(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。日本史世界史などの歴史板からまとめています。他にもなんj、vipから歴史関係のスレをまとめています。 良かったらご覧ください。

カテゴリ: ニュース

1: 鄙び湯治宿 ★ 2017/03/20(月) 08:58:46.06 ID:CAP_USER9
文部科学省が学習指導要領の改訂案で「聖徳太子」「鎖国」など、歴史上の人物や出来事などの表記を変えたことに対し、「教えづらい」「わかりにくい」などの批判が集まり、同省が一転、元に戻したり、復活させたりすることがわかった。こうした修正を反映した新指導要領は今月末に告示される。

 文科省は15日まで、改訂案についてパブリックコメントで意見を募ったが、特に不評だったのが聖徳太子の表記。改訂案では、小学校で「聖徳太子(厩戸王(うまやどのおう))」、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」としていた。学会などの歴史研究を踏まえたもので、小学校ではよく知られた「聖徳太子」を、中学校では史実を重視して「厩戸王」を前に出した。ところが、「小中で表記が異なると教えづらい」といった声が相次ぎ、国会でも「連続性がなければいけない」「歴史に対する冒?(ぼうとく)だ」と批判された。

 このため、文科省は小中とも「聖徳太子」に戻し、中学の指導要領では「古事記や日本書紀で『厩戸皇子』などと表記され、後に『聖徳太子』と称されるようになったことに触れる」と加えることにした。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170320-00000013-asahi-soci
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489967926/ 続きを読む
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1: シャチ ★ \(^o^)/ 2017/03/15(水) 20:02:40.76 ID:CAP_USER9
忍者を生み出した地として双璧をなす「甲賀」と「伊賀」。両地(現在の滋賀県甲賀市と三重県伊賀市の一帯)に伝わる忍術をまとめた“集大成”の書とされるのが「万川集海(まんせんしゅうかい)」だ。
江戸期の作とみられるこの秘伝書について現代語訳、読み下し文、原文を収めた750ページ近い大作「完本 万川集海」(国書刊行会)が近年刊行された。
著者は、古文書を収集し忍者を研究している山口県の医師、中島篤巳さん(72)で、忍者が水面を移動する際に使う道具「水蜘蛛(ぐも)」の使い方など、通説とは異なる興味深い“真実”も明らかにしている。
中島さんは「江戸時代でも、甲賀と伊賀の忍者は公権力に不可欠な『誇るべき存在』だったことがわかる」と話す。

■「水蜘蛛」はこうやって使う
 中島さんが完本のもとにした国立公文書館内閣文庫の蔵本の万川集海は、忍術を伝える22巻と兵法書である「万川集海 軍用秘記」からなる。
22巻の中には、「家忍之事」(第13巻、家の中に忍び込むこと)や「忍夜討」(第15巻、夜襲すること)といった特殊任務から、「登器」(第18巻、壁などを登る道具)や「火器」(第21、22巻、火薬や火を使った道具)などの忍器まで広く紹介している。

 万川集海に記された特殊な道具やさまざまな忍術は、現代の研究者だけでなく、忍者に関心のある人にとってもまさに「宝の箱」で、詳しく知れば新しい発見も。

例えば、中央の四角形の板を囲むように4枚の板を円形に組み合わせた「水蜘蛛」と呼ばれる水器。
水蜘蛛を2つ用意し、中央の板に足をのせて忍者が水面を歩く想像図を見たことがある人もいるだろう。
現代ではテレビで水面歩行に挑戦するシーンも見られるが、ほとんどは沈んで失敗に終わり、かねて実用性が疑問視されていた。

 万川集海にも、水蜘蛛の外径を「二尺一寸八分(約65センチ)」にすることや、中央の板に「牛皮」を敷くことなど細かい記載があるものの、使い方の説明はない。しかし中島さんが収集した別の古文書には中央の板に「座る」と書かれており、中島さんは「一つの水蜘蛛に座り、足に『水掻(みずかき)』をはいて、水面を進んだのでは」と推測する。

 このように使うと安定して座ることができ、「水面で弓を使ったり、鉄砲を撃ったりすることも可能なはず」と中島さん。
よく知られた想像図にあるような使い方とはずいぶん違ったようだ。水掻は「万川集海」でも水蜘蛛のすぐ後に紹介されており、足をかくときだけ二重になった板の後ろの部分が開き、水をかくことができるという(図の右を参照)。

