(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 江戸時代

1: 岩海苔ジョニー ★ 2017/10/03(火) 13:16:00.59 ID:CAP_USER9
滋賀県彦根市の国の名勝・彦根城玄宮楽々園で江戸時代の御殿を使いながら営業してきた料理旅館「八景亭」が、11月末で営業を終えることが市などへの取材でわかった。市が返還を受けた後に実態調査し、保存や修復のあり方を検討するという。趣ある料理旅館は前身も含めて約130年の歴史に幕を閉じる。

 市によると、八景亭がある玄宮楽々園は二つの庭園の総称。彦根城北側に彦根井伊家の4代当主・直興(なおおき)が延宝5(1677)年ごろに造営。11代当主の直中が隠退した文化10(1813)年ごろに最大規模になった。玄宮園は大名庭園の部分で、楽々園はおもに居住空間の部分を指す。

 八景亭は、茅葺(かやぶ)きの数寄屋建築で床面積は547平方メートル。玄宮園を見渡すことができ、池にせり出すように作られた「臨池閣(りんちかく)」を中心に構成されている。最初の建造時期は不明で、増築も行われているが、臨池閣は江戸時代の絵図に描かれており、300年前の姿をとどめているとされる。幕末に大老を務めた井伊直弼が、接待に臨池閣を用いたとされる記録もある。

 八景亭の建物は、明治維新後にいったん民間に売却した井伊家が明治19(1886)年に買い戻した。その後、井伊家が料理旅館として民間に貸し付けたのが始まりだ。彦根城玄宮楽々園は1947年に市が井伊家から取得し、51年に名勝に指定された。

 竹中清登(きよたか)さん(67)は、祖父が34年に旅館を引き継いで以来、3代にわたって八景亭を経営してきた。江戸時代の建物で、庭を眺めながら琵琶湖の幸を味わえる旅館として人気を博してきた。竹中さんは昨年2月に病気で倒れ、建物の老朽化も進んでおり、「料理も作れなくなったし周囲にも迷惑をかける」と廃業を決めた。市は今後、保存や修復を検討する。

 八景亭は休業中だが、11月5日から再開。同30日で終了予定という。予約の問い合わせは八景亭へ

http://www.asahi.com/articles/ASK9Y3DBKK9YPTJB001.html
八景亭(手前)。池にせり出した左手前の建物が江戸時代から残る「臨池閣」。後方は彦根城天守
 
 
 
江戸時代の絵図に描かれた現在の八景亭。池にせり出した「臨池閣」は今も残る
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1507004160/続きを読む
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1: ばーど ★ 2017/09/26(火) 08:43:12.47 ID:CAP_USER9
約300年ぶりに存在が確認された本阿弥光悦作の赤筒茶わん「有明」(古田織部美術館提供)
 

江戸初期の書・陶芸の大家、本阿弥光悦(1558~1637年)作の赤筒茶わん「有明」の存在を確認したと、京都市の古田織部美術館が25日発表した。約300年前の文献に登場し、「光悦十作」などにも選ばれながら、その後、所在不明に。光悦が陶芸を始めて間もない50代後半から60代ごろの作とみられ、後の円熟期につながる造形美が見いだせる。
発見された「有明」は高さ約9センチ、口径約12センチの筒状だが、上から見ると丸みを帯びたひし形。全体は淡紅色で、正面に黒釉(こくゆう)で着けた「なだれ」模様があり、江戸幕府の老中水野忠之らが所持した記録が残る。

2015年にコレクターから同館側が購入し、陶芸研究家の故林屋晴三氏に鑑定を依頼。林屋氏は「品格が高く、作為の多い異色」の真作と認めた。同じ銘が付いた光悦の茶わんは他に2点現存するが、いずれも筒状ではなく、文献の記述と一致しないという。
来年1月14日まで同館で開催中の「織部と光悦II」展で特別公開されている。

配信(2017/09/26-05:31)
時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017092600172&g=soc
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1506382992/続きを読む
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1: ばーど ★ 2017/09/20(水) 23:18:02.22 ID:CAP_USER9
 太陽の表面で起きる大規模な爆発現象「太陽フレア」により、江戸時代に史上最大級の磁気嵐が起きていた可能性が高いと、国立極地研究所と国文学研究資料館などのチームが20日、発表した。当時の日記に残されていたオーロラの記述から規模を推定した。

 太陽フレアが起きて、地球に粒子が飛来すると磁場を揺さぶられて磁気嵐が起こり、オーロラも活発になる。1770(明和7)年9月17~18日には各地でオーロラが見られたという記述が、当時の天文現象をまとめた「星解」などの古書籍に残されている。

 このうち、研究チームは京都府の伏見稲荷大社の経営を任されていた東羽倉(ひがしはくら)家の日記に注目。17日午後10時以降の「紅色の雲が北側の空の半分を覆い銀河(天の川)にせまり」「赤気のなかに白気がまっすぐ立ち上り、白気が一筋銀河を貫き……」という趣旨の記述と、この日の天の川の位置を元にオーロラの規模を推定した。その結果、オーロラは高さ200~500キロで京都の天頂まで広がり、幅は約1千キロに及んだ。

