(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:世界史 > ローマ帝国

1: しじみ ★ 2018/08/02(木) 15:10:31.99 ID:CAP_USER
世紀半ばに建設された巨大な公共図書館の遺跡がドイツのケルンで発見されました。この図書館には2万巻の巻物が所蔵されていたと考えられています。

'Spectacular' ancient public library discovered in Germany | Books | The Guardian
https://www.theguardian.com/books/2018/jul/31/spectacular-ancient-public-library-discovered-in-germany

この図書館の遺跡は、2017年にケルンの中心部にある教会の敷地内において「遺跡の壁の一部」が発見されたことをきっかけに発掘されることになりました。
考古学者は「この建物は古代ローマ時代に建てられたもの」と語っており、西暦50年に古代ローマ人によって設立されたドイツ最古の都市「コロニア」にあった建物の1つであるとしています。

ローマ・ゲルマン博物館のディルク・シュミッツ氏によると、「発見された壁には小さな隙間がありました。
しかし、彫像を収められる大きさでもなかったので、何の隙間なのか悩んでいました」と述べていて、当初は何の目的で建てられた建物かわからなかったとのこと。
その後、調査を進めていく中で、その隙間が巻物を置くための棚だったことがわかり、後に2万巻の巻物を保管できる巨大図書館であったことが明らかになりました。

シュミッツ氏は「今回発見された図書館は、2世紀半ばに建設されたドイツ最古の図書館で間違いないでしょう」と語り、古代ローマの属州時代に建てられた図書館であった可能性が高いとしています。
また、同氏は「このような図書館は他にもあるはずですが、おそらくまだ発見されていません」として、ヨーロッパの各地にも同様の図書館が存在する可能性も指摘しています。
なお、今回発見された図書館は非常に巨大なものですが、トルコにあるエフェソスのケルスス図書館と比較するとわずかに小さいとのことです。

シュミッツ氏はこの建物は公共図書館として利用されていた可能性を示唆しており、「ケルンの中心部にあるということは、コロニアの中心部にあることを意味します。
古代ローマ時代の都市中心部は公共広場として利用されていたことから、その場所にある建物は全て公共の建物であったはずです」と語っています。

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GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180802-spectacular-ancient-library-discovered/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1533190231/続きを読む

1: みつを ★ 2018/07/15(日) 06:47:46.64 ID:CAP_USER9
剣闘士は筋骨隆々の戦士ではなく皮下脂肪に覆われ食生活は炭水化物中心だった 

古代ローマにおいて見世物として戦った剣士「剣闘士(グラディエーター)」はたびたびフィクションの題材に選ばれ、その際には筋肉質な体として描かれます。 
しかし、考古学研究によると、実際の剣闘士は炭水化物中心の生活だったため、割れた腹筋が目立つことなく、腹部も胸部も皮下脂肪に覆われていたとのことです。 

映画「 グラディエーター」ではラッセル・クロウ演じる剣闘士が筋肉質な体を持つ屈強な戦士として描かれています。このようなフィクションにおける剣闘士の描かれ方から、剣闘士と聞いて筋肉隆々の体を思い浮かべる人も多いはず。 

しかし、考古学の研究によると、当時の剣闘士は炭水化物中心の生活を送っていたため、腹部や胸部は皮下脂肪に覆われていたとのこと。 
現代の兵士や運動選手は肉や魚といったタンパク質を多く摂取しますが、剣闘士は大麦や豆といった炭水化物を多く含む食品が中心で、動物性のタンパク質の摂取量が少なかったといいます。 

この研究結果はウィーン医科大学の医学人類学者たちが示したもの。研究チームは、トルコ・エフェソスにある剣闘士の墓を調査しました。この墓地には67人の剣闘士と、剣闘士の配偶者とみれらる1人の女性奴隷の骨が埋葬されていました。 
墓地にあった大理石板には、剣闘士が戦う場面が浮き彫り細工で描かれていたことから、研究者は墓地が剣闘士を埋葬したものであると特定したといいます。 

68体の骨は全て完全な形ではなかったものの、足や腕の骨、頭蓋骨、歯などは、研究者が当時の医療や剣闘士の栄養状態を理解できるほどには残っていたとのこと。 
骨に含まれるカルシウムや亜鉛から当時の食生活を部分的に再現することができるため、研究者は同位体解析という手法を駆使して調査を行いました。 