産経
http://www.sankei.com/west/news/170315/wst1703150002-n1.html
画像
wst1703150002-p1
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489575760/ 続きを読む
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1: しじみ ★ 2017/03/13(月) 07:48:28.75 ID:CAP_USER9
「甲賀五人」の子孫

 渡辺俊経さん79

 先祖は尾張徳川家に仕えた忍びで、「甲賀五人」の1人として年に1度、尾張藩で鉄砲の撃ち方などを武士に指南した渡辺善右衛門。
普段は、地元で農作業などをして暮らしていたことが、自宅の蔵から見つかった古文書でわかった。

 忍者の実態は、今も謎に包まれているが、先祖が「古文書に書き残していたことに誇りを感じる」と喜ぶ。
実は、先祖が忍者であり、家に古文書が残されていることは、両親からも一切聞かされていなかったという。

 2000年に忍者研究などをしている団体のメンバーとの会合で、「渡辺善右衛門について教えてほしい」と尋ねられた。
10歳の頃、祖母から「善右衛門」という名を受け継ぐはずだったことや、約200年前の火事でも蔵だけが焼けずに残った、という話を聞かされたのを思い出した。

 蔵にあるたんすの引き出しを探すと、約150もの古文書が出てきた。
見つけた当初は古文書の崩し字が読めず、10年かけて勉強した。

 歴史学者の磯田道史さんらに見てもらうと、徳川家に仕えた時の機密保持を誓った「起請文きしょうもん」のほか、鉄砲指南役として甲賀から先祖を含む5人が召し抱えられたり、火薬や薬を調合したりしていたことなどが記載されたものもあった。
「江戸時代は平穏なため、農業をしながら年に1度出向くだけで給金がもらえた」という。

 古文書は昨春頃から、甲賀市教委に渡して解読を依頼しており、成果は、本にして残すように準備を進めている。
紛失や火事などで失う恐れがあるため、全てを市教委に寄託する予定で、貴重な地域の遺産として保存することを願う。

読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/local/shiga/news/20170313-OYTNT50011.html?from=tw
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489358908/ 続きを読む
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1: しじみ ★ 2017/03/13(月) 11:26:06.51 ID:CAP_USER9
16世紀に興福寺の僧が興した「宝蔵院流槍術(そうじゅつ)」が、初めて女性の入門を受け入れる。
長さ約250センチの槍(やり)を使うこの伝統武道は江戸期に門弟4千人を超えたことがあり、吉川英治の「宮本武蔵」や井上雄彦の「バガボンド」にも登場する。

 奈良市のならでん武道場に「ヤア」「エイ」と掛け声が響く。
青い道着姿の20~70代の22人がそれぞれ素(す)槍と、先が十字になった鎌槍を手に型の習得に励む。外国人も数人いるが、全員が男性だ。

 女性は習えないんですか―。
ここ10年、そんな問い合わせが年に数件寄せられていた。
だが、創立時から門弟はずっと男性だけ。
これまで「高校生以上の男性」を条件にしてきた。

だが、第21世宗家の一箭(いちや)順三さん(68)は
「伝承の経緯で、と女性に断りを入れるたびに違和感が募っていました」と話す。

 一箭さんによると、宝蔵院流槍術は1550年に興福寺の僧胤栄(いんえい)が興し、門弟は全員が男性の僧だった。その後、多くの流派に分かれ、武家の間で広まった流派が現在に残った。
そのため女性が入門する機会はなかったとみられるという。

 昨年末、幹部約10人で話し合った。
「槍を持てさえすれば習得できる」「男性限定なのは時代錯誤かもしれない」。
全員一致で女性の受け入れを決めた。

 ただし、槍の重さ(2~2・3キロ)や形状、型、高校生以上という制限は変えない。
一箭さんは「変えるところ、変えないところを見極めつつ伝統を守っていきます」と話している。

朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASK2P62Q5K2PPOMB00W.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489371966/続きを読む
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1: 的井 圭一 ★ 【特別重大報道】 2017/03/12(日) 02:01:14.25 ID:CAP_USER9 BE:511393199-PLT(15100)
sssp://img.2ch.net/premium/1051729.gif
(CNN) エジプトとドイツの考古学者のチームが、エジプトの首都カイロで、古代エジプトの王ラムセス2世をかたどったものとみられる3000年前の巨大な像を発見したことが11日までに分かった。
エジプト考古省は「最も重要な考古学上の発見のひとつ」と評している。

発掘現場はカイロ首都圏東部のマタリア地区。考古学者のチームが9日、高さ約9メートルと推定される珪岩(けいがん)製の像を地中から取り出す作業を開始した。
作業には国の代表者や報道陣も立ち会った。

