(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:中華史 > 春秋戦国

1: 樽悶 ★ 2018/07/07(土) 18:35:22.23 ID:CAP_USER9
兵馬俑(2016年5月6日撮影、資料写真)
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始皇帝の兵馬俑(2015年6月27日撮影、資料写真)
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【7月7日 CNS】中国・陝西省(Shaanxi)西安市(Xi'an)の文化的な観光資源は実に豊かだ。周、秦、漢、唐などの王朝が、この地に無数の文化遺跡を残した。

 大雁塔(Big Wild Goose Pagoda)、鐘鼓楼(Bell Tower of Xi'an)、西安城壁(Fortifications of Xi'an)などがある。だが、最も世界を揺るがした遺跡は、「世界八番目の不思議」と呼ばれる秦の始皇帝の兵馬俑(Terracotta Army)だ。

 兵馬俑を見たことがある人は、その膨大さ、緻密さに感服させられただろう。

 千年もの間、黙々と始皇帝を守護してきた者たちが、全員一重まぶたであることに注目している人はそう多くない。

 兵馬俑の兵士が、なぜ一重まぶたなのか。実は考古学界でも、この問題は大きな論争になってきた。幾度もの議論を経て、諸説がある。

■その1・顔料の色落ち説

 兵馬俑の兵士は人間を模して製造されたため、表情は実に生き生きとしており、二重まぶたも一重まぶたの兵士も存在していたと考えられていた。しかし、二重まぶたは顔料を使用して描かれていたため、発掘された際に空気に触れ、酸化したことで顔料が色あせ、一重まぶたになったという説だ。

■その2・職人の手抜き説

 二重まぶたがないのは、仕事に手抜きがあり、わざと二重まぶたを描かなかったという説だ。

 ただ、この説にはあまり信ぴょう性がないように思われる。人に模して製造された大小の陶器製の兵士に、手抜きをするためだけにまぶたを描かないことがあろうか。秦の始皇帝が、職人に適当な仕事をさせたとも考えにくい。

■その3・一重まぶたが漢民族のシンボル説

 ある専門家は、兵馬俑は芸術品であり、人を模してありのままの姿で製造されたと考えている。そのため、兵士が一重まぶたであった原因は、当時のモデルとなった人間が一重まぶただったことに由来している。

 2200年前、秦を統治していたのは、西北地域に住んでいた人々で、モンゴル人や東アジアにルーツがある人種で、相対的に単一民族だ。この民族の身体的特徴の一つが一重まぶたであり、蒙古ひだ(目頭を覆う部分にある皮膚のひだ)があることだ。

 医学用語では、「内眼角贅皮(ないがんかくぜいひ)」と呼ばれ、東アジアや東南アジアの民族に多くみられる。

 晋の時代、漢民族は各地の民族と同化し、秦や漢時代のように単一民族ではなくなった。特に、魏晋南北朝時代には、北方の遊牧民族が南下して来た影響で、漢民族は南方の土着民族と同化した。そのため、唐時代の壁画や彫刻には、鼻が高く目が大きい胡人の姿が見られる。

 一重まぶたとつり目は、漢民族の変わらぬ美意識の主流だ。唐時代の美人画では、細い目のつり目か一重まぶたが多く描かれている。

 千年の月日が流れ、秦の兵馬俑はすでに秦帝国の栄枯盛衰を忘れ、血統に関心を払う者はいない。兵馬俑の形状や表情を通して、当時の文明や社会の様子を理解することができる。今日に至るまで、兵馬俑は人類の歴史と文化の宝庫であり、依然として無数の神秘が眠っている。新たな発見とその継承が待たれる。(c)CNS/JCM/AFPBB News

AFPBB News 2018年7月7日 10:48
http://www.afpbb.com/articles/-/3181512
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1530956122/続きを読む

1: みつを ★ 2018/06/23(土) 02:27:39.89 ID:CAP_USER9
http://www.bbc.com/japanese/44572149

2300年前の墓に謎のテナガザル 始皇帝の祖母埋葬か
ヘレン・ブリッグス記者 BBCニュース

中国・陝西省にある約2300年前に秦の始皇帝の祖母、夏太后のために作られた可能性がある墓でこのほど、すでに絶滅したテナガザルの一種の頭蓋骨が見つかった。

英ロンドン動物学会が主導する研究チームによると、「ユンジ・インペリアリス」と名付けられた新たに見つかったテナガザルは、人間の活動が直接、種の絶滅につながった歴史上初めての例である可能性があるという。

今回の研究をまとめた論文は科学誌サイエンスに掲載された。筆頭著者のサミュエル・タービー博士は、「チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、テナガザルといった世界のすべての類人猿は現在、人間の活動が理由で絶滅の危機に瀕しているが、狩猟や生息域の減少で絶滅した例はないと考えられていた」と話した。

