(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 中華史

1: 名無しさん@涙目です。 2018/07/23(月) 22:11:56.32 ID:ACp/7WzK0● BE:324064431-2BP(2000)
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▲仙道文化研究院は21日、イルジ・ブレイン・アートギャラリーで民族文化研究院シム・ベクガン博士を招待して「韓民族の偉大な精神と古朝鮮の輝かしい歴史」を主題に仙道文化国民講座を開催した。[写真=仙道文化研究院]

仙道文化研究院(院長キム・セファ)は7月21日、イルジ・ブレイン・アートギャラリーでシム・ベクガン博士(民族文化研究院院長)を招待して「韓民族の偉大な精神と古朝鮮の輝かしい歴史」を主題に仙道文化国民講座を開催した。

シム・ベクガン博士は「周礼、四庫全書、朝鮮王朝実録など国内外の文献資料と考古学などの多様な方法を通じて私たちの古代史を考証した。我が国の史書を通じてではなく、中国の記録を通じて韓民族の歪曲された古代史を体系的に明らかにする成果を成し遂げたと話した。

シム博士はこの日の講座で「中国の記録である山海経、武経総要、太平寰宇記、
鮮卑族慕容恩義碑文等で探した内容を根拠に中国で最初に建国された国が古朝鮮であり韓民族が北京の最初の主人として初めての国家をたてた。このようなことを文献で確認したし、また、考古学的に見ても紅山文明の発見で確認された。」と話した。

シム博士は「昨年、習近平主席が米国を訪問した時、トランプ大統領が『習近平国家主席が事実上、韓国は中国の一部だったと言った』と発言したが、事実は文献学的、考古学的にむしろ中国が韓国の一部であった。漢族の劉邦が漢国をたてる以前3,000年間、中国を主導的に支配した国が古朝鮮だった。」と反論した。

シム博士は「この様な偉大な国は偉大な精神がなければできない。韓民族の精神は三種類に要約できる。天符経の「人中天地一」精神と弘益(ホンイク)精神、
「一石三極」の精神だ。現代は両極論理が支配して融和と和合を知らずに極端へ行っている。

天地人精神で人間の尊厳性を回復し、弘益精神で私利私欲と利己心を捨て共生公益の意識を回復しなければならない。このような偉大な精神の根元であり、
中国の儒仏道の根元がすなわち仙道だ。古朝鮮を建国した檀君の仙道思想は東洋精神の源流で仙人精神、高尚清廉の精神だ。」と強調した。

この日、講座に参加したチェ・ナクソン(56・男)氏は「いつもは分からなかった私たちの古朝鮮の歴史を新たに知った。
特に日本の天皇が百済の後えいという歴史的な事実と我が民族の弘益精神と天符経の天地人精神が他の国にはない本当に偉大な精神であることを知ったし、
私たちの歴史と弘益精神に自負心が感じられた。」と感想を明らかにした。

釜山から来たアン・ミヘ(56.女)氏は「弘益精神を基盤に輝かしい古朝鮮の歴史が始まったことを知って意義深い時間でした。私益を越えて公益の生活を送った先祖が誇らしいです。」と感想を言った。

仙道文化研究院イ・ムンチャン事務総長は「今回の仙道文化国民講座は現在の韓国人の時代的課題と言える「正しい歴史確立を通した南北統一」という時代的課題を成し遂げるのに役立つと考える」と行事の趣旨を明らかにした。

ソース:コリアンスピリッツ(韓国語) 韓民族の弘益(ホンイク)精神で共生公益を企ててこそ
http://www.ikoreanspirit.com/news/articleView.html?idxno=52026
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1532351516/
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1532401188/続きを読む

1: 樽悶 ★ 2018/07/07(土) 18:35:22.23 ID:CAP_USER9
兵馬俑(2016年5月6日撮影、資料写真)
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始皇帝の兵馬俑(2015年6月27日撮影、資料写真)
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【7月7日 CNS】中国・陝西省(Shaanxi)西安市(Xi'an)の文化的な観光資源は実に豊かだ。周、秦、漢、唐などの王朝が、この地に無数の文化遺跡を残した。

