(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 日本近代史

1: 泥ン ★ 2017/12/11(月) 18:55:23.74 ID:CAP_USER9
JBpress 2017.12.11(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51767
米ニューヨークの自由の女神の近くを飛ぶドローン(2016年8月5日撮影、資料写真)。
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 クラウゼヴィッツや孫子をはじめとする戦略思想家たちによってしばしば指摘されるのが、「戦争(War)に勝つこと」と「戦い(Battle)に勝つこと」は全くの別物であるという戦争の原則である。これはベトナム戦争やイラク戦争を見ても明らかだ。

 この点に関して、米海軍協会の機関紙「プロシーディングス」11月号は、旧大日本帝国海軍の失敗を例に出して「『戦い』に勝つことへの執着が敗北を招きかねない」と警鐘を鳴らす論文を掲載した。

 この内容は、現在の我が国が陥りかねない点を示唆していると言える。今回はその内容を紹介しつつ、我が国にとっての意義と教訓を論じてみたい。

「戦争」に勝つための準備をしなかった帝国海軍

 この「戦いのための準備は戦争のためではない」と題する論文を書いたのは、元米海軍大佐のリントン・ウェルズ2世である。

 ウェルズ氏は、ブッシュ政権時代に国防総省の最高情報責任者や国防次官補代理を務めた。1980年代には日本の防衛庁防衛研究所に派遣されたことがあり、日本とも縁の深い人物である。この11月にもサイバーセキュリティの専門家として訪日し、講演している。

 彼の論文の概要は以下のとおりである。

 真珠湾攻撃を果たした機動部隊は、当時世界で唯一無二の存在であり、当時の日本の艦隊全体が洗練された作戦概念・戦術・技術開発・装備調達・現実的で厳しい訓練といったもろもろの長期的かつ体系的な統合の成果であった。

 旧大日本帝国海軍のこうした優秀な戦力は、日清戦争の教訓をもとに、1902年に策定され、日露戦争後に対米戦を見据えて数回改訂されてきた「漸減邀撃(ぜんげんようげき)」ドクトリンにあった。帝国海軍は、このドクトリンに基づき、長距離攻撃能力(夜間航空魚雷攻撃技術の完成、重巡洋艦の量産、高速戦艦による夜戦、海軍航空隊の育成、最終段階で迎撃する強力な戦艦の建造)の育成に力を入れ、彼らの戦術と編成と訓練はこれに沿ったものであった。

 太平洋戦争の開戦から2年間、帝国海軍と連合国海軍は21回の矛を交えたが、日本は10勝7敗4引き分けであった。その結果はそれまでのアプローチの正しさを証明するかのように見えた。

 しかし、2年も経たないうちに、帝国海軍は効果的な戦闘力を発揮できない存在になってしまった。それには、戦術的な原因と戦略的な原因がある。

 戦術的には以下の原因が挙げられる。

(1)日本の産業基盤は総動員体制が未熟であった。
(2)帝国海軍は、兵站・情報・対潜作戦などの分野を軽視していた。
(3)補充要員の訓練計画が不十分だった。
(4)艦隊決戦重視の思考に拘泥していたため、漸減邀撃の艦隊決戦が実現しなかったとき代替案に移れなかった。

 戦略的な原因としては、日本政府および帝国海軍が、広範な地域における全面戦争ではなく、一部の地域における限定戦争を計画していたからである。誤った戦術は回復することが可能だが、誤った戦略は挽回することができないことの典型例といえよう。

 要するに、1941年の帝国海軍は、予想される「戦い」に勝利するために準備されていたが、「戦争」に勝つために準備されたものではなかった。

続きは>>2
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1512986123/続きを読む
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1: 泥ン ★ 2017/12/07(木) 19:19:44.19 ID:CAP_USER9
潜水調査の画像解析で確認された25ミリ連装機銃。これまで搭載された記録はなかった=大和ミュージアム提供
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戦艦「大和」の図
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1941年10月、全速力で試験運転する戦艦大和=大和ミュージアム提供
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 太平洋戦争末期、米軍の攻撃で鹿児島県沖に沈んだ戦艦「大和」に、従来知られていなかった砲身2本の25ミリ連装機銃が搭載されていたことが、広島県呉市の潜水調査でわかった。

