95: 名無しの司馬遷 2014/07/20(日)20:00:59 ID:dkU8dQkVy
最初に細かく書きすぎると、途中で濃度を薄められないのが問題で、
実は近代はそこまで詳しくないという

さて、オスマン帝国の続き。

セリム1世の後を継いだのはスレイマン1世。後の世では大帝と讃えられる。
といって、彼が何をしたかというのはちょっと難しい。
no title
法典を整備して、十数回遠征したけど、ハンガリー征服以外はセリム以上に目立って領土を広げたわけではない。
地図上では彼の時代にオスマン帝国領は北アフリカをアルジェリアまで大拡大しているんだけど、これは、このあたりの豪族や海賊が自分から帰順してきただけであり。

スレイマン大帝の事業でいちばん有名なのは第一次ウィーン遠征。
オスマン帝国はハンガリー征服後、中央ヨーロッパの大国ハプスブルク帝国と接触した。
その首都であり、西ヨーロッパの入り口というべき要衝、オーストリアのウィーンは
オスマン帝国の人々にとって「赤い林檎の国」といわれる憧れの場所だった。

なんで赤い林檎なのかは知らん。

スレイマンはウィーンを包囲するも、イスタンブルからここまで来るのに時間がかかりすぎ、
冬が迫ったので雪が降る前に撤退。
オスマン帝国の拡大の限界となった。

それとは別にスレイマンは艦隊をフランスのマルセイユや東南アジアのスマトラまで派遣したり、
中央アジアのブハラに援軍を送ったり、ドイツの宗教改革運動に介入したりしている。

スレイマンが何をしたのかというのは難しいけど、彼の時代のオスマンがまさに全盛期で、
その影響力がユーラシア大陸の多くの地域まで及んだのは間違いない。
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