(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 幕末

1: 記憶たどり。 ★ 2017/09/07(木) 09:36:16.26 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170907-00010001-saga-l41

7人の全正答10%

佐賀市が市民500人を対象に幕末維新期に活躍した「佐賀の七賢人」の知名度を調査
したところ、7人全員の名前を答えられた人は10・2%で、逆に一人も答えられなかった人は25・4%だった。回答が多かったのは早稲田大学創設者の大隈重信で6割を超えた。
市は「来年は明治維新150年。企画展などを通じて、多くの人の目に触れるようしていきたい」と知名度アップに努める。

調査は明治維新150年事業の参考にしようと、市が初めて実施した。8月6日、佐賀市のゆめタウン佐賀と栄の国まつりの会場で、10代~70代に七賢人のフルネームを口頭で答えてもらった。

七賢人全員の名前を答えた市民51人に対し、一人も回答できなかった市民は127人に上った。
10代、20代が回答に窮した。

正答率は大隈重信が64・2%、次いで日本赤十字社を創設した佐野常民42・2%、初代司法卿の江藤新平39・4%、佐賀藩10代藩主鍋島直正は38・6%。外務卿で能書家として有名な副島種臣は27・4%、北海道の開拓に貢献した島義勇20・6%、初代文部卿の大木喬任16・2%だった。

市企画調整部は、知名度にばらつきが出た調査結果について「要因の一つに、記念館などの施設が認知度と結び付いている」と分析している。


佐賀の七賢人アンケート
20170907-00010001-saga-000-view
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1504744576/続きを読む
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1: 紅あずま ★  2017/08/26(土) 14:37:40.93 ID:CAP_USER9
龍馬「大笑」、寺田事件経緯記した手紙を初公開
読売新聞:2017年08月26日 14時05分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170826-OYT1T50077.html

20170826-OYT1I50036-N
公開された手紙。左端に「龍馬」の署名が見える(高知市の県立高知城歴史博物館で)

 幕末の志士・坂本龍馬が1866年(慶応2年)、伏見奉行所の役人に襲撃された「寺田屋事件」の経緯を家族宛てに記した手紙が26日、高知市の県立高知城歴史博物館で初めて一般公開された。

 10月23日まで。

 縦25センチ、横24~34センチの計6枚で、末尾に「十二月四日」の日付と龍馬の署名がある。
手紙には、事件の一報を聞いた西郷吉之助(隆盛)が短銃に弾を込めて救助に向かおうとしたことや、龍馬が伏見の薩摩藩屋敷に逃れた後、西郷や小松帯刀(たてわき)らと事件について話し、「大笑」したことなどがつづられている。

 昨秋、県外の個人が所有しているのが判明。当初は県が購入する方針だったが、所有者の意向で寄贈された。

 会場を訪れた埼玉県熊谷市の公務員の男性(50)は「西郷との交流の詳細などがびっしりと書き込まれていて、龍馬の息づかいが伝わってきそうですね」と見入っていた。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1503725860/続きを読む
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1: ハンバーグタイカレー ★ 2017/08/08(火) 12:14:18.28 ID:CAP_USER9
 JR四国は9月23日から、土讃線の高知―窪川駅で、トロッコ列車「志国高知 幕末維新号」を走らせる。列車の外装は、坂本龍馬など土佐ゆかりの幕末の志士らをあしらったデザイン。高知県産品を使った特製弁当「龍馬のお弁当」も予約制で販売する。

 JR四国によると、列車に描かれるのは、龍馬のほか、中岡慎太郎、岩崎弥太郎、ジョン万次郎、吉村虎太郎、武市半平太の6人。高知県内で開催中の幕末維新博のPRとして、県が費用の約400万円を全額負担する。

 「龍馬のお弁当」は、土佐料理の店「魚菜 稲月」(同県土佐市)が製造する。カツオ、ウツボ、アユ、手長エビなどの海や川の幸、フルーツトマトやミョウガ、ショウガなどの県産野菜を使っている。税込み2千円。乗車4日前までに仁淀ブルー観光協議会へ申し込みが必要。

 運行初日の9月23日にはJR高知駅で出発式を行う予定。運行は土日祝を中心に、来年5月末まで。乗車券はJR四国各駅みどりの窓口などで販売する。

 問い合わせはJR四国電話案内センターへ
http://www.asahi.com/articles/ASK824135K82PLPB008.html
来月から運行するトロッコ列車「志国高知 幕末維新号」(JR四国提供)
AS20170807001625_comm
お弁当
AS20170807001634_comm
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1502162058/続きを読む
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moneytowel13
1: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2017/07/30(日) 15:18:43.83 0
剣術の腕なんて何の役にも立たないな
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/morningcoffee/1501395523/続きを読む
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1: 記憶たどり。 ★ 2017/07/25(火) 11:29:15.29 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170725-00000002-wordleaf-soci

静岡県島田市の初倉地区で、坂本龍馬を暗殺したとされる旧幕臣、今井信郎を顕彰する取り組みが行われている。折しも今年は、坂本龍馬が京都・近江屋で暗殺されて150年。全国で坂本龍馬展が開催される中、同地区では今井信郎を顕彰するのはなぜなのだろうか。

