(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ:日本史 > 古墳時代

1: ハンバーグタイカレー ★ 2017/11/27(月) 07:09:04.77 ID:CAP_USER9
http://www.asahi.com/articles/ASKCL5R38KCLPTFC00F.html

 大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が世界文化遺産の国内候補になったことで、「仁徳天皇陵」や「応神天皇陵」などの陵墓が注目されている。だが、宮内庁が被葬者としている天皇や皇族には、学術的には疑問も少なくない。

 陵墓とは、歴代の天皇・皇后の墓である「陵」と、皇族が葬られた「墓」の総称だ。宮内庁のホームページによると、同庁は現在、188の陵と555の墓、46の陵墓参考地(陵墓の候補地)など、計899件を管理している。

 堺市の百舌鳥古墳群と、大阪府羽曳野市・藤井寺市の古市古墳群は、古墳が最も巨大化した5世紀を中心に築かれた、計88基の古墳からなる。このうち、宮内庁が陵墓として管理しているのは46基。全長486メートルと日本最大の大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳)、同425メートルで第2位の誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵古墳)をはじめ、全長200メートル以上の前方後円墳10基は、すべて宮内庁管理の陵墓古墳だ。

 宮内庁は一般の人の陵墓古墳への立ち入りを禁止している。百舌鳥・古市古墳群が世界遺産候補となった際にも「引き続き皇室の祖先のお墓として、地域と協力をしながら適切な管理を行っていく」としており、登録が実現しても一般公開などは難しそうだ。

     ◇

 大阪府と地元3市でつくる「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議」は、宮内庁が天皇陵に指定する古墳を「仁徳天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」などと呼んでおり、考古学者や歴史学者から批判の声があがっている。天皇陵の指定は幕末から明治にかけて、8世紀の「古事記」「日本書紀」(記紀)や10世紀の「延喜式」の記述を元に進められており、現在の学術的な年代観とは矛盾するものも多いためだ。

 例えば、履中(りちゅう)天皇陵に指定された堺市のミサンザイ古墳は、埴輪(はにわ)の分析による年代では5世紀前半の築造とされる。一方、履中の父・仁徳天皇の陵とされる大山古墳は5世紀半ばの築造。「日本書紀」には父の6年後に亡くなったと記された履中の墓の方が古い。

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1511734144/続きを読む
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1: 名無しさん@涙目です。 2017/09/19(火) 11:25:00.58 ID:U+M5HoOK0 BE:837857943-PLT(16930) ポイント特典
世界最大の旅行口コミサイト「TripAdvisor」の日本法人であるトリップアドバイザーは、口コミの評価をもとにした
「日本の人気の古墳トップ10」を発表した。これは全国に16万基以上あるといわれ、歴史探訪ブームの
究極とも言える古墳を口コミでランキングしたもの。

ランキングは以下のとおり。

1 石舞台古墳(奈良県)
2 西都原古墳群(宮崎県)
3 五色塚古墳(兵庫県)
4 さきたま古墳公園(埼玉県)
5 仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)(大阪府)
6 多摩川台公園古墳展示室(東京都)
7 吉見百穴(埼玉県)
8 高松塚古墳(奈良県)
9 八幡山古墳(愛知県)
10 観音山古墳(群馬県)

https://dime.jp/genre/444032/?first=1

石舞台古墳
org1369778
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1505787900/続きを読む
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1: 朝一から閉店までφ ★ がんばれ!くまモン! 2016/09/13(火) 23:34:11.19 ID:CAP_USER9
(2016.09.13)
 世界最大の旅行口コミサイト「TripAdvisor」の日本法人であるトリップアドバイザーは、口コミの評価をもとにした「日本の人気の古墳トップ10」を発表した。
これは全国に16万基以上あるといわれ、歴史探訪ブームの究極とも言える古墳を口コミでランキングしたもの。

1位に選ばれたのは、奈良県の「石舞台古墳」。教科書などでお馴染みの方墳だが、30数個の岩を積み上げた横穴式石室の天井の巨石はなんと約77トン。
「巨大な石を積み上げてできている遺跡だが、その大きさが半端じゃない。ゴジラに力を借りないと作れない、そんなレベルの大きさだ。
しかも、今日まで壊れることなくそのど迫力を伝えている」(旅行者の口コミ)など、その実際の迫力に驚く口コミが数多く寄せられている。
2位には西都原古墳群(宮崎県西都市)、3位には五色塚古墳(兵庫県神戸市)が選ばれ、世界三大墳墓にも数えられる「仁徳天皇陵古墳」は、立ち入りが禁止されていることなどから5位にとどまった。

ランキングは以下のとおり。

1 石舞台古墳(奈良県)
2 西都原古墳群(宮崎県)
3 五色塚古墳(兵庫県)
4 さきたま古墳公園(埼玉県)
5 仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)(大阪府)
6 多摩川台公園古墳展示室(東京都)
7 吉見百穴(埼玉県)
8 高松塚古墳(奈良県)
9 八幡山古墳(愛知県)
10 観音山古墳(群馬県)

ダウンロード (34)

【評価方法】
2010年5月~2015年4月にトリップアドバイザーに投稿された旅行者の口コミを独自のアルゴリズムで集計。

文/編集部
http://dime.jp/genre/291832/1/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1473777251/ 続きを読む
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1: 筑前鐵太郎 ★ 2016/06/07(火) 11:38:22.19 ID:CAP_USER9
 神奈川県鎌倉市は6日、同市由比ガ浜3の由比ガ浜こどもセンター(仮称)建設地で実施していた長谷小路周辺遺跡の発掘調査で、古墳時代(5~7世紀)の箱式石棺墓(はこしきせっかんぼ)1基が出土したと発表した。10代半ばとみられる男性が体を伸ばしてあおむけに埋葬されていた。同市での箱式石棺墓の出土は初めてで、鎌倉の古墳時代を知る貴重な手がかりという。【因幡健悦】

