(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 平安時代

1: 風吹けば名無し 2017/10/18(水) 21:36:24.48 ID:lmbo8eRNa
平安時代の日本2大都市の人口 

京都16万人 平泉15万人 

奥州藤原氏が滅びていなければ今の岩手県南から宮城県北部は今の大阪みたいな巨大都市だったんやぞ
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1508330184/
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1508332596/
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/10/09(月)08:01:56 ID:DUK
ワイ氏エリート官僚。人気作家。
オリジナル同人誌かいてたら売れ過ぎwwww
ちな、清少納言はオワコンの定子派についてるアホ。
いとワロスwwww

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1: 紅あずま ★ 2017/09/08(金) 00:15:06.59 ID:CAP_USER9
「菅原道真が植えた」伝説のケヤキ折れる 強風の影響か
朝日新聞:2017年9月7日23時12分
http://www.asahi.com/articles/ASK9742L0K97PTJB007.html

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2本のうち1本が折れた菅山寺のケヤキ(滋賀県長浜市余呉町坂口、市提供)


 滋賀県長浜市余呉町坂口の菅山寺(かんざんじ)の山門近くにあるケヤキ1本が折れているのを自然観察に訪れた男性が見つけ、市が4日確認した。
市によると、ケヤキは2本並んでおり、ともに樹齢は約千年とされる。
地元では、学問の神様・菅原道真が植えたと語り継がれており、住民らに親しまれてきた。

 ケヤキは2本合わせて県の自然記念物に指定されている。
市によると、2本のケヤキは高さ、幹回りいずれも10メートルほど。
1本が虫食いなどの影響で、弱っていたところに強風を受け、折れたとみられるという。もう1本に異常はない。

 菅山寺は奈良時代の764年に開かれたと伝えられ、平安時代に菅原道真が再興したといわれている。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1504797306/続きを読む
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1: 岩海苔ジョニー ★ 2017/08/25(金) 15:45:13.20 ID:CAP_USER9
山梨県甲州市は25日、同市塩山下於曽えんざんしもおぞにある平安時代の「ケカチ遺跡」から、和歌1首が刻まれた土器が出土したと発表した。

京の都から和歌や仮名文字が広がり始めた10世紀中頃に作られたとみられ、専門家は「和歌などの貴族文化が地方にも広がっていたことを示す貴重な史料」と話している。

 平安時代の土器は、墨で地名などが書かれたものの出土例が多く、京都市の平安京跡で出土した土器には、平仮名の「いろは歌」のほぼ全文が墨で書かれていた。今回の出土品は焼く前の土器に文字を刻んでおり、甲州市教育委員会は「和歌を丸々1首刻んだ土器の発見は全国で初めて」と説明する。
http://yomiuri.co.jp/culture/20170825-OYT1T50084.html
20170825-OYT1I50028-1
20170825-OYT1I50029-1

http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1503643513/続きを読む
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1: きつねうどん ★ 2017/08/03(木) 20:23:40.12 ID:CAP_USER
 京都市中京区の島津製作所三条工場内で、東西約21メートル、南北約9メートルと平安京跡では最大級の建物跡が見つかり、市埋蔵文化財研究所が3日発表した。9世紀前半(平安時代前期)とみられ、担当者は「名前は分かっていないが、大納言クラスの貴族の大邸宅と考えられ、貴重な発見だ」としている。

 当時は「右京三条三坊五町」と呼ばれた区画(約120メートル四方の方形)の一部で、政治の中枢だった平安宮に近い一等地という。工場建設に伴い発掘調査していた。

 4棟の建物跡が見つかり、最大級の建物は1辺約90~150センチの四角い柱穴が20カ所以上あり、ひさしもある建物という。
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https://this.kiji.is/265758782967465465
http://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1501759420/
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1501760217/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/07/11(火)00:24:22 ID:mcm
・源氏物語を執筆する
・漢文の教養がズバ抜けて高い
・漢文だけでなく仏教、日本神話、伝承などあらゆる知識を持つ
・和歌も天才的(多くの歌が勅撰集に収録され、小倉百人一首にも選出される)
・源氏物語の翻訳を読んだ外国人は軒並み天才と高評価
・ノルウェーの世界文学100で川端康成と共に日本の作品として選抜される
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https://kids.gakken.co.jp/rekishi/first/vol005/02.html
1: コモドドラゴン ★ 2017/07/02(日) 18:26:05.82 ID:CAP_USER9
街中で、「氷」の旗を見かける季節になりました。専門店もいいですが、家族や友人と、手作りのかき氷づくりを楽しんでみてはどうでしょう。最近は、家庭用のかき氷器も、ずいぶん進化しているようです。

 「ふわふわ」「とろっ」。大阪市北区のヨドバシカメラマルチメディア梅田のかき氷器売り場では、そんな宣伝文句を掲げる商品が目を引く。「昨夏から、ふわふわなかき氷をつくれるものの人気が続いています」と、調理家電担当の内田真理子さん。