その結果が、「当時の剣闘士は動物性タンパク質をあまり取っておらず、健康的な量のカルシウムや、炭水化物が豊富な豆科の植物を食べていた」という内容であるわけです。 
なお、プリニウスの「博物誌」には剣闘士が「hordearii(大麦を食べる人)」と記されており、今回の研究で「肉をほとんど食べていなかった」とされたことと一致しています。 

剣闘士が肉を食べなかったのは奴隷であり身分が低かったからだと考える人がいるかもしれませんが、実際は、剣闘士の多くは戦争の捕虜や受刑者で、刑期などが終わった後にお金を稼ぐために任意で剣闘士となっている人もいました。 
このため、剣闘士が炭水化物中心の食生活だった理由について、研究者は「体を保護するため」だと見ています。脂肪で覆われた体は神経終末が露出しません。 
また傷を負ったり出血したりといった「視覚効果」は生まれても、脂肪で守られていれば戦い続けることができるほどには傷を浅く保つことができます。
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1: みつを ★ 2018/07/11(水) 23:25:28.02 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3181996?cx_part=latest

古代ローマ人も捕鯨をしていた? 地中海で骨発見 定説に一石
2018年7月11日 13:53 
発信地:パリ/フランス [ フランス 英国 イタリア ヨーロッパ ]

【7月10日 AFP】古代ローマ人は商業捕鯨をしていたかもしれない──。人類初の大規模な捕鯨は11世紀ごろにイベリア半島近辺のバスク(Basque)人が始めたとする定説に一石を投じる論文を、欧州の研究者らが11日、英学術誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表した。地中海にセミクジラとコククジラがいなくなったのはローマ人による捕鯨活動の結果と示唆する骨が発掘された

 論文によると、セミクジラとコククジラの骨が、これまで生息が想定されていなかった欧州とアフリカを隔てるジブラルタル海峡(Strait of Gibraltar)近くにある古代ローマの魚の塩漬け場の跡から見つかった。この発見は、2000年前にはセミクジラとコククジラが北大西洋の「どこにでもいた」ことや、ジブラルタル海峡を通って温暖な地中海に回遊し、出産していた可能性を示すものだ。

 研究チームは論文の中で「これらの(クジラ)2種がローマ帝国沿岸に生息していた証拠により、ローマ人が忘れられた捕鯨産業の基礎を形成していたかもしれないとする仮説が浮かび上がる」と指摘している。

 論文の共同執筆者の一人であるフランス国立科学研究センター(CNRS)のアナ・ロドリゲス(Ana Rodrigues)氏はAFPに「ローマ人はこれら2種類のクジラを、1000年後にバスク人が行ったのと同様のやり方で捕えていた可能性がある。小型の手こぎ船で(海岸沿いを泳ぐ傾向がある)クジラに接近し、銛(もり)を打ち込み、やりでとどめを刺してから陸に運ぶというやり方だ」と述べた。

 骨の発見は古代ローマに捕鯨産業が存在したことを証明するものではないが、そのように解釈することで、バスク人が捕鯨を始める前から大西洋のコククジラの生息数が大幅に減っていたとする、これまでの研究結果の説明がつくという。

 研究チームは今回の研究成果について、ローマに忘れられた捕鯨産業が存在したという仮説の生態学的な根拠となるとしている。(c)AFP

仏パリの国立自然史博物館に展示されたミナミセミクジラの骨格標本(2018年3月14日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / Ludovic MARIN
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1531319128/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/07/02(月) 14:17:12.90 ID:CAP_USER
(CNN) 2000年前のベスビオ火山噴火で壊滅したイタリアの古代都市ポンペイの遺跡で、上半身が巨岩の下敷きになったような状態で見つかった男性の遺骨について、考古学者らはこのほど、現場から男性の頭蓋骨(ずがいこつ)や胸骨を新たに発見した。これらの遺骨に押しつぶされた形跡がないことから、男性の死因は巨岩の激突ではなく、火砕流による窒息だとの見方が出ている。

今年5月の発表では、巨岩と下半身の遺骨との位置関係から、男性は飛んできた巨岩に頭部を吹き飛ばされて死亡したとみられていた。

しかし現場をさらに調査したところ、新たに腕や胸部、頭部の遺骨が見つかった。
分析の結果、考古学者らは、巨岩の激突ではなく火砕流による窒息が死因だとの結論に至ったという。

