(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 幕末

1: 記憶たどり。 ★ 2017/07/25(火) 11:29:15.29 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170725-00000002-wordleaf-soci

静岡県島田市の初倉地区で、坂本龍馬を暗殺したとされる旧幕臣、今井信郎を顕彰する取り組みが行われている。折しも今年は、坂本龍馬が京都・近江屋で暗殺されて150年。全国で坂本龍馬展が開催される中、同地区では今井信郎を顕彰するのはなぜなのだろうか。

牧之原台地の一角に位置する島田市初倉地区。あたり一面に緑色の茶畑の絨毯が
広がる静岡県有数の茶産地だ。幹線道路から外れた、茶畑のはずれにその石碑は
建っていた。

石碑には「今井信郎屋敷跡」の文字が刻まれている。石碑の隣には石積みで囲まれた土地があり、その土地が屋敷母屋の跡のようだ。石碑とは別に今井信郎の経歴を綴った碑も建っている。

碑などによれば、今井信郎は天保12(1841)年10月2日、江戸に生まれ、18歳で剣術家、榊原鍵吉の門に入り、20歳にして免許皆伝。講武所師範代を拝命し、文久3(1863)年には横浜に赴き密貿易の取締役に就任した。慶応3(1867)年、江戸に戻り京都見廻役を拝命、同年11月15日、京都近江屋にて坂本龍馬を同志とともに襲撃、殺害する。戊辰戦争勃発後は衝鉾隊を組織して奥州に転戦、函館五稜郭で敗戦した、とされる。

まさに幕末を幕臣として生きた経歴だが、そんな今井信郎の屋敷がなぜ、静岡の島田市初倉地区にあるのだろうか? 地元で会社経営などのかたわら長年、今井信郎について研究してきた塚本昭一さんは「禁固刑になり、静岡藩にお預けとなり、その後、牧之原に入植したのです」と話す。

静岡藩は第15代将軍、徳川慶喜の家督を継いだ徳川家達が初代藩主となり、廃藩置県により現在の静岡県に至る。維新後、多くの旧幕臣が静岡に移住し、牧之原台地に入植して茶畑を開墾し、今日の茶産業を築いた。坂本龍馬を斬ったとされる今井信郎が維新後、静岡の地に移り、牧之原台地の一角に居を構えたのは、時代の流れとして自然のことだったのかもしれない。

「今井信郎は明治11年に初倉の地に入植し、以来40年間、地域の経済、産業、教育、文化に携わり、学校の創設に尽力し、農協の前身の農事会長を務め、初倉村村長にもなった人。
この地域の近代化のグランドデザインを作った人なのです」と塚本さん。

屋敷跡を示す石碑は、荒れ放題になっていた屋敷跡を地元の有志らが整備し、資金を集めて平成15(2003)年に建てたものだ。今井信郎は大正7(1918)年に78歳で死去、来年が100回忌に当たることから塚本さんらは今秋、100回忌の行事を予定しており、あわせてアララギ派の歌人、今井邦子が今井信郎の息子の妻になることから、今井邦子の歌碑を新たに屋敷跡に建てる予定だという。

こうした取り組みは、塚本さんをはじめとした有志で作るNPO法人「初倉まほろばの会」によって行われ、塚本さんは同法人の理事長を務めている。今井信郎にとどまらず地域の歴史を調べ、ふるさとシリーズとして書籍にまとめている塚本さん。

今井信郎についてはふるさとシリーズ第9編「白雲の魁」にまとめており、こうした書籍等の収益をNPO法人の運用にあてているという。「地域の歴史、文化を発信して多くの人に初倉について知っていただき、そのことが地域おこしにつながれば嬉しい」と塚本さんは話している。

