(遅報)歴史まとめ

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カテゴリ: ニュース

1: 岩海苔ジョニー ★ 2018/02/13(火) 06:52:12.61 ID:CAP_USER9
 地質学上の時代区分に「チバニアン」の名が刻まれる可能性があることで注目を浴びる千葉県市原市田淵の地層。その斜面に、地質学者らでつくる研究団体がコンクリートブロックの階段を整備した。見学者にとっては地層を間近に見ることができる便利な階段。だが、国の天然記念物指定を目指す市は「現状変更」に困惑している。

 地層は養老川沿いに露出し、約77万年前に地球のN極とS極が逆転して今と同じ向きになったことが確認できる。国立極地研究所など日本の研究チームが昨年6月、地質時代の境界を代表する「国際標準模式地」として国際学会に申請。認められれば、マンモスやネアンデルタール人がいた約77万~12万6千年前の地質時代が、ラテン語で「千葉時代」を意味する「チバニアン」と呼ばれる。

 昨年11月には、1次審査を通過して模式地の候補に残ったことが明らかに。すると「チバニアン」という言葉が注目され、地層にも見学者が殺到した。斜面を登る足場がぬかるむなどしたため、市は昨年12月、安全面を理由に斜面への立ち入りを禁止。見学者は地層を間近に見ることができなくなった。

 市などによると、斜面にコンクリートブロックを積み重ねた階段がつくられたのは今年1月中旬。整備したのは地質学者らでつくる研究団体「古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会」(香取市)で、地層について解説する看板もいくつか設置した。「チバニアン」を国際学会に申請した研究チームとは別の団体で、この地層について長年、研究活動を続けてきたという。

 協議会会長の楡井久・茨城大学名誉教授は朝日新聞の取材に「事故があっては大変。私たちはすべてボランティアでやっている」と話す。地層の一帯は公共用地と民有地が混在。楡井名誉教授は、階段を整備したところは民有地で、所有者の協力は得られていると説明している。

 一方、市の担当者は「天然記念物の指定後に、見学者への環境整備をしたいと考えている。だが、先行されてしまっては何もできない」と戸惑いを隠さない。

 市は1月末、地層を国の天然記念物に指定するよう求める意見具申書を県を通じて国に提出。指定により保存・保護と研究活用の両立を図りたい考えで、学識経験者らでつくる検討委員会でルールづくりを検討している。その矢先の「現状変更」に、別の担当者は「天然記念物の指定に向け、心証が悪くなるのではないか」と懸念する。

 国際学会は早ければ今年中に国際標準模式地として認めるかどうかを決定するとみられるが、市は、それより前に国の天然記念物に指定されることを目指している。(石平道典)

コンクリ階段

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階段ができる前
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http://www.asahi.com/articles/ASL223T3WL22UDCB00F.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1518472332/ http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1518428403/続きを読む

1: みつを ★ 2018/02/08(木) 22:58:56.45 ID:CAP_USER9
http://www.afpbb.com/articles/-/3161617

2018年2月8日 14:55 発信地:ロンドン/英国
【2月8日 AFP】「これはアフリカのモナリザだと思う」。英文学賞ブッカー賞(Man Booker Prize)の受賞作家であるベン・オクリ(Ben Okri)氏は、最近英ロンドンのフラットで見つかったナイジェリア王女の肖像画を見つめながら語った。

 ナイジェリアの美術作家ベン・エンウォンウ(Ben Enwonwu)が1974年に描いたこの肖像画は、翌75年以来長らく行方不明のままで、エンウォンウの祖国では神話的存在となっていた。描かれている人物は、ヨルバ(Yoruba)人の王女「ツツ(Tutu)」ことアデツツ・アデミルイ(Adetutu Ademiluyi)だ。思いがけず発見されたこの絵は今、競売に掛けられている。

 オクリ氏はAFPに対し「40年間にわたって伝説となっていた絵だ。誰もが『ツツはどこ?』と言って、ツツについて話題にし続けてきた」と語った。

■ナイジェリアの希望と再生の象徴

 世界的に有名なナイジェリアの文化人であるオクリ氏は、2月28日にこの肖像の競売が行われる英競売大手ボナムス(Bonhams)でこの絵を眺めた。「彼(エンウォンウ)はこの少女を描いただけでなく、伝統をまるごと描いたのだ。この絵はナイジェリアの希望と再生の象徴であり、不死鳥の飛翔(ひしょう)の象徴でもある」

