(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 日本史

1: 記憶たどり。 ★ 2017/03/24(金) 05:11:12.52 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170322-00000042-mai-sctch

平安・鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に
書き残した「赤気(せっき)」という現象は、太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高いと、国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームが米地球物理学連合の学術誌に発表した。
連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。

明月記には、1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き残している。

オーロラは太陽から噴き出した高エネルギー粒子が、地球の大気を光らせる現象。
北極や南極などで観測され、京都で連続して発生することは考えにくい。
赤気の現象が何を指しているかは長年の謎で、彗星(すいせい)説もあった。

片岡龍峰(りゅうほう)・極地研准教授らのチームが過去2000年の地磁気の
軸の傾きを計算した結果、北米大陸方向に傾いている現在の軸が1200年ごろには日本列島側へ傾きオーロラが出現しやすい時期だったことが分かった。
また、中国の歴史書「宋史」の同2月の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれているのに着目。太陽活動が活発化していた可能性が高いと分析した。

太陽の活動が活発化するとオーロラが発生しやすくなるといい、宋史にも900~1200年代に赤いオーロラの観測例が十数件記述されているという。
屋久杉などの年輪に残る太陽活動の痕跡と照合した結果、オーロラが観測された
年と太陽活動が活発だった年がほぼ一致したという。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1490299872/ 続きを読む
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nigaoe_komatsu_kiyokado_tatewaki
1: パイルドライバー(愛知県)@\(^o^)/ [US] 2017/03/20(月) 19:28:49.82 ID:SqkmtDXb0● BE:544270339-PLT(13000) ポイント特典
<幕末の動乱と明治維新>第8回~クーデターで政権樹立

倒幕の密勅

 徳川慶喜が大政奉還を朝廷に申し出た1867年11月9日、「倒幕の密勅」が出されていました。
これは公家の岩倉具視ともみらが画策した、「賊臣慶喜」を「殄戮てんりく 」(殺害)せよと命じる詔書です。
朝廷の会議も天皇の裁可も得ていない「偽勅」でした。

 天皇側近である議奏ぎそう(宮中の業務を統括する職務)の正親町おおぎまち三条さんじょう実愛さねなるから、
長州藩の広沢真臣さねおみと薩摩藩の大久保利通に手渡されました。
京都出兵をためらっていた薩摩藩主と重臣たちに出兵を促す狙いがあったとされます。

 朝廷は大政奉還を受けながら、これまで通り、慶喜に「庶政を一切委任」します。
慶喜は、19日には征夷大将軍の辞表も提出しました。
しかし、混乱をきたした朝廷は、諸侯が上京するまで待つよう指示するだけです。諸侯会議はなかなか開かれず、政権に空白が生じます。

 一方、幕府内では「政権返上」の取り消し要求が噴出し、会津・桑名など佐幕諸藩は、薩摩藩への反感を募らせます。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/history/20170309-OYT8T50042.html
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1490005729/ 続きを読む
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1: 鄙び湯治宿 ★ 2017/03/20(月) 08:58:46.06 ID:CAP_USER9
文部科学省が学習指導要領の改訂案で「聖徳太子」「鎖国」など、歴史上の人物や出来事などの表記を変えたことに対し、「教えづらい」「わかりにくい」などの批判が集まり、同省が一転、元に戻したり、復活させたりすることがわかった。こうした修正を反映した新指導要領は今月末に告示される。

 文科省は15日まで、改訂案についてパブリックコメントで意見を募ったが、特に不評だったのが聖徳太子の表記。改訂案では、小学校で「聖徳太子(厩戸王(うまやどのおう))」、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」としていた。学会などの歴史研究を踏まえたもので、小学校ではよく知られた「聖徳太子」を、中学校では史実を重視して「厩戸王」を前に出した。ところが、「小中で表記が異なると教えづらい」といった声が相次ぎ、国会でも「連続性がなければいけない」「歴史に対する冒?(ぼうとく)だ」と批判された。

 このため、文科省は小中とも「聖徳太子」に戻し、中学の指導要領では「古事記や日本書紀で『厩戸皇子』などと表記され、後に『聖徳太子』と称されるようになったことに触れる」と加えることにした。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170320-00000013-asahi-soci
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489967926/ 続きを読む
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1: しじみ ★ 2017/03/13(月) 07:48:28.75 ID:CAP_USER9
「甲賀五人」の子孫

 渡辺俊経さん79

 先祖は尾張徳川家に仕えた忍びで、「甲賀五人」の1人として年に1度、尾張藩で鉄砲の撃ち方などを武士に指南した渡辺善右衛門。
普段は、地元で農作業などをして暮らしていたことが、自宅の蔵から見つかった古文書でわかった。

 忍者の実態は、今も謎に包まれているが、先祖が「古文書に書き残していたことに誇りを感じる」と喜ぶ。
実は、先祖が忍者であり、家に古文書が残されていることは、両親からも一切聞かされていなかったという。