 当時は対空戦に備え、砲身3本の25ミリ3連装機銃増設が進められたが、戦争末期の混乱で計画通りに設置できなかった可能性があるという。

 潜水調査は昨年5月に実施。水深約350メートルの海底に沈む大和をとらえた約50時間分の映像と約7000枚の写真を調べたところ、連装機銃1基が確認された。設置場所や全体の搭載数は不明という。

 呉市の「大和ミュージアム」によると、大和の装備に関する資料は終戦前後、軍の命令で多くが焼却されたため、現存するのは1944年に旧海軍が作製した設計図が最も新しい。米軍が45年4月の攻撃時に撮影した写真などと合わせた解析の結果、12・7センチの連装高角砲12基、13ミリ連装機銃2基などの存在に加え、44年以降に増設された3連装の25ミリ機銃は、艦中央部を中心に計約50基あったと考えられていた。

 大和の建造時は戦艦同士の戦闘を想定して巨砲が装備されたが、やがて海戦の主力が航空機となり、44年以降の改修で、機銃や高角砲などの対空装備が増設されていた。今回見つかった連装機銃は、機銃の前に写っていた波よけのための覆いが3連装用の大きさだったため、増設時に何らかの事情で急きょ機材を差し替えたとみられるという。

 同館の戸高一成館長は「戦争末期は空襲で国内の流通が破壊されており、資材の供給がうまくいかなかった可能性がある。大和の装備についてはまだ謎が多く、今後も調査を続けたい」と話している。

 同館では、今回撮影した写真パネルなどを展示した企画展「海底の戦艦大和」を開催している。来年3月25日までで、問い合わせは同館。(松田祐哉、山本慶史)

読売新聞 2017年12月07日 09時13分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20171207-OYT1T50020.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1512641984/続きを読む
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1: ばーど ★ 2017/11/28(火) 11:37:08.97 ID:CAP_USER9
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(上)マルチビーム測深機で計測し作成された戦艦山城の画像。(下)調査船「ペトレル」号で調査を行う米国の探査チーム=調査船「ペトレル」号のフェイスブックページより

米マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏(64)が率いる沈没船探査チームは26日夜、ミンダナオ地方スリガオ沖で米軍に撃沈された旧日本海軍の戦艦山城を発見したと発表した。

 同チームは来月にかけてスリガオ海峡とボホール沖で山城など日本艦船計6隻の探査を行っており、残る5隻の発見も目指している。ただ、スリガオ海峡は海流が強く、探査を困難にしているという。

 同チームが探査に使用する調査船「ペトレル号」のフェイスブックページは同日夜、音波によるマルチビーム測深機で得たデータから作成した山城の画像と、ペトレル船内のモニター画面で海底の山城の映像を確認する写真を掲載した。

 調査チームは「山城は海底でさかさまになった状態で発見された」としている。今後、船体の詳細を確認、写真や動画も公開していく予定。

 ペトレル号は海底6千メートルまで探査できる最新技術装備を有した調査船で、過去にシブヤン海に沈んでいた戦艦武蔵の船体やフィリピン海に沈んでいた米海軍の重巡洋艦インディアナポリスの船体の一部発見にも使われた。

 今回、山城の他に探査が行われているのは、1944年10月に同海峡で撃沈された戦艦扶桑、重巡洋艦最上、駆逐艦満潮、朝雲、山雲の計6隻。

 ただ、最上については、ビサヤ地方ボホール島沖海底2000メートルに沈んでいるため、期間も限られていることから、来年以降の探査になる可能性が高いとしている。(冨田すみれ子)

