(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。日本史世界史などの歴史板からまとめています。他にもなんj、vipから歴史関係のスレをまとめています。 良かったらご覧ください。

カテゴリ: ニュース

1: みつを ★ 2017/12/16(土) 22:55:04.62 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3155643?cx_module=latest_top

【12月16日 AFP】ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を生き延びたポーランド人男性、カジミエシュ・ピエホフスキ(Kazimierz Piechowski)さんが15日、北部の港湾都市グダニスク(Gdansk)で死去した。98歳だった。国家記銘院(INR)が明らかにした。

 ピエホフスキさんは第2次世界大戦(World War II)中の1940年、ナチス・ドイツ(Nazi)のアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所に送られた。だがその2年後、ナチス親衛隊(SS)隊員の制服や銃を盗み、さらに同収容所の所長だったルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)の愛車「シュタイアー220(Steyr 220)」を奪って、他3人の被収容者とともに脱出した。

 ピエホフスキさんたちは脱出の際にアウシュビッツの運営状況を記録した文書を持ち出し、亡命中だったポーランドのレジスタンスに、ナチスによる残虐行為の詳細な証拠をもたらした。アウシュビッツ脱出後はポーランドのレジスタンスに加わり、戦後は、共産政権により10年の禁錮刑を言い渡された。

 ピエホフスキさんは2012年、INRに対し「逃げた後に私たちがヘスに『車を使わせてくれてありがとう』と書いた葉書を送ったと話をしている人もいるが、実際にはそんなことはしなかった」と語っていた。(c)AFP

2017年12月16日 16:20 発信地:ワルシャワ/ポーランド
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1513432504/続きを読む
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1: ハンバーグタイカレー ★ 2017/12/13(水) 12:53:14.83 ID:CAP_USER9
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/14022553
場合によっては死にも至ることがあるヘビの毒を、なんと25年間にもわたって自分の体に注射しつづけることで、毒に対する抗体を体の中で作ってきた人物がいます。そしてこの度、この男性の体から骨髄が取り出され、35種類以上の抗体が取り出されています。

まさに常軌を逸した行動を続けてきたのは、アメリカに住むスティーブ・ラドウィン氏です。49歳の男性であるラドウィン氏は、パンクロックバンドでシンガーをつとめているとのこと。

25年前に毒の注射を始めたというラドウィン氏は少年の頃からヘビが大好きだったそうですが、9歳の時に訪れたフロリダのヘビ園で、ある人物にであったことがきっかけでヘビの毒を自分に注射することに関心を持ちました。

その人物とは、西洋人で初めてヘビの毒を自分に注射し、抗体を作る試みを行ったとされるビル・ハースト氏です。無謀すぎるハースト氏の試みでしたが、あろうことかラドウィン氏も同じように毒を注射して抗体を作ることに憧れに近い感情を抱いたそうです。

やがてラドウィン氏は実際にヘビの毒の注射を開始し、それ以来25年間にもわたって週に一度の注射を続けてきました。自宅でヘビを飼い、定期的に採取した毒を最初は水で薄めたものを注射しはじめましたが、徐々に濃度を高くして体を毒に慣らし続けることで、体内で毒への抗体を作ってきたとのこと。ラドウィン氏の自宅では何種類ものヘビが飼われており、餌やりなどの世話をしながらラドウィン氏は毒を小さな容器で採取。その様子は、VICEが公開した以下のムービーに収められています。

http://youtube.com/watch?t=1s&v=8q_m-rDUNw0



このムービーを目にした一人が、コペンハーゲン大学のブライアン・ローゼ博士でした。世界でもほとんど類を見ない試みに学術的な価値を見いだしたローゼ氏は、ラドウィン氏に接触。その後、ラドウィン氏をコペンハーゲンへと招き、まずは血液の採取を行いました。

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/a/f/af515_88_0cfa65f85f8333fd4663930c2d6d1730.jpg

>>2以降に続きます
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1513137194/続きを読む
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1: 泥ン ★ 2017/12/13(水) 22:23:04.02 ID:CAP_USER9
人頭大の石が投げ組まれて割られた甕の底部=京都市下京区
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 京都市下京区で、14世紀後半に酒の麹(こうじ)づくりに使われたとみられる壊れた甕(かめ)が出土した。甕の底には石があり、投げ込んで甕を割ったようだ。麹は当時、北野社(北野天満宮)の神人(じにん)(神職)でつくる組織が室町幕府の権威を背景に独占的に製造・販売しており、無断で麹を製造していた現場を神人らが破壊したとみられる。発掘の担当者は「意外と早い時期から北野社の強い独占状況をうかがわせる資料」としている。

