248: 名無しの司馬遷 2014/07/28(月)22:58:15 ID:iq5GEPu2z
ムハンマド・アリーがエジプト総督に就任したころ、オスマン帝国本国では、
セリム3世の改革に対する不満がますます広がっていた。


セリム3世が新設した西洋式軍隊は「ニザーム・ジェディード」と呼ばれる。
トルコ語で「新制軍」。まあ芸のない命名ではある。

1805年、セリム3世はニザーム・ジェディードを増員するため、バルカン半島各地で兵士を集めることを発表した。
これを聞いて色めき立ったのはバルカン地方のアーヤーン、例の徴税請負人から進化した「ご領主様」たちである。

貴重な領地の人手が訳のわからん新制軍とやらに持ってかれる。
いや、よく考えてみれば皇帝直属の軍が強くなったら、自分たちが抱えている領地も取り上げられちまうんじゃね?

というわけでアーヤーンたちは皇帝を脅迫した。

「陛下、つまらん真似をなさったら我々みんなでイスタンブルに押しかけますぜ」

というわけで、バルカン半島での兵士徴募は中止。皇帝は脅迫に屈した。


この一件で、セリム3世もニザーム・ジェディットも舐められた。
まもなくイスタンブルの郊外で、イェニチェリ兵士がニザーム・ジェディットの将校を殺害する事件が起きる。
腰が引けた皇帝はニザーム・ジェディットに兵舎に引き上げるように命じたが、
ビビるどころか勢いづいたイェニチェリはそのままイスタンブルに進撃開始。こりゃもう反乱である。

セリム3世は完全降伏のていでニザーム・ジェディット解散を宣言したが、今更その程度で事は終わらない。

ここで、イスラーム法学者たちの最高権威である「シェイヒュル・イスラーム」が登場する。
要は最高裁長官みたいなものである。

「皇帝セリムの改革はことごとくイスラーム法に違反する。皇帝は廃位されるべし」


これで決着がついた。

セリム3世は帝位から引きずりおろされ、改革はすべてご破算。
ニザーム・ジェディットは解散し、各国の大使館も閉鎖される。
セリム3世の支持者たちはブルガリアの改革派アーヤーン、「アレムダール・パシャ」のもとに集まり、皇帝救出のために出陣した。
しかしイェニチェリたちはこれを知ると救出軍が到着する直前に、哀れ廃帝セリムを殺害してしまった。
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