エジプトのアナニ考古相は、像は「オジマンディアス」の別名で知られるファラオ(王)、ラムセス2世のものである可能性が最も高いとの見方を示した。

エジプト考古省の高官によれば、像がラムセス2世をかたどったものであることを示す銘文は刻まれていないが、ラムセス2世にささげられた神殿の門付近で発見されたことから、同王のものである可能性が最も高いという。

像が見つかった古代都市ヘリオポリスの神殿の大半はギリシャ・ローマ時代に破壊されたほか、考古品は略奪に遭い、エジプト北部アレクサンドリアや欧州に送られた。
他の建材は後の時代にカイロが都市としての装いを新たにする中で再利用された。

ラムセス2世は紀元前1279年から同1213年にかけての66年間にわたり、古代エジプト第19王朝の一員として統治。現代のスーダンからシリアにまたがるヌビアという地域の大部分を征服した。

ラムセス2世の偉業は時代を下っても語り継がれ、これに触発された英国の詩人シェリーは約3000年後の1818年、ソネット形式の詩「オジマンディアス」を書いた。

ソース先に動画あり 
3000年前の巨大像を発見、ラムセス2世か 2017.03.11 Sat posted at 13:58 JST
http://www.cnn.co.jp/m/fringe/35097946.html

■関連ソース・画像
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Statue of Pharaoh Ramses II is found in a Cairo slum | Daily Mail Online
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-4297944/Colossus-probably-depicting-Ramses-II-Egypt.html

■関連スレ
【国際】古代ファラオの座像発見 エジプト南部ルクソール
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1489100594/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489251674/ 続きを読む
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1: みつを ★ 2017/03/11(土) 09:05:29.82 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3120972

【3月11日 AFP】巨匠レオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci)の代表作「モナリザ(Mona Lisa)」が見せる有名なほほ笑みは、しばしば意味深長と評され、数世紀にわたり調査や議論の対象となってきた。だが、この表情の意味を読み取ることは、実はそこまで難しくなかったようだ。

 モナリザの微笑を見た人々のほぼ全員が、明確な「喜び」の感情を読み取ったとの実験結果が10日、発表された。研究に参加した独フライブルク大学(University of Freiburg)の脳科学者ユルゲン・コルンマイヤー(Juergen Kornmeier)氏はAFPに対し、実験結果について「われわれは本当に驚いた」と語っている。

 モナリザの表情は謎めいた感情の象徴とされ、多くの人にとって最初は優しい笑顔に見えるものの、長く鑑賞すればするほど、あざけりや悲しみの表情にも見えてくる。

 実験では、作品を白黒にコピーし、モナリザの口角を上下に調整した画像を計8種類作成。うち4枚は原画より幸せそうな顔に、もう4枚は悲しそうな顔に変え、原画を加えた9枚の画像を12人の被験者に30回見せた。

 被験者は各回で、画像9枚を無作為な順序で見せられ、モナリザの表情が喜びと悲しみのどちらを表現しているのかとの質問に答えた。

 コルンマイヤー氏は「美術界と美術史での説明に鑑みて、最も(表情が)曖昧なのは原画だと考えていた」が、その予想は外れ、被験者は97%の確率でダビンチの原画を喜びの表情として受け止めたという。

■精神障害研究の一助にも

 実験の第2段階では、モナリザの原画と、口角を第1段階よりもさらに細かい単位で「悲しげ」に変えた画像8枚を使用。この実験でも、被験者は原画を喜びの表情と受け止めた。だが一方で他の画像への認識に変化がみられ、第1段階よりも「表情が少し悲しげだと認識された」という。

 コルンマイヤー氏はこの実験により、「私たちの脳には喜びや悲しみを計る絶対的な尺度はなく、多くは文脈に頼っている」ことが分かったと説明。この過程を理解することで、精神障害の研究に役立つ可能性があると述べている。

 研究チームは今回の実験によって、モナリザをめぐる数世紀にわたる疑問をついに解決したと考えている。

 コルンマイヤー氏は「他の部分については曖昧さがあるかもしれない」ものの、「喜びか悲しみのどちらかという点については、曖昧さはなくなった」と語った。(c)AFP/Mariëtte Le Roux

2017年03月11日 07:21 発信地:パリ/フランス
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489190729/ 続きを読む

