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カテゴリ: 古代

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1: みつを ★ 2018/08/04(土) 02:56:51.40 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3184831?cx_part=latest

誰がストーンヘンジを造ったか、火葬の灰が手がかりに 研究
2018年8月3日 17:15 
発信地:パリ/フランス [ フランス 英国 ヨーロッパ ]

【8月3日 AFP】英イングランド(England)南部にある5000年前の新石器時代遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」の環状に立ち並ぶ巨石群に囲まれて埋葬された人々に関する謎は、100年に及ぶ詳細な科学的調査にもかかわらずほとんど解明されていない。

 大半の遺体は火葬されており、遺灰と数えるほどの骨片しか残されていないため、考古学的調査が行き詰まっているからだ。

 だが、研究初期は英オックスフォード大学(University of Oxford)の大学院生だったクリストフ・スノーク(Christophe Snoeck)氏による発見により、埋葬された人々の多くが英西部ウェールズ(Wales)からはるばるこの地にやって来た可能性が高いことが明らかになった。ストーンヘンジの謎に満ちた魅惑的な巨石建造物群を造るのに使われているブルーストーンは、ウェールズから運ばれてきたとみられている。

 スノーク氏と研究チームが英オンライン科学誌「サイエンティフィック・リポーツ(Scientific Reports)」に発表した論文によると、巨石の輸送を助けた可能性のあるこれら先史時代の徒歩旅行者たちの一部は、火葬に付された後の遺灰が埋葬されていたという。

 中には作業中に亡くなった者や、ストーンヘンジの近くに定住して一生を終えた者もいたかもしれない。

 スノーク氏が実験室で発見したのは、骨に含まれる重元素ストロンチウムが、1000度超に達する可能性のある火葬用のまきの山の高温にも耐えられることだ。

 実際に、極度の高熱によってストロンチウムに固有の痕跡が封印され、周囲の土壌による汚染から、数千年にわたってさえも、隔絶された状態にある。

 焼かれた人間の遺体から情報を引き出すことを試みていた科学者らにとって、このストロンチウムが情報の金脈となった。

 火葬はDNAを含む有機物のすべてを破壊する。「だが、無機物質はすべて残存しており、この人間の遺体の無機質部分には大量の情報が含まれている」と、スノーク氏は説明した。

 ストロンチウムの痕跡を測定することで「人間が摂取する食物、特に植物の原産地がどこかを判断することが可能になる」と、スノーク氏はAFPの取材に語った。

■ウェールズの森から
(リンク先に続きあり)
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1533319011/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/07/27(金) 14:25:16.93 ID:CAP_USER
シベリアの氷の大地で長い時間にわたって凍りついてきた線虫の一種が、実に4万2000年ぶりに息を吹き返して活動を再開していることが明らかにされました。

Viable Nematodes from Late Pleistocene Permafrost of the Kolyma River Lowland | SpringerLink
https://link.springer.com/article/10.1134%2FS0012496618030079

Worms frozen in permafrost for up to 42,000 years come back to life
http://siberiantimes.com/science/casestudy/news/worms-frozen-in-permafrost-for-up-to-42000-years-come-back-to-life/

この成果は、ロシアのモスクワ大学やアメリカのプリンストン大学などによる研究チームによってもたらされたもの。地質学的には更新世に分類される時代の地層に残され、凍りついていた2匹の線虫を取り出して「解凍」したところ、息を吹き返しました。

2匹の線虫が見つかったのは、以下の地図で示された2つの場所。


いずれもシベリアの永久凍土に閉ざされていた場所で、1匹はコリマ川の下流域に位置する場所で約3万2000年前に生息していた個体。


そしてもう一方の線虫はアラゼヤ川流域の永久凍土で見つかっていたもので、こちらは推定4万1700年前の個体です。いずれもメスであるとみられています。


2匹の線虫は、モスクワにあるThe Institute of Physico-Chemical and Biological Problems of Soil Science(土壌学における物理化学および生物学的問題研究所)の施設内で解凍され、ペトリ皿の中で活動を再開しているとのこと。約4万年ぶりに目を覚ました線虫は、餌を食べるなど元どおりの活動を行っているとのことです。


研究チームは今回の成果について報告書の中で、「更新世の線虫には、低温医学、低温生物学、および生態学などの関連科学分野に対して科学的かつ実用的に重要な適応メカニズムがあることを示唆しています。我々は、北極の永久凍土堆積物における長期間の低温生物に対する多細胞生物の能力を実証する、世界で初めてのデータを得ました」と述べています。

