(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。日本史世界史などの歴史板からまとめています。他にもなんj、vipから歴史関係のスレをまとめています。 良かったらご覧ください。

カテゴリ: 幕末

1: イセモル ★ 2017/05/30(火) 18:57:38.16 ID:CAP_USER9
幕末の1867(慶応3)年、佐賀藩祖・鍋島直茂の没後250年を記念して佐賀市の松原神社で催された祭りを撮影したとみられる4枚の写真が見つかった。三味線を演奏しながら参道を練り歩く行列や大きな屋根のついた山車(だし)、見物客など佐賀城下のにぎわいを捉えている。江戸時代に佐賀城下で撮られた屋外写真が確認されたのは初めて。写真を所蔵する公益財団法人鍋島報效会の富田絋次主任学芸員は「佐賀藩の科学技術力の先進性を裏付ける発見」と話す。

鍋島家が2000年、鍋島報效会に1万点近くの写真を寄贈していた。報效会が今回、佐賀市松原の徴古館で開く企画展の準備をする中で江戸時代の写真を発見した。250年祭の様子を描いた版画「直茂公二百五十年祭礼図」(佐賀県立図書館所蔵)などと照合した結果、描かれた建物や鳥居、のぼり旗などの特徴が一致したことから、二つは同じ祭りと判断した。

撮影者は不明。幕末期に西洋科学技術などを研究する佐賀藩精錬方で写真やカメラを研究していたことから、精錬方の技術者や鍋島家の周辺人物である可能性が高いという。佐賀藩の写真では藩士が藩主を写した鍋島直正の肖像写真(1859年)が知られている。

*****
引用ここまで
全文は下記よりお願いします
http://www.saga-s.co.jp/sp/news/saga/10101/433603
SAG2017053099000141_id1_20170530080044
今回初めて確認された江戸時代の佐賀城下を収めた写真。1867年の直茂公250年祭礼での松原神社参道の様子=公益財団法人鍋島報效会所蔵(画像を加工し鮮明にした)
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1496138258/続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

1: アザラシ伍長 ★ 2017/05/28(日) 18:25:02.66 ID:CAP_USER9 BE:163221131-PLT(33337)
新選組結成前の名簿発見 60代浪士2人 妻子持ちも

「浪士姓名簿」(東京大法学部蔵)の一部。土方歳三や沖田総司の名が見える1/1枚
 幕末の京都で新選組の前身となった浪士組235人分の出身地や年齢、家族構成が記された詳細な名簿が、東京大法学部に保存されていることが28日、歴史研究家への取材で分かった。妻子を持った40代以上の者も多く、中には60代の浪士も。動乱の時代に立身出世を夢見た新選組の原点が垣間見える。

 見つかったのは「浪士姓名簿」と題された冊子で、これまで一部の存在しか知られていなかった。幕府の呼び掛けで江戸に集まった者の身上書を基に、浪士組取締役だった旗本が一覧を記したものとみられる。

 後に新選組幹部となる沖田総司や永倉新八、藤堂平助が近藤勇の道場に同居し、山南敬助が門人の家に間借りしていたことが分かる。

 父母や妻子の記載がなく、独り身とみられるのは80人足らず。63歳が2人おり、「孫」「祖母、母、妻子六人」「父母、兄弟十人」など多くの家族を抱える者もいた。

lif1705280038-p1
「浪士姓名簿」(東京大法学部蔵)の一部。土方歳三や沖田総司の名が見える

産経ニュース 2017.5.28 16:43
http://www.sankei.com/smp/life/news/170528/lif1705280038-s1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1495963502/続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

1: 名無しさん@おーぷん 2017/04/10(月)08:01:59 ID:cTZ
そら朝敵の汚名も不可避ですわ

続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

1: きつねうどん ★ 2017/03/29(水) 12:17:04.11 ID:CAP_USER
1490715283_photo
 前橋市は3月28日、米国の個人宅で見つかった短刀が、1876(明治9)年に群馬から米国に運ばれた吉田松陰(1830~1859年)の「短刀」と判定されたと発表した。

 短刀はカリフォルニア州バークレーに住むティム新井さんが持っていた。ティムさんは2012年、群馬県立歴史博物館などが松陰の短刀を探していることを知り、所有する4本の刀の内3本の写真を送り協力したが該当しなかった。

 残りの1本。2015年4月、映画「楫取素彦物語」の桜井顕監督がティムさん宅を訪れた際、短刀の茎(なかご)に刻まれた「国益」の文字に着目。「これが松蔭の短刀ではないか」ということになり、昨年8月、ティムさんが日本に運んだ。短刀は検疫などを経て12月に前橋。調査の結果、群馬から米国に運ばれた松蔭の短刀と判明した。「国益」は中世(15~6世紀)の名匠。

