(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: 宗教

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1: 風吹けば名無し 2018/10/20(土) 04:09:29.07 ID:Fofrtfz60
ワイ「魔女狩りは中世じゃないぞ」
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1539976169/

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1: 名無しさん@おーぷん 2018/10/20(土)21:54:47 ID:XQS
1 中 銀行口座を開設できない
2 遊 パスポートを取得できない
3 左 一夫多妻制
4 二 親族以外の男性と直接話してはいけない
5 三 夫が3回「離婚」と言えば離婚成立
6 右 人前では目以外は黒い布で隠さなければならない
7 一 スタジアムでスポーツを観てはいけない(2018年に撤廃)
8 捕 自転車を運転してはいけない
9 投 自動車を運転してはいけない(2018年に撤廃)

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1: 樽悶 ★ 2018/09/20(木) 04:35:39.80 ID:CAP_USER9
 九州の天領(幕領)を支配した西国筋郡代のお膝元である日田で、幕末期に行われた「絵踏(えぶみ)(踏み絵)」とキリシタン禁教令の実態が、広瀬資料館=日田市豆田町=に伝わる古文書の解読で明らかになった。その対象は庶民だけでなく、苗字帯刀を許された豪商や豪農にまで及んだ。6月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されたのを機に、同資料館の園田大・学芸員(40)が調査し、展示した。11月末まで。【楢原義則】

 絵踏は、幕府がキリスト教徒弾圧のため、キリストやマリアの像を刻んだ木や金属板を足で踏ませたもの。踏むことができれば信者ではないとされた。島原・天草一揆(島原の乱、1637~38年)後、弾圧をより強化した。

 園田学芸員が、豪商の広瀬家に伝わる古文書の中から日記に絞って調べた結果、絵踏は毎年3~4月に実施されていたことが判明。第7代当主の源兵衛が政治、経済、社会情勢などを記した「広瀬本家日記」には、嘉永6(1853)年3月15日付で「宗門御改め絵踏は代官所役人が立ち会う。丸山町など陣屋周辺は代官所で、豆田町、中城町、淡窓町は長福寺で、田島町、庄手町、竹田町がこれに続いた」(現代語訳、田島町以下は場所不明)と記されている。

 第6代当主の「久兵衛日記」にも安政3(56)年3月16日付で、代官所、長福寺で「宗門御改め(絵踏)」が行われたことが書かれ、「この年からは苗字帯刀を許された者も絵踏した」と特記されている。園田学芸員は「該当する豪商、町役人、大庄屋などは当時19人。この年に長崎でキリシタン弾圧第3弾の浦上事件があったためでは」と推測する。

 明治になっても弾圧は続き、広瀬家のメモ「国事雑録」には、明治元(68)年3月に「不審なる者あらばその筋の役所へ申し出よ」と記した太政官布告の高札が豆田町に掲げられたのを伝えている。

 高札の撤去は明治6(73)年。郷土史に詳しい豆田町の伊藤豊明さん(69)は「絵踏の実態が具体的、身近に解き明かされ驚いた」と話す。

毎日新聞 2018年9月19日
https://mainichi.jp/articles/20180919/ddl/k44/040/265000c?inb=ra
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1537385739/続きを読む
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1: 名無しさん@涙目です。 2018/09/13(木) 22:21:33.24 ID:kIvtlwt+0 BE:932354893-PLT(12931)
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醍醐寺
水晶で覆われた阿弥陀如来像、初公開 秋期特別展

レンゲのつぼみの形をした水晶に入る木造の阿弥陀如来の小像=醍醐寺提供
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世界遺産・醍醐寺(京都市伏見区)で、水晶で覆われた珍しい阿弥陀如来(あみだにょらい)の小像(高さ5.53センチ)が初公開される。
寺は、像の特徴から鎌倉期の仏師・快慶か、弟子など近い人物が造ったとみている。
来月15日からの秋期特別展で展示する。

寺には、国宝や重要文化財に指定された多くの仏像があり、今回の小像は、2002年の調査で境内の蔵から見つかった。
小像は黄金色で、蓮(はす)の花のつぼみの形をした水晶に覆われている。
台座から水晶までの高さは36.3センチ。水晶に入った阿弥陀如来像は他に確認されていないという。