配信2017.11.28
まにら新聞
http://www.manila-shimbun.com/category/society/news234449.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1511836628/続きを読む
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3: 名無しさん@涙目です。 2017/11/21(火) 22:40:13.16 ID:vhZGyEEl0
>>1 
第六潜水艇の遭難 
https://ja.wikipedia.org/wiki/第六潜水艇の遭難 
1910年(明治43年)4月15日、第六潜水艇は安全上の配慮から禁止されていたガソリン潜航実験の訓練などを行うため岩国を出航し、広島湾へ向かった。 
この訓練は、ガソリンエンジンの煙突を海面上に突き出して潜航運転するもので、原理としては現代のシュノーケルと同様であった。 
午前10時ごろから訓練を開始、10時45分ごろ、何らかの理由で煙突の長さ以上に艇体が潜航したために浸水が発生したが、閉鎖機構が故障しており、手動で 
閉鎖する間に17メートルの海底に着底した。佐久間大尉は母船「歴山丸」との申し合わせを無視しがちで、第六潜水艇は日ごろから申し合わせよりも長時間の 
潜航訓練を行っていたため、当初は浮上してこないことも異常と思われなかった。また、母艦の見張り員は、異常と報告して実際に異常がなかった場合、 
潜水艇長の佐久間大尉の怒りを買うのが怖くて報告しなかった、とも述べており、調査委員会はこの見張り員の責任を認めつつも、同情すべき点が多いとして 
処分していない。異常に気がついた後、歴山丸は呉在泊の艦船に遭難を報告。救難作業の結果、16日(17日)に引き揚げられ、内部調査が行われた。 
佐久間艇長以下、乗組員14人のうち12人が配置を守って死んでいた。残り2人は本来の部署にはいなかったが、2人がいたところはガソリンパイプの破損場所であり、
最後まで破損の修理に尽力していたことがわかった。歴山丸の艦長は、安全面の不安からガソリン潜航をはっきりと禁止しており、また佐久間大尉もガソリン潜航の 
実施を母船に連絡していなかった[2]。歴山丸の艦長は事故調査委員会において、佐久間大尉が過度に煙突の自動閉鎖機構を信頼していたことと、禁令無視が事故を 
招いたのだと述べている。また、事故調査委員会では、潜航深度10フィートと言う、シュノーケルの長さよりも深い潜航深度の命令があったと記録されているが、 
実際にそのような命令ミスがあったのか(このようなミスは考えにくい)、記録上のミスなのかは不明。
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1511271550/
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1: プティフランスパン ★ 2017/11/20(月) 22:08:39.39 ID:CAP_USER9
昭和天皇「回想録」米でオークション出品へ 査定額は…
2017年11月20日21時20分
http://www.asahi.com/sp/articles/ASKCN6SNMKCNUTIL04W.html?iref=sptop_8_04
AS20171120005012_comm

昭和天皇の回想録とされる文書の競売予告を掲載するオークションサイトBonhamsのページ

 昭和天皇が戦後、側近に語った内容を記録した回想録とされる文書が、12月6日に米ニューヨークで開催されるオークションに出品されることがわかった。
競売サイト「Bonhams」が発表した。
文書は、1990年に「昭和天皇独白録」として月刊誌「文芸春秋」誌上で公表されたものの原文だとしている。

 「昭和天皇独白録」は宮内省御用掛だった元外交官・寺崎英成氏により記録された昭和天皇の回想録。
太平洋戦争の開戦や敗戦の原因、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言受諾の経緯などに言及した内容だ。

 運営側の発表によると、出品されるのは、もともと寺崎家で保管されていた文書で、全173ページ。査定価格は10万~15万ドル(日本円で約1100万~1700万円)としている。
(多田晃子、中田絢子、北野隆一)
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1511183319/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/11/11(土)16:03:49 ID:hmW
これは辛い
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1: 的井 圭一 ★ 【特別重大報道】 2017/11/18(土) 09:13:24.19 ID:CAP_USER9 BE:511393199-PLT(15100)
sssp://img.2ch.net/premium/1051729.gif
第2次世界大戦直後の1946年4月~47年1月、GHQ関係者が日本各地で撮影した304枚ものカラー写真を、国立国会図書館がウェブ上で公開している。

よく見る白黒写真と違い、鮮やかなカラーで写しだされた当時の様子は、生々しい臨場感にあふれる。
ガレキの山、軍用機の残骸、広がる墓地といった戦禍の跡。
一方、そんな中でも復興に向け活気づく人々。リアルな「戦後」の姿に、ネット上で反響が広がっている。


廃墟の街に掲げられた「エノケン」映画

たとえば、愛知県内で撮影されたと見られる一枚の写真。

舗装がはがれたのか、土がむき出しになった路上に、いくつかの露店が並ぶ。
露店、といっても、角材などでとりあえず形だけ作り、ボロボロの机を置いただけの粗末なものだ。そのうちの一軒には、「ライター修理所」の幕がかけられ、カーキ色の服の男性が黙々と作業を行っている。

