(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 平安時代

1: ばーど ★ 2018/03/24(土) 01:44:19.30 ID:CAP_USER9
平安京で最大級の貴族邸宅とみられる平安時代前期(9世紀前半)の大型建物跡がみつかっていた京都市中京区の島津製作所三条工場内で、さらに1棟の大型建物跡が出土した。京都市埋蔵文化財研究所が23日発表した。「齋」と記された墨書土器もみつかり、専門家は、京都三大祭りの一つ、葵祭(あおいまつり)のヒロイン役のモデルとされ、古代には伊勢神宮や賀茂神社に仕えた未婚の皇女「斎王(さいおう)(斎宮(さいくう)、斎院(さいいん))」の住まいだった可能性を指摘する。

 研究所によれば、現場は桓武天皇(在位781~806年)が造営した平安京の右京三条三坊五町にあたり、昨夏までの調査で東西21メートル、南北9メートルの大型建物跡を確認。その後の調査で、約12メートル北側から新たに東西14メートル、南北8・5メートルの大型建物跡が出土した。いずれも古い建物から建て替えられたとみられ、南北方向に大型建物2棟が並ぶ平安京で最大規模の邸宅だった可能性が強まっている。

 これまでの一連の調査で、敷地面積が1町(ちょう、約120メートル四方)規模だったとみられ、研究所は、現在の閣僚クラスにあたる「三位(さんみ)」以上の高級貴族の邸宅だったと推定する。調査地内の南東でも過去の調査で大型建物跡が2棟みつかり、1町内に二つの大型建物の区画を持つ邸宅は平安京内では初めてとされる。

 一方、調査地東側の溝から「政所(まんどころ)」と書かれた須恵器の鉢や、「齋」と墨書された灰釉(かいゆう)陶器の皿が出土。敷地内で住まいと事務棟が使い分けられていたとみられる。近くの別の調査地からは「斎宮」と墨書された土器の出土例もある。

 斎王とは飛鳥時代から天皇に代… 残り:320文字/全文:1017文字

今回みつかった北側の大型建物跡
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「齋」の字が書かれた墨書土器
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地図
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2018年3月23日23時34分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL3Q62HRL3QPLZB018.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1521823459/続きを読む

1: 泥ン ★ 2018/01/13(土) 23:52:48.50 ID:CAP_USER9
清水寺に建つ「北天の雄 阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)之碑」=京都市東山区で、戸田栄撮影
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坂上田村麻呂公園内にある墳墓=京都市山科区勧修寺東栗栖野町で、戸田栄撮影
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 本州の北方や東方にあって、ヤマト側とは異なる世界を築いていた人々は「蝦夷(えみし)」という蔑称でしか今に伝わっていない。奈良や京都を中心とした初期の日本が勢力範囲を拡張していく中で、蝦夷は征服されるべき野蛮人というイメージを持たされているが、本当にそうだったのか? 歴史家の故・上田正昭氏は「日本人の多くの人がもっている蝦夷観は間違っている」(世界人権問題研究センター編・人権問題研究叢書15「講座・人権ゆかりの地をたずねて」)と指摘する。今はよく知るすべもないが、やはりどんな人々であったのかが気になる。

 「大和朝廷から見た史料しか残っていませんから、そうなってきました。大和朝廷は中華思想で、自らの周辺は夷荻(いてき)であり、未服従の遅れた人々だと位置づけました」と、井上満郎・京都市歴史資料館長は語る。奈良時代初めに成立した日本書紀に描かれる蝦夷は、怪物のようでもある。冬は穴に寝て夏は木の上に巣を作って住み、毛皮の上で血を飲んでいるという。山に登れば鳥が飛ぶように、草の中を駆ければ獣のように素早いとも。同じ人間であるから、こうした描き方は現代ではリアリティーを欠くが、昔は未知の世界への恐れが強く、こんな調子で通用したのかもしれない。

 井上館長によると、近年、蝦夷がいた東北地方が古くから相当に文明化の進んだ地であったとわかり、蝦夷を考えるのに重要な手がかりとなっている。縄文時代の大規模な集落跡である三内丸山、大陸と交易をしていた平安時代にさかのぼる十三湊の遺跡発掘などが、かつての東北のイメージを覆した。加えて、上田氏は東大寺の大仏の完成は陸奥守(現在の宮城県などを管轄)からの黄金献上があってのこととし、そこに地域の大きな経済力をみる。