寺によると、収められていた箱には大永8(1528)年に僧・公運が箱を作ったと書かれていたが、専門家が鎌倉期の阿弥陀如来立像と似ていることに着目。
衣の着方や切れ長の目などが、西方寺(奈良)にある快慶作の立像に酷似しているという。
醍醐寺には快慶作の弥勒菩薩(みろくぼさつ)や不動明王の坐像(ざぞう)が伝わり、今回の小像も快慶作の可能性が高いと判断した。

壁瀬宥雅(ゆうが)執行長(70)は「像は非常に小さく、水晶内に巧妙に入れられている。貴重な発見だ」と話している。【中津川甫】

https://mainichi.jp/articles/20180914/k00/00m/040/060000c
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1536844893/続きを読む
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1: 記憶たどり。 ★ 2018/09/09(日) 15:00:30.93 ID:CAP_USER9
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090900147

スペイン北部アストゥリアス自治州のラニャドイロ村にある小さな教会で最近、
15世紀のマリア像が派手な色彩で修復され、スペイン各紙の話題をさらっている。
修復前は木目がそのままの彫像だったが、今は鮮やかなピンクやスカイブルーで塗られ、殺到する批判に対し、修復した近所の女性マリア・ルイサ・メネンデスさんは「私はプロではない」と地元紙に反論した。

メネンデスさんは教会の責任者の許可を取って修復した。
「私はこういう作業が好きだし、私のできる範囲で色を塗った。私にとってはすてきな色だし、近所のみんなも気に入ってくれている」と述べた。

スペインでは2012年にも北東部アラゴン自治州ボルハの教会で、約100年前の古いキリストのフレスコ画を近所の素人の女性が塗りつぶすような修復を行って騒ぎになった。
スペイン美術保護協会(ACRE)は「こんなことを繰り返されて誰も気にしないのか。
祖先の遺産を目の前で破壊されるのを傍観して、一体どういう社会なのか」と怒りの声明を出した。
ボルハの教会は修復で有名になり、観光客が殺到している。

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1536472830/続きを読む
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1: みつを ★ 2018/09/09(日) 19:47:47.07 ID:CAP_USER9
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180907-OYT1T50046.html

潜伏キリシタンが伝承、禁教期の元号入り暦発見
2018年9月9日 18時48分

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産がある五島市・奈留島で、江戸時代の1850年(嘉永3年)の日付やキリスト教の記念日が記された潜伏キリシタンの暦が見つかった。1614年の禁教令発令後、1859年の開国までは国外から宣教師が入ってきていないことから、専門家は「禁教期に信者が暦を伝承したことを裏付ける貴重な証拠」と注目している。

 暦があったのは、世界文化遺産に登録されたキリシタン関連遺産の構成資産「奈留島の江上集落」と同じ西海岸に位置する同市奈留町浦、水産会社経営吉田茂樹さん(65)の自宅。先祖を祭る祭壇で杉箱に入れたままになっていたのを、「禁教期のキリシタン研究会」の柿森和年世話人が確認した。

 暦は十数ページの和紙に書かれ、「嘉永」の元号の日付が入っている。マリアがイエスを身ごもった受胎告知を祝う2月26日の「さんた丸や」(サンタマリア=聖母マリア)の記述から始まり、日曜日を意味する「どみんご」、日本で宣教が始まった日などが記されている。同じ内容を新しい和紙に書き写したものもあり、劣化した暦を更新したとみられる。

 暦の内容は、1634年の教会暦を日本の太陰暦に改編し、年間行事や儀礼の基準とされた「バスチャン暦」とほぼ同じ。潜伏キリシタンが信仰を続ける上で欠かせず、暦を管理する役職者が組織のリーダーを務めるほど重視されていた。

 暦が保管されていた杉箱には、殉教者の衣服とされる布きれも入っていた。集落では、隠れキリシタンの組織が昭和40年代まで残っており、死者を送る際に衣服の切れ端を持たせる習慣があったという。

