(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 幕末

1: ばーど ★ 2018/09/27(木) 05:57:45.73 ID:CAP_USER9
幕末の「四賢侯」と呼ばれた(左から)松平春嶽、島津斉彬、山内容堂、伊達宗城について語るパネリストたち=福井市のハピリンで
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 幕末期にそれぞれ藩主を務め、後に当代の「四賢侯(しけんこう)」と称された福井藩主の松平春嶽ら四人に焦点を当てた初めての「四賢侯シンポジウム」が二十三日、福井市のハピリンで開かれた。福井、鹿児島、高知、愛媛の四県から研究者が集い、四人の結び付きや歴史的な役割について掘り下げた。

 四賢侯は、春嶽のほか、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)、土佐藩主・山内容堂、宇和島藩主・伊達宗城(むねなり)の四人。県が幕末明治福井150年博の一環として企画した。

 「四賢侯は昭和になって一般化した」と話したのは、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の時代考証を担当する東京学芸大の大石学教授。講演の中で「四賢侯」の言葉は司馬遼太郎の小説に登場し広まった、と説明。四人は幕府に味方する佐幕、その逆の討幕のどちらでもない「中間的な公武合体派。うまくいかなかったが、(国内の)被害をできるだけ抑えて、近代にという思想だった」と述べた。

 四県の研究者によるパネル討論では人柄などに話が及んだ。福井市教委文化財保護課の田中伸卓さんは「春嶽は人の意見をよく聞いて考えを変えていけた。誠実で真面目でもあった」と評価した。

 その春嶽は容堂と仲が良かった。「容堂は酒好きで豪快。でも潔癖性で人が触れたものを触るのは嫌だった」と高知県立高知城歴史博物館の藤田雅子課長。酒の飲めない春嶽に「『下戸先生』とあだ名をつけたが、大好き。政事総裁職の春嶽を支えた」と話した。

 鹿児島大の佐藤宏之准教授は、斉彬を「海外に目を向け、先進的な知識をどんどん取り入れた」。愛媛大の胡(えべす)光教授は、宗城に関して「四賢侯で最もマイナーな存在。情報収集に長け調整役の人だった。容堂と交わした手紙に酒の話がたくさん出てくる」と解説した。

 コーディネーターを務めた大石教授は「四人は自由にものを言った人たち。今回が四賢侯をさらに研究する第一歩になれば」と話していた。 (尾嶋隆宏)

2018年9月26日
中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20180926/CK2018092602000013.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1537995465/続きを読む

1: 樽悶 ★ 2018/09/09(日) 16:36:05.80 ID:CAP_USER9
ゲームでの忍者の扱われ方について述べる吉丸さん(佐賀県嬉野市の市公会堂で)
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基調講演に聴き入る参加者ら
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 国際忍者学会の第2回大会が8日、佐賀県嬉野市の市公会堂で「幕末の忍者」をテーマに開かれた。三重大を始め全国の学者や観光関係者ら約70人が出席。「佐賀戦国研究会」代表の深川直也さんが、「佐賀藩における忍者」と題して基調講演し、最近の研究で発見された“佐賀忍者”について語った。

 学会は、全国初の「忍者・忍術学講座」を設けた三重大の主導で、今年2月に発足。従来は学問の対象にならなかった「忍者」を、会員たちが実像と虚像(フィクション)両面から多角的に研究している。設立総会は伊賀市で開かれ、今回は忍者を通じてまちおこしに取り組む嬉野市が、会場に選ばれた。

 深川さんは6年前に研究会を創設。昨年、山田雄司・三重大教授らとの共同研究で、佐賀に残る忍者の“足跡”を発見した。講演では、武将・空閑(くが)光家が筑前・安楽平(あらひら)城攻めで忍びの者を使ったことや、佐賀藩祖・鍋島直茂が忍びを運用した事例を紹介した。

