(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: ニュース

1: しじみ ★ 2018/06/17(日) 17:35:57.39 ID:CAP_USER
■ノルウェー男性の徴兵制データを分析すると、1970年代半ばに知能指数がピークに達し、それ以降、明らかに低下していた

「人間の知能指数(IQ)は、年々、上昇し続ける」。
この現象は、ニュージーランドオタゴ大学のジェームズ・フリン教授が1984年の研究論文で初めて示したことから「フリン効果」と呼ばれている。

フリン教授はこの研究において「1978年のIQは1932年に比べて13.8ポイント高くなっており、IQは、1年あたり0.3ポイント、10年ごとに3ポイント上昇している」と明らかにした。

しかしながら近年の研究結果では、「フリン効果」とは真逆に、「年々、IQが低下する」という「負のフリン効果」が示されている。

■1970年代半ば以降、明らかにIQが低下している

ノルウェーのラグナー・フリッシュセンターの研究プロジェクトは、2018年6月11日、学術雑誌「米国科学アカデミー紀要」において、「フリン効果は1970年代半ばにピークに達し、それ以降、明らかにIQが低下している」との研究論文を発表した。

この研究プロジェクトでは、1962年から1991年までに生まれたノルウェー男性73万人以上を対象に、徴兵制データから抽出された18歳または19歳時点のIQを分析した。
その結果、「フリン効果」は1975年以後に転換期を迎えたとみられ、IQは世代ごとに7ポイント低くなっているという。

この研究プロジェクトは、血縁関係にある家族内での「フリン効果」についても調べた。
これによると、父よりも息子、兄よりも弟というように、親子や兄弟でも「負のフリン効果」が認められたという。

■「負のフリン効果」をもたらしている要因

では、「負のフリン効果」をもたらしている要因は、いったい何なのだろうか。

英アルスター研究所が2016年10月に発表した「負のフリン効果」に関する文献レビューでは、その原因として移民や男女比などが指摘されていたが、この研究結果では、IQの低下と遺伝子や環境要因との因果関係を示すものは見つかっていない。

このほかの要因としては、ライフスタイルの変化や、子どもへの教育手法、子どもの成長プロセスなどが挙げられている。
また、既存のIQテストが、現代の教育や若者のライフスタイルを十分に考慮しておらず、現代人の知能を正しく定量化するのに適していない可能性もあるだろう。

いずれもせよ、まずは「負のフリン効果」を引き起こしている要因を明らかにすることこそ、フリン効果を再び負から正に転換させる第一歩といえそうだ。

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ニューズウィーク日本版
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/20-50.php
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1529224557/続きを読む

1: ガーディス ★ 2018/06/17(日) 07:14:43.51 ID:CAP_USER9
 福井県立大は15日、恐竜を中心に学ぶ古生物学関係の学部を新設する方針を明らかにした。設置時期や定員は未定。記者会見した進士五十八学長は「恐竜王国・福井を象徴するような学部にしたい」と話した。

 県内は白亜紀前期の恐竜化石が多く発掘される地層を抱えており、イグアノドン類のフクイサウルスなど新種の恐竜化石が次々と見つかっている。県立大は、これらの恐竜ブランドを特色ある教育につなげる方針だ。

 新学部では恐竜に関する知識のほか、古い時代の気候や植生といった古生物学全般を学べるようにする。進士学長は「個人的には外国人の教員も呼びたい」と語った。

 県立大は2013年4月、研究機関として「恐竜学研究所」を開設。国内外の機関と連携して恐竜化石を調査したり、恐竜学のシンポジウムを開いたりして、恐竜研究の拠点を担ってきた。新学部では、恐竜学研究所が積み上げてきたこれらの成果や知見も生かした教育活動を展開することを予定している。

 新学部の設置は、県立大が発表した19~24年度の教育計画の中で示した。設置時期について県立大は「できるだけ前半の3年で実現できるよう検討していきたい」としている。【大森治幸】

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180616-00000008-mai-soci
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1529187283/続きを読む

1: 記憶たどり。 ★ 2018/06/15(金) 12:50:45.31 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180615-00050074-yom-ent

広島県立歴史博物館(福山市)は15日、室町時代初期(14世紀中頃)に描かれたとみられる日本の古地図を確認したと発表した。北海道を除く東北から九州までの旧国名が記され、同博物館は「日本のほぼ全体が記された最古級の地図」としている。