 ふわふわの氷は、薄く削ることでできる。メーカーは刃の素材や氷に当てる角度を研究している。

 とろとろした食感で人気の「台湾風」をつくれる家庭用かき氷器も出てきた。ジュースやシロップなどを混ぜてから凍らせた氷を削る。こうした氷は軟らかいので、これまでの機器では固定しづらかった。

 ドウシシャが、固定部分を改良して今年3月に売り出した「電動ふわふわ とろ雪かき氷器」を借り、試してみた。

 専用の製氷カップに牛乳とチョコレートシロップ、練乳を入れて凍らせ、円盤形の氷をつくる。機器にセットし、ボタンを押す。少しずつつまみを回しながら粗さを調節するのに少し手間取ったが、しばらくすると帯状の氷がでてきた。シャーベットのような食感。確かに、「ふわとろ」という感じだった。

 かき氷の歴史は平安時代にさかのぼる。清少納言の「枕草子」には、削り氷にあまづら(甘味料)を入れて食べる、という記述がある。当時は小刀で削り貴族が楽しんだ。明治時代になって機械でつくる氷が普及して、庶民の味になった。かき氷器の進化は、家庭での手軽な楽しみ方を増やしてくれそうだ。(笠井哲也)

2017年7月2日10時7分
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK6V321FK6VPLFA00B.html?iref=sp_new_news_list_n
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1498987565/続きを読む
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1: チンしたモヤシ ★  2017/06/16(金) 05:48:04.95 ID:CAP_USER9
6月16日は「和菓子の日」。さかのぼること平安時代……その由縁と歴史について
あの吉田松陰も大好物だった……といわれる「大福」
2017061500078_1
tenki.jpサプリ 記事(更新 2017/6/15 16:30)
https://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2017061500078.html


6月16日は「和菓子の日」、江戸時代には徳川将軍から手渡しでお菓子がもらえた!?
66-_kasho
http://mag.japaaan.com/wp-content/uploads/2017/06/image-11-900x491.jpeg
Japaaan歴史・文化 山田桜子@2017/06/15
http://mag.japaaan.com/archives/57071

梅雨らしい空模様が続くと外出が億劫になりますが、そんな日に自宅で過ごす楽しみといえば「菓子、アイス、スイーツを食べること」という方も少なくないと思います。特に見た目がかわいらしいケーキや和菓子は、天気に関係なく(笑)、ひと時の幸せをもたらしてくれますよね!
そんな折、明日6月16日が「和菓子の日」であることをご存じですか? 実はこの「和菓子の日」は、古くから“いわれ”のある記念日なのです。それにしても、なぜ6月16日が「和菓子の日」なのでしょう? 和菓子にまつわるトリビアも交えつつ、早速ご紹介していきましょう。

●「嘉祥の日」が「和菓子の日」に

だいぶ古い話になりますが、遡ること約1170年前の平安時代(848年/承和15年・嘉祥元年)。
仁明(にんみょう)天皇が「6月16日に“16”にちなんだ菓子などを神前に供えるように」という神のお告げに従ったことが「和菓子の日」のそもそものはじまり、といわれています。そして、仁明天皇はこのお告げをきっかけに、「めでたい」という意味がある「嘉祥(かしょう)」に元号をあらためたそう。神のお告げによって元号があらたまる……なんて現代では考えられないことですが、平安時代の時代性がうかがえるエピソードでもありますね。
鎌倉時代になると、時の天皇が6月16日に16枚の通貨と同価値の菓子を神前に供えるようになりました。さらに、室町時代には6月16日が「嘉祥の日」となり、天皇にお祝いの菓子を献上していたと『御湯殿上日記』に記されています。安土桃山時代には豊臣秀吉が「嘉祥の祝」を行っていましたし、江戸時代には6月16日に大名や旗本を江戸城の大広間に集めて、時の将軍から菓子が配られました。その際に用意された菓子は約2万個!にものぼり、儀式は「嘉祥頂戴」と呼ばれました。
庶民にも嘉祥の習わしは広まり、十六文(もしくは米一升六合)で買った菓子を食べていたのだとか。さらに、6月16日の夜に、16歳の子の振袖をおとして詰め袖にする「嘉祥縫」という風習もありました。他にも、6月16日に収穫した梅で作った梅干しを「嘉祥の梅」と呼び、旅立ちの日に食べることで旅の無事を祈ってもいました。
平安時代に始まった「嘉祥の日」の習わしは、災難を逃れ、健康を招く恒例行事として明治時代まで続きます。その後、昭和54(1979)年に一度忘れられた「嘉祥の日」を復活させるべく、全国和菓子協会が6月16日を「和菓子の日」としたのです。

つづく >>2-5
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1497559684/続きを読む
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