 ホテル建設に伴い、民間調査団体の関西文化財調査会が平安京の左京八条四坊二町にあたるJR京都駅東隣の一角約450平方メートルを発掘。南北を走る東洞院大路跡の一部と付属する東側溝跡が出土し、その近くから割れた甕の底部(最大径約30センチ、深さ約30センチ)が3カ所で見つかった。

 形や周囲の土器などから14世紀後半~15世紀前半の甕とみられる。このうち2カ所には人頭大の石が残っていた。

 当時は、麹づくりは平安時代に北野社の神人が結成した「麹座」、酒づくりは酒屋に分かれていた。麹の製造・販売権は、麹座が室町時代の15世紀初めから幕府の権威を背景に独占しており、無断で麹を製造・販売した多数の酒屋を幕府役人の面前で破壊した記述も残っている。

 だが、15世紀中ごろに幕府の権力が低下すると、独占状態に反対する延暦寺などの寺院や酒屋が幕府や麹座と真っ向から対立。こうした背景から、幕府は文安元(1444)年、北野社の独占権を撤廃した。

産経WEST 2017.12.13 09:41
http://www.sankei.com/west/news/171213/wst1712130019-n1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1513171384/続きを読む
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1: プティフランスパン ★ 2017/12/11(月) 19:42:19.59 ID:CAP_USER9
鹿児島の旧家に西郷隆盛の書 西南戦争前の気持ち記す?
2017/12/11 19:23
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201712/sp/0010809282.shtml

鹿児島県薩摩川内市の旧家で保管されていた書が、明治維新で活躍後に西南戦争で政府軍に敗れた西郷隆盛の直筆と判明したことが11日、分かった。
西南戦争の約2年前に記されたとされ、「世間を渡る道は曲がりくねっている」などと自身の人生とも重なるような内容。
当時の気持ちを表したのではないかと、関係者の注目を集めている。

市は近く、旧家付近の資料館で展示を始める予定。来年は明治維新150年の節目で、今回の発見が話題づくりの追い風になると期待している。
市文化課によると、書は縦約2メートルの掛け軸。裏側の記述から西南戦争2年前の1875(明治8)年作とみられる。

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 鹿児島県薩摩川内市の旧家で保管され、西郷隆盛の直筆と判明した書
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1512988939/続きを読む
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1: 風吹けば名無し 2017/12/07(木) 21:54:29.06 ID:LGedFmzx0
これは正論やな

【ロンドン共同】トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことを受け、英国のメイ首相は6日「米国の決定には賛成できない」とする声明を発表した。
メイ氏は、和平に取り組もうとするトランプ氏の思いには賛同するとしつつ、エルサレムの扱いは「イスラエルとパレスチナの交渉によって決められるべきだ」と指摘。
今回の決定は「地域の平和という観点からは役に立たない」と述べた。
テルアビブにある在イスラエル英大使館について、メイ氏は「(エルサレムに)移す計画はない」と強調した。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017120701000702.html
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1512693489/
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1512651269/続きを読む
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1: 孤高の旅人 ★ 2017/12/08(金) 08:56:09.52 ID:CAP_USER9
大石りくの書状発見
2017年12月08日
http://sp.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20171207-OYTNT50216.html

