(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。日本史世界史などの歴史板からまとめています。他にもなんj、vipから歴史関係のスレをまとめています。 良かったらご覧ください。

カテゴリ: 現代

1: ハンバーグタイカレー ★ 2017/12/13(水) 12:53:14.83 ID:CAP_USER9
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/14022553
場合によっては死にも至ることがあるヘビの毒を、なんと25年間にもわたって自分の体に注射しつづけることで、毒に対する抗体を体の中で作ってきた人物がいます。そしてこの度、この男性の体から骨髄が取り出され、35種類以上の抗体が取り出されています。

まさに常軌を逸した行動を続けてきたのは、アメリカに住むスティーブ・ラドウィン氏です。49歳の男性であるラドウィン氏は、パンクロックバンドでシンガーをつとめているとのこと。

25年前に毒の注射を始めたというラドウィン氏は少年の頃からヘビが大好きだったそうですが、9歳の時に訪れたフロリダのヘビ園で、ある人物にであったことがきっかけでヘビの毒を自分に注射することに関心を持ちました。

その人物とは、西洋人で初めてヘビの毒を自分に注射し、抗体を作る試みを行ったとされるビル・ハースト氏です。無謀すぎるハースト氏の試みでしたが、あろうことかラドウィン氏も同じように毒を注射して抗体を作ることに憧れに近い感情を抱いたそうです。

やがてラドウィン氏は実際にヘビの毒の注射を開始し、それ以来25年間にもわたって週に一度の注射を続けてきました。自宅でヘビを飼い、定期的に採取した毒を最初は水で薄めたものを注射しはじめましたが、徐々に濃度を高くして体を毒に慣らし続けることで、体内で毒への抗体を作ってきたとのこと。ラドウィン氏の自宅では何種類ものヘビが飼われており、餌やりなどの世話をしながらラドウィン氏は毒を小さな容器で採取。その様子は、VICEが公開した以下のムービーに収められています。

http://youtube.com/watch?t=1s&v=8q_m-rDUNw0



このムービーを目にした一人が、コペンハーゲン大学のブライアン・ローゼ博士でした。世界でもほとんど類を見ない試みに学術的な価値を見いだしたローゼ氏は、ラドウィン氏に接触。その後、ラドウィン氏をコペンハーゲンへと招き、まずは血液の採取を行いました。

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/a/f/af515_88_0cfa65f85f8333fd4663930c2d6d1730.jpg

>>2以降に続きます
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1513137194/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/12/13(水)18:45:45 ID:8fZ
1 中 Jew(ユダヤ人)
2 右 Mo(アラブ人)
3 三 Chink(中国人)
4 一 Jap(日本人)
5 左 Ex-con(オーストラリア人)
6 二 Gook(韓国人)
7 遊 Spic(スペイン人)
8 捕 Eurotrash(米→欧州)
9 投 Nigger(黒人)
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1: 名無しさん@涙目です。 2017/12/11(月) 15:08:21.19 ID:p1FphHrw0 BE:837857943-PLT(16930) ポイント特典
sssp://img.5ch.net/ico/u_giko_ebi.gif
中国メディア・今日頭条は9日、「日本人が中国についてどう考えているかを見て、ちょっと悲しくなった」とする記事を掲載した。
記事は、米国のインターネット掲示板で行われた「日本人は中国についてどう考えているか」という議論の内容を紹介。
議論の参加者は在米日本人もしくは、この掲示板常連の日本人ネットユーザーだという。

議論は、中国に好感を抱くという人と、ネガティブに捉える人とに分かれている。ポジティブな印象を持つユーザーからは
「中国語を勉強している。歴史にとても興味があるし、中国の書道も好きだ。できれば中国に留学して、中国人の友だちを作りたい」、
「日本文化の多くは中国からやってきたので、日本人は中国の歴史や文化に興味を持っている。代表的なのは三国志や孫悟空だ」
「中国人は日本のメディアが宣伝しているような反日ではなく、とても付き合いやすい。そしてとても友好的で勤勉だ」、
「中国には活力と変化に満ちている」といった意見が寄せられたと紹介した。