 市文化財課によると、石棺は長さ235センチ、幅114センチ、深さ45センチで、泥岩の自然石を四角く並べて作られている。石には形を整えたとみられる工具痕(こん)が残されていた。副葬品は見つかっていないが、盗掘の形跡はなく、元々なかったものとみられる。

 県内での箱式石棺墓の出土は、横須賀市や三浦市など海浜部に集中しており、今回で13例目。鎌倉市では、市立御成小学校の改築工事中に、8世紀の郡衙(ぐんが)(役所)とみられる遺構が見つかっているが、古墳時代の資料は少なく、出土した人骨や石棺などは今後、専門家に依頼し、詳しい鑑定が行われる。

 現場は調査終了後に埋め戻され、由比ガ浜こどもセンターの建設工事が進められる。一般向け見学会は12日に実施する。詳細は市ホームページで。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160607-00000035-mai-sctch
鎌倉市由比ガ浜で見つかった古墳時代の箱式石棺墓=鎌倉市提供
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1465267102/ 続きを読む
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1: リサとギャスパール ★  2016/05/27(金) 17:51:02.65 ID:CAP_USER9
 ピラミッドのように石を階段状に積み上げた、類例のない大型方墳とわかった奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半~7世紀初め)について、村教委と関西大は26日、発掘調査報告書を発行したと発表した。
墳丘に12万9千個の石が使われ、築造に延べ3万人が関わったと推定。専門家は「蘇我一族の墓の可能性が高まった」と指摘する。

 報告書によると、東西約41メートル、南北約42メートル。横穴式石室を備え、ふたが屋根形の家形(いえがた)石棺(せっかん)が納められている。
墳丘は川原石を階段状に少なくとも5段以上積み上げ、階段の壁面部と平坦(へいたん)部の内部などに拳大から人頭大の石が使われていた。
石の総数12万9千個は1平方メートルあたりの数から推計した。石室を含めた推定総重量は485トンにのぼる。

 採石地とされる二上山(大阪と奈良の府県境)や付近の川辺などからの運搬と築造に関わった労働者数を古代から近代までの文献をもとに試算。延べ3万人になることが分かった。

 都塚古墳の近くには飛鳥時代の豪族、蘇我馬子の墓との説がある石舞台(いしぶたい)古墳(特別史跡、7世紀前半)があり、一帯は蘇我氏の本拠地の一つとされる。
猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「当時の飛鳥で、これだけの労力をかけられるのは蘇我氏しかいないのでは」と話す。
報告書はA4判、本文206ページ、図版47ページ。5500円で販売する。問い合わせは村地域振興公社

都塚古墳想像図
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都塚古墳=2014年8月、奈良県明日香村
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石が積み上げられた階段状の遺構
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地図
AS20160526004032_comm
 http://www.asahi.com/articles/ASJ5T7DT6J5TPTFC01B.html
2016年5月27日16時43分
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1464339062/
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1: 名無し 2016/05/08(日)08:02:28 ID:FJH
ロマンあるンゴねぇ

なお聖徳太子自体も存在はあやふやな模様
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1: ティータイム ★ 2016/05/12(木) 18:19:00.69 ID:CAP_USER*
朝日新聞デジタル 5月12日(木)17時17分配信

群馬県渋川市の金井下新田(かないしもしんでん)遺跡で、古墳時代後期(6世紀初頭)の火山灰層から、植物を編んだ垣根に囲まれた建物の遺構や祭祀(さいし)用具などが見つかった。
県埋蔵文化財調査事業団が11日発表した。古墳時代の垣根が見つかるのは極めて珍しく、火山灰に埋もれたために保存状態は良好という。
榛名山噴火に伴う火山灰層の下で、地域首長の政治・祭祀の拠点とみられる55メートル四方の囲い状遺構と、祭祀遺構が確認された。
囲い状遺構は、イネ科植物の茎をよしず状に編んだものを、1・8メートル間隔で立つ柱の両側から挟んだ垣根で囲われていた。
垣根は当時、高さ約3メートルで、3層にわたり厚さ30センチ前後の堅牢な作りだったとみられる。
20160512-00000060-asahi-000-view
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160512-00000060-asahi-soci
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1463044740/
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1: 名無しさん@1周年 2016/05/19(木) 01:50:07.52 ID:CAP_USER*
上野三碑近くの古墳を市に寄付

*ソース元にニュース画像あり*

http://www.nhk.or.jp/lnews/maebashi/1065287941.html?t=1463589935000
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

6世紀後半に作られたとみられる高崎市にある古墳が所有者から市に寄付され、市は、当時、この地域を治めていた豪族が葬られていた可能性があるとして、今後、保護していくことにしています。

寄付されたのは、高崎市下佐野町にある「漆山古墳」で、所有していた89歳の男性が高齢などを理由に市に寄付しました。
古墳は、当時は長さ70メートルほどの前方後円墳とみられ、南側に奥行き8メートルの石室が残されています。
盗掘を受けているため、当初の埋葬の状況は分かりませんが、見つかった馬具などから6世紀後半に作られたものだと考えられています。

また、近くには、ユネスコの「記憶遺産」の登録を目指している上野三碑もあることなどから「山上碑」や「金井沢碑」を作った一族の祖先で、当時この地域を治めていた豪族が葬られていた可能性があるということです。

高崎市は、地域の歴史を知るうえで、非常に貴重なものだとして、今後、保護していくことにしています。

古墳を寄付した89歳の男性は、
「高齢のため、手入れが難しくなった。寄付を受け入れていただき、喜んでいる」
とコメントしています。

05月18日 15時12分
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1463590207/
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