(遅報)歴史まとめ

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タグ:足利尊氏

1: 日本@名無史さん 2011/12/21(水) 07:44:13.44 .net
どうなってたかな?
足利 尊氏は、鎌倉時代後期から南北朝時代武将室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。足利将軍家の祖。
1333年後醍醐天皇が挙兵した際、その鎮圧のため幕府軍を率いて上洛したが、丹波国篠村八幡宮で幕府への叛乱を宣言、六波羅探題を滅ぼした。幕府滅亡の勲功第一とされた。
後醍醐の独裁体制である建武の新政が急速に人心を失っていく中、鎌倉方の残党が起こした中先代の乱により窮地に陥った弟・足利直義救援のため東下し、乱を鎮圧したあとも鎌倉に留まり独自の武家政権を樹立する構えを見せた。これにより天皇との関係が悪化し、上洛して一時は天皇を比叡山へ追いやった。天皇側の反攻により一時は九州に都落ちしたものの、再び太宰府天満宮を拠点に上洛して京都を制圧、光明天皇を擁立して征夷大将軍補任され新たな武家政権室町幕府)を開いた。
新田 義貞は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人武将

足利氏と並び武家を統率する力のある家系であった新田家の当主で、足利尊氏の対抗馬であり、好敵手でもあった。ただし、鎌倉時代後期の新田家は足利家に対して従属関係にあり、延元の乱以前の義貞は尊氏の指揮下の一部将であったとする研究もある。また、軍記物語『太平記』においては、前半の主人公の一人とも言える存在である。

鎌倉幕府を攻撃して滅亡に追い込み、後醍醐天皇による建武新政樹立の立役者の一人となった。しかし、建武新政樹立後、同じく倒幕の貢献者の一人である足利尊氏と対立し、尊氏が建武政権に反旗を翻すと、後醍醐天皇により事実上の官軍総大将に任命されてこれに対抗した。これにより各地で転戦したものの、箱根や湊川での合戦で敗北し、のちに後醍醐天皇の息子の恒良親王尊良親王を奉じて北陸に赴き、越前国を拠点として活動するが、最期は越前藤島で戦死した。


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