(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 平安時代

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1: 名無しさん@おーぷん 2017/07/11(火)00:24:22 ID:mcm
・源氏物語を執筆する
・漢文の教養がズバ抜けて高い
・漢文だけでなく仏教、日本神話、伝承などあらゆる知識を持つ
・和歌も天才的(多くの歌が勅撰集に収録され、小倉百人一首にも選出される)
・源氏物語の翻訳を読んだ外国人は軒並み天才と高評価
・ノルウェーの世界文学100で川端康成と共に日本の作品として選抜される
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https://kids.gakken.co.jp/rekishi/first/vol005/02.html
1: コモドドラゴン ★ 2017/07/02(日) 18:26:05.82 ID:CAP_USER9
街中で、「氷」の旗を見かける季節になりました。専門店もいいですが、家族や友人と、手作りのかき氷づくりを楽しんでみてはどうでしょう。最近は、家庭用のかき氷器も、ずいぶん進化しているようです。

 「ふわふわ」「とろっ」。大阪市北区のヨドバシカメラマルチメディア梅田のかき氷器売り場では、そんな宣伝文句を掲げる商品が目を引く。「昨夏から、ふわふわなかき氷をつくれるものの人気が続いています」と、調理家電担当の内田真理子さん。

 ふわふわの氷は、薄く削ることでできる。メーカーは刃の素材や氷に当てる角度を研究している。

 とろとろした食感で人気の「台湾風」をつくれる家庭用かき氷器も出てきた。ジュースやシロップなどを混ぜてから凍らせた氷を削る。こうした氷は軟らかいので、これまでの機器では固定しづらかった。

 ドウシシャが、固定部分を改良して今年3月に売り出した「電動ふわふわ とろ雪かき氷器」を借り、試してみた。

 専用の製氷カップに牛乳とチョコレートシロップ、練乳を入れて凍らせ、円盤形の氷をつくる。機器にセットし、ボタンを押す。少しずつつまみを回しながら粗さを調節するのに少し手間取ったが、しばらくすると帯状の氷がでてきた。シャーベットのような食感。確かに、「ふわとろ」という感じだった。

 かき氷の歴史は平安時代にさかのぼる。清少納言の「枕草子」には、削り氷にあまづら(甘味料)を入れて食べる、という記述がある。当時は小刀で削り貴族が楽しんだ。明治時代になって機械でつくる氷が普及して、庶民の味になった。かき氷器の進化は、家庭での手軽な楽しみ方を増やしてくれそうだ。(笠井哲也)

2017年7月2日10時7分
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK6V321FK6VPLFA00B.html?iref=sp_new_news_list_n
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1498987565/続きを読む
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1: チンしたモヤシ ★  2017/06/16(金) 05:48:04.95 ID:CAP_USER9
6月16日は「和菓子の日」。さかのぼること平安時代……その由縁と歴史について
あの吉田松陰も大好物だった……といわれる「大福」
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tenki.jpサプリ 記事(更新 2017/6/15 16:30)
https://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2017061500078.html


6月16日は「和菓子の日」、江戸時代には徳川将軍から手渡しでお菓子がもらえた!?
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http://mag.japaaan.com/wp-content/uploads/2017/06/image-11-900x491.jpeg
Japaaan歴史・文化 山田桜子@2017/06/15
http://mag.japaaan.com/archives/57071

梅雨らしい空模様が続くと外出が億劫になりますが、そんな日に自宅で過ごす楽しみといえば「菓子、アイス、スイーツを食べること」という方も少なくないと思います。特に見た目がかわいらしいケーキや和菓子は、天気に関係なく(笑)、ひと時の幸せをもたらしてくれますよね!
そんな折、明日6月16日が「和菓子の日」であることをご存じですか? 実はこの「和菓子の日」は、古くから“いわれ”のある記念日なのです。それにしても、なぜ6月16日が「和菓子の日」なのでしょう? 和菓子にまつわるトリビアも交えつつ、早速ご紹介していきましょう。

●「嘉祥の日」が「和菓子の日」に

だいぶ古い話になりますが、遡ること約1170年前の平安時代(848年/承和15年・嘉祥元年)。
仁明(にんみょう)天皇が「6月16日に“16”にちなんだ菓子などを神前に供えるように」という神のお告げに従ったことが「和菓子の日」のそもそものはじまり、といわれています。そして、仁明天皇はこのお告げをきっかけに、「めでたい」という意味がある「嘉祥(かしょう)」に元号をあらためたそう。神のお告げによって元号があらたまる……なんて現代では考えられないことですが、平安時代の時代性がうかがえるエピソードでもありますね。
鎌倉時代になると、時の天皇が6月16日に16枚の通貨と同価値の菓子を神前に供えるようになりました。さらに、室町時代には6月16日が「嘉祥の日」となり、天皇にお祝いの菓子を献上していたと『御湯殿上日記』に記されています。安土桃山時代には豊臣秀吉が「嘉祥の祝」を行っていましたし、江戸時代には6月16日に大名や旗本を江戸城の大広間に集めて、時の将軍から菓子が配られました。その際に用意された菓子は約2万個!にものぼり、儀式は「嘉祥頂戴」と呼ばれました。
庶民にも嘉祥の習わしは広まり、十六文(もしくは米一升六合)で買った菓子を食べていたのだとか。さらに、6月16日の夜に、16歳の子の振袖をおとして詰め袖にする「嘉祥縫」という風習もありました。他にも、6月16日に収穫した梅で作った梅干しを「嘉祥の梅」と呼び、旅立ちの日に食べることで旅の無事を祈ってもいました。
平安時代に始まった「嘉祥の日」の習わしは、災難を逃れ、健康を招く恒例行事として明治時代まで続きます。その後、昭和54(1979)年に一度忘れられた「嘉祥の日」を復活させるべく、全国和菓子協会が6月16日を「和菓子の日」としたのです。

