(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 中華史

Sui_Yangdi_Tang

1: 名無しさん@おーぷん 2019/01/09(水)18:58:47 ID:NDC
1(右)隋煬帝
2(左)周幽王
3(遊)晋恵帝
4(三)明万暦帝
5(捕)南斉東昏侯
6(中)宋徽宗
7(一)殷紂王
8(二)蜀後主
9(投)日本松尾昇

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130301 歴史的な国別GDPシェアの推移

1: 風吹けば名無し 2018/10/10(水) 06:47:35.97 ID:nxDvHszEa
中国とかずっと東アジアでイキってただけやん
何度も内乱して新しい王朝作っては同じこと繰り返して反乱おき崩壊しの繰り返しやん
その間にヨーロッパはルネサンス→大航海時代→宗教戦争による国民国家意識の形成→市民階級台頭→市民革命
→産業革命と進化してってるんだが?
中国が最強とか古代だけだろ
バカは死ねよ
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1539121655/

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1: 風吹けば名無し 2018/09/09(日) 21:13:08.38 ID:chqy6iX1a0909
本人が優秀ってパターンしかない
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1536495188/

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1: 風吹けば名無し 2018/07/30(月) 19:47:18.92 ID:m8A9Aguga
こマ?
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1532947638/

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94: 名無しさん@おーぷん 2018/08/20(月)22:24:41 ID:ouT
岳飛のピエロ感すき

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1: 風吹けば名無し 2018/08/16(木) 07:05:51.42 ID:EHwS7PCod
 日本はかつて、古代中国から多くを学んだが、それには「妖怪文化」も含まれるという。中国メディアの快資訊は10日、日本の妖怪を中国の「パクリ」としたうえで、中国の妖怪はどうして日本のパクリに遠く及ばないのかと疑問を投げかける記事を掲載した。

 日本では、遊園地にお化け屋敷があるのが定番で、夏になると怪談をテーマにした番組が多くみられる。日本は「妖怪で有名」だと記事が述べているのも納得である。記事は具体的には記していないが、古代において日本の怪談の量は中国ほど多くなかったようだ。しかも、暗くて悲惨な話が多く、農民の厳しい生活を反映していたのだろうと推測している。また、日本の妖怪の多くは中国の怪談の影響を受けていて「中国出身」、つまり日本の妖怪は中国の「パクリ」であると主張した。

 しかし、現在では中国の妖怪は有名ではないという。西遊記や白蛇伝など昔の話が多少残っている程度である。それに対して、日本ではアニメやドラマで次々と新たな妖怪ものの作品が出て人気を博している。有名なところでは、ドラマにもなった漫画「百鬼夜行抄」(ひゃっきやこうしょう)や、「夏目友人帳」があると指摘。さらには日本の妖怪を一躍有名にした水木しげる氏の作品や、「鬼灯の冷徹」(ほおずきのれいてつ)、京極夏彦氏の「百鬼夜行シリーズ」など、日本には多くの有名な作品があると紹介した。

 こうした作品は中国人にも有名だ。では、日本のように妖怪を題材にした作品が中国では少ないのはなぜだろうか。記事はその理由について、建国後の中国の方針と関係していると指摘した。科学を重視するようになった中国では、唯物論によって信仰のみならず「昔からの伝説も大々的に抹殺」したと残念そうに伝えた。筆者に言わせると、妖怪も伝統文化の重要な部分であり、再び脚光を浴びるのを希望しているようだ。

 日本の妖怪が中国のパクリかどうかはさておき、中国では日本の怪談が人気なのは間違いないようだ。テレビで放送されていないとしても、動画共有サイトでは日本の妖怪ものの作品が非常に多く出ており、多くの人がこの題材に興味を持っていると言えるだろう。
逆を返せば、日本にとっては商機があるとも言えるかもしれない。(編集担当
:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

http://news.searchina.net/id/1665254?page=1
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1534370751/続きを読む
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1: 名無しさん@涙目です。 2018/07/23(月) 22:11:56.32 ID:ACp/7WzK0● BE:324064431-2BP(2000)
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▲仙道文化研究院は21日、イルジ・ブレイン・アートギャラリーで民族文化研究院シム・ベクガン博士を招待して「韓民族の偉大な精神と古朝鮮の輝かしい歴史」を主題に仙道文化国民講座を開催した。[写真=仙道文化研究院]

仙道文化研究院(院長キム・セファ)は7月21日、イルジ・ブレイン・アートギャラリーでシム・ベクガン博士(民族文化研究院院長)を招待して「韓民族の偉大な精神と古朝鮮の輝かしい歴史」を主題に仙道文化国民講座を開催した。

シム・ベクガン博士は「周礼、四庫全書、朝鮮王朝実録など国内外の文献資料と考古学などの多様な方法を通じて私たちの古代史を考証した。我が国の史書を通じてではなく、中国の記録を通じて韓民族の歪曲された古代史を体系的に明らかにする成果を成し遂げたと話した。

シム博士はこの日の講座で「中国の記録である山海経、武経総要、太平寰宇記、
鮮卑族慕容恩義碑文等で探した内容を根拠に中国で最初に建国された国が古朝鮮であり韓民族が北京の最初の主人として初めての国家をたてた。このようなことを文献で確認したし、また、考古学的に見ても紅山文明の発見で確認された。」と話した。

シム博士は「昨年、習近平主席が米国を訪問した時、トランプ大統領が『習近平国家主席が事実上、韓国は中国の一部だったと言った』と発言したが、事実は文献学的、考古学的にむしろ中国が韓国の一部であった。漢族の劉邦が漢国をたてる以前3,000年間、中国を主導的に支配した国が古朝鮮だった。」と反論した。