火砕流とは火山から噴き出した高温のガス、溶岩、砕屑(さいせつ)物などが混合して流れ下る現象を指す。

遺骨の上半身を押しつぶしたかのように地面から突き出して見える巨岩は、家の戸口の側柱と考えられる。
この地面の下には18~19世紀に掘られたトンネルが通っており、遺骨の上半身はトンネルの中に落ちた状態で見つかった。
頭蓋骨には多少のひび割れがあるが、ほぼ原形をとどめている。

今回の発見では男性が「胸のあたりで握りしめていた」とみられる小さな財布の遺物も確認された。
中身は銀貨20枚と銅貨2枚で、考古学者らによれば家族3人で2週間は過ごせるだけの価値があるという。

男性の推定年齢は30歳以上。脚の骨には感染症をうかがわせる病変があり、
これが原因で逃げ遅れたのではないかと研究チームは推測する。

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関連記事 
【ポンペイ遺跡】巨岩に頭吹き飛ばされた遺骨発見、火山噴火で避難途中 
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1071111518.html

CNN
https://www.cnn.co.jp/fringe/35121780.html
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1530508632/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/06/08(金) 03:54:55.10 ID:CAP_USER
骨の様子からすると、むごい死に方だったようだ。

 子ども1人に、大人2人。
1700年前の3体の人骨が、ブルガリア中部プロブディフに近い古代都市遺跡「フィリッポポリス」で発見された。

 発掘に当たったプロブディフ地方考古学博物館の考古学者エレナ・ボジノワ氏によると、この不気味な発見は、ゴート族の侵入と関係がありそうだという。
ゴート族による攻撃の証拠は以前から集まっているが、白骨化した遺体が見つかるのは非常に珍しいとボジノワ氏は話している。

 どの骨にも、火災に遭った痕跡がある。そのうち1体は女性で、青銅のブレスレットを2つ着けたままなのを研究者らが確認した。
もう1体の成人の骨は、付近から6枚の硬貨と青銅製の小立像が出土。
像は、金の首飾りを着けたローマ神話の女神ヴィーナスをかたどっていた。

出土した大人の遺骨2体のうち、1体は女性と判定された。
もう1体のそばには、ローマ神話の女神ヴィーナスをかたどった青銅の小像が埋まっていた。

 子どもの遺骨からは矢じりが見つかり、特に乱暴に殺されたことがうかがえる。

「焼けた家の地層と遺物から、火災は3世紀の中ごろに起こったと思われます。
この都市がゴート族に征服された頃と同じです」とボジノワ氏。


 ゲルマン系の民族であるゴート族が歴史に登場しはじめるのは紀元1世紀頃から。
最も有名なのは、衰えてゆくローマ帝国を3世紀に攻撃し、ついには紀元410年にローマ略奪を行ったことだろう。

成人女性1人の骨が、紀元251年までさかのぼる古代の路面と共に見つかった。
手には青銅のブレスレットが着けられたままだった。

 ゴート族は紀元251年にフィリッポポリスを侵略し、街の大半を焼き払った。
フィリッポポリスはヨーロッパで人が住み始めた最古級の都市であり、ローマの支配下に入る何百年も前から存在していたと考えられている。後年にはオスマン帝国の一部となった。
この地の歴史を物語る地層は、現在も考古学者チームが調査中だ。

 研究チームは今、2~14世紀に建てられて長く埋もれていた石レンガの建物跡を発掘している。
今回見つかった人骨とともに、家々や店が立ち並んでいたであろう大通りの跡や、門も見つかった。
門はモニュメントの役割を果たしていた可能性があるが、目的はわからないとボジノワ氏は言う。

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ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/060700251/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1528397695/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/05/30(水) 11:28:13.69 ID:CAP_USER
(CNN) 2000年前の火山噴火で壊滅したイタリアの古代都市ポンペイの遺跡で、最初の噴火による被害を免れながら、逃げる途中で巨岩に頭部を吹き飛ばされて死亡した男性の遺骨が発掘された。

ポンペイは紀元79年のベスビオ火山噴火で壊滅した古代ローマの都市。
男性の遺骨は巨大ブロックの下敷きになった状態で見つかった。衝撃で上半身は押しつぶされ、頭部はまだブロックの下に埋まっている可能性がある。

