(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 戦国

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1: きう ★ 2017/02/08(水) 21:08:12.15 ID:CAP_USER9
 松江歴史館で見つかった、徳川家康が築いた江戸城を描いた最古級の絵図「江戸始図」(同館提供)
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  江戸時代初期に徳川家康が本格的に築いた江戸城の構造を詳細に描いた絵図「江戸始図」が、松江歴史館(松江市)で見つかり、市が8日発表した。徳川幕府成立後間もない頃の江戸城を描いた最古の絵図と同時期のもので、城郭の細部が分かる貴重な史料だ。

 徳川幕府成立後間もない頃の江戸城を描いた最古の絵図「慶長江戸絵図」(東京都立中央図書館特別文庫室提供)
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 調査した奈良大の千田嘉博教授(城郭考古学)は、戦いを意識した強力な要塞機能を最大限備えた城と裏付けられたと説明。「豊臣氏との決戦に備えて万全を期した家康の意志が伝わってくる」としている。
 江戸始図は縦27・6センチ、横40センチ。東京都立中央図書館が所蔵する最古の絵図「慶長江戸絵図」と同じ、1607~09年ごろの江戸城を描いたとされる。
 千田教授によると、江戸始図は城の輪郭が黒い線で明確に示され、石垣や堀、出入り口などの構造が描写されている。本丸の内部は、大天守と複数の小天守を、石垣上に建てられた長屋「多聞櫓」でつなぎ、四方を囲む厳重なつくり。本丸南側には、城壁を互い違いにする「連続外枡形」という複雑な形態の出入り口を備えていたことが初めて判明した。

 「江戸始図」に描かれた江戸城本丸。城の輪郭が黒い線で明確に示されている(松江歴史館提供)
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◇ 戦いに適した機能
 中井均滋賀県立大教授(日本城郭史)の話 「江戸始図」は、東京都立中央図書館の「慶長江戸絵図」と位置関係などの特徴が酷似しており、同時期のものと考えて間違いないだろう。2枚の絵図からは、徳川家康が将軍としての権威を示し、戦いに適した機能を江戸城に備えたことがうかがえる。現在の江戸城跡(皇居)は家康が築いた頃とは大きく姿を変えており、記録も少ない。絵図が実際に描かれた時期については今後検証が必要だが、当時の構造を知る重要な手掛かりになるのではないか。

http://www.sankei.com/photo/story/news/170208/sty1702080013-n1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1486555692/http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1486554408/続きを読む
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1: ニカワ ★ 2017/02/05(日) 04:46:27.98 ID:CAP_USER9
戦国大名と天下

 ときは戦国、下克上の乱世。荒くれ武将たちは我先に天下取りを志して……と思いきや、とりあえず天下はおいておいて、我が道を行く戦国大名も意外に多かったようだ。では、何に目を向けていたのか。

■アジアに視線

 日本列島で群雄が割拠し、英傑がきら星のごとく輩出した戦国時代。信長しかり、秀吉、家康しかり。守護大名から戦国大名へと移り変わっていく有力武将らにとっても、天下を制することは究極のゴールだったはずだ。ところが、その熱意を海の向こうに注いだ者たちがいた。めざすは対外貿易が生む富である。

 「天下統一に動いた大名は、むしろ少数派ではなかったか。アジア的な視野と価値観で活躍した者たちがいた事実は、あまり語られてこなかった」。名古屋学院大の鹿毛敏夫教授は、そんな彼らを「アジアン戦国大名」と名付けた。

 代表格は中国地方に勢力を張った大内氏だろう。中央に食い込み、本拠地の山口には雅(みやび)な京文化が栄えた。原動力は室町政権期から培われた対朝鮮、対明交易だ。

 大内氏は倭寇(わこう)鎮圧を足がかりに朝鮮と通交する一方、室町政権への強い影響力を駆使して遣明船を経営し、珍奇な舶来品を求めて勘合貿易に乗り出す。国際貿易港の博多を押さえ、商人や禅寺ともパイプを持った。足利幕府が所持し戦乱で失われたとみられる「日本国王之印」の木製模造品すら持っていた。

