(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 源平合戦

1: 風吹けば名無し 2017/10/18(水) 21:36:24.48 ID:lmbo8eRNa
平安時代の日本2大都市の人口 

京都16万人 平泉15万人 

奥州藤原氏が滅びていなければ今の岩手県南から宮城県北部は今の大阪みたいな巨大都市だったんやぞ
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1508330184/
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1508332596/
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20100902003230

1: 風吹けば名無し 2017/10/20(金) 17:51:37.55 ID:kQtwTIzV0
平氏「伊豆へ流しとこ」
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1508489497/続きを読む
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1: ばーど ★ 2017/09/01(金) 11:31:55.17 ID:CAP_USER9
 岐阜県中津川市加子母の大杉地蔵尊で、墓石をはうナメクジを供養する奇祭「なめくじ祭」が執り行われ、大勢の住民らが墓石の前で手を合わせた。

 同地蔵尊の境内には平安から鎌倉時代の高僧、文覚上人の墓が置かれている。同上人は出家前、遠藤盛遠を名乗った武士で源頼朝らと親交があった。

 盛遠は18歳の時、友人の妻の袈裟御前に横恋慕し、恋に狂った。袈裟御前は7月9日夜に夫を1人で寝かせておくので首をはねてほしいと頼み、盛遠は約束通り首をはねたが、正体は夫を助けるために身代わりになった袈裟御前だった。

 盛遠は出家して苦難苦行を重ね、名を文覚と改めて加子母の地に眠る。それ以降、旧暦7月9日の深夜になるとナメクジが墓石をはい上がるようになり、住民らが袈裟御前の霊の化身とみて毎年供養を行っている。

 この日は、住職らが墓石前で念仏を唱えて法要。近隣住民ら約5千人が参拝に訪れ、家電などが当たるくじ引き「なめくじ」や盆踊り、軽食を楽しみながら、墓石に手を合わせた。

なめくじ祭で文覚上人の墓前で手を合わせる住民ら=中津川市加子母、大杉地蔵尊
201709010834_30404
配信2017年09月01日08:34
岐阜新聞
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20170901/201709010834_30404.shtml
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1504233115/続きを読む
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1: 名無しさん@涙目です。 2017/08/04(金) 20:34:03.01 ID:/rPAdWxt0 BE:844481327-PLT(12345) ポイント特典
沖縄県宮古島市平良狩俣の伊良部由美子さん(58)が7月13日、宮古島市総合博物館(上地等館長)に日本刀と古文書、かんざしを寄託した。
伊良部さんは地域で「平家落人」の子孫と伝えられており、寄託品は平家ゆかりの品である可能性があるという。
祖先から代々、受け継いできたが、自宅での保管が難しいことから博物館に管理を依頼した。
傷みが大きいことから同館は修復作業を進める方針で、一般公開については未定としている。

 ◆かんざしには「七曜紋」

寄託された日本刀は長さ約75センチで全体的にさび付いており、いつの年代に作られたかは不明。
古文書は湿気で固まり、今は開封できない状態にある。
だが、宮古島出身で東京で医者をしていた故奥平繁夫氏が1987年に記した著書で、往復書簡の案文か返書であるとの見解を示している。

かんざしには北斗七星を表した「七曜紋」がかたどられている。
伊良部さんは「幼少の頃から、本土の研究者が自宅に来て品を見ていた。歴史的に価値があるものではないか」と推測する。

 ◆男性の名に「平」が慣例

狩俣地域では、北海岸の「ナービダ(長い浜)」に平家の落人が漂着したと言い伝えられている。
伊良部家は代々、男性の名前の最初に「平」を付けるのが慣例。
地域ではそのことから平家落人の子孫だと伝えられている。

伊良部さんは「父や兄が他界し、保管が難しくなってきた。興味がある方もたくさんいると思うのでぜひ博物館で展示してほしい」と期待。
上地館長は「貴重なものなので多くの人に見てもらえるようにしたい」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/123036
img_4fb3ef3a261b3031556efa79443ad628146562
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1501846443/続きを読む
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61QQSxFJpQL
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/05/11(木) 05:51:55.19 ID:19yrHwqQ0
えぇ…
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1494449515/続きを読む
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d03a1779

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/11/12(土) 00:47:59.43 ID:EgT9WxWi0
ショボいンゴね
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1478879279/ 続きを読む
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ジパング深蒼海流04
1: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)23:58:19 ID:m3w
法皇「義経ええやん!九郎判官名乗れよ!」

頼朝「ヤバい奴が法皇に気に入られた…殺さなきゃ…」

義経「ぐえー」

冷静に考えると頼朝さんの気持ちもわかる
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1: タイガードライバー(東日本)@\(^o^)/ 2016/07/20(水) 10:07:54.38 ID:LDAGlWql0 BE:837857943-PLT(16930) ポイント特典
小学校の頃に学んだ歴史の教科書により、我々は偉人の顔を想像することはできるが、身長や体重についてはまったく未知だ。しかし、『日本史有名人の身体測定』(KADOKAWA)の著者で、歴史小説家でありながら現役の整形外科医でもある篠田達明氏は、肖像画や衣服、甲冑、書物などから偉人の体型を推定している。歴史上の偉人たちは、どんな体型だったのか。


“牛若丸”と呼ばれた源義経は小柄で飛ぶように戦うイメージが強い。

「古文書の記述で『義経はチビだ』という悪口が残っているのと、一ノ谷の戦いで馬に乗ったまま断崖絶壁を駆け下りて平家を奇襲した際、俊敏に身をこなしていることからも、やはり小柄だった。また愛媛県の大三島には義経が着用した鎧も現存。そこから147cm、47.5kgと推測した」(篠田氏)

一方、鎌倉幕府を開いた兄の源頼朝は偉丈夫なイメージが思い浮かぶ。

「教科書などに掲載されている肖像は別人で、甲斐善光寺が所蔵する木像が本人であるという説が有力。その木像の体型はずんぐりむっくり。そこで、源兄弟はともに小柄だと判断し、頼朝は155cm、60kgと結論づけました」(同上)

京の五条大橋で義経に敗れて以来、義経の忠実な家来として仕えた武蔵坊弁慶は力自慢の大柄なイメージ。

「伝承では母親の胎内に18か月もおり、誕生時には黒髪が肩まで垂れ下がり、歯も揃っていたと言われている。伝承通りだとすると、 208cm、100kgと仁王のような巨体だったようです」(同上)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160720-00000005-pseven-life
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1468976874/続きを読む
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