1: DQN ★ 2016/11/11(金) 07:31:36.50 ID:CAP_USER9
出土した御土居の堀(右)と犬走りの跡。急斜面がつくられ、軍事的性格が強いという=10日午後、京都市北区
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 京都市北区の市営住宅建設予定地から、16世紀末に豊臣秀吉が京の周囲を囲むように築いた「御土居(おどい)」の堀跡が出土し、10日に市埋蔵文化財研究所が発表した。深さ4・5メートル、堀った土で急勾配の土塁を築いており、全体の高さは約9メートルにも及ぶ巨大なものだった。

 御土居の目的は、朝鮮出兵で手薄になった京の防御壁▽川の氾濫から守る防災壁▽洛中の範囲の確定-など諸説があるが、同研究所は「今回出土した御土居は、ほかの場所より手間をかけ、防御性をより高めた構造になっている」とし、軍事的意味合いが大きかったとみている。

 今回は深さ4・5メートル、推定幅18メートルの堀が南北44メートルにわたり出土した。堀の上には、土を高さ1・2メートルに盛って帯状の平地「犬走り」(幅約2・6メートル)が設けられ、さらに高さ約3・5メートルと推定される土塁の一部も出土した。堀の底からの高さは計9メートル以上にもなる。

 今回の調査地の御土居について、同研究所は当初、約80メートル西の紙屋川を堀に流用し、川に沿うように土塁が築かれたと想定していた。だが、地面に急峻(きゅうしゅん)な堀を作り、堀から出た土を利用して傾斜角45度の土塁を築いたことが確認された。

 御土居は現在、土塁と川を使った堀が一体となった北野天満宮(上京区)など数十カ所で残るが、地面を掘削した堀と土塁、犬走りが発掘調査で一緒に出土したのは今回が2例目。

 奈良大の千田嘉博教授(城郭考古学)は「堀や土塁の規模には鉄砲への対策が読み取れ、御土居が軍事目的で築かれたことを示す証拠になる」としている。

 御土居豊臣秀吉が天正19(1591)年、北は上賀茂・鷹峯(たかがみね)、西は紙屋川(天神川)、南は九条通、東は鴨(賀茂)川の範囲に巡らせた堀付き土塁。総延長は22・5キロ。自然の川を堀に使うなどして3カ月で完成したとされる。

産経新聞:http://www.sankei.com/west/news/161110/wst1611100110-n1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1478817096/ 続きを読む