(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 江戸時代

1: みつを ★ 2018/04/29(日) 03:13:55.72 ID:CAP_USER9
https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/nagasaki/article/411516/

2018年04月26日 06時00分

 平戸市生月町博物館「島の館」の学芸員中園成生さん(55)が「かくれキリシタンの起源」を出版した。前著の内容を掘り下げ、構想から約5年をかけた486ページに及ぶ大著で、独自の視点を展開している。

 かくれキリシタン信仰は捕鯨史と並び、中園さんの研究テーマ。かくれキリシタン信仰について、従来の研究者が「純粋なキリスト教信仰が禁教令で宣教師がいなくなったことで、信者が日本の土着信仰と結び付け、変容させたもの」などとしているのに対し、中園さんは変容ではなく、当初からのキリシタン信仰が続いたことを主張。神道や仏教とともに残り、オラショ=祈祷(きとう)文=のようにキリシタン信仰の要素をなるべくそのまま継続していたものと論じている。

 また、信者は弾圧を逃れて離島や半島などに隠れ、貧しい暮らしに耐えながら信仰を守ったとする「定説」を覆し、「生月島では江戸時代に国内最大の産業だった捕鯨業があり、よそからも大勢の人が働きに来るなど、従来の見方は見当外れ」と記している。

 「ここで学芸員として長く研究を続けてきたことで、広い視野に立った調査ができた。世界遺産登録への潮流に後押しされた面もある。かくれキリシタンの正しい理解に役立てばうれしい」と中園さん。学問から得た結論は「他者への寛容」と穏やかに笑った。

 A5判、4千円(税別)。書店や「島の館」で販売している。

=2018/04/26付 西日本新聞朝刊=

「かくれキリシタンの起源」を著した中園さん
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1524939235/続きを読む

1: 水星虫 ★ 2018/04/22(日) 12:58:14.64 ID:CAP_USER9
スペインの交易船 潜水調査開始

*ソース元にニュース画像あり*

http://www3.nhk.or.jp/lnews/chiba/20180422/1080002074.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

江戸時代の初めに、今の千葉県御宿町の沖合で沈没したとされるスペインの交易船を探す潜水調査が21日から始まりました。

スペインの交易船、「サン・フランシスコ号」は江戸時代初めの1609年7月にフィリピンを出航したあと嵐に遭って漂流し、今の御宿町の沖合で岩礁に乗り上げて沈没したとされています。
この事故で乗組員56人が死亡しましたが、317人は岸にたどりついて助かり、地元の村の人などの救護を受けたということです。

東海大学やアメリカ、それにフィリピンなどの研究グループは、沈没した船を探そうと、潜水調査を始め初日の21日はダイバーが現場海域の海の様子を確認したほか、研究者たちがこれまで作成してきた海底の地図から、今後の調査方法などを話しあいました。

船のそばには、鉄製の大砲やいかりなどが沈んでいると考えられることから今回の調査は、これまでの磁気探査で金属とみられる反応のあった海域を中心に実施されるということです。

東海大学の木村淳特任講師は、「当時の交易はアジアの香辛料や陶磁器をヨーロッパに運ぶ特別な交易でした。発掘によって実態に光を当てたい」と話しています。

潜水調査は、来月1日まで行われる予定です。

04/22 06:51
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1524369494/続きを読む

1: 名無しさん@涙目です。 2018/04/08(日) 21:13:04.34 ID:ffa0t7vJ0● BE:261160481-2BP(2000)
sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
「和算」をご存じだろうか。聞いたことはあっても、よく知らないという人が大半ではないかと思う。それもそのはず。学校の教科書でもほとんど触れられず、高校の日本史で和算家の代表格、関孝和の名前が出てくる程度だからだ。

和算とは、江戸時代から明治にかけて日本人が独自に研究、発展させた数学だ。そのレベルは極めて高度で当時、世界最高水準にあった。たとえば、関孝和の弟子である建部賢弘は、「円周率π」の計算で41桁まで弾き出すことに成功。これは天才レオンハルト・オイラーが微積分学を用いて同じ公式を発見する15年も前のことだ。


