(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 古墳時代

1: 水星虫 ★ 2018/02/01(木) 12:23:02.30 ID:CAP_USER9
古代遺跡の発掘調査で坑道跡発見

http://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20180201/8020001148.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

国内で唯一、古代に朱色の顔料のもととなる鉱物が採掘されていたとみられる徳島県阿南市の遺跡で、去年、30年ぶりに発掘調査が行われ、採掘のために掘られた坑道の跡とみられる場所が確認されました。

阿南市水井町にある「若杉山遺跡」は、弥生時代後期から古墳時代初めにかけて、
朱色の顔料のもととなる「辰砂」という鉱物を採掘していたとみられる国内唯一の遺跡です。

阿南市は、遺跡の国の史跡への指定を目指して、県教育委員会とともに去年8月から30年ぶりとなる発掘調査を行っていて、31日、現地で報道関係者にこれまでの成果を説明しました。
今回の発掘調査では、「辰砂」を採掘していた坑道の跡と見られる奥行きおよそ14メートル、幅が広いところで3メートル、高さ70センチほどの空間が確認されました。

坑道の跡とみられる場所は、戦後まもないころの文献で存在が指摘されていましたが、調査で初めてその規模などが確認されました。

発掘調査を担当した阿南市文化振興課の向井公紀さんは
「まさか坑道の跡が見つかるとは考えていなかったので、びっくりしました。
今後は坑道が使われていた年代などを詳しく調べたい」と話しています。

若杉山遺跡ではことしの夏まで発掘調査が続けられ、阿南市では報告書をまとめたうえで来年、国の史跡への指定を申請したいとしています。

02/01 06:38
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1517455382/続きを読む

nigaoe_jinmu_tennou

1: 名無しさん@おーぷん 2018/01/30(火)19:47:35 ID:43s
1代神武から実在した説(日本会議しか信じてないアホ説)
神武と10代崇神は同一人物でかつ初代説
神武と崇神と15代応神は同一人物でかつ初代説
21代雄略(ワカタケル)が初代説
26代継体が初代説

どれがホンマなんや…
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1: 泥ン ★ 2018/01/18(木) 19:51:54.76 ID:CAP_USER9
湯迫車塚古墳(岡山市)出土の三角縁神獣鏡の鋸歯文。3面とも型が違う鏡なのに、砥石による仕上げ加工痕が酷似している=鈴木勉氏提供
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 三角縁神獣鏡という、古代史の世界で特に目立ってきた鏡がある。鏡の縁の断面が三角形で、神や神獣の図柄をもつ。やっかいな鏡ともいえ、製作地が中国(魏)か日本国内かをめぐり、100年も議論になっている。

 魏鏡説では、倭(わ)国(邪馬台国はその都)の女王卑弥呼の鏡とも呼ばれる。魏志倭人伝によれば、3世紀、卑弥呼は魏に使者を送り、贈り物をもらった。そのリストに「銅鏡百枚」とあり、魏の年号入りの品も含むこの鏡を指すと考えるのだ。

 近畿地方が分布の中心なので邪馬台国畿内説の論拠にもなるが、重大な弱点がある。100枚どころか500枚以上も見つかっている上、肝心の中国から出てこないのだ。「倭の好む鏡を魏が特別につくって贈った。だから中国にはない」とする「特鋳説」があるが、考古学の常道にないアクロバット的学説だろう。

 一方の国産説も決め手に欠けたが、1年前、画期的な新説が現れた。昨年この欄で紹介した「国宝・金印論争」にも登場願った鈴木勉・工芸文化研究所所長の著書「三角縁神獣鏡・同笵(どうはん)(型)鏡論の向こうに」(雄山閣)である。鈴木氏は金工や金石学が専門。物の形や文様の変化を追う考古学とは違い、実験が裏付ける製作技術の観点から製作地に迫った。