「悲しくなった」というのは、「昔の中国は好きだけど、今は嫌い」など、現代の中国に対する好感度が思った以上に低いこと、
多くの日本人の中国に対するイメージがいまだに「貧しくて汚い」という段階に留まっていることによるものだろう。
不安や偏見を煽り立てるような情報に注目が集まるなか、さらにリアルな相互理解を続けていく努力が必要だ。

https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20171211/Searchina_20171211037.html
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1512972501/続きを読む
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1: 名無しさん@おーぷん 2017/12/12(火)00:24:28 ID:Ppt
1 選挙で血が流れる(中)
2 なぜか武器が豊富(二)
3 ありえないレヴェルのインフレ(右)
4 数十年単位で居座る元首(指)
5 ODAで無駄に豪華な橋が架かる(一)
6 国王の息子は欧州でビジネス(左)
7 土着宗教とキリスト教の争い(三)
8 オンボロ木造船で難民が漂流(捕)
9 日本の古いバスが街を走る(遊)
先発 マラリア
中継 コレラ
抑え HIV
代打 意識高い日本のNPOがペットボトルキャップを送ろうとする
代走 千原せいじがロケに行く
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1: 泥ン ★ 2017/12/11(月) 18:55:23.74 ID:CAP_USER9
JBpress 2017.12.11(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51767
米ニューヨークの自由の女神の近くを飛ぶドローン(2016年8月5日撮影、資料写真)。
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 クラウゼヴィッツや孫子をはじめとする戦略思想家たちによってしばしば指摘されるのが、「戦争(War)に勝つこと」と「戦い(Battle)に勝つこと」は全くの別物であるという戦争の原則である。これはベトナム戦争やイラク戦争を見ても明らかだ。

 この点に関して、米海軍協会の機関紙「プロシーディングス」11月号は、旧大日本帝国海軍の失敗を例に出して「『戦い』に勝つことへの執着が敗北を招きかねない」と警鐘を鳴らす論文を掲載した。

 この内容は、現在の我が国が陥りかねない点を示唆していると言える。今回はその内容を紹介しつつ、我が国にとっての意義と教訓を論じてみたい。

「戦争」に勝つための準備をしなかった帝国海軍

 この「戦いのための準備は戦争のためではない」と題する論文を書いたのは、元米海軍大佐のリントン・ウェルズ2世である。

 ウェルズ氏は、ブッシュ政権時代に国防総省の最高情報責任者や国防次官補代理を務めた。1980年代には日本の防衛庁防衛研究所に派遣されたことがあり、日本とも縁の深い人物である。この11月にもサイバーセキュリティの専門家として訪日し、講演している。

 彼の論文の概要は以下のとおりである。

 真珠湾攻撃を果たした機動部隊は、当時世界で唯一無二の存在であり、当時の日本の艦隊全体が洗練された作戦概念・戦術・技術開発・装備調達・現実的で厳しい訓練といったもろもろの長期的かつ体系的な統合の成果であった。

 旧大日本帝国海軍のこうした優秀な戦力は、日清戦争の教訓をもとに、1902年に策定され、日露戦争後に対米戦を見据えて数回改訂されてきた「漸減邀撃(ぜんげんようげき)」ドクトリンにあった。帝国海軍は、このドクトリンに基づき、長距離攻撃能力(夜間航空魚雷攻撃技術の完成、重巡洋艦の量産、高速戦艦による夜戦、海軍航空隊の育成、最終段階で迎撃する強力な戦艦の建造)の育成に力を入れ、彼らの戦術と編成と訓練はこれに沿ったものであった。

 太平洋戦争の開戦から2年間、帝国海軍と連合国海軍は21回の矛を交えたが、日本は10勝7敗4引き分けであった。その結果はそれまでのアプローチの正しさを証明するかのように見えた。

