(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 幕末

1: アザラシ伍長 ★ 2017/06/15(木) 23:43:57.33 ID:CAP_USER9 BE:163221131-PLT(33337)
 坂本龍馬(1836~67)が兄・権平の家族に宛てた手紙が新たに6枚見つかった。高知県が15日、明らかにした。龍馬が幕府側に襲撃された寺田屋事件や、幕府と長州の戦争を生々しく記述。文中には西郷隆盛(吉之助)や小松帯刀、高杉晋作など維新の志士たちの名前も登場する。

 県などによると、6枚の手紙はいずれも縦25センチで、幅は30センチ前後。龍馬が1866(慶応2)年の旧暦12月4日に記した。手紙の存在は写本で知られ、原本の一部も見つかっていたが、この6枚は初めて原本が確認された。6枚は手紙全体の4割に相当する部分だという。

 手紙の1枚目は寺田屋事件について記述。66年に京都の寺田屋にいた龍馬が幕府側に襲撃された事件で、龍馬は負傷しながら薩摩藩邸に逃れたとされる。手紙には薩摩藩の小松帯刀や西郷隆盛と語り合い、笑ったことなどが書かれている。

 手紙の3枚目は、寺田屋事件と同じ年にあった幕府と長州の戦争を描写している。長州藩の高杉晋作が錦ののぼり旗を振って指示を出したり、味方に酒を振る舞って戦意高揚を図ったりする様子などが書かれている。
(以下有料記事)

朝日新聞デジタル 2017年6月15日23時01分
http://www.asahi.com/articles/ASK6H7HZTK6HPTFC01B.html

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1497537837/続きを読む
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1: 名無しさん@涙目です。(東京都)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/06/11(日) 21:50:00.01 ID:OScYLnAq0 BE:878978753-PLT(12121) ポイント特典
「二刀流、剣術、生き様…」総合力はこの剣士だ

服部武雄(はっとり たけお)は、その並外れた体格と豪腕を生かし、当時でも珍しかった「二刀流」を自在に操る達人です。
のちに彼は「新選組の内部抗争」により命を狙われますが、そのときは自分ひとりで30人を相手に死闘を繰り広げたといわれています。
二十数カ所を斬られ絶命するまでに、10人以上の相手を負傷させ、死してなおその顔色はまるで生きているかのようだったとも語り伝えられています。
(慶応3年11月18日、内部抗争により京都油小路にて謀殺 享年36)

幕末のヒーローとして絶大な人気を誇る新選組。その人気の秘密は、何といっても隊士たち個々の魅力的なキャラクターにある。
そして、時代に逆らい、滅びゆく江戸幕府に殉じた彼らの「美学」は、私たち現代人の心を今なお強く揺さぶり続ける。

ところで、新選組といえば剣の使い手ぞろいとして知られるが、数ある隊士のなかでも「最強」の名にふさわしい人物は、いったい誰なのだろうか。

「日本史を学び直すための最良の書」として、作家の佐藤優氏の座右の書である「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計20万部のベストセラーになっている。

本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、「新選組最強の剣士」を解説する。

http://toyokeizai.net/articles/-/174616?page=3
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1497185400/続きを読む
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1: ばーど ★ 2017/06/03(土) 23:03:05.59 ID:CAP_USER9
幕末の志士、坂本龍馬が寺田屋事件(1866年)で幕府側に襲撃された後、かくまわれた「薩摩藩伏見屋敷」の絵図が見つかり、京都市伏見区の神社「城南宮」が3日、発表した。
屋敷は1868年の鳥羽伏見の戦いで焼けた。敷地の広さや建物の配置、間取りなどが初めて明らかになった。

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発見された「薩摩藩伏見屋敷」の絵図=城南宮提供・共同

京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「歴史が動いた舞台の詳細が分かる貴重な資料」と評価。「龍馬は屋敷の北東、管理者がいた部屋の周辺に担ぎ込まれたのではないか」と推測する。