「しかし、近代には存在しなくなったユンジはこの考えに変更を迫っている。また特にテナガザルの脆弱性を際立たせている」

秦の始皇帝

ひつぎが納められた墓室には、テナガザルの骨のほか、オオヤマネコやヒョウ、クロクマの骨なども見つかった。墓の主の可能性がある夏太后の孫は中国の最初の皇帝、始皇帝で、万里の長城の建設や、兵士などの陶製人形「兵馬俑」を近くに埋めた陵墓などで知られる。

中国文化では、テナガザルは高貴な動物だと考えられ、上層階級がペットとして飼っていた。

コンピューターを使った再現により、見つかった骨はテナガザルのもので、数百年前まで存在していた種とみられると分かった。
英ユニバーシティ・コレッジ・ロンドン教授で論文の共同著者、ヘレン・チャッタージー氏は、当時の人間活動が環境に大きな影響を与えていたのはほぼ確実だと、このテナガザルの絶滅は示している、と語った。

「我々の歴史データからは、これらの要因がテナガザルを南方に向かわせ、現在の生息地である中国の南の端にある限定的な地域に移らせたことが示されている。ユンジの場合は最終的に絶滅してしまった」

類人猿の中では小型のテナガザルは、アジアの熱帯雨林に生息しており、長い手を使って木から木へと飛び移る能力や、耳に残る鳴き声に特徴がある。

テナガザルの種のほぼ全てが森林破壊や狩猟、非合法取引によって絶滅の危機に瀕している。中国では最近、テナガザル2種が絶滅。中国で確認されている種のすべてが国際自然保護連合(IUCN)によって「近絶滅種」に分類されている。
中国のテナガザルの一種、カイナンテナガザルは26頭のみを残すまで減少しており、世界で最も希少な哺乳類になっている可能性が高い。

(英語記事 Mystery extinct ape found in ancient Chinese tomb)

テナガザルの多くは絶滅が危惧されている
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1529688459/続きを読む

jyo (1)
1: 名無しさん@涙目です。 2018/05/18(金) 12:23:52.84 ID:jpl1IriJ0● BE:324064431-2BP(2000)
sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
日本人の由来には諸説あるが、一説には今から約2200年前、秦の始皇帝の命を受け不老不死の薬を探すため、若い男女を含む総勢3000人を連れて渡来した徐福(じょふく)が日本に残り、子孫を残したという説がある。中国メディアの今日頭条は13日、この説の信ぴょう性について分析する記事を掲載した。

 記事は、江戸時代の民間伝承に徐福に関わる伝説が加えられたと紹介。徐福は薬草や農耕技術も持って渡ってきたとされ、日本では農耕をつかさどる神とか、医薬の神様などの異名を付けられたほどで、日本の発展に寄与したことがうかがえるという。徐福に関しては、日本では和歌山県、佐賀県、広島県、愛知県、秋田県、富士山近辺など多くの場所で伝説や記念館があることから、日本に渡ってきたのは間違いないだろうとした。

 また、台湾の学者が徐福は神武天皇だという説を提出し、一定の賛同を得ていることも紹介。その真偽はともかく、徐福と同行した大勢の中国人が日本にたどり着き、彼らの子孫が日本にいるに違いないと結論づけた。

 この手の話は中国のネット上でよくでる話であり、史実であると信じている中国人も少なくない。確かに、日本各地に徐福に関する伝承が残っているが、その内容は地域によってさまざまであり、真偽は不明である。しかし、こうした話は中国人にとって歴史のロマンが感じれるので好まれるのであろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

http://news.searchina.net/id/1659580?page=1
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1: みつを ★ 2017/12/20(水) 01:24:18.50 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3155960

2017年12月19日 21:33 発信地:中国
【12月19日 CNS】中国・河南省(Henan)新鄭市(Xinzheng)で2017年2月から発掘作業が進んでいた、紀元前に栄えた鄭王朝が馬や馬車を副葬した「鄭国3号車馬坑」に関し、今から2400年以上前の「高級車」の全貌がこのほど明らかになった。

 鄭国3号車馬坑は、鄭君主の墓の副葬坑で、すでに馬車4台の発掘を終えている。そのうちの1台は大型で装飾も豪華で、鄭王朝などの王都があった遺跡「鄭韓故城」内で発掘された最大の車馬坑に埋葬されていた。鄭韓故城内で現在までに出土されているものでも最大で、装飾が最も豪華であることから、国の統治者が使用した馬車と見られている。

 古代の馬車は現在のキャンピングカーのようなものだといい、車幅は1.6メートル、長さは2メートル以上あり、座ることも、横になることもできる。

 これまでに「3号車馬坑」では、副葬馬が約100頭確認されている。発掘現場は車馬が入り乱れているが、東から西に向かって一定の方角に並べられている。

 馬が西を向いているのは、鄭国は当初、新鄭市の西にある陝西省(Shaanxi)華州区(Huazhou)から生じた国であるため、故国への思いを表している。

 また車馬抗内には、2400年前に建造者が残したとみられる足跡や、盗賊が墓を荒らした際に横壁に穴を開けたと思われるくぼみなどがはっきりと残っている。(c)CNS/JCM/AFPBB News

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1513700658/続きを読む

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