 しかし、2年も経たないうちに、帝国海軍は効果的な戦闘力を発揮できない存在になってしまった。それには、戦術的な原因と戦略的な原因がある。

 戦術的には以下の原因が挙げられる。

(1)日本の産業基盤は総動員体制が未熟であった。
(2)帝国海軍は、兵站・情報・対潜作戦などの分野を軽視していた。
(3)補充要員の訓練計画が不十分だった。
(4)艦隊決戦重視の思考に拘泥していたため、漸減邀撃の艦隊決戦が実現しなかったとき代替案に移れなかった。

 戦略的な原因としては、日本政府および帝国海軍が、広範な地域における全面戦争ではなく、一部の地域における限定戦争を計画していたからである。誤った戦術は回復することが可能だが、誤った戦略は挽回することができないことの典型例といえよう。

 要するに、1941年の帝国海軍は、予想される「戦い」に勝利するために準備されていたが、「戦争」に勝つために準備されたものではなかった。

続きは>>2
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1512986123/続きを読む
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1: 風吹けば名無し 2017/12/06(水) 11:10:04.66 ID:VRwFaDUP0
米トランプ政権 エルサレムをイスラエルの首都と認定へ

12月6日 11時02分トランプ大統領

アメリカのトランプ大統領は、中東のエルサレムをイスラエルの首都と認めた上で、現在、テルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムに移転する方針を決めました。

国際社会はエルサレムをイスラエルの首都とは認めておらず、今後、パレスチナだけでなく、イスラム諸国が強く反発するのは確実で、国際的に大きな波紋が広がりそうです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171206/k10011248121000.html
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1512526204/続きを読む
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1: みつを ★ 2017/12/04(月) 06:16:24.04 ID:CAP_USER9
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_1202.html?utm_int=detail_contents_tokushu_001

12月2日 12時26分

アフリカ南部のジンバブエで強大な権力を握り、“世界最高齢の独裁者”と呼ばれてきた93歳のムガベ大統領。先月、軍の事実上のクーデターをきっかけとした政変で辞任を余儀なくされました。かつて「独立の英雄」としてたたえられたムガベ氏。40年近くにわたって続いてきたその独裁政権がどのように崩壊したのでしょうか。
(ヨハネスブルク支局長 味田村太郎)

独裁者の転落劇は突然に

アフリカ南部のジンバブエで独立以来、強権政治を続けてきたムガベ大統領。強大な権力を誇り、盤石とみられてきたその独裁政権をめぐって事態が急変したのが、11月15日のことでした。

深夜、軍部が突如、首都ハラレの街角に戦車や兵士を展開。国営放送局を占拠したのです。軍の責任者は「軍の行動はわが国の悪化した政治・社会・経済の状況を回復させるためのものだ」と述べて、国の実権を掌握したと宣言し、ムガベ氏を自宅で軟禁状態に置きました。

それから転げ落ちるようにしてムガベ政権は瓦解。11月21日にムガベ氏は辞任を表明し、独裁政権はあっけなく崩壊しました。

アフリカでも最も権勢を誇った政権がどのようにして崩壊に追い込まれたのか。まずは、ジンバブエとムガベ大統領の歩みをたどります。

独立の英雄 ムガベ氏

ムガベ氏は1924年の生まれ。当時のジンバブエはイギリスの植民地で、少数の白人による政権が圧倒的多数の黒人を支配していました。

地元や隣の南アフリカで勉学に励み教師となったムガベ氏は、その後、独立運動に身を投じます。何度も逮捕され、獄中で10年間を過ごしました。その間、3歳の子どもを感染症で亡くしました。

1974年、釈放されたムガベ氏は、反政府ゲリラを率いて武装闘争を展開。その演説はラジオなどを通じて伝えられました。独立への熱い思いがこもった言葉は、長い間、白人の支配下に置かれてきた多くの人々を勇気づけたといいます。

当時のムガベ氏について、BBCは住民の証言を次のように伝えています。

「私は当時、少年でしたが、ラジオを通じて聞こえてくるムガベ氏の声は、豊かで美しいものでした。彼の言っていることのすべてはわかりませんでしたが、新しい国家のために私たちは闘っているのだ。ジンバブエの人々よ、勝利は近いと、いつも訴えていました」