数学というと、我々は西洋から学んだものと思いがちだ。確かに明治維新で「西洋数学」を取り入れたが、それ以前に日本には和算という独自の数学があった。だからこそドイツの数学を輸入する際、いとも簡単に日本語に翻訳できたのだ。また
、和算の発展があったから、数学のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞を日本人は3人も受賞しているのだ。国別の受賞者数では、米仏ロ英に次ぐ5位で、日本はまさに世界に冠たる数学大国であり、その原点が和算なのだ。

和算は江戸を中心に全国の各藩で盛んに研究された。私の出身地の山形は、江戸に次いで和算が盛んな藩の1つだった。紅花などで大儲けした富裕層がいて文化的なものを尊ぶ風土があり、また冬は雪に閉ざされるため家で数学の問題に打ち込むの
によい環境だった。和算には関孝和の関流を筆頭にさまざまな流派があるが、山形では会田安明が「最上(さいじょう)流」をつくり、関流と20年間も優劣を競い合った。
http://president.jp/articles/-/16450
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1523189584/続きを読む

1: ガーディス ★ 2018/04/08(日) 15:57:15.17 ID:CAP_USER9
国家を揺るがす事件の闇に、将軍が自ら迫る――。時代劇でも小説でもない、江戸初期の実話だ。徳川3代将軍・家光が直々に“証人喚問”し、解明を試みたのは、約30年にわたって秘密裡(り)に行われていた「公文書書き換え」事件。それも、豊臣秀吉の朝鮮出兵で断交した日朝間の国交回復をめぐる文書の改ざんという歴史的不祥事だった。

 森友学園への国有地取引に関する財務省の決裁文書の改ざんが大きな問題となっている。私がキャスターを務める「深層NEWS」でも、この問題を何度も取り上げた。「省庁の中の省庁」が、歴史の証しでもある公文書を改ざんして国会を欺いた。元財務官僚の片山さつき参議院議員が「財務省がこれをやってはおしまいだ」と嘆いたのは当然だ。

 与野党が「前代未聞の歴史的犯罪だ」と財務省を非難するのを聞いて、過去にも公文書の改ざんが大問題になったことはなかったのか調べてみたら、あった。江戸時代に公文書中の公文書である「国書」の書き換えが発覚し、3代将軍・徳川家光(1604~51)が、諸大名を列席させて、じかに“証人喚問”まで行っていた。事件の名を「柳川一件(やながわいっけん)」という。

 慶応大名誉教授の田代和生(かずい)さんは、この事件の顛末(てんまつ)を詳細に調べ上げ、『書き替えられた国書』(中公新書)にまとめている。この本をもとに事件の経緯をたどってみよう。
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 豊臣秀吉(1537~98)の2度にわたる朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で朝鮮は大きな損害を受け、日本の撤兵後も日本と李氏朝鮮との国交は断絶したままだった。古くから日朝貿易で利益を得ていた対馬の宗義智(そうよしとし)(1568~1615)は独自のルートで国交回復を模索し、1605年(慶長10年)には朝鮮から対馬に来ていた外交僧らを徳川家康(1543~1616)・秀忠(1579~1632)父子と会見させることに成功した。

◆朝鮮側が突きつけた難題

 家康から「交渉を進めよ」とのお墨付きを得て義智は事前交渉を加速させたが、途中で難題が持ち上がった。国交回復に不可欠な国書の交換について、朝鮮側が「日本側から先に出せ」と求めてきたのだ。

 先に国書を差し出すことは相手への恭順を意味するから、家康が呑(の)んでくれるかどうかわからない。しかし、「朝鮮側が先だ」と押し返せば交渉は長期化し、「では、宛名は誰にすればいいのか」と問われる恐れもあった。このころはまだ大坂に豊臣秀頼(1593~1615)がいた。朝鮮側が「交渉相手は出兵を決めた秀吉の遺児・秀頼だ」とでも主張してきたら、交渉はご破算になるかもしれない。

