の基礎が築かれた戦争として第1次世界大戦を捉える論調が多い。そのキーワードは、「空軍」「戦車」「化学兵器」などだ。 ◆空軍や潜水艦が登場 ブルームバーグのコラムニストで、元米海軍大将のジェームズ・スタブリディス氏は、空軍の誕生を第1次世界大戦最大の技術革新に挙げる。今日の米軍が取るピンポイント爆撃を軸とした軍事作戦の起源は、初めて航空機を爆撃・偵察・輸送に用いた第1次世界大戦に遡ることができると、同氏は指摘する。 今日の日本も先進的な技術を有する潜水艦の軍事利用も、第1次世界大戦でドイツが導入したUボートに端を発する。駆逐艦や魚雷による対潜水艦戦闘も、当時のUボートと戦った連合軍によって生み出された。現在は、核兵器を搭載した原子力潜水艦が世界の支配に大きな影響を与えているが、これも第1次世界大戦の延長線上にある事態だと言えるだろう。スタブリディス氏は、ほかに、救急医療(輸血、消毒、形成手術など)、通信、材料工学なども第1次世界大戦で花開いた近代的な技術に挙げている。 また、戦車や装甲車、現代では航空機やヘリコプターも用いた機動戦は、第1次世界大戦の教訓から生まれた。欧州の戦線では、ドイツ軍側、連合軍側とも鉄条網と機関銃・大砲で要塞化した長大な塹壕でにらみ合う膠着状態が続いた。スタブリディス氏は、そのフラストレーションが、20年後のナチス・ドイツによる電撃戦を生んだとしている。第2次世界大戦のドイツ軍は、ポーランド、フランス、ソ連侵攻にあたり、戦車や自動車化部隊の機動力を活用して敵の背後を取って包囲殲滅する作戦で緒戦の成功を収めた。近代戦でも、塹壕戦に見られるような引きこもり型の防御よりも、スピードや機動力がより重視される傾向にある。 ◆騎兵に代わる陸の主役「戦車」 電撃戦の主役となった戦車は、第1次世界大戦でイギリス軍が初めて用いた。機関銃弾に耐えられる装甲を備え、無限軌道(履帯・キャタピラ)によって塹壕を乗り越えることができる戦車は、膠着した戦線を破る秘密兵器として期待された。当初は故障の頻発や排気ガスや熱気による乗員への被害、大砲の攻撃には耐えられないなどの問題点が多かったが、両陣営が改良を加えた戦車を競うように導入した結果、しだいに実用的な兵器となっていった。 カナダ誌マクリーンズは、戦車の登場は、それまでの機動戦の主役だった騎兵部隊を終焉させたという視点で、第1次世界大戦の戦車の登場を捉えている。同誌は、「至る所に敵の機関銃があった。しかし、我々にとって幸運だったのは、戦車部隊がそれらを間もなく沈黙させたことだ。戦車がなかったら、絶望的な任務になったことだろう」という、1918年8月8日のアミアンの戦いに参加したカナダ軍兵士の言葉を紹介している。この戦闘には、343両の英国製マークV戦車が参加した。 翻って、お互いの領土に陸軍の大部隊を侵攻させる国家間の全面戦争が起きにくくなった現代では、戦車が大量に運用される機会は稀になっている。戦車は依然として各国の陸軍の主役ではあるが、第1次世界大戦の騎兵部隊を自らが駆逐したように、戦車を主役から引きずり下ろす新たな兵器が出てくる日は、そう遠くないかもしれない。 ◆化学兵器の根絶はいまだ達成されず 多くの識者が第1次世界大戦の最悪の負の遺産は、化学兵器だとしている。第1次世界大戦では、両陣営とも塩素ガスやマスタードガスといった毒ガスを使い、多くの死傷者を出した。その反省から、終戦後の1925年のジュネーブ議定書で毒ガスの使用は禁止され、現在の化学兵器禁止条約(CWC)に受け継がれている。 『第1次世界大戦の遺産』という著書があるポール・シュルテ・バーミンガム大学教授は、第1次世界大戦で毒ガス攻撃にさらされた兵士は100万人単位だとし、それによって直接死亡した者は比較的少なかったものの、約9万人が皮膚の小さな焼けただれや肺への悪影響により、「ゆっくりと進行する死」に恐怖することになったとしている。毒ガスによって失明などの深刻な身体障害を負った兵士は多い。後に第2次世界大戦を引き起こしたアドルフ・ヒトラーも、第1次世界大戦で英軍の毒ガス攻撃を受け、一時的に失明したことがある。シュルテ教授は、その恨みによる「精神病理学的影響」が、後のヒトラーの行動に結びついた可能性にも言及している。 (続きはソース) NewSphere Nov 12 2018 https://newsphere.jp/world-report/20181112-2/ http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1542015024/続きを読む
