(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。歴史関係のスレ(ほぼなんj)をまとめています。良かったらご覧ください。

カテゴリ:世界史 > ローマ帝国

1: みつを ★ 2018/10/17(水) 22:21:15.19 ID:CAP_USER9
https://www.cnn.co.jp/style/architecture/35127121.html

ポンペイ遺跡で日付の落書き発見、噴火発生日の論争に決着か
2018.10.17 Wed posted at 15:00 JST

Gianluca Mezzofiore, CNN
2000年前のベスビオ火山噴火で壊滅したイタリアの古代都市ポンペイの遺跡でこのほど、特定の日付を意味するとみられる壁の落書きが新たに発見された。古代史を代表する大規模災害として知られる火山噴火をめぐっては発生を8月とする説と10月とする説があり、今回の発見が後者を裏付けるものとして注目を集めている。

木炭で書かれたこの落書きは、「レッジョV」と呼ばれる発掘現場にある家屋の壁で見つかった。書かれているのは「XVI K Nov」という文字で、「11月の16日前」を意味する。現在の日付で10月17日に当たるという。

噴火が起きた時期、当該の家屋では改修作業が行われていた。落書きの書かれた壁には、この後漆喰(しっくい)が塗られる予定だったとみられる。木炭で書かれた文字が長期にわたって消えずに残るのは考えにくいため、落書きは噴火と同じ紀元79年に書かれた可能性が高い。

発掘に携わる考古学者のチームは声明を出し、「落書きは紀元79年10月のものである公算が極めて大きい。より正確には、10月24日とされる火山噴火の1週間前の日付になる」と述べた。

従来、ベスビオ火山噴火の日付は8月24日が定説とされてきた。これは帝政ローマ時代の文人、小プリニウスによる噴火から25年後の記述に基づく。噴火当時、17歳の小プリニウスはナポリ湾の対岸から火山の様子を観測したという。

しかし考古学者らが遺跡で見つかった食物や衣服を分析したところ、実際の噴火の日付が繰り下がる可能性が浮上していた。

火山噴火の1週間前に書かれたとみられる落書き
Screen-Shot-2018-10-16-at-7.38.17-AM-1200x563
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1539782475/続きを読む

1: みつを ★ 2018/09/10(月) 20:17:39.73 ID:CAP_USER9
https://www.cnn.co.jp/fringe/35125326.html

ローマ帝国の金貨数百枚、旧劇場の地下から発見 伊北部
2018.09.10 Mon posted at 12:06 JST

(CNN) イタリア北部でこのほど、かつての劇場の地下からローマ帝国後期の金貨数百枚が見つかった。金貨はせっけん石製の円筒形の容器に詰め込まれており、保存状態は良好。

文化省によると金貨は先週、ミラノの北に位置するコモの旧劇場の地下で発見された後、ミラノの研究施設へ送られた。同施設で考古学者や修復の専門家が分析を行う予定だという。

ボニゾーリ文化相は記者会見で「今回の発見が持つ歴史的、文化的重要性について詳細なところは現時点でわからない。ただ当該の地域が我が国の考古学にとってまさしく宝物のような場所であることを証明するものだ」と述べた。

文化省は金貨の価値について明言していないが、地元メディアは数百万ドルに相当する可能性があると報じている。
地下から金貨が見つかったクレッソーニ劇場は1807年に開館。その後映画館に転用され1997年に閉館した。

文化省によれば、現場からそう遠くない地域では同じく歴史的に重要とみられるローマ時代の遺物が見つかっている。

イタリア北部の旧劇場の地下からローマ帝国時代の金貨数百枚が見つかった/Ministry of Cultural Heritage and Activities
roman-gold-coins-super-169
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1536578259/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/08/25(土) 12:39:10.17 ID:CAP_USER
(CNN) 欧州各地に分布する古代ローマの墓地で子どもの遺骨を分析した研究チームによると、当時の子どもたちの20人に1人はビタミンDの欠乏による「くる病」にかかっていたことが分かった。

カナダのマクマスター大学と、英イングランドの歴史的建造物などを守っている政府外郭団体「ヒストリック・イングランド」「イングリッシュ・ヘリテージ・トラスト」の共同チームが、イングランド北部からスペイン南部にかけての各地に残る1~6世紀の墓地18カ所を回り、計2787体の遺骨を分析した。

遺骨には成人も含まれていたが、大半が3歳未満の幼児だった。

ビタミンDは食事から摂取されるほか、日光を浴びると体内でつくられる。チームは当初、18~19世紀の産業革命による大気汚染や住環境の変化で、都市部の子どもたちにビタミンD欠乏性のくる病が増えたとの仮説を立て、この時代と古代ローマの遺骨を比較した。