 着目したのは、鋳造後の仕上げ作業。三角縁神獣鏡の文様には、三角形が連続する「鋸歯文(きょしもん)」がある。鋸歯文を拡大画像で比較すると、ヤスリや砥石(といし)で磨かれるなど、種々の異なる加工痕が残っていた。加工痕の違いは工房や工人、工具の違いを示すものという。

 そこで、黒塚古墳(奈良県天理市・33面出土)など、三角縁神獣鏡が出土した10以上の古墳を対象に加工痕を比較した。

 結果は簡明。仕上げ加工痕は出土古墳ごとに見事にまとまっていた。

 三角縁神獣鏡では同じ型の鏡が複数存在する。同笵(型)鏡と言い、別々の古墳からも見つかるが、同型同士でも加工痕は古墳によってさまざまだ。一方、出土古墳が同じなら、異なる型の鏡にも同じ仕上げが施されている。つまり加工痕は鏡の型ではなく、出土古墳に規定されているのだ。

 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。

 その上で鈴木氏は見つかる鏡の少なさなどから、工人が各地の出土古墳近くに定住しているのではなく、大和地域に本拠を置く複数の移動型の工人集団が各地の依頼で現地に出向いて製作する「出吹(でぶ)き」を想定した。

 加工痕の画像という一目瞭然の新手法で国産説を提起した鈴木氏は「(鏡の形や図像、銘文をたどる)系譜論では、製作地問題は絶対に解決しない」と、製作技術に目を向けたがらない考古学の実情に警鐘を鳴らす。

   ■  ■

 対する考古学界の反応がさびしい。1年たっても、村瀬陸・奈良市埋蔵文化財調査センター技術員の書評(「考古学研究253」所収)が目につくくらいだ。

 村瀬氏は「実験あっての結果と、非常にわかりやすい分析方法。研究はネクストステージ(新段階)に入った。(本が)全て正しければ国産になる」と評価する。ただ「加工痕の古墳ごとのまとまりも、製作の時期差が加工痕の違いになった可能性がある」などと、鈴木説にはまだ課題があると考える。一方で「鏡研究者側が疑問点をどんどん出さないと」と、議論が起こりにくい学界の閉鎖体質も指摘した。

 三角縁神獣鏡が国産なら、影響は甚大。考古学では従来、中国渡来の貴重な鏡が列島の中央から各地の首長に下賜・配布されたと考える中央集権的な王権論が主流だ。その鏡が国産で、しかも工人集団が各地に出向いて製作していたとなれば、半世紀以上に及ぶそんな定説的国家観など消し飛んでしまう。

 27歳の若手研究者、村瀬氏に発言を任せておけばいいという問題ではないと思う。【伊藤和史】

毎日新聞 2018年1月18日 東京夕刊
http://mainichi.jp/articles/20180118/dde/018/040/020000c?inb=ra
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1516272714/続きを読む

1: ハンバーグタイカレー ★ 2017/11/27(月) 07:09:04.77 ID:CAP_USER9
http://www.asahi.com/articles/ASKCL5R38KCLPTFC00F.html

 大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が世界文化遺産の国内候補になったことで、「仁徳天皇陵」や「応神天皇陵」などの陵墓が注目されている。だが、宮内庁が被葬者としている天皇や皇族には、学術的には疑問も少なくない。

 陵墓とは、歴代の天皇・皇后の墓である「陵」と、皇族が葬られた「墓」の総称だ。宮内庁のホームページによると、同庁は現在、188の陵と555の墓、46の陵墓参考地(陵墓の候補地)など、計899件を管理している。

 堺市の百舌鳥古墳群と、大阪府羽曳野市・藤井寺市の古市古墳群は、古墳が最も巨大化した5世紀を中心に築かれた、計88基の古墳からなる。このうち、宮内庁が陵墓として管理しているのは46基。全長486メートルと日本最大の大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳)、同425メートルで第2位の誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵古墳)をはじめ、全長200メートル以上の前方後円墳10基は、すべて宮内庁管理の陵墓古墳だ。

