331: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日)21:56:10 ID:GIzkFpnK8
英露両国の覇権角逐の舞台が中央アジアとなることは地政学上の必然だったが、
実のところ両国ともこの地域の地理や政治情勢がほとんど分かっていなかった。
というわけで幾度となく両国の冒険的な密偵が中央アジア一帯を探索し、現地王侯の懐柔を試みる。
その動きは実際に両国の勢力圏が接近するよりもずっと以前から始まっていた。
そんななかで、ひとつの珍事が起こった。


ガージャール朝ペルシアがロシアの軍事圧力に屈するのと同時期、大英帝国もこの国に士官を派遣して軍の訓練を施したり、
不平等条約を押し付けて各地に領事館を開いたり、支援も干渉も取り混ぜた手段でペルシアを影響下に置こうと画策していた。

1837年秋のこと。
ヘンリー・ローリンソンという、後に古代ペルシア文字を解読して世界史の教科書に名前が載ることになる
27歳になる英軍士官がペルシア東部を旅していたとき、まったくの偶然から、
一団のコサック騎兵を引き連れたロシアの将校と遭遇した。
いろいろと探りを入れた結果、このロシア人たちはアフガニスタンの新王ドースト・ムハンマドに誼を通じるべく遣わされた密使であるらしいと判明した。

なんとしてもロシアより先にアフガニスタンを影響下に収めなければ。
英国側に焦りが広がった。
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