(遅報)歴史まとめ

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タグ:大内義隆

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1: 名無しの司馬遷 2015/06/03(水) 23:14:01.55 ID:JDf7k1lJ0●.net BE:218927532-PLT(13121) ポイント特典
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約150年に及ぶ戦国時代。数多くの大名や武将がいたが、
そんななかで飛び抜けて個性的な性格や行状を行なった人物を紹介してみよう。

・江戸時代に流布していた戦国三大愚人とは?
江戸時代に書かれた軍記物のなかでは、細川政元、大内義隆、今川氏真が、戦国期の三大愚人にあげられている。

細川政元は、戦国初期に活躍した人物。室町幕府を支える幕府管領家のひとつ細川京兆家の嫡男として文正元年(1466)に生まれた。
応仁の乱を起こした畠山政長と対立したがこれを破り、足利義澄を傀儡として将軍に就かせたことで、幕府の権力を掌握した。
そのため「半将軍」とまで呼ばれるほどであった。外交・内政に辣腕を振るった政元だったが、いつしか政務を疎かにして修験道に没頭するようになっていった。
修験道とは苛烈な修行を行ない人智を超えた能力を持つことを目的とする。
現代的にいえば、仙人とか魔法使いになるための修行に邁進したということ。

そのうえ政元は生涯妻帯しなかったため、嫡子がいなかった。そのため3人の養子を得たが、後継者を指名していなかった。
そのため3人の養子たちやその生家が、跡目を巡り激しい権力争いを行なうようになる。
ついには養子のひとりから刺客を送られ、暗殺されてしまった。政元の死後、養子たちの争いはエスカレートし、
各地の有力守護大名を巻き込んで、騒乱が拡大。戦国大名が誕生する萌芽となっていった。

・趣味に埋没し武を怠ったと批判された義隆と氏真
大内義隆は長門、周防、安芸、石見、筑前、豊前の6ヶ国を領する大大名であった。
活躍したのは毛利元就と同時代で、はじめ元就は義隆に属する小大名にしか過ぎなかった。

戦国の気風が蔓延するなか、領国のうち長門、周防は安定していたが、残る4ヶ国は家臣である守護代が台頭する懸念があった。
家臣の戦国大名化を防ぐため義隆は領国から離して守護代を身近に置き、守護代の所領地を各国に分散するなど、領地の安定化を推進した。
しかし、周辺諸国の諸勢力が戦国大名化したため、騒乱は絶えなかった。
経済的には広大な領地を持ち、なおかつ莫大な財を産む大陸との海外貿易を独占したため、西国の中では財政基盤が豊かであった。
だが、重用していた陶晴賢が反旗を翻し、義隆は討ち取られてしまう。

http://news.livedoor.com/article/detail/9151118/

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1: 名無しさん@おーぷん 2015/01/21(水)11:18:41 ID:ssA
1(二)滝川一益
2(右)三好長慶
3(遊)長宗我部元親
4(中)豊臣秀吉
5(左)福島正則
6(三)荒木村重
7(一)大内義隆
8(捕)龍造寺隆信
9(投)大友宗麟

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