 大雁塔(Big Wild Goose Pagoda)、鐘鼓楼(Bell Tower of Xi'an)、西安城壁(Fortifications of Xi'an)などがある。だが、最も世界を揺るがした遺跡は、「世界八番目の不思議」と呼ばれる秦の始皇帝の兵馬俑(Terracotta Army)だ。

 兵馬俑を見たことがある人は、その膨大さ、緻密さに感服させられただろう。

 千年もの間、黙々と始皇帝を守護してきた者たちが、全員一重まぶたであることに注目している人はそう多くない。

 兵馬俑の兵士が、なぜ一重まぶたなのか。実は考古学界でも、この問題は大きな論争になってきた。幾度もの議論を経て、諸説がある。

■その1・顔料の色落ち説

 兵馬俑の兵士は人間を模して製造されたため、表情は実に生き生きとしており、二重まぶたも一重まぶたの兵士も存在していたと考えられていた。しかし、二重まぶたは顔料を使用して描かれていたため、発掘された際に空気に触れ、酸化したことで顔料が色あせ、一重まぶたになったという説だ。

■その2・職人の手抜き説

 二重まぶたがないのは、仕事に手抜きがあり、わざと二重まぶたを描かなかったという説だ。

 ただ、この説にはあまり信ぴょう性がないように思われる。人に模して製造された大小の陶器製の兵士に、手抜きをするためだけにまぶたを描かないことがあろうか。秦の始皇帝が、職人に適当な仕事をさせたとも考えにくい。

■その3・一重まぶたが漢民族のシンボル説

 ある専門家は、兵馬俑は芸術品であり、人を模してありのままの姿で製造されたと考えている。そのため、兵士が一重まぶたであった原因は、当時のモデルとなった人間が一重まぶただったことに由来している。

 2200年前、秦を統治していたのは、西北地域に住んでいた人々で、モンゴル人や東アジアにルーツがある人種で、相対的に単一民族だ。この民族の身体的特徴の一つが一重まぶたであり、蒙古ひだ(目頭を覆う部分にある皮膚のひだ)があることだ。

 医学用語では、「内眼角贅皮(ないがんかくぜいひ)」と呼ばれ、東アジアや東南アジアの民族に多くみられる。

 晋の時代、漢民族は各地の民族と同化し、秦や漢時代のように単一民族ではなくなった。特に、魏晋南北朝時代には、北方の遊牧民族が南下して来た影響で、漢民族は南方の土着民族と同化した。そのため、唐時代の壁画や彫刻には、鼻が高く目が大きい胡人の姿が見られる。

 一重まぶたとつり目は、漢民族の変わらぬ美意識の主流だ。唐時代の美人画では、細い目のつり目か一重まぶたが多く描かれている。

 千年の月日が流れ、秦の兵馬俑はすでに秦帝国の栄枯盛衰を忘れ、血統に関心を払う者はいない。兵馬俑の形状や表情を通して、当時の文明や社会の様子を理解することができる。今日に至るまで、兵馬俑は人類の歴史と文化の宝庫であり、依然として無数の神秘が眠っている。新たな発見とその継承が待たれる。(c)CNS/JCM/AFPBB News

AFPBB News 2018年7月7日 10:48
http://www.afpbb.com/articles/-/3181512
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1530956122/続きを読む

1: プティフランスパン ★ 2018/06/27(水) 15:18:14.91 ID:CAP_USER9
細川元首相、漢文書籍4175冊を中国に寄贈、散逸1000年の貴重な書籍も=中国ネット「中日友好は両国民の幸福」「国内に残されていたら…」
2018年6月27日 12時40分
https://www.recordchina.co.jp/b619560-s0-c10-d0054.html
20180627-054532596

27日、細川護熙元首相が自身が理事長を務める永青文庫の収蔵する漢文書籍4175冊を中国に寄贈したことが、中国のネット上で話題になっている。

2018年6月27日、細川護熙元首相が自身が理事長を務める永青文庫の収蔵する漢文書籍4175冊を中国に寄贈したことが、中国のネット上で話題になっている。

中国メディアの澎湃新聞は、北京市の中国国家図書館で26日、漢籍の贈呈式が行われたことを伝えた。

中国訪問中の細川元首相は贈呈式であいさつし、「日中平和友好条約締結40周年の節目に寄贈することができて喜びに堪えない」「研究に役立ててもらえば大変うれしい。中国の悠久の歴史に必ずや資するものと確信している」などと述べた。