男性の推定年齢は30歳以上。脚の骨には感染症をうかがわせる病変があり、これが原因で逃げ遅れたのではないかと研究チームは推測する。

それでも最初の噴火は生き延びて、足を引きずりながら通路を逃げる途中だったと思われる。

しかしそこへ、石柱の一部だったと思われる巨大なブロックが飛んできて男性に当たった。
噴火で発生した火砕流は、建物の残骸を巻き込みながら、男性がいた通路に押し寄せていた。

ポンペイ考古学公園によると、今回の発見は、考古学者に工学や修復などの専門家が加わり、ドローンや3Dスキャナーなどのツールを駆使して発掘調査を行った結果だった。
当時の空間を再現できる可能性もあるとしている。

「そうした道具を駆使して発掘を行ったのは今回が初めて。遺骨が見つかった場所は1800~1900年代にも発掘が行われていたが、我々ほど深くは掘っていなかった。今回は専門家のおかげでそれができた」。同公園はそう解説している。

画像:巨岩に頭部吹き飛ばされた遺骨発見
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CNN
https://www.cnn.co.jp/fringe/35119976.html
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1527647293/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/05/27(日) 06:46:24.28 ID:CAP_USER9
エジプト北部の古代ローマ時代の公衆浴場の遺跡から、紀元前3世紀のエジプト王を表した金貨が見つかった。
まさに漫画『テルマエ・ロマエ』の世界だ。

 エジプト考古省のアイマン・アシュマーイ博士が率いる考古学チームは23日、首都カイロより北に位置するガルビーヤ県東部のサン・エル・ハガー遺跡の発掘調査中、グレコローマン時代に建てられた公衆浴場とみられる赤レンガ造りの建物の一部を発見。

 風呂は長さ約16メートルとボウリングレーン並みの大きさで、周辺からは古代エジプトのプトレマイオス王朝のファラオ、プトレミオス3世の横顔をかたどった金貨が発見されたことから注目を集めている。

 プトレマイオス3世は紀元前284年に生まれ、在位は紀元前246〜222年。
シリアに嫁いだ姉妹が殺害された報復として第三次シリア戦争を起こして大勝利をおさめ、植民活動の奨励や文化活動の保護などをすすめ、プトレマイオス朝の全盛時代を築いたことから「恩恵王」と呼ばれた。

 息子のプトレマイオス4世の時代に発行された金貨は直径2.6センチ、重さ28グラムで、裏面には3世の名前とともに、月桂冠と豊穣のシンボルがかたどられている。

 ほかにも陶器の像や壺、青銅器のほか、小さな羊の彫像なども見つかっており、発掘チームは、建物の全容解明を目指して調査を続けていくとしている。

画像:古代エジプトのプトレマイオス3世の金貨
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ハザードラボ
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/4/24948.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1527371184/続きを読む

1: あられお菓子 ★ 2018/05/20(日) 17:25:05.69 ID:CAP_USER9
CNN.co.jp 2018.05.20 Sun posted at 17:08 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35119444.html
イタリア・ポンペイで馬の化石が発見された
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(CNN) 世界遺産に登録されているイタリアの古代都市ポンペイの遺跡でこのほど古代の馬の遺骸が見付かったとポンペイ考古学公園が発表した。

同公園の責任者によると、遺跡で考古学者が特別な石膏(せっこう)固定技術を使って馬の遺骸の再現に成功したのは初めて。馬の種類についてはサラブレッドの可能性が大きいとした。

イタリア南部ナポリ近郊にあるポンペイは西暦79年、ベスビオ火山の大噴火で火山灰などの中に埋もれたとされる。

馬の遺骸が見付かったのは、農場として使われていた、ポンペイ北部の広大な壁に囲まれた土地に建っていた別邸の場所だった。別邸の保存状態は特に良好だったため馬の骨格の大部分が残る結果になったとしている。

同じ場所からはベッドやベッドカバーに使っていた布地の残りも見付かった。布地の分析から別邸の一部に奴隷が住んでいた可能性もあるという。

ポンペイ遺跡では長年、洪水の被害、過剰な観光行政や保存対策の不備の影響で遺物などの劣化が目立っていた。
遺跡の腐朽や崩壊、観光客の訪問を阻止する労働争議の発生などは国際的なニュースにもなっていた。
構造物の崩落は貧弱な保存対策が原因ともされている。
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