つづく >>2-5
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1497559684/続きを読む
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1: イセモル ★ 2017/05/17(水) 08:55:46.42 ID:CAP_USER9
永谷園に「お茶漬け」について取材した。

5月17日は「お茶漬けの日」。

永谷園を創業した永谷嘉男氏の先祖で、江戸時代にお茶の製法を発明し煎茶の創始者として祀られている「永谷宗七郎(宗円)」氏の偉業をたたえ、同社が命日である5月17日に制定した。

お茶漬けのルーツは平安時代に

同社によると、お茶漬けのルーツは平安時代にさかのぼるという。

平安時代の文献に、ご飯に水やお湯をかけた手軽な食事「水飯」や「湯漬け」がたびたび登場するが、これがお茶漬けのルーツと言われているそう。

戦国時代には簡便な湯漬けは武士に愛され、織田信長と斎藤道三の初対面の際にも湯漬けを食べながらの一席となったという記録がある。

江戸時代になると、ありふれている事や容易なことが「こんなことは茶漬めしだ」と例えられるほど、お茶漬けは庶民の日常生活に浸透。

茶漬けを始めとする簡単な料理を出す「茶漬屋」も流行し、江戸各地に名物茶漬けが誕生した。

60年で140億食以上

「お茶漬けの日」制定のキッカケとなった永谷園の「お茶漬け海苔」は、永谷宗円から数え10代目で同社を創業した永谷嘉男と、その父親である9代目の親子が完成させ、1952年(昭和27年)に発売した。

発売からの60年間で食べられた同商品の数は、なんと140億食以上。これまでに食べられた小袋を縦につなげると、地球35周分もの長さになるとか。

また、使われたお湯の量は210万KL以上、ご飯の量は140万トン以上。

これまで売り上げたお茶漬けの「あられ」の数は2450億本以上で、横に並べると500万kmを超え、地球から月を6往復以上する距離に匹敵するという。

*****
引用ここまで
お茶漬けには牛乳が合う等の話は下記引用元でご確認ください|ω・)
https://irorio.jp/nagasawamaki/20170517/400296/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1494978946/続きを読む
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1: 記憶たどり。 ★ 2017/03/24(金) 05:11:12.52 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170322-00000042-mai-sctch

平安・鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に
書き残した「赤気(せっき)」という現象は、太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高いと、国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームが米地球物理学連合の学術誌に発表した。
連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。

明月記には、1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き残している。

オーロラは太陽から噴き出した高エネルギー粒子が、地球の大気を光らせる現象。
北極や南極などで観測され、京都で連続して発生することは考えにくい。
赤気の現象が何を指しているかは長年の謎で、彗星(すいせい)説もあった。

片岡龍峰(りゅうほう)・極地研准教授らのチームが過去2000年の地磁気の
軸の傾きを計算した結果、北米大陸方向に傾いている現在の軸が1200年ごろには日本列島側へ傾きオーロラが出現しやすい時期だったことが分かった。
また、中国の歴史書「宋史」の同2月の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれているのに着目。太陽活動が活発化していた可能性が高いと分析した。

太陽の活動が活発化するとオーロラが発生しやすくなるといい、宋史にも900~1200年代に赤いオーロラの観測例が十数件記述されているという。
屋久杉などの年輪に残る太陽活動の痕跡と照合した結果、オーロラが観測された
年と太陽活動が活発だった年がほぼ一致したという。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1490299872/ 続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/10/15(土) 06:32:46.95 ID:SsqHYsNs0
最高やな!
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1476480766/ 続きを読む

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/08/27(土) 04:22:46.78 ID:xU7Ukun40
なお62年の人生で家系ラーメンを一度も口にすることなく死んだ模様
悲しい生涯やな
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http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1472239366/
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1: DQN ★ 2016/08/26(金) 12:49:04.54 ID:CAP_USER9
 福岡県太宰府市の榎社(えのきしゃ)境内で、平安時代前期(9世紀後半~10世紀初め)の掘っ立て柱建物跡が見つかり、市教育委員会が26日までに発表した。文献の記述などから、学問の神様として知られる菅原道真が京都から左遷され、大宰府で過ごした官舎「南館」の一部とみられる。

 右大臣の要職にあった道真は、左大臣、藤原時平の政略によって901年に大宰権帥(だざいのごんのそち)として左遷され、失意のうちに903年に死去したとされる。道真の時期と重なる遺構が確認されるのは初。

 見つかったのは東西5.8メートル、南北2.8メートル以上の柱穴列で、大宰府条坊の中心部から出土。政庁に通じる朱雀大路に面し、通りの西側の「右郭」と呼ばれるエリアに位置していた。瓦の出土量が極めて少なく、屋根は茅や板がふかれていたとみられる。

 道真が大宰府での2年間をつづった漢詩集「菅家後集(かんけこうしゅう)」には、南館についてかやぶき屋根とみられる「草堂」や「右郭」との記述があり、市教委は「これを裏付ける発見」としている。

 大宰府は古代の律令政府が九州に置いた出先機関。「遠の朝廷」とも呼ばれ、外交使節の接待にも当たった。大宰府跡は国の特別史跡に指定され、榎社は太宰府天満宮が管理している。〔共同〕

日経新聞:http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25HD6_W6A820C1000000/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1472183344/ 続きを読む
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