 ボナムスのアフリカ現代美術担当ディレクター、ジャイルズ・ペッピアット(Giles Peppiatt)氏は、ロンドン北部のある家族から連絡を受けて、この肖像画を鑑定した。「足を踏み入れたフラットの壁に掛かっていたこの絵は見事だった。一目で本物だと思ったが、オーナーにはその場でうっかりしたことは言えなかった」。鑑定が終わり、行方不明になっていた名画だと知ると、その家族は非常に驚いていたという。

 1994年に死去したエンウォンウは、ナイジェリア芸術のモダニズムの父とみなされている。彼は「ツツ」の肖像を3枚描いたが、いずれも最近発見されるまで所在不明となっていた。1967~1970年のビアフラ戦争における部族同士の衝突の後、これらの作品は平和の象徴となった。

 ボナムスのアフリカ美術専門家、エリザ・ソーヤー(Eliza Sawyer)氏は「ツツはヨルバ人でエンウォンウはイボ(Ibo)人だ。つまり彼らは異なる部族に属していた」「この絵は和解の重要な象徴だ」と語った。

 2月28日にロンドンとナイジェリア・ラゴス(Lagos)で同時に競売に掛けられるこの肖像の落札予想価格は約25万ポンド(約3800万円)だが、オクリ氏はこの絵には金銭以上の価値があると主張している。(c)AFP/James PHEBY

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1: ばーど ★ 2018/02/12(月) 00:14:23.41 ID:CAP_USER9
直家らの霊前にチョコレートを供える女性
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城下町岡山の礎を築いた戦国武将・宇喜多直家(1529~81年)の命日(14日)を前に、宇喜多家の菩提(ぼだい)寺・光珍寺(岡山市北区磨屋町)で11日、法要が営まれた。命日がバレンタインデーに当たることから、参列した女性たちが霊前にチョコレートを供えた。

 祭壇には直家と息子・秀家(1572~1655年)の肖像画が置かれ、石渡隆純住職が読経する中、歴史ファンや檀家(だんか)ら約50人が焼香した。女性は持参したチョコを供えた。

 秀家の終焉(しゅうえん)の地・八丈島(東京都)からの郵送分を含め、供え物はチョコやケーキなど約60個に上った。東京都狛江市から訪れた女性(28)は「天国から見守ってほしいとの思いを込めた。2人とも多くの人に慕われ、喜んでいるはず」と話した。

 岡山市中区の作曲家、ピアニストの山地真美さん(31)によるピアノ演奏もあり、宇喜多家をイメージした曲が披露された。

 光珍寺によると、直家や「イケメン武将」といわれる秀家へのバレンタインの供え物は2009年ごろから届くようになった。

(2018年02月11日 21時45分 更新)
山陽新聞デジタル
http://www.sanyonews.jp/article/667751
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1: しじみ ★ 2018/02/04(日) 22:06:15.08 ID:CAP_USER
【2月4日 AFP】エジプトの考古学チームは3日、
保存状態の良い希少な壁画で飾られた古代王朝の巫女(みこ)の墓を公開した。

 ハレド・イナニ・エズ(Khaled el-Enany Ezz)考古相は記者団に対し、首都カイロ南郊のギザ(Giza)台地のサッカラ(Saqqara)で見つかったこの墓は、豊穣(ほうじょう)と安産の女神ハトホル(Hathor)に仕える巫女ヘトペト(Hetpet)のために建てられたものだと発表した。

 この墓は、エジプト政府考古学委員会のムスタファ・ワジリ(Mostafa Waziri)委員長率いるチームがギザ西部墓地を発掘調査していた際に発見した。

 考古省によると、ギザ西部墓地にはエジプト第5王朝の高官の墓が複数あり、
1842年以降にいくつかは発掘済みだという。

 考古省は「この墓には、狩りや漁の場に立っていたり子どもたちから供物を受け取ったりするヘトペトを描いた優れた壁画があり、保存状態も極めて良好だ」としている。
壁画にはミュージカルや踊りの場面が描かれているほか、当時は家畜とされていたサルを描いた場面も2つあった。
一つでは果物を取って食べており、もう一つでは楽団の前で踊っていた。

 イナニ考古相によると、この墓からは清めの水盤が見つかり、それに墓のあるじの名と役職が刻まれていたという。
イナニ考古相は「ドイツの調査チームが1909年、ヘトペトあるいは同名の女性の名前が刻まれた古文化財一式を発見した。この古文化財は当時、ベルリン博物館に運ばれた」「109年の時を経て、われわれはヘトペトの名を冠したこの墓を発見したのだ」と述べた。