中国のラク樹剛(ラクは各ヘンに隹)文化観光相は、細川元首相の日中友好事業への尽力に謝意を表明し、「新しい時代の中国と日本の文化交流と協力のモデルとなり、推進する役割を果たす」と述べた。

澎湃新聞はまた、香港・文匯網の報道を引用し、今回の寄贈について「日本から中国への漢籍の寄贈として1945年以降で最大規模のものだ」とし、「その中には、唐代末期から1000年も失われていた政治参考書『群書治要』全50巻など、中国の歴史から失われて久しい重要な書籍も含まれる」とも伝えた。

中国のネットユーザーからは「中国と日本の友好は世代から世代へと伝わる」「中日友好は両国民の幸福」「中日友好にいいねを送ろう」などのコメントが寄せられていた。

また「これらの書籍が中国国内に残されていたら、文化大革命で灰燼(かいじん)に帰していたに違いない」「日本に伝わっていたからこそ、良好な状態で保存されていた」などのコメントも散見された。(翻訳・編集/柳川)
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1530080294/続きを読む

1: みつを ★ 2018/06/23(土) 02:27:39.89 ID:CAP_USER9
http://www.bbc.com/japanese/44572149

2300年前の墓に謎のテナガザル 始皇帝の祖母埋葬か
ヘレン・ブリッグス記者 BBCニュース

中国・陝西省にある約2300年前に秦の始皇帝の祖母、夏太后のために作られた可能性がある墓でこのほど、すでに絶滅したテナガザルの一種の頭蓋骨が見つかった。

英ロンドン動物学会が主導する研究チームによると、「ユンジ・インペリアリス」と名付けられた新たに見つかったテナガザルは、人間の活動が直接、種の絶滅につながった歴史上初めての例である可能性があるという。

今回の研究をまとめた論文は科学誌サイエンスに掲載された。筆頭著者のサミュエル・タービー博士は、「チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、テナガザルといった世界のすべての類人猿は現在、人間の活動が理由で絶滅の危機に瀕しているが、狩猟や生息域の減少で絶滅した例はないと考えられていた」と話した。

「しかし、近代には存在しなくなったユンジはこの考えに変更を迫っている。また特にテナガザルの脆弱性を際立たせている」

秦の始皇帝

ひつぎが納められた墓室には、テナガザルの骨のほか、オオヤマネコやヒョウ、クロクマの骨なども見つかった。墓の主の可能性がある夏太后の孫は中国の最初の皇帝、始皇帝で、万里の長城の建設や、兵士などの陶製人形「兵馬俑」を近くに埋めた陵墓などで知られる。

中国文化では、テナガザルは高貴な動物だと考えられ、上層階級がペットとして飼っていた。

コンピューターを使った再現により、見つかった骨はテナガザルのもので、数百年前まで存在していた種とみられると分かった。
英ユニバーシティ・コレッジ・ロンドン教授で論文の共同著者、ヘレン・チャッタージー氏は、当時の人間活動が環境に大きな影響を与えていたのはほぼ確実だと、このテナガザルの絶滅は示している、と語った。

「我々の歴史データからは、これらの要因がテナガザルを南方に向かわせ、現在の生息地である中国の南の端にある限定的な地域に移らせたことが示されている。ユンジの場合は最終的に絶滅してしまった」

類人猿の中では小型のテナガザルは、アジアの熱帯雨林に生息しており、長い手を使って木から木へと飛び移る能力や、耳に残る鳴き声に特徴がある。

テナガザルの種のほぼ全てが森林破壊や狩猟、非合法取引によって絶滅の危機に瀕している。中国では最近、テナガザル2種が絶滅。中国で確認されている種のすべてが国際自然保護連合(IUCN)によって「近絶滅種」に分類されている。
中国のテナガザルの一種、カイナンテナガザルは26頭のみを残すまで減少しており、世界で最も希少な哺乳類になっている可能性が高い。

(英語記事 Mystery extinct ape found in ancient Chinese tomb)

テナガザルの多くは絶滅が危惧されている
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1529688459/続きを読む