 しかも自らを百済王の後裔(こうえい)とするほどの“国際派”。九州大の伊藤幸司准教授は「九州など列島周辺部で海外にルーツを持つと主張する勢力は、そう珍しくない。海外を意識するかしないか。西国と東国はそこが決定的に違った」と指摘する。

■海外貿易に注力

 一方、ノウハウに乏しい地方大名たちも、あの手この手で巨利を生む海外貿易に絡もうとした。肥後(熊本)南部の相良氏も遣明船派遣を試みているし、信仰に支えられたキリシタン大名らも海外貿易に無関心ではいられなかったようだ。

 北部九州に覇を唱えた大友宗麟も遣明船や南蛮貿易に熱心で、カンボジアとも通交した。おひざ元の豊後府内(大分市)は中国人や西洋人らでにぎわい、発掘調査ではタイ、ベトナム、ミャンマーなど東南アジアの陶磁器も目立つ。当時、明は国を通しての交渉しか認めていなかったが、「認められれば正規の朝貢貿易をし、拒否されれば南方で密貿易、という倭寇的な性格さえあった。でも、本人たちにダークな密貿易をやっている意識はなかったでしょうね」と鹿毛さん。

■「自分は実力者」宣伝

 そんな大名たちが盛んに励んだのが外国向けのプロパガンダ。天下人とは言わないまでも、それに匹敵する実力者だと喧伝(けんでん)し、貿易を有利に進めようとしたのである。

 「日本九州大邦主」と呼ばれた大友氏などある程度成功したようで、西洋の地図には「BVNGO」や「Bungo」の文字がすり込まれた。タイと接触した肥前の松浦氏は自領を「日本平戸国」と称したし、本土最南端を押さえる薩摩(鹿児島)の島津氏もカンボジア国王への書状で自分が九州全域を手中に収めていると力説した。巨利を得るのに多少のはったりなど問題ではなかったのだ。

 だが、西国大名の活躍も、全国統一が進むにつれて終焉(しゅうえん)を迎える。伊藤さんは「統一政権の登場は自由貿易から管理貿易へ向かわせた。日本ばかりでなく、明清交代期の中国など東アジア全体で終息していくようです」という。

 ちっぽけな島国の「天下統一」などには目もくれず、世界を相手に船出した戦国武将たち。まさに戦う国際派ビジネスマンのはしり、といえないか。(編集委員・中村俊介)

■朝鮮交易、対馬が存在感

 朝鮮王朝との対外交渉で忘れてならないのが対馬の宗氏。対馬は日朝両国を隔てる海上に浮かび、朝鮮との交易で潤う宗氏にとって国際交流の安定は生命線だった。

 外交文書を偽造してまで蓄積した豊かなノウハウは、貿易を志す大名たちの垂涎(すいぜん)の的。豊臣秀吉の朝鮮出兵で途絶えた日朝外交の復活に大きな役割を果たした陰の立役者だ。いまも当時の外交を詳細に記した膨大な「宗家文書」が残る。

http://www.asahi.com/articles/ASK21416KK21UCLV004.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1486237587/ 続きを読む
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20170124205011
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/01/28(土) 10:46:50.87 ID:tQcHxS02d
教授「坂本龍馬は歴史学的に見ると何もしてない」

ソースは林修の今でしょ講座での本郷和人教授
伊達政宗が勝った大きな戦は摺上原の戦いくらいらしい
もっと大きな合戦に勝ってるイメージだったわ
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1485568010/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/01/25(水)18:38:56 ID:VCV
物量に劣る武田がぼろ負けしただけでなんも珍しくない気がするんやけど
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420: 名無し三等兵 2011/10/07(金) 08:13:40.56 ID:???
雑兵物語には「敵地の井戸には糞が入れられてるから飲むな」とかあったな
ぞうひょうものがたり ざふひやう- 【雑兵物語】
兵法書。二巻。作者未詳。1683年以前の成立,1846年刊。雑兵三〇人が東国方言で体験談を語る体裁で,その心得を平易に説く。江戸初期の口語資料として重要。
http://www.weblio.jp/content/%E9%9B%91%E5%85%B5%E7%89%A9%E8%AA%9E 
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