牧之原台地の一角に位置する島田市初倉地区。あたり一面に緑色の茶畑の絨毯が
広がる静岡県有数の茶産地だ。幹線道路から外れた、茶畑のはずれにその石碑は
建っていた。

石碑には「今井信郎屋敷跡」の文字が刻まれている。石碑の隣には石積みで囲まれた土地があり、その土地が屋敷母屋の跡のようだ。石碑とは別に今井信郎の経歴を綴った碑も建っている。

碑などによれば、今井信郎は天保12(1841)年10月2日、江戸に生まれ、18歳で剣術家、榊原鍵吉の門に入り、20歳にして免許皆伝。講武所師範代を拝命し、文久3(1863)年には横浜に赴き密貿易の取締役に就任した。慶応3(1867)年、江戸に戻り京都見廻役を拝命、同年11月15日、京都近江屋にて坂本龍馬を同志とともに襲撃、殺害する。戊辰戦争勃発後は衝鉾隊を組織して奥州に転戦、函館五稜郭で敗戦した、とされる。

まさに幕末を幕臣として生きた経歴だが、そんな今井信郎の屋敷がなぜ、静岡の島田市初倉地区にあるのだろうか? 地元で会社経営などのかたわら長年、今井信郎について研究してきた塚本昭一さんは「禁固刑になり、静岡藩にお預けとなり、その後、牧之原に入植したのです」と話す。

静岡藩は第15代将軍、徳川慶喜の家督を継いだ徳川家達が初代藩主となり、廃藩置県により現在の静岡県に至る。維新後、多くの旧幕臣が静岡に移住し、牧之原台地に入植して茶畑を開墾し、今日の茶産業を築いた。坂本龍馬を斬ったとされる今井信郎が維新後、静岡の地に移り、牧之原台地の一角に居を構えたのは、時代の流れとして自然のことだったのかもしれない。

「今井信郎は明治11年に初倉の地に入植し、以来40年間、地域の経済、産業、教育、文化に携わり、学校の創設に尽力し、農協の前身の農事会長を務め、初倉村村長にもなった人。
この地域の近代化のグランドデザインを作った人なのです」と塚本さん。

屋敷跡を示す石碑は、荒れ放題になっていた屋敷跡を地元の有志らが整備し、資金を集めて平成15(2003)年に建てたものだ。今井信郎は大正7(1918)年に78歳で死去、来年が100回忌に当たることから塚本さんらは今秋、100回忌の行事を予定しており、あわせてアララギ派の歌人、今井邦子が今井信郎の息子の妻になることから、今井邦子の歌碑を新たに屋敷跡に建てる予定だという。

こうした取り組みは、塚本さんをはじめとした有志で作るNPO法人「初倉まほろばの会」によって行われ、塚本さんは同法人の理事長を務めている。今井信郎にとどまらず地域の歴史を調べ、ふるさとシリーズとして書籍にまとめている塚本さん。

今井信郎についてはふるさとシリーズ第9編「白雲の魁」にまとめており、こうした書籍等の収益をNPO法人の運用にあてているという。「地域の歴史、文化を発信して多くの人に初倉について知っていただき、そのことが地域おこしにつながれば嬉しい」と塚本さんは話している。

今井信郎の写真。親族が所蔵している写真を塚本さんが親族の許可を得て
複写し保存しているという
20170725-00000002-wordleaf-002-view
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1500949755/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/07/21(金) 21:50:41.38 ID:yGFqcBq60
1851年(嘉永4年) 摂津の利七(当時22歳) サンフランシスコで撮影
C10pNSZUUAIljIZ
https://twitter.com/polipofawysu/status/877651118972583936
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1500641441/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/07/17(月) 23:57:47.36 ID:gixV6TnD0
有能
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1500303467/続きを読む
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1: シャチ ★  2017/07/18(火) 21:58:54.84 ID:CAP_USER9
7/18(火) 21:08配信 時事通信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170718-00000137-jij-soci
 幕末の1864年に京都で長州藩と薩摩・会津両藩が戦った「蛤御門の変(禁門の変)」の頃、
新選組や会津藩士の動向を記録した豪農の日記が発見された。

 新選組の宿営地や出陣状況、当時の京都近郊の村の様子などが書かれている。
国登録有形文化財の長谷川家住宅(京都市南区)を管理する財団が18日、発表した。

 日記は幕末の豪農、長谷川家当主が1871年に亡くなるまで27年間の出来事を記録している。
2015年に発見され、京都女子大非常勤講師の中村武生氏が調査した。

 日記によると、元治元(1864)年6月、長州勢から御所を警護するため、
京都の南の玄関口に当たる旧東九条村に展開した会津藩士と新選組が、
長谷川家と村内の農家に1カ月ほど滞在した。

 日記には「会津様御下宿」「壬生浪士組御下宿」などと書かれ、村内の寺や農家が滞在先になったことや、
混雑で村の行事が中止されたことが記録されている。
蛤御門の変が起きた同年7月19日の項には「新選組立向ひ鉄砲打合」など、
村内で長州勢と戦った様子も記されていた。 
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1500382734/続きを読む
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