 宮内庁は一般の人の陵墓古墳への立ち入りを禁止している。百舌鳥・古市古墳群が世界遺産候補となった際にも「引き続き皇室の祖先のお墓として、地域と協力をしながら適切な管理を行っていく」としており、登録が実現しても一般公開などは難しそうだ。

     ◇

 大阪府と地元3市でつくる「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議」は、宮内庁が天皇陵に指定する古墳を「仁徳天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」などと呼んでおり、考古学者や歴史学者から批判の声があがっている。天皇陵の指定は幕末から明治にかけて、8世紀の「古事記」「日本書紀」(記紀)や10世紀の「延喜式」の記述を元に進められており、現在の学術的な年代観とは矛盾するものも多いためだ。

 例えば、履中(りちゅう)天皇陵に指定された堺市のミサンザイ古墳は、埴輪(はにわ)の分析による年代では5世紀前半の築造とされる。一方、履中の父・仁徳天皇の陵とされる大山古墳は5世紀半ばの築造。「日本書紀」には父の6年後に亡くなったと記された履中の墓の方が古い。

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1511734144/続きを読む

1: 名無しさん@涙目です。 2017/09/19(火) 11:25:00.58 ID:U+M5HoOK0 BE:837857943-PLT(16930) ポイント特典
世界最大の旅行口コミサイト「TripAdvisor」の日本法人であるトリップアドバイザーは、口コミの評価をもとにした
「日本の人気の古墳トップ10」を発表した。これは全国に16万基以上あるといわれ、歴史探訪ブームの
究極とも言える古墳を口コミでランキングしたもの。

ランキングは以下のとおり。

1 石舞台古墳(奈良県)
2 西都原古墳群(宮崎県)
3 五色塚古墳(兵庫県)
4 さきたま古墳公園(埼玉県)
5 仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)(大阪府)
6 多摩川台公園古墳展示室(東京都)
7 吉見百穴(埼玉県)
8 高松塚古墳(奈良県)
9 八幡山古墳(愛知県)
10 観音山古墳(群馬県)

https://dime.jp/genre/444032/?first=1

石舞台古墳
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http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1505787900/続きを読む

1: 朝一から閉店までφ ★ がんばれ!くまモン! 2016/09/13(火) 23:34:11.19 ID:CAP_USER9
(2016.09.13)
 世界最大の旅行口コミサイト「TripAdvisor」の日本法人であるトリップアドバイザーは、口コミの評価をもとにした「日本の人気の古墳トップ10」を発表した。
これは全国に16万基以上あるといわれ、歴史探訪ブームの究極とも言える古墳を口コミでランキングしたもの。

1位に選ばれたのは、奈良県の「石舞台古墳」。教科書などでお馴染みの方墳だが、30数個の岩を積み上げた横穴式石室の天井の巨石はなんと約77トン。
「巨大な石を積み上げてできている遺跡だが、その大きさが半端じゃない。ゴジラに力を借りないと作れない、そんなレベルの大きさだ。
しかも、今日まで壊れることなくそのど迫力を伝えている」(旅行者の口コミ)など、その実際の迫力に驚く口コミが数多く寄せられている。
2位には西都原古墳群(宮崎県西都市)、3位には五色塚古墳(兵庫県神戸市)が選ばれ、世界三大墳墓にも数えられる「仁徳天皇陵古墳」は、立ち入りが禁止されていることなどから5位にとどまった。

ランキングは以下のとおり。

1 石舞台古墳(奈良県)
2 西都原古墳群(宮崎県)
3 五色塚古墳(兵庫県)
4 さきたま古墳公園(埼玉県)
5 仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)(大阪府)
6 多摩川台公園古墳展示室(東京都)
7 吉見百穴(埼玉県)
8 高松塚古墳(奈良県)
9 八幡山古墳(愛知県)
10 観音山古墳(群馬県)

