(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 日本近代史

Mutaguchi_Renya
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/08/17(木) 10:11:36.10 ID:NGTp9hPI0
1右 インパール作戦という補給線を完全に無視した作戦を参謀長、師団長ほぼ全員が反対したにもかかわらずを強行実施、結果7万人の餓死者を出す。
2左 盧溝橋事件の引き金を引き、日中戦争が勃発する。
3中 インパール作戦失敗後、部下に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した(もとより止めてほしくて)これに対し藤原参謀は
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。
誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」と言われたが死ななかった。
4一 のちの歴史研究家に洋の東西問わず無能の評価を受ける。
5三 現場で兵士が飢えているのを横目に牟田口は司令部で芸者をはべらせ、たらふく飲み食いしていた。
6指 敗色濃厚になると一目散に帰国。帰国の際船に乗せたのは負傷した兵ではなく、芸者や酒だった。
7游 牛に荷物を運ばせ、食料としても利用する「ジンギスカン作戦」を実施。なお牛はジャングルの移動に不向きで牛のエサもろくに用意できなかった。
8二 戦後、中華料理屋「ジンギスカンハウス」を開店
9捕 戦後、インパール作戦失敗の責任を問われると「あれは部下の無能さが招いたものだ」と主張、死ぬまで自説を曲げず、死の直前まで兵士への謝罪の言葉はなかった。

P先 終戦直後、連合軍に戦犯として起訴されたがあまりの無能さ故、中将という高い身分でありながら不起訴処分になった。(連合国の勝利に貢献したからであるという説も)
P中 Googleで「愚将」と検索するとトップにあがる。
P抑 死後、遺言で自分が悪くないことをかいたパンフレットを参列者に配布。
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1502932296/続きを読む
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1: アザラシ伍長  2017/08/19(土) 08:23:46.26 ID:3dybZVRc0● BE:163221131-PLT(45444) ポイント特典
毎年、この時期になると太平洋戦争に関する話題がメディアで取り上げられる。あの戦争については様々な解釈が存在しているが、そのほとんどが政治的な視点か軍事力によるものであり、経済的な視点での議論は多くない。

だが歴史を振り返ると、戦争と経済は切っても切れない関係にあり、経済力は戦争遂行能力そのものであるというのが現実だ。経済という切り口で太平洋戦争を振り返った時、何が見えてくるだろうか。

■国家予算の280倍をどう用意したのか

戦争に多額の費用がかかることは多くの人が認識しているが、実際にどの程度の金額が戦争に費やされるのかについて詳しく知る人は少ない。

突出して規模の大きかった太平洋戦争には、いったいいくらの戦費が投入されたのだろうか。実は、太平洋戦争における戦費の実態はよく分かっていない。戦争中といっても、日本政府は毎年予算を組み、記録も存在している。それでも金額がはっきりしないのには主に二つの理由がある。

ひとつは軍部が暴走し、東南アジアの占領地域において軍票(手形の一種)や独自の現地通貨を乱発し、この財源をもとに資金を現地調達したため、その分の金額がはっきりしないことである。

もうひとつは、太平洋戦争が日本経済の基礎体力を完全にオーバーした戦争であり、これによって激しい財政インフレが発生。戦争期間中からすでに日本円の貨幣価値がかなり毀損してしまったからである。

戦費の実態はよく分からないと述べたが、ある程度までなら推測することができる。旧大蔵省が戦後まとめた資料によると、太平洋戦争(日中戦争を含む)における名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7600億円となっている。

金額だけ聞くと意外に少ないと感じるかも知れないが、日中戦争開戦時のGDP(厳密にはGNP)が228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると何と33倍になる。また、国家予算(日中戦争開戦当時の一般会計)に対する比率では280倍という天文学的数字である。

もっとも、この数字には少々カラクリがある。太平洋戦争の戦費はあまりにも膨大で、税金を使って調達することは不可能だった。このため、戦費のほとんどは日銀による国債の直接引き受けによって賄われた。