実に驚くべき線虫の生命力が発揮されたこの一件ですが、一方では気候変動が起こる地球では永久凍土の溶解が進んでいるといわれています。これらの線虫と同じように、永久凍土に眠る古代の虫たちが現代によみがえることにならないのか、そちらも気になるところです。

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GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180727-worms-frozen-in-permafrost-come-back-life/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1532669116/続きを読む

1: ごまカンパチ ★ 2018/07/25(水) 05:08:34.77 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180724-00056609-gendaibiz-bus_all
 遺伝子編集技術を駆使して、3000年前に絶滅したマンモスを復活させる――。まるでSF映画のような一大プロジェクトが今、ハーバード大学で行われている。
その研究の驚くべき全貌を追ったノンフィクション『マンモスを再生せよ』が話題だ。

 彼らはなぜ、マンモスをよみがえらせようとしているのか。そして現代の科学は、死した動物さえも再生させることができるのか。
科学の最先端をスリリングに描いた同書を、ゲノム科学の専門家である、東京工業大学生命理工学院の相澤康則氏が解説する。

■ゾウからマンモスをつくる!?
 『マンモスを再生せよ ハーバード大学遺伝子研究チームの挑戦』は、2017年に出版された
『Woolly: The True Story of the Quest to Revive One of History’s Most Iconic Extinct Creatures』の邦訳である。
 一気に本書を読み終えた今、私の頭には二つのWoolly(もじゃもじゃ)が思い浮かぶ。
 ひとつめは Woolly mammoth(北極圏内で一般的に生息していた非常に毛深いマンモス)だ。
本書はまさにそのタイトルが示す通り、世界が注目する「マンモス復興プロジェクト」のドキュメンタリーになっている。

 本プロジェクトは、わずかではあるが日本語でも既に記事になって紹介されている。
ハーバード大学医学部の教授にして、遺伝学界の“巨人”であるジョージ・チャーチの研究室の精鋭チーム(当初はわずか5名、現在はさらに少ない3名)が、
北極圏の永久凍土から発掘されたマンモスのDNA配列をもとに、アジアゾウをマンモスにするプロジェクトである。

 この「マンモスにする」というところが重要で、これは「マンモスそのものを作る(=マンモスのクローンを作る)」プロジェクトではない。
その経緯の詳細は本書で語られているが、このプロジェクトはジョージがもう一人の“巨人”、セルゲイ・ジモフと出会ったことによって本格的に始動した。
シベリアのチェルスキー北東科学センターで所長を務めるセルゲイから、ジョージは「永久凍土の融解による二酸化炭素とメタンの大量放出を防ぎ、
地球環境を守るためには、大型草食動物が闊歩する『氷河期パーク』を北極圏に作ることが必要だ」というアイデアを得る。

 「氷河期パーク」――それは、ジョージをゾクゾクさせるネーミングだった。
これを実現するために、ジョージは「ゾウをマンモスにする」という戦略を立てた。研究チームはまず、マイナス50度にもなる北極圏の環境で生きるうえで
必須だったと考えられる、マンモスの身体的特徴(専門的には形質と呼ぶ)を約20種類絞り込んだ。
そして、おのおのの特徴を制御しているマンモスの遺伝子配列を、現存するアジアゾウのゲノム上に組み入れた。
要するに、ベースはアジアゾウのままだが、見ためとゲノムの一部分をマンモス化した生き物を作り出すというプロジェクトである。
このマンモス再生の第一段階を担うゲノム工学技術は、本書では「コード化」という一言で済まされている。
だが、この内容をもう少し正確に理解していただくために、マンモスの赤毛をアジアゾウの皮膚表面に再現するまでの手順を例にして、大まかに説明したい。

※続く
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1532462914/
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1: プティフランスパン ★ 2018/07/19(木) 17:27:12.42 ID:CAP_USER9
2018.07.17 17:00
https://www.discoverychannel.jp/0000028172/

ミステリーサークル?それとも宇宙人の落書き?
猛暑を迎えたイギリス・ウェールズ地方の畑や野原に、ふしぎな幾何学模様が相次いで出現している。
これらの模様は「クロップ(農作物)マーク」、または「ソイルマーク」と呼ばれ、地下に埋まっている古代の遺跡などが地表に植えられた農作物の育ち方に影響した結果、成長具合に差が生じて緑の濃淡を作り出すことで現れる。農作物が実りの時期を迎えて収穫されるまでだけに見られる現象だ。
城跡やかつての要塞、農園、邸宅、墓地、古墳などの輪郭が発掘せずとも空から一目瞭然となり、考古学者たちにとっては千載一遇のチャンスだという。今まで知られていた遺跡以外にもまったく新しい発見が多数報告されており、中には鉄器時代までさかのぼった遺跡の発見も。新しいものでは第二次世界大戦時に使われたシェルターなども見つかっているという。