困った対馬藩は、「歴史的犯罪」に走った。朝鮮側の要求を幕府に内密にしたまま、偽の国書をでっち上げたのだ。

 朝鮮側の記録によると、偽国書には朝鮮出兵に対する謝罪と講和への希望が書かれ、家康の名前と「日本国王」の印が押されていた。この国王印は、文禄の役の和平交渉のため来日した明の使節が秀吉に押させようと持参し、交渉が決裂して放り出していったものだったという。

 日本国王を名乗ることは、明(中国)と君臣(冊封)関係を結んで明の臣下になることを意味する。それを知った秀吉は激怒し、交渉は決裂して再度の出兵(慶長の役)となるのだが、すでに明と冊封関係にある朝鮮は、その後も日本がこの呼称を使うことを望んでいた。偽国書は幕府と朝鮮王朝の意向を幾重にも忖度(そんたく)して作成されたわけだ。

 国書を受け取った朝鮮側は、返書を持たせた「回答使」を日本に派遣した。回答使は「通信使」と偽ってごまかしたが、持参したのは返書だから、書き出しは「奉復(拝復)」で、日本が示した謝罪と講和の意向を聞き入れるという内容だった。このまま幕府に渡せば、最初の国書偽造がばれてしまう。

 そこで対馬藩は、今度は朝鮮国王の印鑑を偽造し、「奉復」を「奉書(拝啓)」に書き換えた朝鮮国書をでっち上げた。ついでに朝鮮から将軍への献上品を記した目録(別幅(べっぷく))も改ざんして、虎皮や朝鮮人参の数を追加した。『柳川記』によると、偽国書は将軍と回答使が謁見する当日、義智の重臣だった柳川智永(?~1613)が、すきを見て江戸城内ですり替えたという。


続きはこちら
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180408-00010000-yomonline-life&p=1
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1523170635/続きを読む

1: ニライカナイφ ★ 2018/04/05(木) 23:17:32.47 ID:CAP_USER9
◆相撲の”女人禁制”は明治以降に作られた虚構? 救命中の女性に「土俵から降りて下さい」が波紋

京都府舞鶴市で4月4日に開催された大相撲舞鶴場所で、挨拶に立った多々見良三市長が土俵で倒れるというトラブルがあった。
その際、救命のために土俵に上がった女性に対し、「女性の方は土俵から下りてください」という場内アナウンスが数回流れた。

共同通信によると、この女性は医療関係者との情報もあるという。
人命救助よりも、”土俵は女人禁制”という伝統を優先するような相撲協会の対応が物議を呼び、ネット上では批判が噴出している。

■「明治以降、女性が土俵で”取っ組み合う”様子は、文明国家のものではないと考えられた」

女人禁制の伝統についてはこれまでも度々話題になってきた。
1990年には森山眞弓官房長官(当時)が、本場所の優勝力士に土俵上で内閣総理大臣杯を渡したいと申し入れたが、日本相撲協会が拒否している。

2000年にも大阪府の太田房江知事が、春場所の優勝力士を土俵上で自ら表彰しようとし、協会側に拒否されている。
だがそもそも”女人禁制”というのは、必ずしも古代からの伝統とは言えないようだ。

吉崎祥司氏と稲野一彦氏の共著論文「相撲における『女人禁制の伝統』について」(北海道教育大学紀要、2008年8月)によると、日本書紀には雄略天皇の前で女性が相撲を取ったという記述があるという。
室町時代や江戸時代にも、女性が相撲を取っていたという記録が残っている。

しかし明治に入ると、近代化や家制度の創設に伴って、女性が相撲から排除されていったという。

「女性が土俵上で”取っ組み合う”様子は、文明国家のものではないと考えられた」
「家制度の制定に集約される男尊女卑の土壌が、相撲の女人禁制を浸透させていった」

そして女性の排除を正当化するために用いられたのが、「『神道』との関わりという錦の御旗」だった。
「穢れ思想」に基づいて、女性を差別する神道との関わりを利用したのである。