確認されたのは「日本扶桑国(ふそうこく)之(の)図」と書かれた縦122センチ、横57センチの地図。
陸奥国(主に東北地方の東半分)から薩摩、大隅両国(現・鹿児島県)まで68か国の位置や名称などが記され、九州側が上、東北側が下になっている。地図中には赤い線で主要な街道や海路が記され、九州の近くには、当時の沖縄の地名「琉球」を示す「龍及(りゅうきゅう)」の文字もあった。

諸国の描き方から、奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)が原形を作ったと伝えられ、江戸時代まで複製された「行基図」の一種。東日本や西日本が記された行基図は、これまでに鎌倉時代後期(14世紀初頭)のものが見つかっており、「龍及」や「巌嶋(いつくしま)」(広島県)、「明石」(兵庫県)といった当時の地名表記や紙の素材などから、作製時期を推定した。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1529034645/続きを読む

1: プティフランスパン ★ 2018/06/12(火) 19:05:06.83 ID:CAP_USER9
2018.06.12 11:30
https://www.discoverychannel.jp/0000019697/
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聖書に出てくる王をかたどった可能性のある2800年以上前の像の頭部が発見された。

■ ヘブライ語聖書の都市で

イスラエル北部のアベル・ベス・マーカ(Abel Beth Maacah)は、キリスト教で言う旧約聖書である「ヘブライ語聖書」に何度か登場する街だ。その古代の街で一番高い位置に建っている建物は、行政関連の建物であったのではないかとされる。今回見つかった像はその建物の中で昨年発掘されたもの。
大きさは約5.1cm x 5.6cm程の小さな頭の像で、元々は20~25cmほどの小さなスタチューの頭部だったと思われる。ファイアンス焼きなどとも呼ばれる釉薬が使われた陶器であり、長く黒い髪と髭の生えた男の顔がかたどられ、頭部には黄色と黒のヘッドバンドを着けている。

■ 一体誰の像?
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Credit: Gaby Laron (The Hebrew University of Jerusalem) via Azusa Pacific University

アズサ・パシフィック大学のプレスリリースによると、同大学の聖書・宗教学科教授で、今回の発掘を率いた考古学者であるロバート・マリンズ(Robert Mullins)は、この像の精巧さなどから、像は著名な人物がかたどられたものであり、これが王であったと推測している。
これが見つかったのと同じ建物で発見された有機物質を放射性炭素年代測定したところ、紀元前902年から806年とされた。その時代、この場所はイスラエル王国、ティルス王国、アラム・ダマスカス王国の三国に面していた。これらの王国の王たちは聖書に描かれており、もしかするとこれらのいずれかの王である可能性もある。
もしこれが聖書に描かれた王の像であれば非常に興味深い。とは言えこの像が王であるというのは何の裏付けもない憶測にしか過ぎず、更なる研究発見が望まれる。
今回の発見はアメリカのキリスト教福音主義系の大学、アズサ・パシフィック大学と、イスラエルのヘブライ大学による共同チームによる発掘プロジェクトでなされたもの。発見された像の頭部はエルサレムのイスラエル博物館で現在展示されているほか、像の詳細に関しては近々刊行されるNear Eastern Archaeologyジャーナルの6月号に発表される予定だ。
Text by Discovery
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1528797906/続きを読む

1: みつを ★ 2018/06/14(木) 23:47:50.86 ID:CAP_USER9
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180614/k10011477901000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_062

唐の時代の「花の石敷き」 中央アジアで発見
2018年6月14日 23時00分

唐の都、長安からおよそ3000キロ離れた中央アジア・キルギスの遺跡で、花の文様を描き出した当時の石敷きが見つかり、帝京大学などの調査団は、唐の文化がそのまま持ち込まれたことを示す発見だとしています。


キルギスにあるアク・ベシム遺跡は、中国の王朝、唐が7世紀後半に勢力範囲の最も西に築いた「砕葉鎮城」(さいようちんじょう)という軍事・行政拠点の跡と見られ、帝京大学文化財研究所などの調査団がおととしから発掘調査を進めています。

ことし4月から行われた調査では、建物の外側にあたる場所に、直径1.8メートルほどの井戸とみられる穴と、その周りに広がる石敷きが見つかりました。

石敷きには、赤や白などの石を組み合わせて描き出した直径50センチから80センチほどの花の文様が合わせて12か所で確認されました。

このような文様が中央アジアで確認されたのは初めてだということで、調査団は、都の長安からおよそ3000キロ離れた拠点に唐の文化がそのまま持ち込まれたことを示す発見だとしています。

調査団長を務める帝京大学の山内和也教授は「とてもきれいで、こんなものが出てくるのかと驚きました。この場所は東と西の接点にあたり、今後の発掘で、町全体がどういう構造だったのか、地元の人たちとどう接していたのかが明らかになると思う」と話しています。