前後の写真にも、ガレキだらけの路上を占有して、履物や雑貨を売る露店が多数写っている。
季節は冬だろうか、人々はかつての軍服や国民服をありったけに着重ねる。
戦時中には愛知県、特に名古屋市はたびたびの大規模な空襲を受けたが、撮影された1946~47年の時点でも、生活には深い爪痕が残っていたことが、見る者にはっきり伝わってくる。

一方で冒頭の一枚には、榎本健一の「エノケンの法界坊」や林長二郎(長谷川一夫)の「沓掛時次郎」と、映画館の広告看板が映りこむ。
いずれも戦前作品のリバイバル上映だが、人々のエンタメへの渇望がうかがえ、復興への活力がうかがえる。

これらの写真は、GHQの「文民スタッフ」として来日していたロバート・V・モージャー氏が1946年4月~47年1月にかけ撮影したものだ。
国立国会図書館ではその親族から2008年に寄贈を受け、館内で公開していたが、このほどデジタル化、2017年9月6日からウェブ上で無料公開している。

米軍に接収された松屋銀座

モージャー氏は上記の名古屋のほか、東京、大阪、広島など各地の写真を残している。

たとえば、銀座の街角。「TOKYO PX」の大看板を掲げるのは、今も営業が続く松屋銀座だ。当時は米軍に接収されていた。そしてそのすぐそばには、掘立小屋のような露店が立ち並んでいる。

広島の街並みは、他にも増して荒涼とした風景だ。ぐんにゃりと曲がった鉄骨、壁だけが残った建物。そして、原爆ドーム。
現在では平和記念公園として整備されたドーム周辺だが、当時はそのすぐそばまで、多くの真新しい墓石が連なっていた。

ほかにも、やはり米軍に接収されたそごう大阪店(現・心斎橋本店)、黒く焼け焦げた名古屋の松坂屋、野原に放置された一式陸上攻撃機の残骸、色鮮やかな着物を着た若い女性たち......。

一連のコレクションはツイッターなどでも「超貴重」などと話題になっており、反響のつぶやきが次々と寄せられている。

「メッチャ興奮するなコレ......全部デジタルコレクションで見られるのはありがたい限りだ」
「思わず全部見入ってしまった。戦災を受けた名古屋の写真はあまり見たことがなかったが、これほどの惨状とは」
「昔から変わったものと、今もそんなに変わってないもの。感慨深い」

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その他画像はソース先で
2017/11/17 07:00 J-CASTニュース
https://www.j-cast.com/2017/11/17314122.html

■関連リンク
国立国会図書館デジタルコレクション - モージャー氏撮影写真資料
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10756455
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1510964004/続きを読む
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1: みつを ★ 2017/11/18(土) 02:41:09.87 ID:CAP_USER9
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171117/k10011227311000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_029
(リンク先に続きあり)

11月17日 18時56分

かつての樺太、今のロシア極東のサハリンで、終戦の1週間後に旧ソビエト軍が行った空襲の様子や被害状況などについて、旧日本軍の大本営が記録した文書が初めて見つかりました。

「日本最後の空襲」と言われる空襲の実態解明につながる貴重な史料として注目されます。


この文書は、昭和20年8月に大本営が連合国側に宛てて作成した記録文書で、東京にある防衛省の防衛研究所で見つかりました。

文書には、終戦から1週間後の昭和20年8月22日に、旧ソビエト軍の飛行機9機が午後3時半から午後4時半にかけて樺太の中心都市だった豊原、今のユジノサハリンスク市で銃爆撃を行ったことや、避難していた民間人5000人~6000人のうち、400人~500人の死傷者が出たことなどが記録されています。

また空襲が停戦合意のあとだったとして、「非人道的行為で平和に禍根」と非難しています。

樺太での空襲は「日本最後の空襲」と言われていますが、関係する史料はこれまでほとんど見つかってなく、詳細な被害状況や具体的な死傷者の記録が見つかったのは初めてで、空襲の実態解明につながる貴重な史料として注目されます。

樺太の元住民で作る全国樺太連盟は「戦後70年以上たっても空襲の史料はほとんどなかった。大変貴重な文書だ」と話しています。

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1510940469/続きを読む
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