ウェールズ古代歴史遺跡王立委員会(Royal Commission on the Ancient and Historical Monuments of Wales)の航空調査を受け持つトビー・ドライバー氏は、「1997年に航空調査を始めて以来、こんなコンディションは一度もなかった。新しい遺跡が次々と発見されて驚いている」と語っている。
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先史時代の囲い。円の内部にはローマ時代のものとみられる邸宅跡も
Credit: Toby Driver / Commission on the Ancient and Historical Monuments of Wales
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鉄器時代の農園
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青銅器時代の墓地
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新しく発見された鉄器時代の農園跡

空から確認できるこれらの点や線や円をみただけで、中世の城跡や共同墓地など見分けてしまう航空調査隊の目利きもすばらしい。
クロップマークの成り立ちを理解するにはウェールズ古代歴史遺跡王立委員会のイラストがとてもわかりやすい。
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Credit: Commission on the Ancient and Historical Monuments of Wales
記録的な暑さが土壌の水分を奪い、農作物にストレスをかけると、根を深くまで下ろしているため水分補給ができる株とできない株との間に成長の差が出る。
地下に石垣が埋まっている場合は石が邪魔して根が充分に育たず、農作物が矮小化してしまう。逆に地下に堀や壕が埋まっている場合は、根を下ろしやすいためより丈夫に育ち、まわりの株より青々と茂る。その生育の差がクロップマークを作り出すのだ。
なお、イギリスでは夏の麦の収穫が迫っており、クロップマークを見られるのも長くてあと2週間ほどだとドライバー氏は語っている。
それまでにできるだけ多くのクロップマークを画像に収めた後は、それらの遺跡の記録と登録作業が待っている。その中でも特に歴史的意義が高いと判断されたものだけ本格的な発掘調査に進むそうだ。
お手軽に遺跡を発見できて考古学者には願ってもない状況なのだが、ウェールズの住民にとっては深刻な水不足にもなりかねない異常事態だ。手放しには喜べない。

Text by Discovery編集部
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1531988832/続きを読む

1: 自治郎 ★ 2018/07/18(水) 21:53:20.28 ID:CAP_USER9
 [ワシントン 16日 ロイター] - ヨルダン北東部にあるナトゥフ文化遺跡から、約1万4500年前に石の暖炉で焼かれたパンの残骸が見つかった。これまでに見つかった中では最古で、研究者らは、農耕の発達より4000年も前にパン作りが始まっていたことになると驚いている。

 パンはピタパンに似た無発酵のフラットブレッドで、オオムギ、ヒトツブムギ、燕麦などの野生穀類や、水生パピルスの仲間の植物から取った塊茎などを粉にひいて作られていた。

 ナトゥフ文化は狩猟採集だが定住型を導入した文化。コペンハーゲン大学の考古学博士研究員で研究執筆にあたったAmaia Arranz-Otaegui氏は、「この時期の遺跡にパンが存在したことは稀」とし、これまで、パンの起源は穀類や豆類を栽培した初期の農耕社会と関連付けられていたと指摘した。

 これまで最古のパンは、トルコにある9100年前の遺跡から見つかっている。

 研究結果は、米国科学アカデミー紀要に掲載された。

最終更新 7月18日 11時06分
https://mainichi.jp/articles/20180718/reu/00m/030/002000c

約1万4500年前に石の暖炉で焼かれたパンの残骸
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1531918400/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/07/18(水) 20:12:14.39 ID:CAP_USER
700万年に及ぶ人類史。私たちホモ・サピエンスは現在も存続していますが、その700年の歴史は、ホモ・サピエンス以外の人類に視点を移せば、“絶滅の歴史”ということもできます。

『サピエンス全史』のヒットにより、多くの人の関心を集めるところとなった〈人類の歴史〉と〈私たちのこれから〉。
今回は、著書『絶滅の人類史』で ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも頭が良かったから生き残った」という従来の常識を覆した 子古生物学者の更科功さんに、その真意をお聞きしました。

■運命は種の優劣では決まらない

――ホモ・サピエンスの台頭とともに、ネアンデルタール人などの人類は絶滅していきました。
ホモ・サピエンスがほかの人類を滅ぼした、ということでしょうか。

ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を殺した、という説は従来から唱えられてきました。
しかし、これは誤りであると私は考えています。

たしかにホモ・サピエンスの骨と、石器による傷がついたネアンデルタール人の子供の骨がフランスの同じ遺跡から発見されており、ネアンデルタール人の子供が殺されて食べられたことが推測されます。

