(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 幕末

1: ばーど ★ 2018/03/17(土) 15:53:12.15 ID:CAP_USER9
 幕末の雄藩だった佐賀県で17日、今年の明治維新150年を記念した「肥前さが幕末維新博覧会」が開幕した。卓越した技術力で近代化をけん引した佐賀藩の歴史を振り返るとともに、文化や食といった現代の多彩な魅力を発信する。来年1月14日まで。

 佐賀藩は、江戸時代にオランダとの貿易拠点だった出島(長崎市)の警備を任されており、西洋の科学技術をいち早く取り入れて国内初の鉄製大砲や実用蒸気船を造った。元首相で早稲田大創立者の大隈重信や、日本赤十字社の前身を創設した佐野常民ら、多くの偉人も輩出した。

 佐賀市では、佐賀城跡近くのメイン会場「幕末維新記念館」で、10代藩主・鍋島直正らの功績を最新の映像技術を駆使して紹介。大隈や明治新政府で初代司法卿(現在の法相)を務めた江藤新平らが学んだ藩校「弘道館」を体験できる施設や、人間国宝の手による有田焼などの器や地元食材を堪能できるレストランを設けた。このほか県内各地で、関連イベントが行われる。

 開幕式には維新を進めた薩長土肥(鹿児島、山口、高知、佐賀)の4知事が集結。鹿児島県の三反園訓知事から「薩摩は佐賀を模範に近代化を歩んだ」と持ち上げられると佐賀県の山口祥義知事は「鹿児島がここまで認めてくれた。歴史的な話だ」と笑った。〔共同〕

明治維新150年を記念した「肥前さが幕末維新博覧会」の開幕式に集まった薩長土肥4県の知事(17日午前、佐賀市)=共同
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2018/3/17 11:11
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28269530X10C18A3ACX000/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1521269592/続きを読む

1: ばーど ★ 2018/03/07(水) 07:08:13.76 ID:CAP_USER9
明治維新から150年を記念するイベントがあちこちで行われている。しかし維新から近代日本の歩みは、単純にたたえられる部分だけでできているわけではない。歴史とどう向き合っていくべきか、改めて考えたい。

「明治150年」。北海道から沖縄まで、いま全国でこの言葉が飛び交っている。維新から150年を記念して、国や地方のイベントがあちこちで開催されているのだ。内閣官房「明治150年」関連施策推進室によれば、イベントの数は実に2008件。国が音頭を取っているが、明治維新で功績のあった「薩長土肥」4藩に由来する県が中心で、もっとも多いのは安倍晋三首相のおひざ元、山口県(長州)で175件。明治政府から「賊軍」とされた、奥羽越列藩同盟に由来する県は少ない。賊軍とされた旧会津藩の福島県会津若松市が掲げるのは「戊辰戦争150周年」だ。

「親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ 何ときくらん」

 山口県萩市。萩市立明倫小学校(児童数679人)では毎朝8時20分、子どもたちの元気な声が聞こえる。

 朗唱しているのは、幕末の思想家、吉田松陰が書き残した「ことば」だ。

 同校の椿義憲(つばきよしのり)校長(60)は言う。

「松陰先生の教えの根本は、人は誰でもよさがある。人に対しては真心をもって当たるよう説いている。その当たり前のことを、当たり前にできる子どもに育ってほしい」

 同校は江戸時代の長州藩藩校「明倫館」の流れをくむ。朗唱は1981年から始まった。子どもたちは入学すると1学期ごとに、一つのことばを朗唱していく。先のことばは、1年生が3学期に朗唱する。その意味は、「子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうがはるかに深い」ということ。

 尊皇攘夷思想で幕末の志士たちに影響を与えた松陰。戦前、「忠君愛国」の象徴的な人物として「修身」の教科書に登場したこともあった。いまは愛国教育というよりは、地域の歴史を踏まえた取り組みとして、県内外からの視察が多い。人材育成の会社を中心に年200人近くが訪れる。

「私どもは教育者としての松陰先生の力を借りているだけです」(椿校長)

 安倍首相は1月の施政方針演説で、明治の先人にならい「国難」を乗り越え、時代を切り開いていこうと呼びかけた。その安倍首相がよく引用して使うのが、吉田松陰の言葉だ。

 安倍首相は15年の施政方針演説でも、吉田松陰がしきりに唱えた「知行合一」という陽明学の言葉を引いてこう述べた。

「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではありません。『行動』です」

 萩博物館特別学芸員で幕末維新研究家の一坂太郎さん(51)によれば、吉田松陰には史実としての松陰と、偶像化された松陰の二つの顔があるという。

「松陰はどの派閥に属したわけでもなく、純真なイメージがつきまといます。そのため偶像化する人たちにとって、利用しやすかった。時の為政者の側だけでなく、二・二六事件を起こした青年将校も日本赤軍の岡本公三も崇敬していたのです」

 薩摩や長州の下級武士たちが封建的な徳川幕府を倒し、富国強兵で新しい近代国家をつくり、欧米列強に対抗して日清、日露戦争で勝利するまでになった──。そんな輝かしい明治の成功体験を下敷きに、首相官邸のホームページは「明治150年」施策の狙いとして、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識すること」を挙げる。

 政治学者で東京大学名誉教授の姜尚中さん(67)は、「明治の精神」についてこう話す。

「端的に言えば、歴史を回顧して往時をしのぶ国家的な行事にとどまるものではなく、日本がどんなにすごい国家なのかというメッセージに尽きます。愛国心の鼓舞とともに国家を中心とした『和魂洋才』のオプティミズム、つまり楽観主義をふりまこうとしているのだと思います」

 しかし、その和魂洋才のオプティミズムを吹き飛ばすほどの悲劇をもたらしたのが、東京電力福島第一原発の事故だった。戦後の負の側面というより、日本近代化の負の側面が現れたと、姜さんは言う。