すると、古代ローマの子どもたちもビタミンDが欠乏していたことが分かったという。産業革命の時代ほどではないが、子どもの5.7%、成人の3.2%にくる病が見つかった。

この結果は米自然人類学会の専門誌AJPAの最新号に掲載された。

チームの研究者は、「ビタミンD不足は近代以降の問題とは到底いえないことが分かった。2000年も前から、特に幼い子どもで不足していた」と指摘。子どもを日光に当てず、室内で育てる親が多かったことが主な原因との見方を示した。

古代ローマ帝国には日照時間の長い地中海沿岸部も含まれていたが、くる病は北の地域に住む子どもたちにより多くみられた。

地中海沿岸でも、この時代に港町として栄えたローマ近郊のオスティア付近だけは、くる病の子どもが多かったようだ。

オスティアでは当時、人口が急増し、アパートのような共同住宅がひしめき合うように建てられた。部屋の窓も小さく、子どもたちが十分な日光を浴びられなかったのかもしれないと、研究者は話している。

002-ancient-finds-vitamin-d-deficiency
https://www.cnn.co.jp/fringe/35124478.html
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1535168350/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/08/22(水) 15:31:41.28 ID:CAP_USER
10年近くにおよぶ法廷闘争を経て、2億円相当とも言われる古代ローマ彫刻が初めて一般に公開された。紀元1年に作られた実物大の馬の頭部像だ。

 黄金で覆われた、重さ13キロのブロンズ像は、貴重な古代ローマの芸術作品であるだけではない。
この像は、現在のドイツ、フランクフルトに近い古代ローマ人居住地「ヴァルトギルメス」で発掘されたことから、2000年前のローマとゲルマニアの物語に新たな展開をもたらそうとしている。

 何世紀もの間、歴史家たちの見解は以下のような内容で一致していた。
すなわち、ローマ人は、ライン川の北と東にいたゲルマン諸部族を武力で制圧して新たな属州を作ろうとしていた。
しかしローマ軍は紀元9年、トイトブルクの森の戦いで1万5000人の犠牲を出し、ゲルマニア征服をあきらめた。
この敗北で傷を負ったローマ人は、やがて要塞のネットワークを構築するようになり、これがほぼ300年にわたってローマ世界の北端になった。

 ところが、1994年から2009年の間にドイツ考古学研究所ローマ・ゲルマン研究部がヴァルトギルメスで発掘した馬頭像やその他の遺物は、古代ローマが辺境地を軍備のみで治めたわけではないことを示している。

 約8ヘクタールに及ぶ居住地には防御壁はあったが、軍事施設は一切なかった。
これはローマ人がトイトブルクでの敗北の直前まで、何年も「蛮族」ゲルマン人と隣り合って平和に暮らし、交易を行っていたことを示していると、ドイツ考古学研究所の研究主任ガブリエレ・ラスバッハ氏は言う。

 居住地の建物の大半は木造で、そのデータから、この町は紀元前4年以降に造られたものと考えられる。
高さ3メートルの木材の壁に囲まれたヴァルトギルメスには、陶芸や木工の工場、ローマ式の住居、さらには水道設備の形跡まであった。

 町の中心には行政機関となった建物があり、中庭または広場には実物大の騎馬像4体の台座があったことがわかった。
黄金の馬頭像はその1体で、ローマ皇帝の像の一部だったと見られている。

 これは考古学者にとっても歴史家にとっても大きな発見だった。

「文民の建物があったとは、大変な驚きでした」と、ドイツ、ミュンヘンにあるバイエルン州記念物保護局の考古学者、ゼバスティアン・ゾマー氏は言う。氏はこの発掘には関与していない。
「ヴァルトギルメスの遺跡はもっぱら文民的なアプローチがなされていたことを示しており、ローマはここに植民するのは容易だと誤解していたのかもしれません」

次ページ:像が生贄の代わりに?

■金の馬頭像は、現在ドイツで展示中。紀元1年に作られた等身大のローマ皇帝像の一部とみられている。
ph_thumb (6)

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/082100219/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1534919501/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/08/02(木) 15:10:31.99 ID:CAP_USER
世紀半ばに建設された巨大な公共図書館の遺跡がドイツのケルンで発見されました。この図書館には2万巻の巻物が所蔵されていたと考えられています。

'Spectacular' ancient public library discovered in Germany | Books | The Guardian
https://www.theguardian.com/books/2018/jul/31/spectacular-ancient-public-library-discovered-in-germany

この図書館の遺跡は、2017年にケルンの中心部にある教会の敷地内において「遺跡の壁の一部」が発見されたことをきっかけに発掘されることになりました。
考古学者は「この建物は古代ローマ時代に建てられたもの」と語っており、西暦50年に古代ローマ人によって設立されたドイツ最古の都市「コロニア」にあった建物の1つであるとしています。