今井信郎の写真。親族が所蔵している写真を塚本さんが親族の許可を得て
複写し保存しているという
20170725-00000002-wordleaf-002-view
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1500949755/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/07/21(金) 21:50:41.38 ID:yGFqcBq60
1851年(嘉永4年) 摂津の利七(当時22歳) サンフランシスコで撮影
C10pNSZUUAIljIZ
https://twitter.com/polipofawysu/status/877651118972583936
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1500641441/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/07/17(月) 23:57:47.36 ID:gixV6TnD0
有能
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1500303467/続きを読む
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1: シャチ ★  2017/07/18(火) 21:58:54.84 ID:CAP_USER9
7/18(火) 21:08配信 時事通信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170718-00000137-jij-soci
 幕末の1864年に京都で長州藩と薩摩・会津両藩が戦った「蛤御門の変(禁門の変)」の頃、
新選組や会津藩士の動向を記録した豪農の日記が発見された。

 新選組の宿営地や出陣状況、当時の京都近郊の村の様子などが書かれている。
国登録有形文化財の長谷川家住宅(京都市南区)を管理する財団が18日、発表した。

 日記は幕末の豪農、長谷川家当主が1871年に亡くなるまで27年間の出来事を記録している。
2015年に発見され、京都女子大非常勤講師の中村武生氏が調査した。

 日記によると、元治元(1864)年6月、長州勢から御所を警護するため、
京都の南の玄関口に当たる旧東九条村に展開した会津藩士と新選組が、
長谷川家と村内の農家に1カ月ほど滞在した。

 日記には「会津様御下宿」「壬生浪士組御下宿」などと書かれ、村内の寺や農家が滞在先になったことや、
混雑で村の行事が中止されたことが記録されている。
蛤御門の変が起きた同年7月19日の項には「新選組立向ひ鉄砲打合」など、
村内で長州勢と戦った様子も記されていた。 
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1500382734/続きを読む
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1: アザラシ伍長 ★ 2017/07/17(月) 09:10:25.39 ID:CAP_USER9 BE:163221131-PLT(33337)
龍馬も通った「岩倉旧宅の正門」初開放 大政奉還150年記念
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国指定史跡「岩倉具視幽棲旧宅」の正門から入った来訪客を出迎える担当者=16日午前、京都市左京区(西川博明撮影)1/1枚

 徳川幕府が政権を返上した「大政奉還」から今年で150年の節目にちなみ、国指定史跡の岩倉具視幽棲旧宅(京都市左京区)で16日、普段は閉鎖している正門を初めて一般開放した。「坂本龍馬も通った正門から入ろう」と題した企画で岩倉具視の命日の20日、23日も開放する。

 旧宅を管理する植彌(うえや)加藤造園(同区)によると、大政奉還前の慶応3(1867)年6月、坂本龍馬や中岡慎太郎が旧宅を訪れ、岩倉に政治の相談を持ちかけた記録が残るという。同社の重岡伸泰さんは「正門を通り、幕末の志士らの気分を体感してほしい」と話す。入場料一般300円。

 一方、ANAクラウンプラザホテル京都(同市中京区)は7日、市民公開イベント「大政奉還で何が起こったか?」を開催。映画「武士の家計簿」の原作者などで知られる歴史家で、国際日本文化研究センター(同市西京区)の磯田道史准教授が解説を行った。

 磯田氏は聴衆約300人を前に、大政奉還の意義を「日本が外国につけ込まれる隙を与えず、全国の兵乱を小さく抑えることができた」と評価。もし大政奉還がなければ「応仁の乱パート2のようなことも起きただろう」と予想していた。

産経WEST 2017.7.17 08:05

http://www.sankei.com/smp/west/news/170717/wst1707170015-s1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1500250225/続きを読む
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http://tug.golf/_ct/16964445
1: 朝一から閉店までφ ★@\(^o^)/2017/06/29(木) 19:51:21.83 ID:CAP_USER
毎日新聞 2017年6月29日 19時15分(最終更新 6月29日 19時21分)
(画像)
板垣退助が購入したルイ・ヴィトンのトランク=高知市立自由民権記念館提供
(画像)
板垣退助が購入したルイ・ヴィトンのトランクについていたタグ=高知市立自由民権記念館提供
https://mainichi.jp/articles/20170630/k00/00m/040/046000c

