(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。歴史関係のスレ(ほぼなんj)をまとめています。良かったらご覧ください。

カテゴリ: 幕末

1: 樽悶 ★ 2018/10/09(火) 22:21:26.43 ID:CAP_USER9
戊辰戦争について語る(左から)宗像、稲川両館長、道迫学芸員
181007news10

 戊辰戦争に関わりが深い会津、越後、長州の3地域によるフォーラムが6日、新潟市で開かれた。パネリスト3人がそれぞれの立場から歴史認識について意見を交わした。

 會津藩校日新館(会津若松市)の宗像精館長、東軍として戦った長岡藩士河井継之助を顕彰する河井継之助記念館(新潟県長岡市)の稲川明雄館長、西軍の主力となった長州藩があった山口県萩市の萩博物館、道迫(どうさこ)真吾主任学芸員がパネリストを務めた。

 戊辰戦争に突入した理由について宗像氏は、会津藩には将軍家への忠義を尽くそうとする「愚直さ」があったとし、稲川氏はやむなく戦わざるを得なかった会津藩に対して同情する武士的な「教養」が長岡藩にあったと解説した。道迫氏は会津藩などに「武士の生きざまを貫き通す意味で敬意を表さざるを得ない」とした上で、当時の国際情勢を意識した長州藩は「変化に柔軟だった」と指摘した。

 また会津若松、萩両市の共通性として、先人の思いや伝統的な規範意識を子どもたちの教育に生かしていることが示された。

 道迫氏は「地元では歴史への関心が薄れている。しっかりと歴史に向き合うよう市民に伝えたい」、宗像氏は会津と長州の関係について「歴史は消すことはできない。仲良くはできても、仲直りはできない」としつつも「互いの立場を推し量ることが大切だ」と話した。

福島民友 2018年10月07日 12時00分
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20181007-313962.php
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1539091286/続きを読む

1: ばーど ★ 2018/09/27(木) 05:57:45.73 ID:CAP_USER9
幕末の「四賢侯」と呼ばれた(左から)松平春嶽、島津斉彬、山内容堂、伊達宗城について語るパネリストたち=福井市のハピリンで
PK2018092502100199_size0

 幕末期にそれぞれ藩主を務め、後に当代の「四賢侯(しけんこう)」と称された福井藩主の松平春嶽ら四人に焦点を当てた初めての「四賢侯シンポジウム」が二十三日、福井市のハピリンで開かれた。福井、鹿児島、高知、愛媛の四県から研究者が集い、四人の結び付きや歴史的な役割について掘り下げた。

 四賢侯は、春嶽のほか、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)、土佐藩主・山内容堂、宇和島藩主・伊達宗城(むねなり)の四人。県が幕末明治福井150年博の一環として企画した。

 「四賢侯は昭和になって一般化した」と話したのは、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の時代考証を担当する東京学芸大の大石学教授。講演の中で「四賢侯」の言葉は司馬遼太郎の小説に登場し広まった、と説明。四人は幕府に味方する佐幕、その逆の討幕のどちらでもない「中間的な公武合体派。うまくいかなかったが、(国内の)被害をできるだけ抑えて、近代にという思想だった」と述べた。

 四県の研究者によるパネル討論では人柄などに話が及んだ。福井市教委文化財保護課の田中伸卓さんは「春嶽は人の意見をよく聞いて考えを変えていけた。誠実で真面目でもあった」と評価した。

 その春嶽は容堂と仲が良かった。「容堂は酒好きで豪快。でも潔癖性で人が触れたものを触るのは嫌だった」と高知県立高知城歴史博物館の藤田雅子課長。酒の飲めない春嶽に「『下戸先生』とあだ名をつけたが、大好き。政事総裁職の春嶽を支えた」と話した。

 鹿児島大の佐藤宏之准教授は、斉彬を「海外に目を向け、先進的な知識をどんどん取り入れた」。愛媛大の胡(えべす)光教授は、宗城に関して「四賢侯で最もマイナーな存在。情報収集に長け調整役の人だった。容堂と交わした手紙に酒の話がたくさん出てくる」と解説した。

 コーディネーターを務めた大石教授は「四人は自由にものを言った人たち。今回が四賢侯をさらに研究する第一歩になれば」と話していた。 (尾嶋隆宏)

2018年9月26日
中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20180926/CK2018092602000013.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1537995465/続きを読む

1: 樽悶 ★ 2018/09/09(日) 16:36:05.80 ID:CAP_USER9
ゲームでの忍者の扱われ方について述べる吉丸さん(佐賀県嬉野市の市公会堂で)
20180909-OYT1I50008-L
基調講演に聴き入る参加者ら
20180909-OYT1I50008-L

 国際忍者学会の第2回大会が8日、佐賀県嬉野市の市公会堂で「幕末の忍者」をテーマに開かれた。三重大を始め全国の学者や観光関係者ら約70人が出席。「佐賀戦国研究会」代表の深川直也さんが、「佐賀藩における忍者」と題して基調講演し、最近の研究で発見された“佐賀忍者”について語った。

 学会は、全国初の「忍者・忍術学講座」を設けた三重大の主導で、今年2月に発足。従来は学問の対象にならなかった「忍者」を、会員たちが実像と虚像(フィクション)両面から多角的に研究している。設立総会は伊賀市で開かれ、今回は忍者を通じてまちおこしに取り組む嬉野市が、会場に選ばれた。

 深川さんは6年前に研究会を創設。昨年、山田雄司・三重大教授らとの共同研究で、佐賀に残る忍者の“足跡”を発見した。講演では、武将・空閑(くが)光家が筑前・安楽平(あらひら)城攻めで忍びの者を使ったことや、佐賀藩祖・鍋島直茂が忍びを運用した事例を紹介した。

 また、嬉野に住んで忍法を極めた山伏・弁慶夢想や、佐賀藩の支藩・蓮池藩の「細作(さいさく)」(忍者)として働いた田原良重、長崎に来航した外国船を2度も情報探索した幕末の蓮池藩士・古賀源太夫らを紹介。「佐賀だけでなく、全国各地に忍者の記録が残っているはず。学会を挙げて忍者の“足跡”を探そう」と呼びかけた。

 この後、三重大准教授の吉丸雄哉さんは、紙とペン、サイコロを使って遊ぶ海外のロールプレイングゲーム(RPG)で、忍者がどう扱われているかを解説。「魔法的なものは少なく、物理的に説明できるリアルな忍術で表現されている」とした。

 ほかに、清川繁人・青森大教授は「早道之者(はやみちのもの)」と呼ばれた弘前藩の忍者について、主に蝦夷地(えぞち)(北海道)のアイヌに対する監視や情報収集に当たったとし、「江戸時代から幕末まで約200年間働いた。弘前市内で忍者屋敷も忍術書も見つかった」と説明した。

 熊本県合志市でマンガミュージアムを営む橋本博さんは、大柿ロクロウ著「シノビノ」(小学館)について、「消えゆく忍者の一人・澤村甚三郎をヒーローに、坂本龍馬をテロリストとして描いた斬新な試み」と紹介。「幕末の忍者を扱った作品は珍しく、この“実験”が成功するか、ラストシーンに注目したい」と述べた。

 大阪大大学院2年、稲本紀佳さんは、忍者の一般的なイメージとして定着した「黒装束」について考察。「歌舞伎で黒装束を着た忍者が登場する演目がいくつもあり、次第に定着した」と主張した。(山本哲生)

読売新聞 2018年09月09日 13時24分
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180909-OYT1T50019.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1536478565/続きを読む

↑このページのトップヘ