シム博士は「この様な偉大な国は偉大な精神がなければできない。韓民族の精神は三種類に要約できる。天符経の「人中天地一」精神と弘益(ホンイク)精神、
「一石三極」の精神だ。現代は両極論理が支配して融和と和合を知らずに極端へ行っている。

天地人精神で人間の尊厳性を回復し、弘益精神で私利私欲と利己心を捨て共生公益の意識を回復しなければならない。このような偉大な精神の根元であり、
中国の儒仏道の根元がすなわち仙道だ。古朝鮮を建国した檀君の仙道思想は東洋精神の源流で仙人精神、高尚清廉の精神だ。」と強調した。

この日、講座に参加したチェ・ナクソン(56・男)氏は「いつもは分からなかった私たちの古朝鮮の歴史を新たに知った。
特に日本の天皇が百済の後えいという歴史的な事実と我が民族の弘益精神と天符経の天地人精神が他の国にはない本当に偉大な精神であることを知ったし、
私たちの歴史と弘益精神に自負心が感じられた。」と感想を明らかにした。

釜山から来たアン・ミヘ(56.女)氏は「弘益精神を基盤に輝かしい古朝鮮の歴史が始まったことを知って意義深い時間でした。私益を越えて公益の生活を送った先祖が誇らしいです。」と感想を言った。

仙道文化研究院イ・ムンチャン事務総長は「今回の仙道文化国民講座は現在の韓国人の時代的課題と言える「正しい歴史確立を通した南北統一」という時代的課題を成し遂げるのに役立つと考える」と行事の趣旨を明らかにした。

ソース:コリアンスピリッツ(韓国語) 韓民族の弘益(ホンイク)精神で共生公益を企ててこそ
http://www.ikoreanspirit.com/news/articleView.html?idxno=52026
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1532351516/
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1: 樽悶 ★ 2018/07/07(土) 18:35:22.23 ID:CAP_USER9
兵馬俑(2016年5月6日撮影、資料写真)
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始皇帝の兵馬俑(2015年6月27日撮影、資料写真)
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【7月7日 CNS】中国・陝西省(Shaanxi)西安市(Xi'an)の文化的な観光資源は実に豊かだ。周、秦、漢、唐などの王朝が、この地に無数の文化遺跡を残した。

 大雁塔(Big Wild Goose Pagoda)、鐘鼓楼(Bell Tower of Xi'an)、西安城壁(Fortifications of Xi'an)などがある。だが、最も世界を揺るがした遺跡は、「世界八番目の不思議」と呼ばれる秦の始皇帝の兵馬俑(Terracotta Army)だ。

 兵馬俑を見たことがある人は、その膨大さ、緻密さに感服させられただろう。

 千年もの間、黙々と始皇帝を守護してきた者たちが、全員一重まぶたであることに注目している人はそう多くない。

 兵馬俑の兵士が、なぜ一重まぶたなのか。実は考古学界でも、この問題は大きな論争になってきた。幾度もの議論を経て、諸説がある。

■その1・顔料の色落ち説

 兵馬俑の兵士は人間を模して製造されたため、表情は実に生き生きとしており、二重まぶたも一重まぶたの兵士も存在していたと考えられていた。しかし、二重まぶたは顔料を使用して描かれていたため、発掘された際に空気に触れ、酸化したことで顔料が色あせ、一重まぶたになったという説だ。

■その2・職人の手抜き説

 二重まぶたがないのは、仕事に手抜きがあり、わざと二重まぶたを描かなかったという説だ。

 ただ、この説にはあまり信ぴょう性がないように思われる。人に模して製造された大小の陶器製の兵士に、手抜きをするためだけにまぶたを描かないことがあろうか。秦の始皇帝が、職人に適当な仕事をさせたとも考えにくい。

■その3・一重まぶたが漢民族のシンボル説

 ある専門家は、兵馬俑は芸術品であり、人を模してありのままの姿で製造されたと考えている。そのため、兵士が一重まぶたであった原因は、当時のモデルとなった人間が一重まぶただったことに由来している。

 2200年前、秦を統治していたのは、西北地域に住んでいた人々で、モンゴル人や東アジアにルーツがある人種で、相対的に単一民族だ。この民族の身体的特徴の一つが一重まぶたであり、蒙古ひだ(目頭を覆う部分にある皮膚のひだ)があることだ。

 医学用語では、「内眼角贅皮(ないがんかくぜいひ)」と呼ばれ、東アジアや東南アジアの民族に多くみられる。

 晋の時代、漢民族は各地の民族と同化し、秦や漢時代のように単一民族ではなくなった。特に、魏晋南北朝時代には、北方の遊牧民族が南下して来た影響で、漢民族は南方の土着民族と同化した。そのため、唐時代の壁画や彫刻には、鼻が高く目が大きい胡人の姿が見られる。

 一重まぶたとつり目は、漢民族の変わらぬ美意識の主流だ。唐時代の美人画では、細い目のつり目か一重まぶたが多く描かれている。

 千年の月日が流れ、秦の兵馬俑はすでに秦帝国の栄枯盛衰を忘れ、血統に関心を払う者はいない。兵馬俑の形状や表情を通して、当時の文明や社会の様子を理解することができる。今日に至るまで、兵馬俑は人類の歴史と文化の宝庫であり、依然として無数の神秘が眠っている。新たな発見とその継承が待たれる。(c)CNS/JCM/AFPBB News

AFPBB News 2018年7月7日 10:48
http://www.afpbb.com/articles/-/3181512
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1530956122/続きを読む
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