1980年にジンバブエは独立。ムガベ氏は「独立の英雄」とたたえられます。新国家の首相に就任し、その後、大統領となりました。

ムガベ氏は当初は、白人と黒人の人種間の融和を訴え、南アフリカで反アパルトヘイト闘争を率いていたネルソン・マンデラ氏と並び、アフリカの偉大なるリーダーの1人として内外から尊敬される存在でした。

教育や医療の普及にも力を入れ、今でもジンバブエの人たちの教育水準が高いのは、このときのムガベ氏の尽力があったからとされています。

強権政治による独裁者へ

その一方で、みずからの権力を脅かすと疑った勢力には、躊躇なく暴力や弾圧を加えてきました。

1980年代には、北朝鮮による訓練を受けた軍の特殊部隊が、野党の支持者、数千人を虐殺したとされています。また、治安当局によるジャーナリストや野党の政治家の拘束や拷問も繰り返されました。
今もムガベ政権のもとで行方不明となった家族を探している人が少なくありません。

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さらに経済政策でも失敗を重ねます。2000年代、白人が所有する土地を強制的に収用し、黒人の農民に土地を分配する土地改革を推し進めました。ところが、これによって、大規模な農業経営はほとんど姿を消し、かつて「アフリカのパンかご」と言われた高い生産性も失われたのです。

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こちらはジンバブエドルの紙幣です。
「0」の数は14個。いくらの紙幣でしょうか。
答えは、100兆ジンバブエドルです。
(リンク先に続きあり)
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1512335784/続きを読む
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1: 名無しさん@涙目です。 2017/11/29(水) 16:41:00.92 ID:znt0K84Z0 BE:498464405-PLT(13611) ポイント特典
伝説についに終止符? ヒマラヤの雪男、米チームが「身元」特定 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

【11月29日 AFP】「雪男」の正体はやはりクマだった──。ネパール・チベット間のヒマラヤ(Himalaya)一帯に住むと言い伝えられ、雪男とも称されてきた未確認動物「イエティ、Yeti」について、米研究者らがこれまでイエティのものとされてきた遺物の広範な遺伝学的調査を行い、それらが実は複数のクマのものだったことを突き止め、29日、学術誌に発表した。長らく信じられてきたイエティ神話を打ち砕く研究成果となった。

 イエティの正体がクマだったとする研究はこれが初めてではないが、英学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に掲載された論文によると、今回の研究では、イエティのものとされてきた骨や歯、皮膚、毛、ふんから、これまでにない量の遺伝学的証拠を収集して調べた。

 その結果、「イエティの手」をはじめとする世界中の個人コレクションや博物館から収集した証拠品は、実際にはアジアクロクマ(ツキノワグマ)かチベットヒグマ(ウマグマ)、ヒマラヤヒグマのものだったことが判明した。

 これら3種のクマはそれぞれ「世界の屋根」ヒマラヤ山脈の異なる地域に生息しており、いずれの種類のクマもかつてイエティと誤認された可能性があるという。

 論文の主執筆者を務めたニューヨーク州立大学バッファロー校(University at Buffalo, The StateUniversity of New York)教養学部のシャーロット・リンドクビスト(Charlotte Lindqvist)准教授は「われわれの研究成果は、イエティ伝説の生物学的根拠がその地域(ヒマラヤ山脈)のクマに見られることを強く示唆している」と述べている。

 研究チームは、それぞれの標本の完全なミトコンドリア・ゲノムを再構成することで、ヒマラヤ山脈の絶滅の危機にある肉食動物であるクマとその進化の歴史に関する重要な発見もした。

 リンドクビスト氏によると、チベット高原(Tibetan Plateau)のヒグマとヒマラヤ山脈西部のヒグマは別々の個体群とみられ、約65万年前の氷河期に分かれたと考えられるという。(c)AFP/Marlowe HOOD
http://www.afpbb.com/articles/-/3153388
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1511941260/続きを読む
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