 柿森世話人は「潜伏キリシタンの暦は各地で見つかっているが、元号が入っているものは珍しい。時代が分かる暦の中では、最も古い部類になるのではないか」と指摘。吉田さんは「先祖が代々伝承してきたもので、これからも大切に保管していきたい」と話した。(坂田元司)

奈留島で見つかった潜伏キリシタンの暦。右上が古い暦で、左上が新しく書き写したもの。右下は暦が入っていた杉箱
20180907-OYT1I50009-1
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1536490067/続きを読む
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1: しじみ ★ 2018/08/27(月) 11:06:24.69 ID:CAP_USER
熊本県人吉市の人吉城跡敷地内に、江戸時代の築造とされる「謎の地下室」がある。発見されたのは20年以上前。その構造や伝承などから、郷土史家の間では「隠れキリシタンの遺構」との説が出ているが、市教育委員会は「証拠がない」と慎重な姿勢をとり続ける。さてその真相は。

 地下室は、人吉・球磨地域を約700年にわたって治めた相良(さがら)家の家老職、相良清兵衛(せいべえ、1568~1655)の屋敷跡で、1997年から98年にかけて見つかった。南北8・5メートル、東西9メートル、高さ3メートル以上の大規模なもので、石積みの壁に囲まれていた。国指定史跡の人吉城跡を整備するため85年度に始まった発掘調査がきっかけだった。

 2001年度には、そこから約120メートル離れた清兵衛の息子の屋敷跡で、似た構造の地下室が発見された。どちらも床へと続く階段状の通路があり、床には地下水をためる長方形の貯水池が掘り下げられていた。貯水池には底まで下りられる水中階段があった。

 似たような地下室遺構は国内でほかに見つかっていないといい、人吉市は、清兵衛の屋敷跡で05年に開館した人吉城歴史館に地下室を復元し展示。息子の屋敷跡の地下室も、見つかった場所で展示している。

 これらの地下室について、人吉市文化財保護委員長を務めた郷土史家の原田正史さん(91)=岡山県倉敷市=が6年前、自費出版した「驚愕(きょうがく)の九州相良隠れキリシタン」(人吉中央出版社)で、キリスト教の洗礼などに使われた秘密の礼拝施設だった可能性に言及した。今年2月には人吉・球磨地域で発行されている月刊誌で、キリスト教と関係の深いユダヤ教徒が身を清める施設「ミクヴェ」の遺構によく似ていることを初めて指摘し、強調した。

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朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180822002937.html
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1535335584/続きを読む
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1: 名無しさん@涙目です。 2018/08/16(木) 02:18:46.29 ID:/pYWS2nO0● BE:887141976-PLT(16001)
sssp://img.5ch.net/ico/1fu.gif
2012年にイエスの壁画を勝手に復元させたとして話題になったスペインの教会。当初は問題になり騒動となったものの、その後その教会を訪れる人が爆増し、また関連グッズを販売したところ売上も良好だったという。

今度は1000年の歴史がある中国の仏像がとんでもない復元をされてしまった。四川省、資陽市にある仏像で、宋王朝時代(960~1279年)に作られたもの。この仏像は地方政府と住民達により管理されており、修復を引き受けてきた。

問題は1000年の歴史がある仏像が全く違う形と色で復元されてしまったのだ。元の色とは全く異なり、体のタオルのようなものは原色に近い赤と黄色で塗られており、また壁にも三色のハートマークが描かれている。

この仏像の写真がSNSに投稿されたところ、非難が殺到した。ネットユーザーは「これは復元無理だと、更に酷くなった」、「今後数百年間、子孫はこれを見なければいけないなんて」と批判を挙げた。
非難を知った四川省当局は5日、SNSに投稿を介して復元作業は住民が自発的にお金を集めて行ったと発表。
さらに驚くべきことにこの復元作業は1995年に行われていたという。つまり23年間も問題にならなかったのだ。

ただ、正確な復元の時期と復元を担当した人物は明らかにしなかった。中国の法律ではこういった仏像への無断な復元は文化財保護法により、5000元(約8万円)の罰金または10年以下の懲役刑に課せられる。

http://gogotsu.com/archives/42204
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http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1534353526/続きを読む
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