 この短刀は松陰の妹で初代群馬県令、楫取素彦の妻、寿(ひさ)が松蔭の形見として譲り受けたもので「形見の短刀」と呼ばれる。

 寿は1876(明治9)年、生糸の輸出販路開拓を目的に渡米する新井領一郎(上州=群馬)に短刀を渡す。驚く領一郎に寿は「この品には兄の魂が込められているのです。その魂は兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができるのです」と語ったといわれる。

 前橋市ではこの発見を記念し3月31日、前橋文学館(前橋市千代田3)でティムさん、楫取能彦さんを迎え講演会を開くとともに、短刀を一般公開する。

 講演会の開催時間は13時~。事前予約が必要。予約は前橋文学館(TEL 027-235-8011)で受け付ける。短刀の一般公開は9時~17時。水曜休館(5月3日は開館)。5月7日まで。

http://takasaki.keizai.biz/headline/2940/
http://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1490757424/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/femnewsplus/1490704074/ 
続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

nigaoe_komatsu_kiyokado_tatewaki
1: パイルドライバー(愛知県)@\(^o^)/ [US] 2017/03/20(月) 19:28:49.82 ID:SqkmtDXb0● BE:544270339-PLT(13000) ポイント特典
<幕末の動乱と明治維新>第8回~クーデターで政権樹立

倒幕の密勅

 徳川慶喜が大政奉還を朝廷に申し出た1867年11月9日、「倒幕の密勅」が出されていました。
これは公家の岩倉具視ともみらが画策した、「賊臣慶喜」を「殄戮てんりく 」(殺害)せよと命じる詔書です。
朝廷の会議も天皇の裁可も得ていない「偽勅」でした。

 天皇側近である議奏ぎそう(宮中の業務を統括する職務)の正親町おおぎまち三条さんじょう実愛さねなるから、
長州藩の広沢真臣さねおみと薩摩藩の大久保利通に手渡されました。
京都出兵をためらっていた薩摩藩主と重臣たちに出兵を促す狙いがあったとされます。

 朝廷は大政奉還を受けながら、これまで通り、慶喜に「庶政を一切委任」します。
慶喜は、19日には征夷大将軍の辞表も提出しました。
しかし、混乱をきたした朝廷は、諸侯が上京するまで待つよう指示するだけです。諸侯会議はなかなか開かれず、政権に空白が生じます。

 一方、幕府内では「政権返上」の取り消し要求が噴出し、会津・桑名など佐幕諸藩は、薩摩藩への反感を募らせます。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/history/20170309-OYT8T50042.html
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1490005729/ 続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

d0007721_10443954
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/03/19(日) 05:16:22.41 ID:7UOR2/gy0
すぐにオワコンになるなんて
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1489868182/ 続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/23(木) 20:59:04.78 ID:2J90CCJw0
_SY400__SY400__SY400_
_SY400__SY400_
もちろん、歴史学者が書いた本じゃなくて専門外の人たちが書いた本ばかりなんだが
薩長は残虐なテロリストで明治維新は間違いだらけ、洗脳なんだとさ

納得いかん
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1487851144/ 続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

1: ニカワ ★ 2017/02/02(木) 06:36:42.52 ID:CAP_USER9
土佐藩士吉田東洋が安政地震の様子をつづった漢詩「大震行」(高知県立歴史民俗資料館提供)
wst1701290061-p1
 土佐藩の改革を推し進めた藩士吉田東洋(1862年暗殺)が、54年12月の安政地震を体験した様子をつづった漢詩など新史料10点が、高知県南国市の県立歴史民俗資料館の保管史料の中から見つかった。野本亮学芸課長は「大津波が訪れる前の描写が非常に細かく、地震学的な面からも参考になるところが多いのでは」と分析。同館で29日から公開されている。

 新たに見つかったのは漢詩2点と教本2点、直筆の手紙6点の計10点。昨年、企画展の準備のため、過去に寄贈されていた史料を再調査する中で発見されたという。

 安政地震の直後に書いたとみられる「大震行」(縦125センチ、横55センチ)と題された漢詩には、「海底は墨をひっくり返したように濁る」「干満の動きは急である」など津波前の様子を記したとみられる部分や、「圧死者と焼死者が丘のように積み重なっている」などの趣旨が記され、太平洋に面した高知市長浜で体験した被害の状況を生々しく伝えている。

 当時、東洋は土佐で閉居中の身だった。詩には藩政の在り方に言及する一節もあり、野本課長は「東洋の非常に細かい性格とともに、政治の世界に復活しようとする内面が読み取れる貴重な史料だ」と話している。

 1854年の安政地震は東南海(東海も含む)の32時間後に南海地震が発生。内閣府の調査によると、一連の地震で数千人が犠牲になったとされる。

 新史料は5月10日まで、同館の企画展「幕末の土佐 書跡にみる人物群像」で公開される。

http://www.sankei.com/west/news/170129/wst1701290061-n1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1485985002/ 続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