1: しじみ ★ 2017/03/11(土) 08:35:56.47 ID:CAP_USER9
【AFP=時事】ペニシリンの発明からさかのぼること約5万年前に、
歯の膿瘍(のうよう)に苦しんでいた旧人類ネアンデルタール(Neanderthal)人の若者が、天然の抗生物質や鎮痛成分を含む草木を食べていたことが分かったとする研究論文が8日、発表された。
研究では、ネアンデルタールの歯石を調べた。

 研究チームによると、現在のスペインのエルシドロン(El Sidron)に当たる地域に住んでいたネアンデルタール人の男性は、抗生物質を産生するペニシリウム属の真菌を摂取し、サリチル酸を含むポプラの木の破片をかんでいたという。サリチル酸は、現代の鎮痛薬アスピリンの有効成分だ。

 英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された研究論文によると、この若いネアンデルタール人の化石化した下顎骨には膿瘍による損傷がみられる他、残されていた歯石から、激しい下痢を引き起こす腸内寄生虫の存在が確認できた。
これにより「若者がひどい病気に侵されていたのは明白」だという。

 論文の共同執筆者で、豪アデレード大学(University of Adelaide)オーストラリア古代DNAセンター(ACAD)のアラン・クーパー(Alan Cooper)氏は「ネアンデルタール人は、薬用植物とそれらが持つ各種の抗炎症作用や鎮痛作用などの特性を熟知し、自己治療を行っていたとみられる」と話す。

「研究結果は、現生人類の近縁種であるネアンデルタール人に関して一般的に聞かれる、想像の中のかなり単純化された考え方とは極めて対照的だ」と、クーパー氏は続けた。

 2012年に独科学誌「ナトゥーア・ウィッセンシャフテン(Naturwissenschaften)」に発表された研究では、ネアンデルタール人はノコギリソウやカモミールなどの薬草を使用していたことが考えられるという。

■菜食中心
 国際研究チームは今回の最新研究で、ネアンデルタール人4個体の石灰化した歯垢(歯石)の中に閉じ込められたDNAの遺伝子分析を実施した。
4個体のうち、2個体はベルギーのスピー洞窟(Spy Cave)から、残る2個体はエルシドロンからそれぞれ出土したものだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170309-00000013-jij_afp-sctch
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489188956/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489048575/ 
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1: 逆落とし(catv?)@\(^o^)/ [DE] 2017/03/08(水) 14:21:34.05 ID:HP0NwCT80 BE:323057825-PLT(12000) ポイント特典
英国の考古学チームが、イスラエル北部のナザレでイエス・キリストが聖母マリアや父ヨゼフとともに暮らした家を特定したと考古学誌に発表した。

 聖書を研究する考古学誌『Biblical Archaeology Review』によると、英レディング大学のケン・ダーク教授らが率いる調査チームは、2004年~2010年にかけてナザレの北北西6キロ付近に位置するナハール・ジッポーリ地区を調査。

 その結果、かつて「セポリス」と呼ばれていたこの谷で、古代ローマ時代初期の遺跡を発見し、ユダヤ人が陶器を輸入するための船を作っていたことを突き止めた。

 調査チームによるとキリストの家は、イエスの死後、東西に分かれたローマ帝国の東にあたるビザンチン帝国時代にはモザイクタイルで装飾され、さらにその上に教会が建てられたという。

 13世紀に東ローマ帝国を陥落させた十字軍は、荒廃した教会を建て直したが、教会の地下にあるキリストの家は、1880年代に修道女によって発見されるまで葬り去られた存在だった。
半世紀後の1936年、イエズス会の司祭が重い腰を上げて追跡調査を行ったものの、結果を公表せずに死亡。
修道院が2006年にケン・ダーク教授らのチームに再調査を依頼するまで、誰の記憶からも忘れられていたという。

発掘調査の結果、1世紀に建てられたキリストの家は、丘陵地帯から谷に向かって傾斜するように建てられていて、石造りの壁が残り、内部には穴の開いた調理道具や糸巻きなどのほか、ユダヤ人が家に飾る石灰岩で作った船の飾りが見つかった。

 ダーク教授によると、この家は2世紀になる前に空き家となり、集落全体が採石場として使われるようになった。
3世紀頃には墓地と教会が建てられたものの、ビザンチン帝国時代に装飾用のモザイクタイルで飾られた形跡を見ると、当時の人たちも、イエスが両親と暮らした聖なる場所だと認識していたのではないかと推測しているという。

キリストが両親と暮らした家?イスラエルのナザレで見つかる
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/1/9/19339.html
nazareth-1-jesus-house
nahal-zippori
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1488950494/ 続きを読む
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