ところが、じつはこれら以外に、殺害の証拠資料はほとんど見つかっていない。
両者が時に争ったことは間違いありませんが、集団同士の大規模な衝突はなかった、と見るべきでしょう。

人類史には明確な史料が存在しないため、このような誤った通説が少なくありません。
典型的な例が「ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも頭が良かったから生き残った」という説です。

――私も、本書を読むまではそう信じ込んでいました。

そのような「常識」に対するアンチテーゼを示したい、というのが執筆中も意識していた点です。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の脳を比べると、むしろネアンデルタール人のほうが大きく、前頭葉の面積はほぼ同じです。

にもかかわらず、ホモ・サピエンスのほうが知能が高かった、とするのは論拠に乏しい。
あくまでも前者が「生き残った」という結果から逆算して推測しているにすぎず、純粋な比較ではない。

そもそも、脳の大きさは知能を決定付けるものではありません。つまり、少なくとも現時点において、どちらの頭脳が優れていたかを断定できるはずがないのです。

――ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を殺したわけではなく、しかも頭が良かったわけでもない。
それでは、ネアンデルタール人が滅亡してホモ・サピエンスが生き残ったのはなぜでしょうか。

私は大きな理由として、ホモ・サピエンスが他の人類よりも痩せていたことが挙げられる、と考えています。

ホモ・サピエンスの体格は華奢で、そのために小食でもエネルギーが足ります。言い換えれば燃費がよい。

折しも、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が共に生きた時代は氷河期でした。
つまり温暖なときよりも食糧が少ない時代で、獲物を捕まえるために動き回らざるをえない。

すると有利なのは燃費の悪いネアンデルタール人よりも、食糧が少なくても生きることができ、動き回るのが得意な小さな身体のホモ・サピエンスでした。だからこそ、生き残ることができたわけです。

しかし、重ねて申し上げるとこれは「ホモ・サピエンスが優れていた」ことを意味するものではありません。
もし氷河期が訪れず、温暖で食糧事情が豊かな時代が続いたとしたら、生き残ったのはネアンデルタール人だと考えられるからです。

つまり、両者の運命を分けたのは種の優劣ではなく、どちらが当時の環境に適していたか、という点にすぎないのです。

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ほんのひきだし
http://hon-hikidashi.jp/know_learn/56435/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1531912334/続きを読む

1: みつを ★ 2018/07/13(金) 21:33:48.46 ID:CAP_USER9
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44817247

アイスマンの最後の晩餐が明らかに 栄養満点だが味は?
2018/07/13

ヘレン・ブリッグス、BBCニュース

ヤギの脂肪と野生のシカ肉、古代の穀物とシダ類。「マスターシェフ(BBCの料理番組)」に出てくるようなメニューではないが、我々の祖先にとっては栄養満点のごちそうだった。

科学者たちは「アイスマン」の最後の食事がバランスは取れているものの、とても脂質が高いものだったことを明らかにした。

アイスマンは5300年前、氷河の中で死亡してミイラとなった。1991年に発見されるまでの数千年間、アイスマンの遺体は氷の中で保存されていた。
科学者らはアイスマンが最後にした食事など、彼の生活をさまざまな側面から解明している。
研究によると、アイスマンの胃は野生のヤギの脂肪、アカシカの肉、ヒトツブコムギと呼ばれる古代の穀物、そして毒性のあるシダで満たされていた。

脂質の量は?

この食事の脂質は50%と、現代の平均的な食事の10%を大きく上回っていた。
イタリア北部ボルザーノにあるユーラック・リサーチ・ミイラ研究所のフランク・マイクスナー博士は、「アイスマンが狩りをしていた緯度を考えれば、こうしたエネルギー供給が必要だ」と指摘する。
「最善の方法は脂肪を食べること。これによって苛酷な環境で生き延びるのに必要なエネルギーが得られる」

この発見から分かることは?

生物学の学術誌「カレント・バイオロジー」で発表されたこの研究では、青銅器時代の食生活を垣間見ることができる。
アイスマンの食べ物については以前にも分析が行われたが、これほど詳細ではなかった。最新の調査はアイスマンの胃の残留物を調べた。
驚くべきことに、アイスマンの胃はミイラ化の過程で通常とは別の場所に移動しており、彼の胃が発見されたのは今回が初めてだだった。

科学者らは、アイスマンの胃に残っていた脂質が乳製品由来ではなく、アルプス山脈に棲むアルプスアイベックスというヤギに由来するものだと突き止めた」
マイクスナー博士は、「アイスマンの食生活は炭水化物とたんぱく質、脂質をバランスよく組み合わせたものだったし、彼が高脂質の食べ物を摂取していたことは大きな驚きだった」と語った。

栄養満点、でも味は?