寺田屋事件は、薩長同盟を取り持った龍馬を伏見奉行所の役人が襲撃。負傷した龍馬は材木小屋に身を隠し、薩摩藩が救出、屋敷に運び込んだ。
幕府側が龍馬を引き渡せと迫ったが、薩摩藩が拒否、両者の亀裂が決定的になったという。

城南宮などによると、絵図は江戸中期の1786年、改築工事などのために作られたとみられ、縦約1メートル、横約1.3メートル。
敷地は南北99メートル、東西64メートルで、間取りや配置はほぼそのままだった可能性が高い。

今年4月、城南宮の宮司が古書店で発見、購入した。絵図は4日から城南宮で、7月25日から同博物館で公開する。〔共同〕

配信 2017/6/3 21:38
日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H4T_03062017CC1000/
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1496498585/続きを読む
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1: イセモル ★ 2017/05/30(火) 18:57:38.16 ID:CAP_USER9
幕末の1867(慶応3)年、佐賀藩祖・鍋島直茂の没後250年を記念して佐賀市の松原神社で催された祭りを撮影したとみられる4枚の写真が見つかった。三味線を演奏しながら参道を練り歩く行列や大きな屋根のついた山車(だし)、見物客など佐賀城下のにぎわいを捉えている。江戸時代に佐賀城下で撮られた屋外写真が確認されたのは初めて。写真を所蔵する公益財団法人鍋島報效会の富田絋次主任学芸員は「佐賀藩の科学技術力の先進性を裏付ける発見」と話す。

鍋島家が2000年、鍋島報效会に1万点近くの写真を寄贈していた。報效会が今回、佐賀市松原の徴古館で開く企画展の準備をする中で江戸時代の写真を発見した。250年祭の様子を描いた版画「直茂公二百五十年祭礼図」(佐賀県立図書館所蔵)などと照合した結果、描かれた建物や鳥居、のぼり旗などの特徴が一致したことから、二つは同じ祭りと判断した。

撮影者は不明。幕末期に西洋科学技術などを研究する佐賀藩精錬方で写真やカメラを研究していたことから、精錬方の技術者や鍋島家の周辺人物である可能性が高いという。佐賀藩の写真では藩士が藩主を写した鍋島直正の肖像写真(1859年)が知られている。

*****
引用ここまで
全文は下記よりお願いします
http://www.saga-s.co.jp/sp/news/saga/10101/433603
SAG2017053099000141_id1_20170530080044
今回初めて確認された江戸時代の佐賀城下を収めた写真。1867年の直茂公250年祭礼での松原神社参道の様子=公益財団法人鍋島報效会所蔵(画像を加工し鮮明にした)
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1496138258/続きを読む
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1: アザラシ伍長 ★ 2017/05/28(日) 18:25:02.66 ID:CAP_USER9 BE:163221131-PLT(33337)
新選組結成前の名簿発見 60代浪士2人 妻子持ちも

「浪士姓名簿」(東京大法学部蔵)の一部。土方歳三や沖田総司の名が見える1/1枚
 幕末の京都で新選組の前身となった浪士組235人分の出身地や年齢、家族構成が記された詳細な名簿が、東京大法学部に保存されていることが28日、歴史研究家への取材で分かった。妻子を持った40代以上の者も多く、中には60代の浪士も。動乱の時代に立身出世を夢見た新選組の原点が垣間見える。

 見つかったのは「浪士姓名簿」と題された冊子で、これまで一部の存在しか知られていなかった。幕府の呼び掛けで江戸に集まった者の身上書を基に、浪士組取締役だった旗本が一覧を記したものとみられる。

 後に新選組幹部となる沖田総司や永倉新八、藤堂平助が近藤勇の道場に同居し、山南敬助が門人の家に間借りしていたことが分かる。

 父母や妻子の記載がなく、独り身とみられるのは80人足らず。63歳が2人おり、「孫」「祖母、母、妻子六人」「父母、兄弟十人」など多くの家族を抱える者もいた。

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「浪士姓名簿」(東京大法学部蔵)の一部。土方歳三や沖田総司の名が見える