ローマ・ゲルマン博物館のディルク・シュミッツ氏によると、「発見された壁には小さな隙間がありました。
しかし、彫像を収められる大きさでもなかったので、何の隙間なのか悩んでいました」と述べていて、当初は何の目的で建てられた建物かわからなかったとのこと。
その後、調査を進めていく中で、その隙間が巻物を置くための棚だったことがわかり、後に2万巻の巻物を保管できる巨大図書館であったことが明らかになりました。

シュミッツ氏は「今回発見された図書館は、2世紀半ばに建設されたドイツ最古の図書館で間違いないでしょう」と語り、古代ローマの属州時代に建てられた図書館であった可能性が高いとしています。
また、同氏は「このような図書館は他にもあるはずですが、おそらくまだ発見されていません」として、ヨーロッパの各地にも同様の図書館が存在する可能性も指摘しています。
なお、今回発見された図書館は非常に巨大なものですが、トルコにあるエフェソスのケルスス図書館と比較するとわずかに小さいとのことです。

シュミッツ氏はこの建物は公共図書館として利用されていた可能性を示唆しており、「ケルンの中心部にあるということは、コロニアの中心部にあることを意味します。
古代ローマ時代の都市中心部は公共広場として利用されていたことから、その場所にある建物は全て公共の建物であったはずです」と語っています。

01_m (4)
00_m (4)
02_m (1)

GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180802-spectacular-ancient-library-discovered/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1533190231/続きを読む

1: みつを ★ 2018/07/15(日) 06:47:46.64 ID:CAP_USER9
剣闘士は筋骨隆々の戦士ではなく皮下脂肪に覆われ食生活は炭水化物中心だった 

古代ローマにおいて見世物として戦った剣士「剣闘士(グラディエーター)」はたびたびフィクションの題材に選ばれ、その際には筋肉質な体として描かれます。 
しかし、考古学研究によると、実際の剣闘士は炭水化物中心の生活だったため、割れた腹筋が目立つことなく、腹部も胸部も皮下脂肪に覆われていたとのことです。 

映画「 グラディエーター」ではラッセル・クロウ演じる剣闘士が筋肉質な体を持つ屈強な戦士として描かれています。このようなフィクションにおける剣闘士の描かれ方から、剣闘士と聞いて筋肉隆々の体を思い浮かべる人も多いはず。 

しかし、考古学の研究によると、当時の剣闘士は炭水化物中心の生活を送っていたため、腹部や胸部は皮下脂肪に覆われていたとのこと。 
現代の兵士や運動選手は肉や魚といったタンパク質を多く摂取しますが、剣闘士は大麦や豆といった炭水化物を多く含む食品が中心で、動物性のタンパク質の摂取量が少なかったといいます。 

この研究結果はウィーン医科大学の医学人類学者たちが示したもの。研究チームは、トルコ・エフェソスにある剣闘士の墓を調査しました。この墓地には67人の剣闘士と、剣闘士の配偶者とみれらる1人の女性奴隷の骨が埋葬されていました。 
墓地にあった大理石板には、剣闘士が戦う場面が浮き彫り細工で描かれていたことから、研究者は墓地が剣闘士を埋葬したものであると特定したといいます。 

68体の骨は全て完全な形ではなかったものの、足や腕の骨、頭蓋骨、歯などは、研究者が当時の医療や剣闘士の栄養状態を理解できるほどには残っていたとのこと。 
骨に含まれるカルシウムや亜鉛から当時の食生活を部分的に再現することができるため、研究者は同位体解析という手法を駆使して調査を行いました。 

その結果が、「当時の剣闘士は動物性タンパク質をあまり取っておらず、健康的な量のカルシウムや、炭水化物が豊富な豆科の植物を食べていた」という内容であるわけです。 
なお、プリニウスの「博物誌」には剣闘士が「hordearii(大麦を食べる人)」と記されており、今回の研究で「肉をほとんど食べていなかった」とされたことと一致しています。 

剣闘士が肉を食べなかったのは奴隷であり身分が低かったからだと考える人がいるかもしれませんが、実際は、剣闘士の多くは戦争の捕虜や受刑者で、刑期などが終わった後にお金を稼ぐために任意で剣闘士となっている人もいました。 
このため、剣闘士が炭水化物中心の食生活だった理由について、研究者は「体を保護するため」だと見ています。脂肪で覆われた体は神経終末が露出しません。 
また傷を負ったり出血したりといった「視覚効果」は生まれても、脂肪で守られていれば戦い続けることができるほどには傷を浅く保つことができます。
続きを読む