 この規模のオーロラにつながった磁気嵐は、1859年に欧米の通信網に大きな被害を出したものと同等~7%上回り、史上最大級だった可能性があるという。

 極地研の片岡龍峰准教授は「当時と同規模の磁気嵐が起きたら、ハワイのような低緯度の場所でもオーロラが見えるかもしれない」と話した。研究結果は米地球物理学連合の学術誌電子版に掲載された。(杉本崇)

配信2017年9月20日22時35分
朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASK9N3SJ6K9NULBJ006.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1505917082/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/09/19(火) 10:26:17.55 ID:tRkxgIK8a
いくつかの地方では女性の平均的な結婚年齢は二十四歳で、男性は二十八歳だった。
最初の子どもが生まれるのは結婚して三年というのが平均的だった。結婚した夫婦の半数は子ども二人以下で、
あとの半数は一夫婦当り四人から五人の出生数(養育数)だった。[36]

https://ja.wikipedia.org/wiki/江戸時代
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1505784377/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/09/14(木)23:57:10 ID:31M
日本で出された禁教令や弾圧の酷さはヨーロッパまで届いてたのになんで日本成敗とかいって攻めてくる国がなかったんや?
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1: ばーど ★ 2017/09/05(火) 13:42:10.59 ID:CAP_USER9
名古屋城の内堀で暮らす母子とみられる2頭のシカ。今回、このうち1頭が負傷した=2013年4月撮影
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名古屋城の内堀で暮らす母子とみられる2頭のシカ。今回、このうち1頭が負傷した=2013年4月撮影

名古屋市は5日、名古屋城内堀(空堀)で暮らすシカ2頭のうち1頭が前脚を脱臼するなどの大けがをしたと発表した。内堀に治療用のおりを設け、獣医師が2カ月かけて治療する。名古屋城では江戸時代からシカがいたと伝わるが、現在はこの2頭しかいない。

名古屋城のシカ、今や2頭の危機 江戸時代から放し飼い

市によると、けがをしたのは雌のホンシュウジカで、推定年齢は6~9歳。8月3日に職員が歩き方がおかしいことに気付いた。今月4日に獣医師が診察したところ、左前脚が脱臼し、一部は壊死(えし)していた。左右前脚の蹄(ひづめ)周辺は感染による炎症があった。けがの原因は不明という。

内堀にはこのシカと、子どもとみられる雌のシカ計2頭が暮らしている。多いときには56頭いたが、病気になったり、野犬に襲われたりして減り、2012年には2頭だけになった。(諸星晃一)

配信2017年9月5日13時28分
朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASK9544M9K95OIPE00K.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1504586530/続きを読む
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1: のっぺらー ★2017/08/30(水) 09:47:48.14 ID:CAP_USER
江戸時代後期に参勤交代で江戸に詰めていた鳥取藩士が、鳥取に残る妻に宛てた手紙が、鳥取市内の民家で見つかった。
江戸での仕事や暮らしぶり、家族を思う気持ちなどがしたためられており、専門家は「江戸詰武士の本音が垣間見える貴重な史料」としている。
(高山智仁)

手紙は、鳥取市内の個人が所有していた屏風の下張りにされていたのを、古文書の収集・解読を行っている同市の大沢邦彦さん(71)が5年ほど前に譲り受けた。

大沢さんによると、差出人は鳥取藩士・城戸左久馬(生年不詳~1853年)。
1817~18年と23~26年の2回、8代藩主・池田斉稷の参勤交代に付いて江戸に滞在した際、妻のお力らに宛てて書かれ、返信も含めて約180通に上るという。

手紙では、冬場の公務の厳しさについて触れ、「綿入れを重ね着しているが、それでも寒い。手は赤く腫れ上がり、感覚がない」と記述。
斉稷の妹が嫁いでいた薩摩藩邸を訪ね、泡盛やマグロの刺し身で歓待を受けたことなども記されていた。

故郷に残してきた息子を思う内容も多い。
「おねしょはしていないか」と心配したり、初めて書いた手紙の文字を見て「驚くほどきれい。私が鳥取に帰ったら、師匠をつけて本格的に学ばせたい」と喜んだりする子煩悩ぶりが読み取れる。

また、2度目の参勤交代の際には、当初1年の予定だった滞在が、行事が重なるなどして3年に延長されたことに言及。
「来年も帰れなかったら、もう役職を辞めようと思う。でもここまで務めたしなあ」と、心の葛藤を妻に漏らす手紙もあった。

大沢さんは8割程度を解読し終えたといい、「武士の世も、今と変わらない人間模様が読み取れ、ほほ笑ましく感じる」と語る。

県立博物館の来見田博基・主任学芸員(近世史)は「公的な史料には残っていない江戸詰武士の内情が書かれていて興味深い。
 これほど多くの手紙が見つかることは珍しく、貴重な研究史料になるのは間違いない」と話している。

写真:鳥取藩士の手紙を解読する大沢さん
20170829-OYTNI50080-L
以下ソース:YOMIURI ONLINE 2017年08月30日
http://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20170829-OYTNT50242.html
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/femnewsplus/1504054068/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/08/21(月) 23:47:47.05 ID:jNon3rXpM
一理無い
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1503326867/続きを読む
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