産経ニュース 2017.5.28 16:43
http://www.sankei.com/smp/life/news/170528/lif1705280038-s1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1495963502/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/04/10(月)08:01:59 ID:cTZ
そら朝敵の汚名も不可避ですわ

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1: きつねうどん ★ 2017/03/29(水) 12:17:04.11 ID:CAP_USER
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 前橋市は3月28日、米国の個人宅で見つかった短刀が、1876(明治9)年に群馬から米国に運ばれた吉田松陰(1830~1859年)の「短刀」と判定されたと発表した。

 短刀はカリフォルニア州バークレーに住むティム新井さんが持っていた。ティムさんは2012年、群馬県立歴史博物館などが松陰の短刀を探していることを知り、所有する4本の刀の内3本の写真を送り協力したが該当しなかった。

 残りの1本。2015年4月、映画「楫取素彦物語」の桜井顕監督がティムさん宅を訪れた際、短刀の茎(なかご)に刻まれた「国益」の文字に着目。「これが松蔭の短刀ではないか」ということになり、昨年8月、ティムさんが日本に運んだ。短刀は検疫などを経て12月に前橋。調査の結果、群馬から米国に運ばれた松蔭の短刀と判明した。「国益」は中世(15~6世紀)の名匠。

 この短刀は松陰の妹で初代群馬県令、楫取素彦の妻、寿(ひさ)が松蔭の形見として譲り受けたもので「形見の短刀」と呼ばれる。

 寿は1876(明治9)年、生糸の輸出販路開拓を目的に渡米する新井領一郎(上州=群馬)に短刀を渡す。驚く領一郎に寿は「この品には兄の魂が込められているのです。その魂は兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができるのです」と語ったといわれる。

 前橋市ではこの発見を記念し3月31日、前橋文学館(前橋市千代田3)でティムさん、楫取能彦さんを迎え講演会を開くとともに、短刀を一般公開する。

 講演会の開催時間は13時~。事前予約が必要。予約は前橋文学館(TEL 027-235-8011)で受け付ける。短刀の一般公開は9時~17時。水曜休館(5月3日は開館)。5月7日まで。

http://takasaki.keizai.biz/headline/2940/
http://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1490757424/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/femnewsplus/1490704074/ 
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1: パイルドライバー(愛知県)@\(^o^)/ [US] 2017/03/20(月) 19:28:49.82 ID:SqkmtDXb0● BE:544270339-PLT(13000) ポイント特典
<幕末の動乱と明治維新>第8回~クーデターで政権樹立

倒幕の密勅

 徳川慶喜が大政奉還を朝廷に申し出た1867年11月9日、「倒幕の密勅」が出されていました。
これは公家の岩倉具視ともみらが画策した、「賊臣慶喜」を「殄戮てんりく 」(殺害)せよと命じる詔書です。
朝廷の会議も天皇の裁可も得ていない「偽勅」でした。

 天皇側近である議奏ぎそう(宮中の業務を統括する職務)の正親町おおぎまち三条さんじょう実愛さねなるから、
長州藩の広沢真臣さねおみと薩摩藩の大久保利通に手渡されました。
京都出兵をためらっていた薩摩藩主と重臣たちに出兵を促す狙いがあったとされます。

 朝廷は大政奉還を受けながら、これまで通り、慶喜に「庶政を一切委任」します。
慶喜は、19日には征夷大将軍の辞表も提出しました。
しかし、混乱をきたした朝廷は、諸侯が上京するまで待つよう指示するだけです。諸侯会議はなかなか開かれず、政権に空白が生じます。

 一方、幕府内では「政権返上」の取り消し要求が噴出し、会津・桑名など佐幕諸藩は、薩摩藩への反感を募らせます。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/history/20170309-OYT8T50042.html
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1490005729/ 続きを読む
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