no title no title
1: 名無しの司馬遷 投稿日:2007/06/21(木) 13:39:41 ID:4DTGLbmE0
 モンゴル帝国崩壊後、西アジアをほぼ制覇しながら、明への遠征途上に倒れたティムール。
 もし倒れることなく、明に攻め込んでいたら果たしてどうなっただろうか?

 待ち受ける明を束ねるのは、靖難の変の激戦を勝ち抜いて、甥から帝位を奪った永楽帝朱棣。

 いずれ劣らぬ歴戦の覇王が束ねる東西の二大帝国の激突。
 世界帝国の座を賭した激戦の行方や如何に?
永楽帝は、の第3代皇帝一般的に日本ではその在位中の元号から永楽帝と称される。
靖難の変では兵力・物量で圧倒的に不利な状況にあるにも関わらずに勝利し、皇帝としての地位にありながら自ら5回もモンゴルに親征するなどという異例の行為を見せているが、これらは永楽帝が類稀な軍略家であったことを示している。
「成祖本紀」には「若くして兵学を修め、勇武の才略は太祖洪武帝にも匹敵した」と軍事の才能を褒め、「即位後自ら倹約を行い自然災害が発生したら人民をただちに救済し、人物を良く見抜いて適材を適所に配した」と行政面での見識を賞賛している。

ティムール1336年4月8日 - 1405年2月18日)は、中央アジアモンゴルテュルク系軍事指導者で、ティムール朝の建国者(在位:1370年4月10日 - 1405年2月18日)。

中世アジアを代表する軍事的天才と評価され、中央アジアから西アジアにかけてかつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。しばしば征服した都市で大規模な破壊と虐殺を行う一方、首都と故郷で建設事業を行う二面性を持ち合わせていた。


続きを読む