 原発事故から約2週間後、姜さんは取材でテレビクルーと一緒に福島に入った。その後も何度か訪れている。歩きながら感じたのは、近代国家というものの酷薄さだった。

「背後に国家の影を見ないわけにはいきませんでした。しかもそこに生きた人間が見えず、

※全文はソース先をお読み下さい

2018.3.6 16:00 AERA
https://dot.asahi.com/aera/2018030500017.html?page=1
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1520374093/続きを読む

1: イレイザー ★ 2018/03/04(日) 06:05:34.52 ID:CAP_USER9
 戦国から江戸時代にかけて鉄砲を多く生産した堺で、大規模な戦争がなかった江戸時代後期でも、盛んに鉄砲が作られていたことが、堺市にある鉄砲鍛冶屋敷で見つかった史料で分かった。「平和が続いた江戸時代中期以降、堺の鉄砲産業は斜陽化した」という長年の通説を覆すことになり、堺市の担当者は「外国からの船に備え、海岸線の警備に使ったのではないか」と分析している。

 堺市と関西大が、江戸時代に建てられ、現存する最古の鉄砲の生産現場が残る鉄砲鍛冶屋敷「井上関右衛門(せきえもん)家」(堺市堺区北旅籠(はたご)町西)での共同調査を実施。この中で、17世紀後半から幕末にかけて鉄砲の受注などに関する古文書約1万1700点を精査した。それによると、大名や旗本からの鉄砲の新調の注文は、宝暦2(1752)年は約30丁だったが、その後注文量は増加し、幕末の元治元(1864)年には約230丁に増えたことが確認された。

 さらに古文書のうち、「諸家様方御出入先名前帳(しょけさまがたおでいりさきなまえちょう)」には、天保13(1842)年の堺の鉄砲の取引状況が記載されていた。堺全体で239の大名・旗本から受注があり、このうち井上家が61を占めていたという。

 調査を行った関西大の藪田貫(ゆたか)名誉教授(日本近世史)は「戦はなくても、参勤交代の際に武士は銃を持つなどの用途はあり、新型の銃は次々と開発されたため注文が増えたのでは」と指摘した。

 井上家当主の井上修一さん(74)は「こんなに貴重な資料が出てくるとは思わなかったので、びっくりしている。身を引き締めて後世に伝える努力をしていきたい」と話している。

 井上家ではこのほか、当時の堺の様子などを記した古文書も見つかっており、堺市や関西大はさらに調査を進める。

 ◇

 鉄砲と堺 戦国時代にポルトガルから種子島に伝来後、堺に伝えられ、鉄砲の一大産地となった。港があり、古くから優れた技術者が多かったことなどが背景にあるとされる。井上家は承応2(1653)年に初代が関右衛門を名乗り、鉄砲鍛冶に。伊予・大洲(おおず)藩からの受注などで急成長し、江戸時代後期には全国有数の鉄砲生産量を誇るようになった。

http://www.sankei.com/smp/west/news/180303/wst1803030034-s1.html
wst1803030034-p1
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1520111134/続きを読む

1: イレイザー ★ 2018/02/28(水) 09:30:52.68 ID:CAP_USER9
 幕末、長州藩と薩摩藩が倒幕に向けて協力しようと結んだ「薩長同盟」。今年が明治維新150年にあたることを記念し、その名を冠した清酒が完成した。

 山口大と鹿児島大が共同開発した。鹿児島で山口産の米の種もみを育てて収穫し、山口の酒蔵で醸造した。やや辛口でさっぱりした味わいが特徴だ。

 価格は西暦に合わせて「2018」円にしたが、税別だと明治元年と同じ「1868」円。関係者は「覚えてもらいやすい」と偶然の一致を喜んでいる。

https://www.asahi.com/articles/ASL2Q73K9L2QTZNB012.html
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1519777852/続きを読む

1: ばーど ★ 2018/02/26(月) 12:27:15.54 ID:CAP_USER9
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幕末の志士・坂本龍馬が創設した、日本初の商社兼私設海軍といえば「海援隊」。前身の「亀山社中」は、長州藩と薩摩藩を結びつける役割を果たしたといわれる。だが、最近の研究で、龍馬との関わりは薄かった可能性が高くなっている。

 私たちの知る「亀山社中」と、後身とされる「海援隊」の設立経緯は以下のようだ。

 神戸にあった幕府の海軍操練所が閉鎖されると、土佐浪士だった坂本龍馬は慶応元(1865)年夏、長崎に日本初の商社兼私設海軍「亀山社中」を設立する。

 同年7~10月には、長州藩のために、武器や軍艦(ユニオン号)などの兵器を薩摩藩名義で購入。当時、険悪だった両藩の関係の修復を試みた。

 慶応2年1月には、社中の一員だった近藤長次郎が盟約に反した罪で切腹するものの、同年6月の第2次幕長戦争では、ユニオン号で海戦に参加。その志は慶応3年に設立された商社兼私設海軍「海援隊」に受け継がれたとされる。

■私設海軍の見方「事実誤認」

 だが、専門家からは、こうした通説は再検討すべきとの指摘が出ている。

 明治維新史学会理事を務める、神田外語大学准教授の町田明広さん(幕末維新史)によると、亀山社中の「社中」は「グループ」という程度の意味。「薩摩藩名義で買い上げた軍艦を、薩摩の指示のもとで運航していた土佐の脱藩浪人の集団というのが実態。私設海軍や商社などとするのは事実誤認」

 坂本龍馬との関係も希薄とみる… 残り:1537文字/全文:2121文字

2018年2月26日09時08分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL2P4SDXL2PULZU00K.html?iref=sptop_8_06
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1519615635/続きを読む

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