「『相撲は神道との関わりがあるから女性を排除する』というような論理は、明治以降に相撲界の企図によって虚構されたものである」

■国際相撲連盟には「女人禁制」のルールなし

多々見市長は、くも膜下出血と診断されたものの、一命を取り留めた。
市長が助かったから良かったものの、今回の相撲協会の対応には批判が殺到している。
中には、相撲協会の存在や相撲が「国技」であること自体に疑問を抱いた人もいるようだ。

「こんなのを国技と称されるの本当に恥ずかしいから無くなってほしい」
「そろそろ国技の定義をやめて国際的なスポーツにしよう。相撲協会はいったん解体して再編成」

ちなみに相撲協会では土俵を女人禁制としているが、国際相撲連盟にはそのような規定はない。
2001年からは世界女子相撲選手権大会も開催されている。

イメージ写真:0405

キャリコネ 2018.4.5
https://news.careerconnection.jp/?p=52573
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1522937852/続きを読む

1: ガーディス ★ 2018/04/06(金) 18:22:36.58 ID:CAP_USER9
熊本大学永青文庫研究センターの後藤典子 特別研究員と稲葉継陽センター長らは、永青文庫資料等の史料研究により、江戸時代初期の鎖国完成直前、小倉藩細川家当主 細川忠利が純国産の葡萄酒(ワイン)を製造させていただけでなく、アヘンの製造も試みていたことを明らかした。

 これまで、日本国内で国産ワインの醸造が本格的に始まるのは開国後、つまり、1870年代に入ってからと考えられてきた。しかし、それより200年以上さかのぼる1627年に細川忠利が「ぶだうしゆ(葡萄酒)」を製造させていたことが同研究者らの研究によって2016年に明らかになった。とはいえ、それがブドウを主成分に漬けた果実酒なのか、アルコール発酵させた醸造酒なのか、また目的や製造期間等まで明らかになっていなかった。

 そこで今回、後藤研究員は永青文庫資料を中心に葡萄酒に関する資料を詳細に調査。製造された葡萄酒が山ブドウ(がらみ)をアルコールに漬けた果実酒(混成酒)ではなく、アルコール発酵させた醸造酒=ワインであることが明らかになった。また、同時期に、鎮静や鎮痛、咳止め、催眠などの薬用として用いられたアヘンの製造も行っていたこともわかった。

 今回の研究により、江戸幕府によるキリシタン禁止令など鎖国政策が進められる一方で、舶来物が重用され、細川家が幕府に配慮しながらも積極的に輸入や製造に関わっていた様子がわかった。

 熊本大学附属図書館は、「永青文庫細川家資料」(約58,000点)や細川家の筆頭家老の文書「松井家文書」(約 37,000 点)、家臣家や庄屋層の文書群計10万点あまりを寄託・所蔵。永青文庫研究センターではこれらの資料群について調査分析を行っている。

http://univ-journal.jp/20126/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1523006556/続きを読む

1: イレイザー ★ 2018/03/21(水) 20:20:09.61 ID:CAP_USER9
 約250年前に和紙を貼り重ねて作られた国指定重要文化財の萩藩の立体地図「防長土図ぼうちょうどず」が、山口市の県立美術館で特別公開されている。

 防長土図は、萩藩の地理図師、有馬喜惣太(1708~69年)が晩年の1767年に完成させた。109個のパーツをつないで組み立てられ、南北約3メートル、東西約5メートルに及ぶ。

 地図の表面には民家の所在を示す黒丸や、寺院を示す朱色の三角形など当時の状況が詳細に記されている。鑑賞に訪れた同市のパート従業員の女性(47)は「緻密ちみつさと技術の高さに感動した。250年前にどうやって作ったんでしょうか」と驚いた様子で話していた。

 4月1日までで、開館時間は午前9時~午後5時。入場料は一般300円、学生200円、70歳以上と18歳以下は無料。問い合わせは同館へ

20180321-OYT1I50004-1

http://yomiuri.co.jp/culture/20180321-OYT1T50019.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1521631209/続きを読む

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