現在の量的緩和策にも通じるところがあるが、日銀が無制限に輪転機を回すということなので、当然のことながらインフレが発生する。

戦争中は価格統制が敷かれていたことからあまり顕在化しなかった(これも現在に通じる)が、それでも戦争が始まると物価水準はどんどん上がっていった。この財政インフレは終戦後、準ハイパーインフレとして爆発することになったわけだが、戦費の実態を考える時には、このインフレ率を考慮なければならない。

さらに、日本軍は占領地域に国策金融機関を設立し、現地通貨や軍票(一種の約束手形)などを乱発して無謀な戦費調達を行った。これによって各地域の経済は破壊され、日本国内をはるかに超えるインフレが発生したが、占領地域におけるインフレの実態は、よく分かっていない。

いずれにせよ、占領地域では相当のインフレになっているにもかかわらず、名目上の交換レートは従来のまま据え置かれたので、書類上、日本円ベースの軍事費が膨れ上がる結果となる。
(以下ソース)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52599
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1503098626/続きを読む
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1: ばーど ★ 2017/08/17(木) 09:05:43.93 ID:CAP_USER9
【ジュネーブ=笹沢教一】サンフランシスコ講和条約の締結など戦後日本の針路を決める重要な政策決定を行った吉田茂元首相(1878~1967年)が1965~67年に連続でノーベル賞候補に推薦され、65年には最終審査の対象となるリストに入っていたことが、ノルウェー・ノーベル研究所(オスロ)への情報公開請求でわかった。

ノーベル賞の選考過程については、ノーベル財団規約で「50年間は非公開」と規定され、平和賞は、研究者やジャーナリストに解禁後の情報公開を認めている。

読売新聞が入手した資料によると、65年には、当時の首相で74年に平和賞を受賞する佐藤栄作や当時の外相の椎名悦三郎ら日本の4人が推薦人に名を連ねた推薦状が、平和賞の選考を行うノルウェー・ノーベル委員会に送られた。

推薦理由は「戦後処理を通じたアジアと世界の平和と繁栄への貢献」。日本政府の働きかけで、ディーン・アチソン元米国務長官、コンラート・アデナウアー元西独首相からも推薦があった。平和賞は、閣僚や国会議員、著名有識者、過去の平和賞受賞者などに推薦資格がある。

(ここまで462文字 / 残り496文字)

配信2017年08月17日 07時23分
YOMIURI ONLINE 全文は会員登録をしてお読みいただけます
http://www.yomiuri.co.jp/world/20170816-OYT1T50112.html?from=ytop_main3
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1502928343/続きを読む
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Mig25-kfufr3
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/08/14(月) 05:35:54.15 ID:XMAfjAsC0
すこ
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1502656554/続きを読む
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1: のっぺらー ★ 2017/08/12(土) 20:42:37.74 ID:CAP_USER9
SUBARU(スバル)の前身・中島飛行機が戦時中、米国本土へ攻め入ろうと構想した大型軍用機「富嶽」に、4種類目となる「掃射機」の設計図が残っていたことがわかった。

掃射機の設計図は2枚あり、いずれも1943年に作製された。
当時のエンジンでは飛行が難しいことも書き込まれており、課題に立ち向かう技術者の挑戦心がうかがえる。

設計図は、無線操縦(RC)模型機の愛好家らでつくる「富嶽を飛ばそう会」会長の正田雅造さん(69)(群馬県太田市)が保管していた。
正田さんの父が、親交のあった中島家から預かった富嶽の計画書類に含まれていた。

同会は99年の結成以降、同じ書類の中にあった「爆撃機」「旅客機」「輸送機」の設計図を基に、それぞれの富嶽のRC模型機を製作。
イベントで飛ばしたり、展示したりしてきた。