 ワジリ氏はギザ西部墓地の発掘を継続する意向で、さらなる発見に期待を寄せている。(c)AFP

画像:エジプトの首都カイロ南郊ギザ台地のサッカラで発見された古代王朝の巫女の墓の内部にある保存状態の良い希少な壁画(2018年2月3日撮影)。
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AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3161089
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1517749575/続きを読む

1: スレロンダ茨城とは別人です 2018/02/10(土) 22:56:11.93 ID:LcI07Chc0 BE:844481327-PLT(12345)
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琉球の文化人たちの足跡をたどることができる貴重な資料がこのほど発見されました。

内側に金が塗られ、こぶしのような形をした杯。
「孔林楷杯」といって、中国の孔子一族の墓地にある楷の木の根本の部分を切って作ったものです。

1715年に名護親方・程順則が、日本の文化人である近衛家煕に献上したもので、およそ300年間、京都で保存されていました。

9日に県公文書館で開かれた記者会見で、県教育庁文化財課の外間みどり主幹は「交流の証として、琉球の文人たちと日本の一流とされた文人である近衛家煕との交流を知る上で、非常に貴重な資料だと思っています」と述べました。

県教育庁文化財課では今後、詳細な調査を行い、県内での展示に向けて検討したいということです。

http://www.qab.co.jp/news/2018021099287.html
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http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1518270971/
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1: (?∀?(⊃*⊂) ★ 2018/02/08(木) 16:54:35.50 ID:CAP_USER9
記念艦「三笠」(横須賀市稲岡町)の本年度の来艦者が7日までに20万人を突破した。

同艦は近年、艦艇を擬人化したゲーム「艦隊これくしょん」などの人気を受けて来艦者が増え、44年ぶりに“大台”を超えた2014年度から4年連続の20万人突破となった。

同艦は昨年、三笠の操艦シミュレーターや、バーチャルリアリティー(仮想現実)の技術を使って日本海海戦を体験できるコーナーなどデジタル展示を新設。
同艦を管理する三笠保存会によると、昨秋に相次いだ台風の影響で来艦者数が落ち込み、昨年度より1カ月遅い20万人突破となった。

本年度の20万人目として3日に東京都世田谷区から家族と訪れた小学5年生の谷口想真君には、同保存会の荒川堯一理事長から認定証と記念品として三笠の模型が贈られた。

明治時代の歴史を学んでいるという谷口君は、「いろいろな部屋やハンモックが見られて興味深かった。これからもっと歴史を勉強したい」と話した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180208-00023760-kana-l14
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1518076475/続きを読む

1: みつを ★ 2018/02/09(金) 16:45:26.33 ID:CAP_USER9
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-42984569

ポール・リンコン、BBCニュースサイト科学編集長
2018/02/08

最先端の科学分析によって、1万年前の英国人が褐色の肌と青い瞳の持ち主だったことが明らかになった。現代欧州人の10人に1人が、この時期の狩猟民とDNA的につながると言われている。

ロンドンの自然史博物館とユニバーシティー・コレッジ・ロンドン(UCL)の共同研究チームが7日、再現した頭部を発表した。

自然史博物館の研究チームが、1903年に英南西部チェダーで発見された英国最古の完全な形の人骨からDNAを抽出した。
「チェダー男」と呼ばれるこの人骨について、続いてUCLの研究チームがゲノム解析をもとに顔を再現した。
その結果、現在の欧州人の薄い肌の色は、比較的最近の特徴だと改めて示された。

有史以前のこの時代の英国人について、ゲノム解析が実施されるのは初めて。
その結果、前回の氷河期後に英国に再定住した最初の人々に関して、貴重な見解が新たに得られた。

ゲノムとは人間の「設計図」で、人間の細胞核に含まれている。「チェダー男」のゲノム解析結果は学術誌に掲載されるほか、英チャンネル4が近く放送するドキュメンタリー「最初の英国人 1万年前の男性の秘密」でも紹介される。
チェダー男の骨は115年前、英南西部サマーセット州チェダー渓谷にあるゴフ洞窟で発見された。その後の調査で、身長は約165センチと現代英国人にしては低く、おそらく20代で死亡したと分かった。