◇三男も 親戚に次女結婚報告

 忠臣蔵で知られる大石内蔵助の妻・りくと三男の代三郎(大三郎)の書状各1通が、豊岡市城崎町で見つかった。吉良邸討ち入りの後、主家・浅野宗家が治めた広島藩から弘前(青森県)の親戚に宛てた手紙で、2通とも次女・るりの結婚などについて記している。りくの書状は全国で10点前後しか残っておらず、貴重という。
 書状は、城崎温泉街で土産物店を経営する森貞淳一さん(73)が所有。約10年前に購入した古文書の処分を考えていた際に見つけ、市立歴史博物館職員の石原由美子さんに今夏、画像を送って解読を依頼した。石原さんや赤穂大石神社(赤穂市)の学芸員が調べたところ、差出人は「大いし代三郎母」、「大石代三郎」と記されており、字体の特徴などからともに直筆と判断した。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1512690969/続きを読む
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1: 泥ン ★ 2017/12/07(木) 19:19:44.19 ID:CAP_USER9
潜水調査の画像解析で確認された25ミリ連装機銃。これまで搭載された記録はなかった=大和ミュージアム提供
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戦艦「大和」の図
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1941年10月、全速力で試験運転する戦艦大和=大和ミュージアム提供
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 太平洋戦争末期、米軍の攻撃で鹿児島県沖に沈んだ戦艦「大和」に、従来知られていなかった砲身2本の25ミリ連装機銃が搭載されていたことが、広島県呉市の潜水調査でわかった。

 当時は対空戦に備え、砲身3本の25ミリ3連装機銃増設が進められたが、戦争末期の混乱で計画通りに設置できなかった可能性があるという。

 潜水調査は昨年5月に実施。水深約350メートルの海底に沈む大和をとらえた約50時間分の映像と約7000枚の写真を調べたところ、連装機銃1基が確認された。設置場所や全体の搭載数は不明という。

 呉市の「大和ミュージアム」によると、大和の装備に関する資料は終戦前後、軍の命令で多くが焼却されたため、現存するのは1944年に旧海軍が作製した設計図が最も新しい。米軍が45年4月の攻撃時に撮影した写真などと合わせた解析の結果、12・7センチの連装高角砲12基、13ミリ連装機銃2基などの存在に加え、44年以降に増設された3連装の25ミリ機銃は、艦中央部を中心に計約50基あったと考えられていた。

 大和の建造時は戦艦同士の戦闘を想定して巨砲が装備されたが、やがて海戦の主力が航空機となり、44年以降の改修で、機銃や高角砲などの対空装備が増設されていた。今回見つかった連装機銃は、機銃の前に写っていた波よけのための覆いが3連装用の大きさだったため、増設時に何らかの事情で急きょ機材を差し替えたとみられるという。

 同館の戸高一成館長は「戦争末期は空襲で国内の流通が破壊されており、資材の供給がうまくいかなかった可能性がある。大和の装備についてはまだ謎が多く、今後も調査を続けたい」と話している。

 同館では、今回撮影した写真パネルなどを展示した企画展「海底の戦艦大和」を開催している。来年3月25日までで、問い合わせは同館。(松田祐哉、山本慶史)

読売新聞 2017年12月07日 09時13分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20171207-OYT1T50020.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1512641984/続きを読む
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1: 孤高の旅人 ★ 2017/12/07(木) 16:51:04.80 ID:CAP_USER9
武市半平太の直筆の証文発見 鑑定者と所蔵男性は
12月7日 16時05分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171207/k10011249851000.html?utm_int=news-culture_contents_list-items_001
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尊皇攘夷を唱えた幕末の志士、武市半平太が、後の「土佐勤王党」の一員となる志士などが通った剣術道場を開いたあと、田畑などを売ったことを示す直筆の証文が見つかりました。これについて、鑑定を行った高知県の「佐川町立青山文庫」の松岡司名誉館長と、蔵の中で所蔵していた男性が7日、高知市内で記者会見しました。
この中で松岡名誉館長は「武市半平太の生活に関する直筆の資料が残っていたことにとても驚いた。田畑などを売った際の価格は、今の価値に換算すると500万円ほどになり、『考えるところがあって売る』と書いているところに興味が沸き立つ。また別の証文からは、武市の先祖が塩の混じった田んぼで苦労しながらコメを育てていたこともわかった。貴重な発見で、当時の暮らしぶりや地元の人たちとの関わりについて研究を進めていきたい」と述べました。

また見つかった証文や刀などは、実家が武市半平太の生家の近くにある高知市の歯科医師、坂本憲昭さんが蔵の中で所蔵していました。
坂本さんは「武市が切腹で亡くなったあと、同い年の5代前の先祖がなきがらを荷車で運んだという話が代々伝えられるなど、武市家と交流がありました。今回の発見を機会に、より一層研究が進むことを願っています」と話していました。

見つかった証文などは、今月14日と15日、高知市仁井田にある「瑞山記念館」で一般に公開される予定です。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1512633064/続きを読む
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