(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 幕末

1: 名無しさん@おーぷん 2017/04/10(月)08:01:59 ID:cTZ
そら朝敵の汚名も不可避ですわ

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1: きつねうどん ★ 2017/03/29(水) 12:17:04.11 ID:CAP_USER
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 前橋市は3月28日、米国の個人宅で見つかった短刀が、1876(明治9)年に群馬から米国に運ばれた吉田松陰(1830~1859年)の「短刀」と判定されたと発表した。

 短刀はカリフォルニア州バークレーに住むティム新井さんが持っていた。ティムさんは2012年、群馬県立歴史博物館などが松陰の短刀を探していることを知り、所有する4本の刀の内3本の写真を送り協力したが該当しなかった。

 残りの1本。2015年4月、映画「楫取素彦物語」の桜井顕監督がティムさん宅を訪れた際、短刀の茎(なかご)に刻まれた「国益」の文字に着目。「これが松蔭の短刀ではないか」ということになり、昨年8月、ティムさんが日本に運んだ。短刀は検疫などを経て12月に前橋。調査の結果、群馬から米国に運ばれた松蔭の短刀と判明した。「国益」は中世(15~6世紀)の名匠。

 この短刀は松陰の妹で初代群馬県令、楫取素彦の妻、寿(ひさ)が松蔭の形見として譲り受けたもので「形見の短刀」と呼ばれる。

 寿は1876(明治9)年、生糸の輸出販路開拓を目的に渡米する新井領一郎(上州=群馬)に短刀を渡す。驚く領一郎に寿は「この品には兄の魂が込められているのです。その魂は兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができるのです」と語ったといわれる。

 前橋市ではこの発見を記念し3月31日、前橋文学館(前橋市千代田3)でティムさん、楫取能彦さんを迎え講演会を開くとともに、短刀を一般公開する。

 講演会の開催時間は13時~。事前予約が必要。予約は前橋文学館(TEL 027-235-8011)で受け付ける。短刀の一般公開は9時~17時。水曜休館(5月3日は開館)。5月7日まで。

http://takasaki.keizai.biz/headline/2940/
http://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1490757424/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/femnewsplus/1490704074/ 
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nigaoe_komatsu_kiyokado_tatewaki
1: パイルドライバー(愛知県)@\(^o^)/ [US] 2017/03/20(月) 19:28:49.82 ID:SqkmtDXb0● BE:544270339-PLT(13000) ポイント特典
<幕末の動乱と明治維新>第8回~クーデターで政権樹立

倒幕の密勅

 徳川慶喜が大政奉還を朝廷に申し出た1867年11月9日、「倒幕の密勅」が出されていました。
これは公家の岩倉具視ともみらが画策した、「賊臣慶喜」を「殄戮てんりく 」(殺害)せよと命じる詔書です。
朝廷の会議も天皇の裁可も得ていない「偽勅」でした。

 天皇側近である議奏ぎそう(宮中の業務を統括する職務)の正親町おおぎまち三条さんじょう実愛さねなるから、
長州藩の広沢真臣さねおみと薩摩藩の大久保利通に手渡されました。
京都出兵をためらっていた薩摩藩主と重臣たちに出兵を促す狙いがあったとされます。

 朝廷は大政奉還を受けながら、これまで通り、慶喜に「庶政を一切委任」します。
慶喜は、19日には征夷大将軍の辞表も提出しました。
しかし、混乱をきたした朝廷は、諸侯が上京するまで待つよう指示するだけです。諸侯会議はなかなか開かれず、政権に空白が生じます。

 一方、幕府内では「政権返上」の取り消し要求が噴出し、会津・桑名など佐幕諸藩は、薩摩藩への反感を募らせます。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/history/20170309-OYT8T50042.html
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1490005729/ 続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/03/19(日) 05:16:22.41 ID:7UOR2/gy0
すぐにオワコンになるなんて
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1489868182/ 続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/23(木) 20:59:04.78 ID:2J90CCJw0
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もちろん、歴史学者が書いた本じゃなくて専門外の人たちが書いた本ばかりなんだが
薩長は残虐なテロリストで明治維新は間違いだらけ、洗脳なんだとさ

納得いかん
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1487851144/ 続きを読む
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1: ニカワ ★ 2017/02/02(木) 06:36:42.52 ID:CAP_USER9
土佐藩士吉田東洋が安政地震の様子をつづった漢詩「大震行」(高知県立歴史民俗資料館提供)
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 土佐藩の改革を推し進めた藩士吉田東洋(1862年暗殺)が、54年12月の安政地震を体験した様子をつづった漢詩など新史料10点が、高知県南国市の県立歴史民俗資料館の保管史料の中から見つかった。野本亮学芸課長は「大津波が訪れる前の描写が非常に細かく、地震学的な面からも参考になるところが多いのでは」と分析。同館で29日から公開されている。

 新たに見つかったのは漢詩2点と教本2点、直筆の手紙6点の計10点。昨年、企画展の準備のため、過去に寄贈されていた史料を再調査する中で発見されたという。

 安政地震の直後に書いたとみられる「大震行」(縦125センチ、横55センチ)と題された漢詩には、「海底は墨をひっくり返したように濁る」「干満の動きは急である」など津波前の様子を記したとみられる部分や、「圧死者と焼死者が丘のように積み重なっている」などの趣旨が記され、太平洋に面した高知市長浜で体験した被害の状況を生々しく伝えている。

 当時、東洋は土佐で閉居中の身だった。詩には藩政の在り方に言及する一節もあり、野本課長は「東洋の非常に細かい性格とともに、政治の世界に復活しようとする内面が読み取れる貴重な史料だ」と話している。

 1854年の安政地震は東南海(東海も含む)の32時間後に南海地震が発生。内閣府の調査によると、一連の地震で数千人が犠牲になったとされる。

 新史料は5月10日まで、同館の企画展「幕末の土佐 書跡にみる人物群像」で公開される。

http://www.sankei.com/west/news/170129/wst1701290061-n1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1485985002/ 続きを読む
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kurofune
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/01/14(土) 04:29:25.53 ID:4JAjBRIGa
桂小五郎
三条実美
由利公正
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1484335765/続きを読む
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