 また、嬉野に住んで忍法を極めた山伏・弁慶夢想や、佐賀藩の支藩・蓮池藩の「細作(さいさく)」(忍者)として働いた田原良重、長崎に来航した外国船を2度も情報探索した幕末の蓮池藩士・古賀源太夫らを紹介。「佐賀だけでなく、全国各地に忍者の記録が残っているはず。学会を挙げて忍者の“足跡”を探そう」と呼びかけた。

 この後、三重大准教授の吉丸雄哉さんは、紙とペン、サイコロを使って遊ぶ海外のロールプレイングゲーム(RPG)で、忍者がどう扱われているかを解説。「魔法的なものは少なく、物理的に説明できるリアルな忍術で表現されている」とした。

 ほかに、清川繁人・青森大教授は「早道之者(はやみちのもの)」と呼ばれた弘前藩の忍者について、主に蝦夷地(えぞち)(北海道)のアイヌに対する監視や情報収集に当たったとし、「江戸時代から幕末まで約200年間働いた。弘前市内で忍者屋敷も忍術書も見つかった」と説明した。

 熊本県合志市でマンガミュージアムを営む橋本博さんは、大柿ロクロウ著「シノビノ」(小学館)について、「消えゆく忍者の一人・澤村甚三郎をヒーローに、坂本龍馬をテロリストとして描いた斬新な試み」と紹介。「幕末の忍者を扱った作品は珍しく、この“実験”が成功するか、ラストシーンに注目したい」と述べた。

 大阪大大学院2年、稲本紀佳さんは、忍者の一般的なイメージとして定着した「黒装束」について考察。「歌舞伎で黒装束を着た忍者が登場する演目がいくつもあり、次第に定着した」と主張した。(山本哲生)

読売新聞 2018年09月09日 13時24分
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180909-OYT1T50019.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1536478565/続きを読む

1: 樽悶 ★ 2018/09/02(日) 14:07:55.47 ID:CAP_USER9
初公開される長谷川軍記日記。幕末期の洛南の農村の暮らしが詳述されている(京都市南区・長谷川家住宅)
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 幕末期の東九条村(現京都市南区)の豪農・長谷川軍記が30年近く書き続けた日記が1日~12月2日、南区の国登録有形文化財の長谷川家住宅「長谷川 歴史・文化・交流の家」で公開されている。昨年、新選組の動向を記した新史料として注目された日記で、当時の農村の暮らしぶりも詳述されている。一般公開は初めて。

 日記は、軍記が当主となった1845年から死去した1871年までに書いた計27冊。冊子は縦12センチ、横34センチで1年ごとに記入されている。内容の一部を抜粋したパネルも展示する。

 軍記は農民だが、公家の家来を一時務めていた。日記には侍姿で夜明け前に公家屋敷に出勤したことや、公家と決裂して免職されたことなどが記され、当時の農民と公家の関係性もうかがえる。

 通説では、江戸時代に誕生日を祝う習慣は一般的にはなかったとされるが、毎年自分の誕生日を赤飯で祝ったとの記述もあった。当時、四条橋東詰にあった北座や南座まで芝居見物に出かけたことや、村で悪病よけの踊りが流行したことなども書き残している。

 禁門の変が起きた1864(元治元)年の日記には、東九条村に新選組と会津勢が下宿し洛中に攻め上る長州勢を警戒、撃退したことも記されており、昨年、新史料として注目された。展示では、当時の会津藩兵の軍勢行列図や、下宿の謝礼として会津藩から送られた花鳥図も紹介する。

 展示を監修した伊東宗裕佛教大非常勤講師は「当時の洛南の農村の様子や軍記の人柄も分かる貴重な史料」としている。

 開館は毎週土日・祝日午前10時~午後4時。11月23日休み。大人800円。9月9日、10月14日、11月11日に伊東氏が、10月20日には地元農家田中和久氏がそれぞれ講演する。問い合わせは同交流の家。

京都新聞 2018年09月01日 17時00分
https://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180901000076
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1535864875/続きを読む

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