1: みつを ★ 2018/06/14(木) 23:47:50.86 ID:CAP_USER9
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180614/k10011477901000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_062

唐の時代の「花の石敷き」 中央アジアで発見
2018年6月14日 23時00分

唐の都、長安からおよそ3000キロ離れた中央アジア・キルギスの遺跡で、花の文様を描き出した当時の石敷きが見つかり、帝京大学などの調査団は、唐の文化がそのまま持ち込まれたことを示す発見だとしています。


キルギスにあるアク・ベシム遺跡は、中国の王朝、唐が7世紀後半に勢力範囲の最も西に築いた「砕葉鎮城」(さいようちんじょう)という軍事・行政拠点の跡と見られ、帝京大学文化財研究所などの調査団がおととしから発掘調査を進めています。

ことし4月から行われた調査では、建物の外側にあたる場所に、直径1.8メートルほどの井戸とみられる穴と、その周りに広がる石敷きが見つかりました。

石敷きには、赤や白などの石を組み合わせて描き出した直径50センチから80センチほどの花の文様が合わせて12か所で確認されました。

このような文様が中央アジアで確認されたのは初めてだということで、調査団は、都の長安からおよそ3000キロ離れた拠点に唐の文化がそのまま持ち込まれたことを示す発見だとしています。

調査団長を務める帝京大学の山内和也教授は「とてもきれいで、こんなものが出てくるのかと驚きました。この場所は東と西の接点にあたり、今後の発掘で、町全体がどういう構造だったのか、地元の人たちとどう接していたのかが明らかになると思う」と話しています。

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1528987670/続きを読む

1: じっぷら卒 ★ 2018/06/11(月) 09:24:42.37 ID:CAP_USER9
中国の18世紀の皇帝、乾隆帝が所有していたとされる「抱月瓶」と呼ばれる希少な磁器がフランスで競売にかけられ、激しい入札競争の末、410万ユーロ(約5億2900万円)で落札された。

200年以上前に作られた青と白のこの磁器を、約10分間続いた入札で中国人の買い手17人を抑えて競り落としたのはフランス人女性。これについて競売業者は、「歴史に残り、語り継がれる」落札と形容している。

諸経費を含めた総額は、入札開始価格50万ユーロ(約6450万円)の10倍の500万ユーロ(約6億4500万円)を上回った。

乾隆帝は在位期間が最も長い中国皇帝の一人で、その治世は18世紀の大半にわたり、芸術作品の熱心な収集家でもあった。

この抱月瓶には、ハスの花弁に8つの仏教のシンボルがあしらわれ、皇帝の印が付されている。今年4月、フランスのある城で骨董(こっとう)品の鑑定中に偶然発見されたという。

*画像はソース元にあります
http://www.afpbb.com/articles/-/3177981
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1528676682/続きを読む

1: 名無しさん@涙目です。 2018/06/07(木) 22:50:30.36 ID:B5i99PTP0● BE:324064431-2BP(2000)
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日本の学校で使用する歴史の教科書には、中国の歴史についても多くの記述があり、中国の歴史について概略だけでも知っているという日本人は少なくないだろう。また、日本には中国の歴史を研究する専門家も数多くいるが、中国は自国の歴史に誇りを持ちすぎているためか、他国の歴史に無関心なところがあるようだ。

 中国メディアの網易は2日、日本には中国の歴史に対して強い関心を示す人は多いと指摘する一方、中国では日本の歴史に無関心な人ばかりなのはなぜなのかと疑問を投げかける記事を掲載した。

 記事は、中国人が日本人ほど相手国の歴史に関心を抱かない背景について、「日中両国の縁の深さ」を挙げ、日本と中国の交流は古くからあり、近代から現代にかけては様々な領域で衝突を続けていると紹介。それゆえ、中国人にとって日本は身近な存在でもあり、その歴史に対して強い興味を抱きにくいのではないかと主張した。

 続けて、多くの中国人は歴史問題を理由に、日本に対して「民族的感情」や「政治的感情」が先立ってしまうため、理性的な思考能力を失ってしまい、公正な判断ができなくなってしまうと主張。それゆえ、日本の歴史を公正に理解しようという気持ちも芽生えにくいのだと伝えた。