1: みつを ★ 2018/07/11(水) 23:25:28.02 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3181996?cx_part=latest

古代ローマ人も捕鯨をしていた? 地中海で骨発見 定説に一石
2018年7月11日 13:53 
発信地:パリ/フランス [ フランス 英国 イタリア ヨーロッパ ]

【7月10日 AFP】古代ローマ人は商業捕鯨をしていたかもしれない──。人類初の大規模な捕鯨は11世紀ごろにイベリア半島近辺のバスク(Basque)人が始めたとする定説に一石を投じる論文を、欧州の研究者らが11日、英学術誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表した。地中海にセミクジラとコククジラがいなくなったのはローマ人による捕鯨活動の結果と示唆する骨が発掘された

 論文によると、セミクジラとコククジラの骨が、これまで生息が想定されていなかった欧州とアフリカを隔てるジブラルタル海峡(Strait of Gibraltar)近くにある古代ローマの魚の塩漬け場の跡から見つかった。この発見は、2000年前にはセミクジラとコククジラが北大西洋の「どこにでもいた」ことや、ジブラルタル海峡を通って温暖な地中海に回遊し、出産していた可能性を示すものだ。

 研究チームは論文の中で「これらの(クジラ)2種がローマ帝国沿岸に生息していた証拠により、ローマ人が忘れられた捕鯨産業の基礎を形成していたかもしれないとする仮説が浮かび上がる」と指摘している。

 論文の共同執筆者の一人であるフランス国立科学研究センター(CNRS)のアナ・ロドリゲス(Ana Rodrigues)氏はAFPに「ローマ人はこれら2種類のクジラを、1000年後にバスク人が行ったのと同様のやり方で捕えていた可能性がある。小型の手こぎ船で(海岸沿いを泳ぐ傾向がある)クジラに接近し、銛(もり)を打ち込み、やりでとどめを刺してから陸に運ぶというやり方だ」と述べた。

 骨の発見は古代ローマに捕鯨産業が存在したことを証明するものではないが、そのように解釈することで、バスク人が捕鯨を始める前から大西洋のコククジラの生息数が大幅に減っていたとする、これまでの研究結果の説明がつくという。

 研究チームは今回の研究成果について、ローマに忘れられた捕鯨産業が存在したという仮説の生態学的な根拠となるとしている。(c)AFP

仏パリの国立自然史博物館に展示されたミナミセミクジラの骨格標本(2018年3月14日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / Ludovic MARIN
img_d1a8b3e57042f1f7e8a953a2616c5cc8322750
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1531319128/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/07/02(月) 14:17:12.90 ID:CAP_USER
(CNN) 2000年前のベスビオ火山噴火で壊滅したイタリアの古代都市ポンペイの遺跡で、上半身が巨岩の下敷きになったような状態で見つかった男性の遺骨について、考古学者らはこのほど、現場から男性の頭蓋骨(ずがいこつ)や胸骨を新たに発見した。これらの遺骨に押しつぶされた形跡がないことから、男性の死因は巨岩の激突ではなく、火砕流による窒息だとの見方が出ている。

今年5月の発表では、巨岩と下半身の遺骨との位置関係から、男性は飛んできた巨岩に頭部を吹き飛ばされて死亡したとみられていた。

しかし現場をさらに調査したところ、新たに腕や胸部、頭部の遺骨が見つかった。
分析の結果、考古学者らは、巨岩の激突ではなく火砕流による窒息が死因だとの結論に至ったという。

火砕流とは火山から噴き出した高温のガス、溶岩、砕屑(さいせつ)物などが混合して流れ下る現象を指す。

遺骨の上半身を押しつぶしたかのように地面から突き出して見える巨岩は、家の戸口の側柱と考えられる。
この地面の下には18~19世紀に掘られたトンネルが通っており、遺骨の上半身はトンネルの中に落ちた状態で見つかった。
頭蓋骨には多少のひび割れがあるが、ほぼ原形をとどめている。

今回の発見では男性が「胸のあたりで握りしめていた」とみられる小さな財布の遺物も確認された。
中身は銀貨20枚と銅貨2枚で、考古学者らによれば家族3人で2週間は過ごせるだけの価値があるという。

男性の推定年齢は30歳以上。脚の骨には感染症をうかがわせる病変があり、
これが原因で逃げ遅れたのではないかと研究チームは推測する。

pompeii-victim-crushed-rock-eruption-trnd-super

関連記事 
【ポンペイ遺跡】巨岩に頭吹き飛ばされた遺骨発見、火山噴火で避難途中 
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1071111518.html

CNN
https://www.cnn.co.jp/fringe/35121780.html
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1530508632/続きを読む

↑このページのトップヘ