 2000年に忍者研究などをしている団体のメンバーとの会合で、「渡辺善右衛門について教えてほしい」と尋ねられた。
10歳の頃、祖母から「善右衛門」という名を受け継ぐはずだったことや、約200年前の火事でも蔵だけが焼けずに残った、という話を聞かされたのを思い出した。

 蔵にあるたんすの引き出しを探すと、約150もの古文書が出てきた。
見つけた当初は古文書の崩し字が読めず、10年かけて勉強した。

 歴史学者の磯田道史さんらに見てもらうと、徳川家に仕えた時の機密保持を誓った「起請文きしょうもん」のほか、鉄砲指南役として甲賀から先祖を含む5人が召し抱えられたり、火薬や薬を調合したりしていたことなどが記載されたものもあった。
「江戸時代は平穏なため、農業をしながら年に1度出向くだけで給金がもらえた」という。

 古文書は昨春頃から、甲賀市教委に渡して解読を依頼しており、成果は、本にして残すように準備を進めている。
紛失や火事などで失う恐れがあるため、全てを市教委に寄託する予定で、貴重な地域の遺産として保存することを願う。

読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/local/shiga/news/20170313-OYTNT50011.html?from=tw
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489358908/ 続きを読む
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1: すらいむ ★  2017/03/08(水) 11:35:14.67 ID:CAP_USER9
「聖徳太子」守れ つくる会が次期指導要領案で要望 「日本主体の古代史ストーリーが崩壊する」

 文部科学省が2月に公表した小中学校の次期学習指導要領改定案について、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は7日、現行の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」との併記とした歴史用語の変更を取りやめるよう求める文書を文科省に提出した。

 文書では、「厩戸王の呼称になれさせようとしている」と指摘。
 「律令国家形成の出発点となった聖徳太子を抹殺すれば、日本を主体とした古代史のストーリーがほとんど崩壊する」と批判している。

 改定案では、人物に親しむ小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、史実を学ぶ中学で「厩戸王(聖徳太子)」に変更。
 文科省は、歴史学では「厩戸王」が一般的としている。

産経ニュース 2017.3.7 20:55
http://www.sankei.com/life/news/170307/lif1703070042-n1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1488940514/ 続きを読む

Siege_constantinople_bnf_fr2691
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/03/08(水) 06:03:24.54 ID:ydzf8g4V0
殺されにいくようなもんやろ
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1488920604/ 続きを読む
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1: 記憶たどり。 ★ 2017/03/04(土) 16:56:19.85 ID:CAP_USER9
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170304-00010000-nishinpc-soci

「武器じゃないか?」「金の宝だろう?」-

江戸時代の蘭学者で医師の緒方洪庵(1810~63)も何に使うか分からず、“謎の物体”とされてきた物の正体が160年後の現代、大分県日田市の咸宜園教育研究センターの職員の手で明らかになった。
それはろうそくの火を消すための道具「キャンドルスナッファー」。センターで開催中の企画展「廣瀬旭荘・敬四郎文庫」で公開中だ。

センターによると、物体は洪庵の友人で日田出身の漢詩人・儒学者、広瀬旭荘(きょくそう)(1807~63)の子孫宅から2012年に見つかった。
金属製で全長18・5センチ、幅3センチ。先端は箱型で、はさみのように開閉できる仕組み。
この物体について記述した旭荘の日記の一部と、スケッチも一緒に見つかった。日記は1842(天保13)年から53(嘉永6)年の間に書かれたとみられる。

日記によると、物体は6月26日、旭荘が拠点にしていた大坂(大阪府)で、漁の網に掛かっているのを発見。
「色は黒くてかすかに赤く漆で染めたような感じ」といい、「西洋のものではないか」と考えた旭荘は、友人に尋ねるが 「戦に使う道具ではないか」という人や「元は金(きん)だろう」という人がいて答えは出ない。
物体にはオランダ語に似た文字が彫られていたため旭荘は友人の洪庵にも見せるが回答は「不識」。結局正体は分からなかった。

突き止めたのはセンターの学芸担当、溝田直己さん(35)。旭荘関連の資料を
調査中だった2014年、旅行先でチェコの画家の作品展を観賞。作品の一つに
よく似たものが描かれているのに気が付き、それがキャンドルスナッファーと
分かった。
「一体何なのか見当も付かなかったので、絵を見たときは衝撃だった。できるなら旭荘さんにも教えてあげたかった」と溝田さん。
企画展は入館無料で31日まで。

キャンドルスナッファーを手にする溝田直己さん
20170304-00010000-nishinpc-000-view
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1488614179/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/03/02(木) 21:54:00.06 ID:0hRUfiFi0
FWfNqsK (1)
数ヶ月前に俺が同じようなスレ立てた時はまだ8万部だったのに、いつのまにか20万部突破でついにはNHKにも取り上げられる
1488458685342
しかもわかりやすい入門書でもない真面目な本なのに
https://www.logsoku.com/r/2ch.sc/livejupiter/1488380804/続きを読む

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