同博物館で人間の起源を調べている研究主任、クリス・ストリンガー教授は、「私は約40年もチェダー男の骨を調べてきた」と話す。

「だから、この人と対面するなど、数年前には考えらなかった。こういう外見だったかもしれないという顔と。こういう髪で、顔で、あの瞳の色と浅黒い肌の色のハッとするような組み合わせで。科学データからは、この人がこういう外見だったということになる」

頭蓋骨の表面に入ったひびから、チェダー男は暴力的な形で死亡したかもしれないと伺える。どのようにして洞窟に横たわることになったのかは分かっていないが、同じ部族の仲間がそこに置いた可能性もある。
自然史博物館の研究チームは、耳の近くの錐体(すいたい)と呼ばれる頭蓋骨の一部からDNAを採取した。担当したイアン・バーンズ教授とセリーナ・ブレイス博士は当初、骨からDNAを採取できるかは分からなかったという。

しかし、チームは運がよかった。DNAが残っていただけでなく、欧州の中石器時代のゲノムとして、最高水準のカバー率(配列の正確さの尺度)が達成できた。
自然史博物館の研究チームはUCLと協力し、髪の毛や、目や皮膚の色に関連する遺伝的変異等の結果を分析した。

超熟成チェダー

研究チームは、石器時代に生きたこの英国人は、黒っぽい色の毛の持ち主だったと解明した。平均よりも巻き毛だった可能性もわずかにある。瞳は青く、肌はおそらく褐色から黒に近い色だったと判明した。
この組み合わせは現在の私たちには意外かもしれないが、当時の西欧ではよくある外見だった。
チャンネル4番組のディレクター、スティーブン・クラーク氏は、「みんな承知の通り私たちは、肌の色を異常に気にする時代に生きている」と話した。

UCLの遺伝学者マーク・トマス教授は、「このことが私たちの認識の一部になれば、それはずっといいことだと思う。みんなが頭の片隅にとどめるようになれば、大勢の知識の一部になる」と話した。
チェダー男はゲノム解析によって、スペインやルクセンブルグ、ハンガリーで発見された、いわゆる西部狩猟採集民など中石器時代の他の人類と近縁関係にあったことが分かった。
古生物の模型製作を専門とするオランダのアーティスト、アルフォンス・ケニス氏とアードリー・ケニス氏が、遺伝子の解析結果に、頭蓋骨のスキャンで測った寸法を組み合わせた。その結果、はるか昔の人類の顔がまるで生きているかのように復元された。
(リンク先に続きあり)

(英語記事 Cheddar Man: DNA shows early Briton had dark skin)

チェダー男を40年間研究してきたクリス・ストリンガー教授は、ケニス兄弟による復元に衝撃を受けた
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チェダー男の骨のレプリカが現在、発見された洞窟に展示されている
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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1518162326/続きを読む

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1: ひろし ★ 2018/02/07(水) 23:58:05.87 ID:CAP_USER9
2月7日 23時38分

太平洋戦争末期、戦艦「大和」とともに沖縄に向かいアメリカ軍の攻撃によって沈んだ旧日本海軍の駆逐艦「磯風」と見られる艦船が鹿児島県沖の海底で見つかっていたことがわかりました。専門家は、大和以外の艦船の調査は行われておらず、貴重な発見だと評価しています。

駆逐艦「磯風」は昭和15年に就役して真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などに参加しましたが、戦艦大和とともに特攻作戦で沖縄に向かっていた昭和20年4月7日、鹿児島県の枕崎沖でアメリカ軍の攻撃によって沈みました。

大和について広島県呉市とともに潜水調査を行った大阪市の海洋調査会社によりますと、おととし5月の調査の中で、大和が沈んだ場所から北東に9.5キロ、深さおよそ450メートルの海底で、艦船1隻が沈んでいるのが見つかったということです。
これについて専門家は、撮影された映像や戦闘の記録などから「磯風」の可能性が高いとしています。

映像には4つの砲身をもつ魚雷発射管のほか、爆発でめくれ上がった艦尾や横倒しになった主砲も映し出されていて、当時の戦闘の激しさがうかがえます。

旧日本海軍の歴史に詳しい広島県呉市の大和ミュージアムの戸高一成館長は、「記録に残る被害状況や沈没場所をつきあわせると磯風でほぼ間違いない。大和以外の艦船の調査は行われておらず貴重な発見だ」と話しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180207/k10011319951000.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1518015485/続きを読む

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