この食事はアイスマンの雪の行軍を助けたかもしれないが、そこまで美味しくはなかったかもしれない。
「ヤギの脂肪がどのような味がするか、想像するのは難しい」とマイクスナー博士は語った。「現代で食べられるものほど美味しくなかったことは確かだ」
「塩がなかったことも考えると、肉だけ脂肪だけの純粋な味は、すべての成分を考えても食べられるものではなかったと思う」

アイスマンは加工食品からの害はなかった一方、彼の食生活には悪い側面もあった。
アイスマンは死亡時にすでに動脈硬化の兆候が出ていた。
アイスマンは体に複数の傷があり、銅製の斧を含む武器を持っていたことから、戦闘で死んだと考えられている。

アイスマンは薬草を食べていた?

科学者はまた、アイスマンの胃からシダの一種を発見しており、アイスマンが薬草を摂取していた可能性が指摘されている。
あるいはシダの葉で食べ物を包んでいたため、間違えて毒性のある胞子を食べてしまったのかもしれない。
また、シカの肉は生で食べていたか、乾燥させたものだったと考えられている。
(英語記事 Iceman's last meal was high fat feast)

アイスマンの腹部を調べる科学者
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アイスマンは矢を受けて死亡したと考えられている
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新たなスキャン検査によってアイスマンの胃が発見された
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アイスマンの胃から発見された脂質の調査
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1531485228/続きを読む

1: しじみ ★ 2018/07/10(火) 13:19:27.50 ID:CAP_USER
■古代モンゴルの馬の歯を抜く行為が、社会や歴史に大きな影響をもたらした

人と同じように、馬にも歯のトラブルがある。そんな時、馬は怒りっぽくなり、家畜としての生産性は下がってしまう。
今から3000年以上も前、モンゴルの人たちは、いつでも馬が良いコンディションでいられるよう、今でいう歯科治療を馬に施していたようだ。今回、それを裏付ける考古学的証拠が、2018年7月2日付けの学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。

 考古学者たちは、草原に葬られた古代の馬の頭蓋骨を発掘し分析した。
その結果、当初は石器をのこぎりのように使って馬の歯を切り落としていたことがわかった。
さらに時代が進むと、馬に噛ませる金属製の馬具の邪魔になる歯を抜いていたことも判明した (この調査は、米ナショナル ジオグラフィック協会も支援している)。

 支援を受けたドイツ、マックス・プランク人類史学研究所の考古学者、ウィリアム・テイラー氏によると、このような馬の健康管理における「大きな技術革新」は、「人が馬に乗り始めた頃に登場した」という。
テイラー氏の発見から、遊牧民が馬の歯の手入れをするようになったことで、馬で遠くまで移動できるようになり、のちには軍事に欠かせない武器として馬を利用できるまでになったと考えられる。

■快適に馬に乗るために

 モンゴルの大草原の遊牧民は、中世にチンギス・ハーンに征服される前から、何千年にもわたって馬を飼っていた。
馬がいつ家畜化されたのかについて正確な時期には諸説あるものの、5000年以上前のユーラシア大陸で馬が家畜となったことに関しては論をまたない。

 ただ、馬の家畜化を示す物的証拠は、紀元前1300〜700年ごろのモンゴル青銅器時代に作られた「鹿石」や「ヘレクスル」と呼ばれる墓地に残るものが最古だ。この墓地のまわりには、犠牲として捧げられた数十頭、ときには数百頭の馬が埋葬されていた。

 テイラー氏のチームは、2015年に鹿石の調査に取りかかった。
同氏は、「歯を通して、馬による移動を調べたかったのです」と述べている。
2016年には、骨や歯の摩耗の仕方から、鹿石に埋葬された馬には実際に騎乗用の馬具がつけられていたことを発表した。
しかし、テイラー氏のチームは、人が直接関わっていた別の証拠にも気付く。

 今回の論文によると、青銅器時代の若い馬から、横向きになった門歯の一部が切り取られていた例が二つ見つかっている。
最古のものは、ウグームルという遺跡から見つかった紀元前1150年ごろのもので、世界最古の動物の歯科施術の証拠だという。

続きはソースで

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■研究者の分析で、発掘された馬の歯から歯科施術が原因と考えられる摩耗や変形が見つかった。
上の写真は、モンゴル中部で見つかったもの。
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ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/070400294/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1531196367/続きを読む

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