 仏高級ブランド「ルイ・ヴィトン」のかばんを日本で初めて購入したのは誰か--。この謎に高知県はこれまで、土佐藩士の後藤象二郎と紹介してきたが、さらに3週間早く自由民権運動の指導者、
板垣退助が購入していたことが分かった。板垣を顕彰する「板垣会」の公文豪・副理事長(68)がルイ・ヴィトンジャパン(東京都)を通じてパリ本店に照会して判明した。

 ともに土佐藩士だった板垣と後藤は1882(明治15)年、横浜からフランスの郵船に乗り、香港などを経てパリに到着。その後もロンドンなどを外遊し、翌83年に帰国した。

 公文副理事長によると、ルイ・ヴィトンジャパンの初代社長、秦郷次郎氏が著書の中で、後藤の顧客カードを、写真と共に紹介。これがもとで「後藤が日本人初の顧客だった」との説が広まった。

 しかし、昨年、東京都内であったルイ・ヴィトンの展覧会を機に、公文副理事長が同社を通じて購入記録を照会。記録によると、1883年1月9日に「Itagaki」という人物が、シリアルナンバー「7720」のトランクを購入していることが判明し、
名前とナンバーが、板垣の子孫が保管していたトランクと一致した。この3週間後の同月30日、後藤が二つのトランクを購入した記録があるが、現物が確認されておらず、後藤はこれより前にパリを出発していたという。

 公文副理事長らによると、板垣や後藤よりも8年早い75年、元薩摩藩士でフランス公使の「鮫島尚信」とみられる購入記録もあるが、現物が未発見で、実物で裏付けられる最初の購入者は板垣とみられる。

 板垣のトランクは現在、高知市立自由民権記念館に寄託されている。公文副理事長は「板垣の洋行に関わる第一級の資料だ」と指摘。県観光政策課は「あくまで通説の一つとして『後藤が最初』と説明してきた。新事実をきっかけに幕末や明治維新への関心が高まればいい」としている。【松原由佳】
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1498733481/
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1498737841/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/06/28(水)21:53:44 ID:UGw
なんで東北県がわざわざ幕府とかまもってん?

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1: アザラシ伍長 ★ 2017/06/15(木) 23:43:57.33 ID:CAP_USER9 BE:163221131-PLT(33337)
 坂本龍馬(1836~67)が兄・権平の家族に宛てた手紙が新たに6枚見つかった。高知県が15日、明らかにした。龍馬が幕府側に襲撃された寺田屋事件や、幕府と長州の戦争を生々しく記述。文中には西郷隆盛(吉之助)や小松帯刀、高杉晋作など維新の志士たちの名前も登場する。

 県などによると、6枚の手紙はいずれも縦25センチで、幅は30センチ前後。龍馬が1866(慶応2)年の旧暦12月4日に記した。手紙の存在は写本で知られ、原本の一部も見つかっていたが、この6枚は初めて原本が確認された。6枚は手紙全体の4割に相当する部分だという。

 手紙の1枚目は寺田屋事件について記述。66年に京都の寺田屋にいた龍馬が幕府側に襲撃された事件で、龍馬は負傷しながら薩摩藩邸に逃れたとされる。手紙には薩摩藩の小松帯刀や西郷隆盛と語り合い、笑ったことなどが書かれている。

 手紙の3枚目は、寺田屋事件と同じ年にあった幕府と長州の戦争を描写している。長州藩の高杉晋作が錦ののぼり旗を振って指示を出したり、味方に酒を振る舞って戦意高揚を図ったりする様子などが書かれている。
(以下有料記事)

朝日新聞デジタル 2017年6月15日23時01分
http://www.asahi.com/articles/ASK6H7HZTK6HPTFC01B.html

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1497537837/続きを読む
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