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1528987670/続きを読む

1: みつを ★ 2018/06/14(木) 16:03:07.29 ID:CAP_USER9
http://www.bbc.com/japanese/44477861

2018/06/14
物理学者アルバート・アインシュタインが1920年代にアジアを旅行した際の日記が5月29日、発売された。日記には人種差別的で、外国人嫌いを思わせる記述が含まれていた。

この日記は1922年10月から1923年3月にかけて書かれたもの。極東地域や中東を旅した際の経験が記されている。
日記の中でアインシュタインは、否定的で見境のない一般化を行っている。例えば中国人は「勤勉で、不潔で、鈍い人々」だと表現した。

アインシュタインは人生の後半では、米国の公民権運動の支持者となり、人種差別主義を「白人の病気」と呼んだ。
アインシュタインの日記が英語で単行本として発売されるのは初めて。

「アルバート・アインシュタインの旅行記:極東、パレスチナ、スペイン 1922年-1923年」は米プリンストン大学出版会から発売された。カリフォルニア工業大学アインシュタイン・ペーパー・プロジェクトでアシスタントディレクターを務めるゼエブ・ローゼンクランツ氏が編集した。
アインシュタインはこの時期、スペインから中東へと、当時セイロンと呼ばれていたスリランカを経由して中国と日本へ、2度の旅行をした。

アインシュタインはエジプトのポートサイドに到着した際、品物を売りに船に乗ってきた人々の様子を、「あらゆる色のレバント人が(中略)地獄から飛び出してきたかのようだ」と表現している。
また、セイロンのコロンボに滞在した際の記述では、現地の人々について「非常に不潔でかなりの悪臭がする地面に暮らし、ほとんど何もしないし、何も必要としない」と書いた。

しかしアインシュタインが最も辛辣(しんらつ)に批評したのは、中国人についてだった。
英紙ガーディアンが掲載した日記に関する記事によると、アインシュタインは中国人の子供を「気力がなく、鈍い」と説明し、「もし全ての人種が中国人に置き換わったら、残念なことだ」と書いた。

他の日の日記では、アインシュタインは中国を「奇妙な家畜の群れのような国」だとし、「人間というよりオートマトン(自動で動くロボット)に似ている」と記した。この 記述の前には、中国人男性と女性の間に「違いはごくわずかしかない」とし、女性の「危険な誘惑」に対して男性がいかに「自らを守ることができないか」について疑問符をつけた。
科学における才能と人道主義で名高いアインシュタインは、アドルフ・ヒトラーとナチ党の台頭を受け、1933年に米国へと移住した。
ユダヤ人科学者のアインシュタインは1946年、米ペンシルベニア州のリンカーン大学での演説で、人種差別主義を「白人の病気」だと表現した。リンカーン大学は、米国で初めて黒人に学位を授与した大学だった。

(英語記事 Einstein's travel diaries reveal physicist's racism)

アインシュタインの旅行には、妻のエルザも同行した
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1528959787/続きを読む

1: 記憶たどり。 ★ 2018/06/13(水) 14:41:07.85 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180613-00000027-dal-ent

NHK大河ドラマ「西郷どん」で俳優・松田翔太演じる“ラスト将軍”徳川慶喜が脚光を浴びる中、唯一存命する慶喜の孫・井手久美子の自叙伝「徳川おてんば姫」(東京キララ社)が13日、発売された。
大政奉還から150年となる昨年に書き上げた波乱万丈の人生が明治150年の今年、書籍化され、95歳にして作家デビューを果たした。千葉県内の自宅で筆者の思いを聞いた。(文中敬称略)

1922(大正11)年9月22日に当時の東京市小石川区小日向第六天町(現在の東京都文京区春日)にあった徳川家の屋敷で生まれた。「祖父が亡くなって9年後に生まれたので『お写真様』と呼ばれる部屋に飾られた写真を『おじじ様』と教えられました。“おかか”がおじじ様の好物だったそうです」。公爵で従一位だったことから“一位様”とも呼ばれた祖父は、日常会話の中で生きていた。

その住所から「第六天」と称され、慶喜が生涯を閉じた屋敷は3400坪で約50人が生活。幼少期から姉たちと庭で遊び、女子学習院には車の通学を嫌って市電で通った。外で遊べなかったが、学友と敷地内のテニスコートでボールを追った。
乗馬など運動好きで、いつも日焼け。「楽しくて夢のようでした。木に登ったり、おてんばでしたね」と笑う。