2018年11月23日 【考古学】エジプトの古代寺院遺跡で大量に発見される「動物のミイラ」…宗教ビジネスの一環だった? 1: しじみ ★ 2018/11/16(金) 20:53:00.35 ID:CAP_USER 11月12日、エジプトの考古省は、サッカラにおいて猫やスカラベの大量のミイラを発見したとFBで発表した。推測では、60000年ほど前の神への奉納物であったといわれている。 人間のミイラだけではなく、動物のミイラはこれまでも数多く発見されてきた。しかし、その存在が重要視されはじめたのは最近のことである。 エジプトから発見される大量の動物のミイラを調査分析し、古代の動物たちの毛の色、形、大きさを研究するプロジェクトも発足した。 ■研究に従事するのは、古代繊維の専門家! エジプトの考古学博物館に次ぐレベルを誇るトリノのエジプト博物館。 この博物館内に、動物のミイラの調査を公開するオープンスペースが設けられている。来館者の好奇心に満ちた視線を浴びながら動物のミイラを扱っているのは、古代の繊維の専門家である。 エジプト博物館には現在、およそ120に及ぶ動物のミイラが保管されている。猫、犬、牛、ワニ、ヒヒ、ジャッカル、馬、トキ、ハヤブサ、へび、ガゼル、ライオン、ロバ、そしてスカラベ。古代のエジプトでは、あらゆる動物がミイラにされていたのである。 それは、いったいどんな理由によるのであろうか。 ■神への捧げものとして寺院で飼育されていた動物たち 動物たちのミイラは、寺院から大量に発掘されている。たまさかに、人間と一緒にミイラとして葬られている犬も発見されるが、これはペットとして愛されていた犬たちであろう。死してなお、愛する犬と共にいたいという愛犬家は古代にも存在したことを物語る。 一方、寺院で発見される動物のミイラは、その動物に関連する神への捧げものであった。たとえば、バステトの女神には猫、セベク神にはワニ、といった具合に。 こうした動物たちは、寺院内で飼育され殺されミイラにされて、信者たちに販売されていた。その証拠に、歯がすべて抜かれたヒヒのミイラや、頚椎が粉々になった猫のミイラも数多く発見されている。また、動物のミイラをかたどっていながら、中は空っぽであるものもある。その代わりに、豪華な装飾が施されているミイラは富裕層からの奉献と推測されている。こうした動物のミイラは、当時の人々にとってはかなり高価なものであったようだ。 ■大量にヨーロッパに運ばれ燃料として使用されたミイラ 人間のミイラと同様、19世紀には大量の動物のミイラがヨーロッパに運ばれた。その数は、一説によれば19トン。多くはイギリスに持ち込まれ、肥料や燃料として使用されたという。 ちなみに、アビドスからは大量のトキが、コム・オンボからはワニが、トゥナ・エル・ゲベルではトキとヒヒが、サッカラとブバスティスからは数多くの猫のミイラが発掘されている。 ■ミイラの形にも美的センスが 現代の動物愛護の精神で考えれば、これは動物の虐待以外のなにものでもない。 しかしそうした倫理観は別に考えると、ミイラにされた動物たちは非常に念入りに形を整えられていることがわかる。 例えば猫のミイラは、耳がぴんと立ち、脚が整えられ、後ろ足のあいだからしっぽを出して腹部をまわり首のところで止められている。猫の優雅さを損なわずに、ミイラ化されているのである。 続きはソースで https://www.discoverychannel.jp/0000040578/ http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1542369180/続きを読む