 経済力は文化を招き入れ、奥州藤原氏による平泉の文化が花開く。京都市出身の井上館長は初めて平泉を訪れた時、「京の仏像とは違う文化のもとにある仏像と一目でわかり、驚きました」と語った。そして、それは蝦夷の社会や文化の流れをくむ、大和朝廷側とは異なる豊かな社会があったことを示しているという。

 それにしても、蝦夷とはどういう人たちだったのか? アイヌとの関連をつい考える人が多いようだが、文献資料でそう示すものはなく、本州の北方や東方に住み、大和朝廷側の支配の外にあって、独自の暮らしを営んでいた人々とまずは把握すべきらしい。奈良時代後期からは大和朝廷と、集団的に戦っており、部族的なまとまりを持っていたとも考えられている。

 さて、蝦夷についての想像をふくらませながら歩ける京のマナび場を紹介しよう。まずは、京都市東山区の清水寺にある「北天の雄 阿弖流為(アテルイ)と母〓(モレ)之碑」。同寺の観光順路では音羽の滝を見終えての帰路にある。1994年、岩手県奥州市の有志が同寺の協力を得て建立したものだ。

 アテルイは蝦夷の指導者で、789年に胆沢(現・奥州市)での戦いで、大和朝廷の軍を大敗させている。その以前から朝廷側は蝦夷に苦戦を続けていた様子があり、上田氏は「蝦夷は強いのです」と書いている。アテルイは強い蝦夷のヒーローとして、地元では人気があるようだ。

 これを破ったのが、征夷大将軍として後世に名を残す坂上田村麻呂だ。その後に続く二つの戦いで勝利を収め、802年にはもう一人の敵将、モレとともにアテルイを平安京へ連れてくる。助命嘆願をしたものの、朝廷内の反対で2人は処刑されてしまう。清水寺は、賢心上人の教えに感銘を受けた田村麻呂が建立した寺だ。その縁から、アテルイらの碑が建った。

 田村麻呂ゆかりの他の場所も歩いてみよう。田村麻呂は、武具などとともに平安京の東に向けてひつぎを立てるようにして埋葬されたという。死後も平安京の守護をたくらされてのことで、国家危急時には塚が鳴動するという伝説もある。だが、その所在地はずっとわからなかった。

 近年の研究で、山科区の西野山古墓がその場所として有力となっているが、山の中で訪ねにくい。気軽に行けるのは、1895(明治28)年の平安遷都1100年祭にあたり、山科区勧修寺東栗栖野町の坂上田村麻呂公園にある墳墓だ。正しい場所かはさておき、明治時代になってもこれほどの墓が整備された田村麻呂の人気をうかがい知ることができる。

続きはソース
http://mainichi.jp/articles/20180111/ddl/k26/040/474000c?inb=ra
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1515855168/続きを読む

kankou_kiyomizudera

1: 名無しさん@涙目です。 2018/02/01(木) 21:02:40.96 ID:ACPHd4gO0● BE:259388547-2BP(2000)
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 京都は別称として洛陽と呼ばれることがある。洛陽はもともと中国にある都市だが、中国人は京都に来てどんな感想を持つのだろうか。中国メディアの今日頭条は27日、「日本に洛陽を盗まれた」とする記事を掲載し、中国人に対して、これを読んで皆深く反省するべきだと訴えた。

 桓武天皇の時代に建設された平安京だが、記事は、西側(右京)を「長安」、東側(左京)を「洛陽」としたものの、右京は湿地帯であったためほどなく廃れ、
左京だけが残ったと紹介。その後、1000年以上も京都のことは洛陽と呼ばれてきたと伝えた。

 中国には現在でも河南省に洛陽市がある。かつては歴代9王朝が相次いで都を置いたことから、「九王朝の古都」と呼ばれるほど栄えたというが、今ではすっかりその面影はない。
記事は、中国では失われてしまったかつての洛陽が京都には残っており、絵で描いたように美しく「夢にまで見た唐」だと絶賛。
京都御所、醍醐寺、妙心寺、金閣寺、嵐山など多くの写真を掲載し、「1000年前の中国の古都が完ぺきに保存」されていると、感動をそのままに伝えた。

 また記事は、京都にはあちこちに「洛陽」という文字が刻まれているのを見ることができるとも紹介。学校の名前に洛陽が残っているほか、バスの名前は洛バスで、多くの商品名にも洛陽にちなんだ名前が付けられている。そのため、中国人は京都で「唐にタイムスリップ」したような感覚に襲われるという。