18歳で侯爵家の長男・松平康愛と結婚。久美子は「結婚式で十二単(ひとえ)を着たのですが、はかまの丈が短く、その中に蚊が入ってきて、かゆくてたまりませんでした」と裏話も。夫は海軍少尉として出征。自身は空襲時、疎開先の八王子で火の粉が飛ぶ中、バケツを持って屋根に上がった。「戦争中は大変でした」。敗戦の玉音放送を聞きながら、「ほっとしました」と実感したが、翌年、夫の戦死が確認された。

戦後、華族制度は廃止され、戦火を免れた「第六天」は国に物納された。47年、亡夫と成城高校アイスホッケー部で仲間だった医師の井手次郎と再婚。徳川家のお姫様は病院の仕事で多忙となる。

「泌尿器科の患者さんも多く、包茎だ、パイプカットだという言葉も平気になったのですから、人は変わるものです」-。
50年生まれの長男・井手純は「特殊な所に生まれても、庶民の生活に飛び込んで慣れも早かったところが、おふくろの気性というか、今でもこうして生きていられるということなんじゃないかと思いますね」と順応性を指摘する。

次姉・喜久子は高松宮妃殿下。「実の家族のようにかわいがってくださった」という高松宮親王を通して兄・昭和天皇とも接した。
第六天の屋敷跡は現在、国際仏教学大学院大学の敷地。久美子は車いすで現地に赴き、今も残るイチョウの下で万感の思いに浸った。

昨年、39度の高熱を出すなど健康面の不安を抱えながら、13年前に着手して中断していた原稿を一念発起で完成させた。
長男と暮らす自宅には慶喜の写真と葵(あおい)の紋が額縁に入って掲げられ、その下で「鬼平犯科帳」など時代劇のDVDを楽しむ。
今年96歳。新刊本を手に「本当にありがたいことです」と実感を込めた。


初の自叙伝を手に、感無量の心境を語る徳川慶喜の孫・井手久美子さん=千葉県内の自宅
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1528868467/続きを読む

1: ニライカナイφ ★ 2018/06/12(火) 15:44:32.03 ID:CAP_USER9
◆信長、幻の城 評判海越える 小牧山城(愛知県小牧市)~おもてなし 魅せどころ

戦国武将ゆかりの城が多い愛知県。国宝の犬山城や天守閣を木造復元する計画の名古屋城がよく知られるが、名古屋市中心部から車で30分ほどの小牧山城(同県小牧市)が最近は注目されている。
近世城郭の先駆けと分かってきたからだ。周囲には航空宇宙関連の企業が集まり外国人労働者も多く、海外からの訪問者もじわり増えている。

小牧山は織田信長が岐阜に移る前に居城とし、1584年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康が陣を築いた。
歴史の舞台となったが、城跡としての知名度は決して高くはなかった。

その評価はこの十数年で大きく変わった。きっかけは2004年に始まった小牧山城の発掘調査だ。
近世城郭の特徴である石垣の存在が分かり、「とりでにすぎなかった」という見方を一変させた。
発掘調査の際に開く現地説明会には昨年、5百人が集まった。

「約450年前に信長が目にした空間を体験できることに魅力があるのではないか」。
発掘調査に携わる小牧市教育委員会小牧山課の小野友記子主査は話す。
城郭巡りが好きだという名古屋市の50代男性は「信長が築いた城をじっくり見たかった」と、2度目の訪問を楽しんだ。

小牧市観光協会によると、有料の観光ガイドを利用した人は17年度に千人を超え、前の年度に比べ5割ほど増えた。
海外からの観光客も増えており、「アジアの団体客や南米から来た人をよく見かけるようになった」(小野主査)。

「欧米からのビジネス客も目立つ」と話すのは通訳ガイドの佐伯和夫さん。
周囲には航空関連の工場で働く外国人居住者も多く、海外からの誘客の糸口となっている。

小牧市は来年度中にも小牧山城のふもとに「史跡センター(仮称)」を開設する。
発掘調査の成果を展示し、小牧山や周囲の案内など情報提供の場にする。
観光協会も4月、無料ガイドツアーを月2回から毎週土曜日に増やした。

「歴史好きだけのブームに終わらせず、小牧市内にできるだけ長くとどまってもらいたい」。
観光協会の名坂敏彦事務局長は強調する。

4月には30~40代の女性をターゲットにガイドブックを作成。
小牧山城だけでなく、周囲の飲食店やみやげ、パワースポットなどを掲載した。
小牧山への注目が高い今、幅広い層へと遡及できるかが人気持続へのカギとなりそうだ

■写真
小牧山城発掘調査には数多くの人が訪れた
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日本経済新聞 2018/6/10付
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO31557980Y8A600C1H91A00/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1528785872/続きを読む

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