ダウンロード (34)

【評価方法】
2010年5月~2015年4月にトリップアドバイザーに投稿された旅行者の口コミを独自のアルゴリズムで集計。

文/編集部
http://dime.jp/genre/291832/1/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1473777251/ 続きを読む

1: 筑前鐵太郎 ★ 2016/06/07(火) 11:38:22.19 ID:CAP_USER9
 神奈川県鎌倉市は6日、同市由比ガ浜3の由比ガ浜こどもセンター(仮称)建設地で実施していた長谷小路周辺遺跡の発掘調査で、古墳時代(5~7世紀)の箱式石棺墓(はこしきせっかんぼ)1基が出土したと発表した。10代半ばとみられる男性が体を伸ばしてあおむけに埋葬されていた。同市での箱式石棺墓の出土は初めてで、鎌倉の古墳時代を知る貴重な手がかりという。【因幡健悦】

 市文化財課によると、石棺は長さ235センチ、幅114センチ、深さ45センチで、泥岩の自然石を四角く並べて作られている。石には形を整えたとみられる工具痕(こん)が残されていた。副葬品は見つかっていないが、盗掘の形跡はなく、元々なかったものとみられる。

 県内での箱式石棺墓の出土は、横須賀市や三浦市など海浜部に集中しており、今回で13例目。鎌倉市では、市立御成小学校の改築工事中に、8世紀の郡衙(ぐんが)(役所)とみられる遺構が見つかっているが、古墳時代の資料は少なく、出土した人骨や石棺などは今後、専門家に依頼し、詳しい鑑定が行われる。

 現場は調査終了後に埋め戻され、由比ガ浜こどもセンターの建設工事が進められる。一般向け見学会は12日に実施する。詳細は市ホームページで。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160607-00000035-mai-sctch
鎌倉市由比ガ浜で見つかった古墳時代の箱式石棺墓=鎌倉市提供
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1465267102/ 続きを読む

1: リサとギャスパール ★  2016/05/27(金) 17:51:02.65 ID:CAP_USER9
 ピラミッドのように石を階段状に積み上げた、類例のない大型方墳とわかった奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半~7世紀初め)について、村教委と関西大は26日、発掘調査報告書を発行したと発表した。
墳丘に12万9千個の石が使われ、築造に延べ3万人が関わったと推定。専門家は「蘇我一族の墓の可能性が高まった」と指摘する。

 報告書によると、東西約41メートル、南北約42メートル。横穴式石室を備え、ふたが屋根形の家形(いえがた)石棺(せっかん)が納められている。
墳丘は川原石を階段状に少なくとも5段以上積み上げ、階段の壁面部と平坦(へいたん)部の内部などに拳大から人頭大の石が使われていた。
石の総数12万9千個は1平方メートルあたりの数から推計した。石室を含めた推定総重量は485トンにのぼる。

 採石地とされる二上山(大阪と奈良の府県境)や付近の川辺などからの運搬と築造に関わった労働者数を古代から近代までの文献をもとに試算。延べ3万人になることが分かった。

 都塚古墳の近くには飛鳥時代の豪族、蘇我馬子の墓との説がある石舞台(いしぶたい)古墳(特別史跡、7世紀前半)があり、一帯は蘇我氏の本拠地の一つとされる。
猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「当時の飛鳥で、これだけの労力をかけられるのは蘇我氏しかいないのでは」と話す。
報告書はA4判、本文206ページ、図版47ページ。5500円で販売する。問い合わせは村地域振興公社

都塚古墳想像図
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都塚古墳=2014年8月、奈良県明日香村
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石が積み上げられた階段状の遺構
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地図
AS20160526004032_comm
 http://www.asahi.com/articles/ASJ5T7DT6J5TPTFC01B.html
2016年5月27日16時43分
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1464339062/
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