太田市で生まれ、中島飛行機を創業した中島知久平が航空機の将来性をいち早く見抜き、戦前に旅客機を製造するなど「軍用機一辺倒の人物ではなかった」(正田さん)ということをアピールする目的もあった。

中島飛行機の創業から今年で100年を迎えたことや、同会の活動を通じて「知久平の空への思い」が広まったことを踏まえて、正田さんは掃射機の設計図の存在を明かすことにした。

掃射機は多くの機銃を備えて、爆撃機を護衛する役目を担う。
富嶽の2枚の設計図でも、胴体に機銃400丁を下向きに装備することが記されている。
爆撃機を狙う敵の迎撃機を、上空から機銃で撃ち落とすことを想定していたとみられる。

設計図のうち1枚は、主に陸軍機を生産していた同社太田製作所で43年1月に作製された。
エンジン4発で垂直尾翼は1枚あり、全長32メートル、全幅(主翼の両端までの長さ)45メートルとなっている。

「軍用機の誕生」(吉川弘文館)などの著書がある東洋大学講師の水沢光ひかりさん(43)は「この設計図には、当時のエンジン性能では飛ばすのが難しいなど、
 技術上の難点が書き込まれていることが興味深い」と話す。

もう1枚の設計図は、主に海軍機の工場だった同社小泉製作所によるもので、作製時期は43年4月。
エンジン6発で垂直尾翼2枚、全長44メートル、全幅69メートルと、より大型の構造だ。

水沢さんは2枚の設計図について、「最初の設計で困難としながら、3か月後、さらに大型の掃射機を描いている。難題と承知の上で、簡単には諦めない中島飛行機の技術者精神が見て取れる」としている。
(丸山雅樹)

写真:垂直尾翼が2枚になっている富嶽の掃射機(6発エンジン)の設計図
20170810-OYT1I50054-L
以下ソース:YOMIURI ONLINE 2017年08月12日 07時06分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170810-OYT1T50117.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1502538157/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/08/05(土) 03:13:36.21 ID:EaZVUqDl0
Ostatni-samuraj_01

ギャグかな?
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1501870416/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/07/27(木) 20:31:18.96 ID:emKbGFKn0
なろう主人公「本土決戦に備えて竹槍の訓練だ!」
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1501155078/続きを読む
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1: 江戸領内小仏蘭西藩 ★ 2017/08/01(火) 01:00:25.26 ID:CAP_USER9
アイヌ遺骨、ドイツから返還=外交ルートで初
2017/07/31 20:24(ドイツ)
http://www.afpbb.com/articles/-/3137629?act=all

【7月31日 時事通信社】北海道で盗掘され、ドイツの学術団体で保管されていたアイヌ民族の遺骨の返還が決まり、ベルリンの在独日本大使館で31日、式典が行われた。
海外に持ち出されたアイヌ民族の遺骨が外交ルートを通じて返されたのは初めて。

 返還対象は、ドイツ人旅行者が1879年に札幌で収集した頭骨1体。
当時の文献などから、この骨が独民間学術団体「ベルリン人類学・民族学・先史学協会」にあることが分かり、「非合法という認識の下、墓から盗まれた」ことも確認されたため、同協会が返還方針を日本政府に示した。

 式典では、同協会のアレクサンダー・パショス代表、内閣官房アイヌ総合政策室の平井裕秀室長、北海道アイヌ協会の加藤忠理事長が返還証明書に署名した。遺骨は北海道大学構内で納骨される。

 パショス代表はあいさつで「(盗掘は)倫理的な一線を越えていた」との認識を表明。
加藤理事長は記者団に対し、返還された遺骨について「尊厳と名誉を回復し、北海道の空気と風土に触れさせてあげたい」と述べ、涙を浮かべた。

 19世紀に先住民族の研究が各国で盛んになり、アイヌ民族の遺骨も海外に持ち出された。オーストラリア政府もアイヌ遺骨を返還する意向を表明している。(c)時事通信社
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1501516825/続きを読む
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