 記事は最後に、「我々は喜ぶべきか悲しむべきか」と複雑な心理をのぞかせて締めくくった。日本以上に歴史のある中国だが、その貴重な文化や建築物、伝統などの多くが失われてしまっているのは実に残念なことだ。本国では見られなくなった唐の名残を京都で見るというのは、多くの中国人にとって複雑な心境なのかもしれない。
(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
http://news.searchina.net/id/1652654?page=1
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1517486560/続きを読む

1: ハンバーグタイカレー ★ 2018/01/22(月) 19:01:17.07 ID:CAP_USER9
http://www.asahi.com/articles/ASL1H6S9SL1HPOMB009.html

 奈良・春日大社が所蔵する太刀(たち)について、12世紀の平安時代後期につくられた「古伯耆(こほうき)」と呼ばれる最古級の日本刀だったことが分かった。春日大社が22日発表した。平安時代から武家に伝わる「伝家の宝刀」が、南北朝~室町時代初め(14~15世紀)に大社に奉納されたとみられ、日本刀の歴史を考える上で重要な資料として注目される。

 日本の刀剣は、古代遺跡での出土品や正倉院宝物などにみられる反りのない「直刀」から、平安後期に反りなどの付いた現在の日本刀の形が成立。伯耆国(現鳥取県中西部)で作られた「古伯耆」などが最初期のものとされる。

 刀は無銘で、刃の長さが82・4センチ。鞘(さや)などの外装は南北朝~室町時代に作られた黒漆山金作太刀拵(くろうるしやまがねづくりたちこしらえ)とされる。大社によると、刃文の特徴などから古伯耆の中でも最古とみられる「安綱(やすつな)」の作の可能性がある。このほかに古伯耆は十数点の国宝・重要文化財がある。東京国立博物館の酒井元樹主任研究員(日本工芸史)は「これだけ長寸の古伯耆で、外装も残っているのは珍しい」と話す。

 太刀は1939(昭和14)年、宝庫天井裏から発見された12振りのうちの1振り。刀身がさびていたので詳細が不明だったが、2016年度から第60次式年造替(しきねんぞうたい)を記念して研磨したことで詳細が判明した。

 刀は30日から、春日大社国宝殿で展示される。3月26日まで。問い合わせは大社へ

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1516611624/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1516615277/続きを読む

1: 泥ン ★ 2017/12/19(火) 02:21:39.99 ID:CAP_USER9
城柵の跡が見つかった赤井遺跡での現地説明会
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 古代牡鹿郡を統括していた役所跡とされる宮城県東松島市の赤井遺跡で、大和朝廷の軍事施設である城柵「牡鹿柵(おしかのさく)」とみられる塀や溝の跡が見つかった。市教委が16日、現地説明会で公表した。史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記述される牡鹿柵の存在が裏付けられ、市教委の担当者は「東北の古代史に影響を及ぼす発見」と話す。

 市教委によると、遺跡南東の外周部から、直径20センチ前後の丸木を並べた材木塀跡と塀に沿った溝跡が、それぞれ東西に120メートル確認された。蝦夷(えみし)の反乱に備えた城柵の外郭施設に当たるという。

 材木塀は、丸柱材を深さ60センチほど埋め、隙間なく並べてあった。高さは約2~3メートルと推定される。材木塀は3列あり、地中の柱が劣化する約20年間隔で、新たな列に建て替えた可能性があるという。

 溝は年代ごとに三つ見つかり、材木塀に沿って延びていた。

 続日本紀には、古代牡鹿郡には役所の「牡鹿郡家(ぐうけ)」と軍事施設の「牡鹿柵」が設置されたとの記載があるが、牡鹿柵跡はこれまで発見されていなかった。

 16日の現地説明会で、市教委生涯学習課の横田竜巳学芸員(28)は「塀は蝦夷の侵入を防ぐ牡鹿柵の可能性が高く、大和朝廷のとりでだったのだろう。郷土史の価値だけでなく、東北全体の古代史に影響するだろう」と話した。

 赤井遺跡は東西約1.7キロ、南北約1キロ。飛鳥時代末期から平安時代初めまで営まれ、現在の石巻地方を統括する役所と、東北地方有数の豪族道嶋氏の豪族居宅の推定地とされる。

河北新報 2017年12月17日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201712/20171217_13020.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1513617699/続きを読む

1: 風吹けば名無し 2017/10/18(水) 21:36:24.48 ID:lmbo8eRNa
平安時代の日本2大都市の人口 

京都16万人 平泉15万人 

奥州藤原氏が滅びていなければ今の岩手県南から宮城県北部は今の大阪みたいな巨大都市だったんやぞ
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1508330184/
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1508332596/
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