 また記事は、封建制度のもとでの戦や戦争を日中で比べてみると、日本は土地を収めていた武士同士の争いが戦であり、農民は戦に参加して功を挙げる権利すらなかったが、中国の場合は往々にして「土地を失った農民」たちが蜂起し、戦争となったケースが多くあると指摘。日本の歴史を学ぶことでこうした違いも見えてくるほか、中国人が自国を日本より良い国にしたいならば、日本がどのようにして強大な国になったのかを知るのが一番良いはずだと主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

http://news.searchina.net/id/1660896?page=1
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1528379430/続きを読む

1: みつを ★ 2018/06/05(火) 18:35:56.86 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3177338?cx_position=1

「兵馬俑」の命名者、趙康民氏が死去 発掘・修復の草分け
2018年6月5日 18:26 発信地:東京

【6月5日 東方新報】中国考古学者の趙康民(Zhao Kangmin)先生がこの世を去って、約2週間が過ぎた。この間も、中国を代表する遺跡である兵馬俑(へいばよう、Terracotta Warriers)には毎日、多くの観光客が訪れている。しかし、これらを命名し、修復活動などを進めてきた草分けである趙氏がこうした光景を見ることは、もうない。

 5月16日午後9時半、82歳でこの世を去った趙氏は、その一生を文化財保護事業に捧げた。趙氏が館長として長らく勤めた中国臨潼博物館(Lintong Museum China)には厚さ10センチもある本人の手記が保存されている。手記には、趙氏と兵馬俑との縁が語られている。

「一介の考古学者が、運よく兵馬俑遺跡1号坑の発見、鑑定、修復、命名などに携わることができた。この巨大な秦王朝の地下軍営の秘密を公開できたことは、この上ない幸せなことだ」

 現在、臨潼博物館で、4体の兵馬俑が展示されている場所がある。うち3体の軽武装した兵士俑は、井戸の中から発掘された破片を、趙氏自らが修復作業を手がけた最初の兵馬俑だ。秦始皇帝陵博物院から距離的にもそう遠くない臨潼博物館で陳列された兵馬俑が、一番最初の出土品であることを知っている人は少ない。

■最初に見つけた兵馬俑、「かかし」だった

 初めて兵馬俑を見た時の状況について、趙氏の手記には次ように記されている。

「井戸の掘削を担当していた農民が、出土した秦時代のレンガを私に見せた。その足で、井戸のある場所まで向かう。しかし現場は荒廃していて、周囲では破片がバラバラに見つかった。頭部の一部が木の上にかけられていたり、麦畑には胴体部分が立てかけられていたり。農民の帽子を頭部にかぶったその姿は、まさに『かかし』そのものだった」

 趙氏は現場を片付けた後、3台のリヤカーで破片を回収し、作業場所まで運んだ。その日の夜のうちに発掘したすべての破片を分類して並べ、破片の断面を水で洗浄し、エポキシ樹脂の接着剤でくっつけ、破損か所は石こうで補った。3日かけて2体を修復し、その最初の「兵士」を「秦代武士俑」と初めて命名した。

 李美侠(Li Meixia)さんは、趙氏が臨潼博物館館長時代に陳列部主任を務め、2000年ごろに定年退職した。趙氏とは20年以上、仕事を共にしてきた。趙氏の訃報を聞いたとき、とても辛かったと話す。

「私は今でも趙館長が一人文化財倉庫の中でしゃがみ込み、数千個の破片とにらめっこしたり、修復してたりしている姿が思い浮かぶ。館長は一度しゃがみ込むと、半日ほども座り込んだままになる。イスを差し出しても座ろうともせず、文化財に夢中になっていて、我を忘れているようだった」

 敬慕する趙氏について語り始めると、李さんの目には涙があふれた。「趙康民は、本当にその一生を考古学に捧げた人だ」と言った。

 臨潼博物館職員の携帯電話には趙氏の写真が多く残っているのを、取材を通して知った。趙氏は40年もの間、考古学一筋に尽くし、博物館をわが家のように思い、考古学を大事な事業としてみていた、というのが職員らの印象だ。晩年にも臨潼博物館の発展のことを考え、努力をたゆまず、研究や書籍などの執筆を続けていた。(c)東方新報/AFPBB News
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1528191356/続きを読む

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